きっかけの夜
一次創作で初めて書いたものです。ぜひ率直な感想をください!
わたしは真夜中の暗い部屋で、スマホをいじっていた。豆電球を付けると寝付けないのでいつも真っ暗にして眠っている。いつも寝るのは電気を消してから3,4時間は経っている。大体夜の3時か4時くらい。そのせいでいつも学校では居眠りして怒られる。
いつものように、イヤホンから流れてくる大音量の台湾歌手やロックの曲をぐちゃぐちゃな順番で聴きながらスマホでツイッターのつぶやきを見ていた。
みんなTVに出ている芸人や今日の出来事についてばかり語っていて、面白いツイートをなかなか見つけられないでいた。そんな中、10,000リツイートを超しているツイートを見つけた。ツイートには、”怖い子供向け絵本”のことが書いてあった。リンクが貼ってあり、絵本の画像とそのタイトルが書いてある。
こういったものは大抵話すことが上手い人間や技術のある人間がつぶやくものだ。現実の世界でも友人が多く、人に合わせることが得意。そして引っ張っていくことも得意としている。
話し下手なわたしはフォロワーよりもフォローする人間が多く、周りの真逆な人間を見ていつも劣等感を感じる。周りはわたしを見下すことはなく、わたしが勝手に自分を下に置いてるだけなんだけども…。
「”聖ルウィンの国”…」
わたしはどこかで読んだ本だということを思い出し、口走った。
内容が少し強烈で怖かった思い出があるが、特に子供向けでもなかった様な気がする。小さい頃、両親が誕生日プレゼントに買ってきたのがその本で、とっくの昔にどこかにいってしまった。
読んだ時はただ「訳わかんない話だなあ」くらいにしか思ってなかった。内容が子供には難しすぎたのだ。むしろこの本は子供ではなく大人のために書かれたものだろう。そして今、あらすじを読んで当時の両親のプレゼントのセンスを疑った。
「子供にはおもちゃが良かったなあ…。バカ親め…。」
ついこうやって悪口をボソボソ言うのだった。こんな感じだから友達ができない。
”聖ルウィンの国”はあらすじはこんな話だった。以下は某百科事典のみたいな口調で書かれているブログからの引用だ。
むかし”月の国”で子供が大量に誘拐された。だがその子供たちには大きな特徴がある。双子か三つ子以上のいわゆる多胎児の兄妹ばかりが連れ去られたのだ。
連れ去った者は自分を”聖ルウィン”と自称して自分の国を作ろうとしていた。自然資源が豊富で広大な聖ルウィンの土地で子供たちは支配され、逃げようとする子は他の子供たちの目の前で拷問を受ける。
それを目に焼き付けさせられトラウマを抱えた彼らは聖ルウィンとその配下の大人たちの言うことを自然と聞くようになり、大人になっていく。
だが”国”になったところで聖ルウィンはこの地を去り、”国民”は置いてきぼりにされる。そして無政府状態となった国は別の形に変わっていく…。
このブログの管理人は極端なネタバレを嫌う。途中まで話を書いていても、結末までは教えてくれない。
要は「続きは買って読んでね」ということだ。他のブログでは結末まできちんと書いている。だが結末は自分で読もうとわたしは考えた。ネタバレをされても話全体の出来は主観的にしかわかることができない。他人の意見を鵜呑みにはせず、自分の意見を持ちたい。そう考えて、朝が明けたら日曜日、図書館へ行くことにした。
その時は自動車学校の卒業試験で、わたしはいつも教習所で勉強していた。家は幼い妹が騒ぎまくってうるさい。自分の部屋ですらも落ち着かない。
日曜日は教習所も休みなので図書館で勉強していた。図書館で曲を聴きながら勉強する、これがわたしの至福の時だった。
図書館で本をよく読むときがあったから、尚更。休憩中に乱歩の短編や横山光輝の三国志、赤塚不二夫のおそ松くん、手塚治虫の鉄腕アトムをチャンポンで読むのは楽しい。
「紗南ちゃんって趣味が古いのね」
なんてたまたま会った同級生に言われるのは慣れっこだった。
児童書コーナーにあるであろう”聖ルウィンの国”を手に取るのも平気。高2だった去年、幼い子供に混じってトーマスの原作、”きしゃのえほん”も読んだくらいだ。わたしは恥ずかしさはもう遠い過去に捨てたくらい、ある意味勇気がある人間なのだ。自慢できることではないけれど。
「今日はもう寝よう…」
そう独り言をつぶやいて、スマホで時間を見る。もう3時半だ。わたしは目覚ましを8時にセットして、眠気が吹っ飛んだ頭を無理矢理睡眠モードに変えた。長い時間、「早く眠気よ来い」と考えていたらやっと眠気が訪れ、意識を遠くにやった。