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悲壮の音色  作者: 三角
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翳りの表情

 彼女のことを語ろうとすると、彼はいつも言葉に詰まる。

 いや、説明するのは簡単なのだ。

 容姿端麗。

 間違いない。

 少し小柄な体躯。

 怒られるだろうが、事実だろう。

 ドラムの天才。

 これは彼だけでなく、彼女を知るもの全員が事実だと認める。

 実際、彼女のドラムの腕は素晴らしい。テクニックもそうだし、彼女の演奏はジャンルによって色合いをがらりと変えてしまう。

同じ人間が演奏しているとは思えない、という言い方もあるだろう。

 だが、それは正しくない。

 彼女の演奏は、色合いをがらりと変えはするものの、根底にある「彼女が奏でる音」というのは変わらない。これがすごいことなのだ。

 ロック、ジャズ、オーケストラとのセッション。彼女の演奏は姿を常に変えている。だが、聞けば誰でも千変万化の音の向こうに彼女を見る。

 彼女はいくつもの演奏会を成功させてきた。

 拍手の嵐。聴き終えた者は皆立ちあがり、彼女を称える。

 観客は気付かない。

 気付くことができないのだ。

 演奏に聴き惚れ、演奏が終わった後もその余韻が抜けていない。

 彼女を称えてはいるが、その彼女の「表情」に誰も違和感を覚えない。

「彼女、また泣いてますね」

 彼の隣で、誰かが言う。

「ああ」

 彼女は素晴らしいアーティストだ。それは間違いない。

 彼女を語るということは、ドラマーとしての彼女を語るのと同じことだ。

 だから、彼は言葉に詰まる。

 彼女が抱える物を、知っているから。

「辛く、ないんですかね」

「辛いだろうさ。忘れることなんてできやしない」

「じゃあ、何故彼女はまだドラムを叩いているんでしょうか」

 好きだから。それもあるだろう。

 忘れないように。それもあると思う。

 だが、きっと……。

「背負うため」

「何を?」

「他の四人の、歩むはずだった未来だ」



 コンサートが終わり、観客たちが帰路につく。

 興奮はまだ冷めていないとみえて、皆今日の演奏を褒めたり、来てよかったといった感想を語りながらホールを後にしている。

 彼とその連れは、席を立ち、ホールを出ていく観客たちを見つめながら語らっていた。

「警察に入ってよかったと思うことはほとんどないですが、こういうコンサートに関係者でもないのにタダで来られるというのは役得かもですね」

「隣に座るのが美女ならなお良しか?」

「からかわないでくださいよチーフ。でもまあ、そうですね。そうだったら言うことなし」

「警察の中で探すしかないな」

「勘弁してくださいよ。綺麗な子はいるっちゃいますけど、みんな精神のほうがマッチョすぎて。扱いきれません」

 すでにホールに人は残っていない。先ほどまでの騒がしさが嘘のように、ホールは静まり返っていた。それでも、ホールの中には「熱」の余韻のようなものが漂っている。

 舞台袖から、男がひとり出てきた。今日の主役、天才ドラマー佳乃七瀬のマネージャーだ。

「お待たせしました。どうぞこちらに」

「こちらって、舞台袖に?」

「はい」

「いや、楽屋とかじゃないんですか?」

「七瀬は演奏のあとはしばらく袖で休むんですよ。あ、もちろん今日は刑事さんがいらしてるから、楽屋に戻ろうとは言ったのですが、この時間だけはどうしても譲れないと……」

 マネージャーは申し訳なさそう、というよりは、少し面倒な様子でそう言った。無駄なトラブルを避けたいのだろう。

「どうします、チーフ」

「構わない。袖で話を聞こう」

「了解」

 彼としても、時間を無駄に過ごしたくはなかった。マネージャーは安堵の表情を浮かべ、二人を舞台袖に通した。



「お疲れ様」

 彼の部下が言う。

「ありがとうございます。それと、すいません、わがままきいてもらって」

 佳乃七瀬は彼と連れが袖に入ってくると、すぐに立ち上がり、頭を下げた。

「僕は今日が初めてなんだけど、すごかった。ファンになっちゃいそうだよ」

「ファンとして彼女に接したいなら、いますぐ会場を出なきゃな。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」

 彼がからかうように言う。

「冗談ですよ。あ、演奏に惚れたのは本当だよ。今度はプライベートでくるよ、ファンとして」

 横目でちらりと彼を見て、連れは言った。

「チケットは自分で取れよ」

「分かってますよ」

「それじゃあ、今日も話を聞かせてもらえるかな」

「はい」

 彼は七瀬に座るように言い、自分も七瀬と向かい合うように座った。

 連れはICレコーダーをセットし、メモ帳を広げる。

「2015年4月2日。担当保坂冷泉。音声記録と調書をとる」

 舞台袖に緊張した空気が満ちる。分かっていても、刑事が話を聞くという行為にはどこか非日常めいたものを感じるのだろう。

「佳乃七瀬君」

「はい」

 七瀬の声にも少し緊張を感じる。これが最初ではないといえ、慣れたわけではないのだろう。

「最初に、義務として君に伝えることがある。分かるね」

「はい」

 七瀬にとっては、これで三度目となる、ある言葉を保坂が告げる。

「我々風紀対策特別捜査班は、凶悪事件、もしくは、風紀課管轄の凶悪事件になにかしらの関連性がある事件を調査し、捜査対象とするかを判断する部署となる。今回君の話を聞き、受理か保留、場合によっては捜査の必要なしという判断をする」

「分かりました」

 保坂はうなずき、連れに目をやる。

「では、確認から。君は自分のまきこまれた爆破事件に関して、疑問に思うことがあり、我々に相談したということでいいかい?」

 七瀬がうなずく。

「そうです」

「その事件は無差別テロ事件として目下公安が捜査中の案件だ。テログループとの関連についても水面下で探りをいれてる。でも、君がいうには、無差別テロが目的ではないと」

「はい」

 連れが保坂の方を見る。

「なぜ、そう思った?」

 しばしの沈黙が落ちる。保坂はその間も七瀬から目を逸らさなかった。

「聞いたからです」

「何を?」

「犯人の、会話を」

「会話の内容は覚えているかい?」

「はい」

「聞かせてくれ」

「断片的ですが」

「構わない」

「ウリ、殺すしか、爆弾、今夜」

 連れがメモを見る。ペンを走らせることはない。すでにこの会話内容はメモに書いてある。

「なぜ、それがテロに関連ないと思う?」

「バッジが、見えたから」

 アテネコーポレーションのバッジ。

「雑誌で見た事あったから、覚えてて」

 アテネと暴力団の繋がりが一度噂されたことがあった。だが、すぐに事実無根ということになり、噂は消えた。四課にはもっと探るべきだと言う者もいたが、捜査はされることなく終わった。

 刑事なら、どう考えてもクサいというのは分かる。しかし、令状がなくては、捜査はできない。

 保坂が七瀬の相談に食いついたのは、それがきっかけだった。

 尻尾をほとんどみせないアテネを、崩せるかもしれない。

 だが、七瀬にあってみて、保坂の心情は少し変わった。

 七瀬はその日、「メンバー」と共にある会場にいた。

 湊TRCホール。

 ミュージックフェスと呼ばれる大きなイベントが開催されていた。

 七瀬はその段階でインストバンドに在籍していた。中学時代からの仲間と始めたバンドで、七瀬が大学に進んだ年の春、デビューが決まった。

 その日は、お披露目の日だったのだ。

 七瀬は緊張を和らげるため、楽屋と会場として使われる第三ホールから少し離れた場所でイメージトレーニングをしていた。静かな廊下を歩きながら、頭の中で曲をなぞっていると、今日は使われていないはずの会議室から声が漏れていることに気が付いた。

 会話を聞いたのは、その時だったという。

 聞き耳をたてたのではない。聞こえてきてしまったのだ。

 席を立つような音も聞こえた。七瀬は身を隠した。

 恐怖心と動揺で顔を見ることはなかったが、スーツにつけたバッジだけは強烈に印象にのこったと言う。

 七瀬は慌ててメンバーの元へ帰った。

 こんなことがあったのだとメンバーに告げた。メンバーは七瀬の言葉を疑わず、すぐに運営にそのことを伝えた。だが、運営は七瀬たちを信じてはくれなかった。

「もうすぐ本番だよ」

 メンバーのひとり、バイオリン担当の千堂萌香がそう言ったのを、七瀬は鮮明に覚えていると言う。萌香は、続けて言ったという。

 呼びかけよう。

 勝手にそんなことをして、もし七瀬の勘違いだとしたら、せっかく掴んだデビューが流れてしまう。

 本当だったらもっと大変だ。それに……。

「七瀬は、そんなウソつくやつじゃないしさ」

 過去を振り返ると、このタイミングで七瀬は泣き崩れる。

 萌香のかけてくれた言葉、メンバーが向けてくれた笑顔。

 そして…・…。

 爆発。

「警察に電話しようってことになったんです。それで、私は一度会場を出て、電話しにいきました。会場は電波が悪いから」

 今でも、時々思うんです。

 七瀬は、言葉を詰まらせながら、言う。

「あの時、一緒に、一緒にいたらよかったのにって。だけど、本当は、本当は安心してた。私、自分が死ななくてよかったと、そう、思ったんです」

 最初の調書をとった時は、そこで話を聞くのは無理だと判断し、切り上げた。

 七瀬を見送り、オフィスでコーヒーを淹れ、保坂は考えていた。

 無差別テロであろうと、個人の殺人であろうと、人を殺めることは許されることではない。

 殺人は、ひとりでも誰かの命を狩った瞬間、等しく悪となる。

 保坂は刑事だ。刑事は法が市民を守るよう機能するために動く、法の番人でなくてはならない。

 アテネを潰したいと考えるのも、刑事であるからだった。

 七瀬は、泣いていた。保坂は、泣き崩れる七瀬の姿を思い出していた。

「チーフ?」

「……ああ」

「もう、一時間ですよ」

「なにがだ?」

「コーヒー。もう、冷め切ってると思います」

 保坂は、手にしていたカップを見つめた。

 琥珀色の鏡に映る自分を見つめた。

 その時、気付いたのだ。

 自分は、刑事としての使命感ではなく、七瀬のためにアテネを潰したいと思っていると。



「動くのが遅くなってしまっているが、必ずアテネを探る」

 過去に思いをはせると、どうしても熱くなってしまう。保坂は自分を律しつつ、鼓舞するために言った。

 これで何度目かになる七瀬の姿。はじめて言葉を交わした時よりも、ずいぶんと元気になった。だが、翳りは消えない。ふとしたときに浮かぶ悲しみだけは、今も消えてはいないのだ。

 七瀬は、今もドラムを叩いている。

 元々技術はあったのだ。デビューが決まっていたくらいなのだから。

 デビューするのは簡単だった。テロを生き延びたという話題性もある。

 しかし、七瀬は語らない。

 過去を語るのは、保坂と話す時だけだった。

 いや、演奏している時もそうなのかもしれない。

 自分と対話している。そのためにドラムを叩いているのかもしれない。

 ドラムをやめたら、すべてが過去になってしまう。

 それならば、背負うのを選ぶ。

 そういうことなのではないかと保坂は思う。

 演奏の後の涙を、温かいものに変えたい。

 ポエスティックで少々クサいが、保坂はそう考えていた。

「よろしく、お願いします」

 深々と頭をさげる七瀬を見て、保坂は決意を新たにした。



 七瀬と別れ、保坂は署に戻った。

 自分のデスクに山積みにされている資料のひとつを手に取り、見る。

 アテネに関する捜査はほとんどされていなかったので、アテネと関連性のある暴力団にある程度のあたりをつけるため集めた資料だった。

 できるだけアナログな形でデータを集めていた。

 アテネは巨大企業だ。データの海に目を光らせているかもしれない。

 アテネと暴力団が絡んでいるという情報はほとんどなく、アテネはどこまでもクリーンだった。

 クリーンすぎる。警視庁の四課の人間や防犯課に所属する人間なら、綺麗すぎるものにほど臭いを感じる。

 しかし、クサいはずなのに、何もない。

 隠蔽工作をしているのだとしたら、たいしたものだ。

「チーフ、お疲れ様です。コーヒー淹れてきましたよ」

「ああ、ありがとう」 

 コーヒーを保坂のデスクに置き、部下が言う。

「成果、あがりませんね」

「ああ」

 資料を睨みながら、保坂はコーヒーを飲んだ。

 少しリスクはあるが、もうこれしかないのかもしれない。

「個人を探ろう」

「個人って、アテネのですか? 気付かれませんか?」

「このままじゃどのみち手詰まりだ。踏み込むしかない」

「無茶しますね。ま、確かにそれしかないですか。どうします? あそこまでの巨大企業。絞り込まないと探りいれるだけで還暦ですよ」

 そうだ。絞り込まないといけない。

 アテネが起こしたテロだとしたら、なにがきっかけだ。

 ウリだろう。

 七瀬も会話の中でウリというのを聞いた。

「売春で問題が起きそうな部署。結局全部だな」

「そりゃ、売春関連は部署とか関係なくアウトですからね」

「だが、あれほどの規模で証拠隠滅を図る必要はあるか? 無差別テロに見せかけると言っても、そこまでして……」

 ターゲットがいたのは確実だ。だが、それを掴むのは難しい。

「被害者の方から探るか」

「それでも結構な数ですよ? 風紀の連中に訊いたらどうです?」

「どこも同じだろうさ。アテネが事件に絡んでるとし、たら隠蔽は完璧だ。痕跡がまったくない。被害者の方から探りをいれたほうが、下手にアテネを探るよりは期待ができる」

「資料、集めなおしますか」

「ああ」

 少しでもいい。アテネに繋がるなんらかの痕跡を見つけなくてはならない。

 保坂は息を大きく吐きだす。

 七瀬の顔が、一瞬浮かんだ。

なんとなく浮かんだ刑事物です。

難しいですね。とっても難しいです。

続きも書きたいですが、どうしたものかという。


ありがとうございました。

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