疾駆 二
田豹、馬霊の軍が汾陽を取り囲んでいた。
戴宗の報告を受けた盧俊義は、挑発に乗らず籠城を決めた。
数日して、待っていた援軍が到着した。
郝思文、宣贊に護衛された公孫勝と、もう一人道士がいた。その道士は喬道清と言い、公孫勝の兄弟子だという。
思い出した。盧俊義に敗北した孫安が、昭徳に向かいたいと言った。その目的、それが喬道清を説得するためだった。
なるほど、公孫勝の力もあって、孫安は成功したという訳か。
一方、孫安は宋江軍に加わったという。また張清が田虎軍に潜入していると聞き、この戦いも長くはないと盧俊義は感じた。
喬道清が言う。
「よくぞ堪えてくれました。私と一清とで馬霊を攻めましょう」
早速、馬霊軍の攻撃があった。
盧俊義は三手に分かれる策を取る。
公孫勝と楊志、欧鵬、鄧飛の隊。
喬道清と陳達、楊春の隊。
そして盧俊義が率いるは宣贊、郝思文の隊。
「盧俊義どの」
出陣前、戴宗が神妙な面持ちでやってきた。
「私も、連れて行ってくれませんか」
「戦に、か」
「言いたいことは分かります。私は武芸も人並み以上ではありませんし、戦の経験もありません。ですが」
「馬霊、か」
戴宗は言葉に詰まった。分かっている。馬霊に関心があるというだけで、従軍させてくれなど、あってはならない事だ。
だが盧俊義は意外にも許可を出した。
「その代わり、己の身は己で守るのだ。そして決して無茶はするな。己の行動ひとつで、この戦の趨勢が変わることもあると心してくれ」
その言葉は、重かった。だが盧俊義のためにも、梁山泊のためにも覚悟を決めた。
北、東、西門が開かれ、それぞれの軍が出陣した。
やっと出てきた梁山泊軍に、馬霊軍が殺到した。
「金輪如来の索賢、いざ」
「無光明王の党世隆、覚悟」
「変面菩薩の凌光、死ねいっ」
相対するのは盧俊義軍。
郝思文が索賢と馳せ違う。索賢の得物の金輪が、頬を掠めた。馬首を返し、再び馬を駆けさせる。郝思文は三尖両刃刀を斜に構えた。
敵の中で妖術を使う者は馬霊を除けば、二人と聞いている。この三人は違うようだ。
ならば問題は、ない。
二騎が再び馳せ違う。索賢が腹から肩にかけて、血を噴き出させた。下方から切り上げられた両刃刀で、両断されたのだ。索賢はそのまま落馬して果てた。
馬を止め、宣贊と党世隆が打ち合っている。
漆黒の衣を纏った党世隆は、その刀までも黒かった。鋭い刺突が宣贊を襲う。剛刀で捌きつつ、距離を空ける宣贊。力は宣贊と互角といって良いほどだ。さらに刀の軌跡が変則的で、見えない角度からの攻撃が厄介だった。
またもふいに刀が消えた。
宣贊は両手を広げ、体を晒した。
刀はがら空きの胴に狙いを定めた。
厄介だが、狙いが分かれば難しくは、ない。
宣贊は瞬時に力を込め、党世隆の刀を叩き折った。そして唖然とする党世隆を、そのまま斬り伏せてしまった。
盧俊義に向かって、凌光が駆ける。槍を頭上で大きく回している。
「ひゃはは、槍の餌食にしてくれるわ」
鋭い突きが繰り出される。盧俊義は無言で淡々と捌いてゆく。敵わぬと見た凌光が、少し下がり、唸り声を上げた。
「ふうう、この野郎。おとなしくやられちまえよ」
凌光が顔を真っ赤にして突っ込んできた。
それを動かずに待つ盧俊義。
渾身の力を込めた槍が、凌光の肩口を切り裂いた。
凌功が悲鳴を上げ、馬から転げ落ちた。
そこに盧俊義が、馬上から槍を突きつける。
「ひい、た、助けてくれ。たすけ」
跪き、泣き叫ぶ凌光の胸を槍が胸を貫いた。
ぽつりと、
「怒ったり泣いたり、忙しい男だな」
盧俊義は血を吐く凌光を一瞥し、軍に号令をかけた。
「敵将、田豹を追うぞ」
「お主ら、負傷しているではないか」
自軍に配された陳達と楊春に、喬道清が言った。
「悪りいな、大将。大目に見てくれや。あいつらには貸しがあるんだ。やられっ放しじゃあ、癪でよ」
陳達が軽く言うが、その目は真剣だった。
額の包帯が痛々しい楊春も、喬道清の目をしっかりと見つめている。
「お願いします。足は引っ張りませんから」
「それに、あんた強いんだろ。公孫勝の兄弟子だって聞いたぜ」
「ふふ、上手く言ったものだ。そこまで言われて断れるわけがない」
「そうこなくちゃな」
ふいに孫安を思い浮かべた。あ奴が梁山泊の何に感化されたのか、ゆっくりと確かめるとしよう。
喬道清たち三人が率いる軍が、敵軍と遭遇した。
先頭にいるのは武能と徐瑾だ。
「馬霊はおらぬか」
少し残念そうに、喬道清が馬を飛ばした。
おい待てよ、という陳達の声が遠ざかる。
喬道清が宝剣を抜き放った。そして二本の指を立て、剣先に添えた。
武能と徐瑾が驚いた顔をしていた。
「お、おい、あれは、もしかして」
「ああ、間違いない。喬道清どのだ」
「昭徳府で梁山泊軍に敗れたと聞いていたが」
「寝返った、ということか」
武能と徐瑾が目を合わせ、左右に軍を展開させた。二人は喬道清に掌を向け、文言を唱え出した。
はあっ、と武能と徐瑾が同時に声を上げた。豪雨と突風が、喬道清を襲う。
「私の力を知らぬ訳ではあるまい」
冷静に喬道清が言い、宝剣で天を示した。
風と雨は、見えない壁のようなものに阻まれ、喬道清の周囲をぐるぐると回ってしまう。
喬道清が眉間に皺を寄せた。
突然、身を刺すような冷気が襲ってきた。周囲をめぐる雨が、風と混じり雪と氷になったのだ。
喬道清の衣の端に霜が降り、ついに凍り始めてきた。
だが喬道清は冷静に、口の中で文言を唱えた。そして二本の指を剣の根元から先へ滑らせると、宝剣が燃え上がった。
そしてその燃える宝剣を、真っ直ぐに斬り下げた。
光の筋が走った次の瞬間、喬道清を包む氷が破壊され、飛び散った。
武能と徐寧が悲鳴に似た声を上げ、同時に馬首を返した。
しかしそれに追いすがる影があった。
「へへへ、こないだのお返しだぜ」
陳達が徐瑾を追う。そして武能には楊春が迫った。
「この死に損いめ」
馬を駆りながら、徐瑾が陳達めがけて突風を放つ。だが風の先には空の馬だけが駆けていた。
「こっちだ、こっち」
声の方向を見ると、陳達が部下の馬に乗っていた。自分の馬から飛び移ったというのか。
徐瑾が狙うたび、陳達は次々と別の馬に移り変わる。
「ちょこまかと煩わしい男だ。だが所詮は大道芸。まとめて吹き飛ぶがよい」
徐瑾が手綱を放し、両手で陳達そして部下たちに向かって突風を放とうとした。
陳達が跳んだ。
今度は、徐瑾目がけて、跳んだ。
風を跳び越え、空中で槍を逆手に持ち替える。
おおお、と雄叫びと共に体重を浴びせかけるように徐瑾とぶつかった。
両者が地面に落ちた。
そこには荒い息で喘ぐ陳達と、槍に貫かれた徐瑾が転がっていた。
風が、止んだ。
武能は、追って来る楊春たちの頭上から激しい雨を降らせていた。
乗り手も馬もずぶ濡れである。乾いた地面に向かおうとしても、すぐに武能が雨を降らせてしまう。
だが、ぬかるむ地面を必死に駆ける梁山泊軍の馬は、勢いを衰えさせない。
泥に汚れながら、楊春はじっと武能を見据え、思う。さすが皇甫端が育てた馬だ。
そして囁くように言う。
「もう少しだ。もう少しだけ、頑張ってくれ」
それに応えるかのように、楊春の馬が速度を上げた。
「ちぃ、しつこい連中だ」
追われている焦りもあるのだろう。武能が落ち着きを欠いてきた。馬も、口の端に泡を吹き始めている。
このままでは潰れてしまう。どうする。部下の馬を奪うか。
思案していた武能だったが、周囲に誰もいなくなっている事に気がついた。
楊春の部下が、武能の部下を片付けてしまっていたのだ。
馬の速度が落ちた。
その時、楊春が雨の中から抜け出した。
「追いついた。そして終わりだ」
大桿刀が武能を両断した。
武能の馬も力尽き、地面に倒れ込んだ。楊春は労うように、馬の首を撫でた。
喬道清が来た。
「よくやった。だが敵はまだ残っている。行けるな」
「もちろんです」
後から来た陳達がすれ違いざま、にやりと笑って見せた。
行けるか、ではない。行けるな、と言われたことに、楊春は少し満足した。




