玉石 四
潞城。昭徳の北、襄垣の南にある拠点。
守将の池方は気が気ではなかった。
「おい、田虎さまからの返答はまだか」
「ま、まだ、ありません」
「くそっ。梁山泊軍が目の前にいるのだぞ」
数日前に威勝へ救援要請を送ったのだが、回答も増援もない。。
城壁の上から覗き込むように見る。城から数里の場所に陣が張られている。
くそっ、と池方がまた毒づいた。
潞城は堅く門を閉ざし、出てくる様子がない。
梁山泊兵は、見張り以外休息を取っていた。少しでも力を温存するためだ。
腹を満たした孫如虎と李擒竜が潞城を見ている。
「不安か」
鈴の音がした。耿恭が横で、同じ方向を見ていた。
「耿恭さま。ええ、戦に何度出ても、不安が消えることはありません」
孫如虎の言葉に、李擒竜も大きく頷いた。
「不安のない者など、おらぬさ」
李擒竜が周囲を見回す。梁山泊兵たちも、自分たちと同じ顔をしているのに気がついた。勝利を重ねている彼らも同じなのだ。
そして彼らを率いる関勝、唐斌も。いや将こそが、誰よりも不安なのだろう。
「これじゃあ埒があかねぇな」
「と言っても、どうするのです。李雲の攻城兵器もありませんし」
苛立つ唐斌に、索超が言った。急先鋒と呼ばれる索超である。誰よりも我慢比べが苦手なのだ。
ふいに唐斌がにやりとした。悪戯っぽい目をしていた。
関勝は、その目を知っている。何か、碌でもない事を思いついた目だ。
「よし、敵を引きずりだしてくる。おい、関勝。止めるなよ」
「止めても行くのだろう」
わかってるじゃねぇか、と言う顔でまたもにやりとしてみせた。
心配そうに徐寧が訊ねる。
「一体、何をしようというのです」
「わからんが、あ奴は言ったことをやってみせる」
「では、敵を」
「うむ。徐寧、兵をまとめ、手筈を整えてくれ」
半信半疑ながら、関勝の言葉に従う徐寧。関勝も、ちらりと唐斌を見やり、兵の元へ向かった。
唐斌は腕を回しつつ、徒歩で潞城へ近づいてゆく。一同が不安混じりの、興味津々の目で見守る中、唐斌はなんと戦袍を脱ぎはじめた。
冬の最中である。いや、そもそも敵が目の前にいるのだ。
脱いだ戦袍を大きく振り回し、潞城に向かって唐斌が叫びだした。
「おおい、お前ら。俺はもう飽きたぞ。とっとと出てきて勝負しようではないか。それとも、こんな少人数に怖気づいているのか」
潞城の敵も、唐斌を見ているのが分かる。
そして索超までもろ肌脱ぎになって、そこにいた。
「わはは、憶病者め。お前たち相手に甲などいらぬわ。この首欲しくば、出て来てみろ。まあ、無理だがな」
唐斌と索超が踊るように騒ぎ、哄笑が響き渡る。
孫如虎と李擒竜は目を丸くして見入っていた。状況を打破するためとはいえ、敵の前に裸で立つなど。自分たちにできるはずもない。
「行くぞ、孫如虎、李擒竜。敵が動く」
耿恭の言葉に、二人が我に返った。
門が動いた。
「おう、効いたみたいだな」
「そうですね。しかし、あなたは肝の太い人だ」
「お前こそだろうが」
四つの門が開かれ、潞城から兵が飛び出してきた。相手もまた、この状況に耐えかねていたのだ。そこへ唐斌と索超の挑発である。
「おっと、まずいな」
唐斌、索超めがけて騎兵の隊が押し寄せてきた。
だがそれを梁山泊の一隊が止めた。
率いるのは耿恭。
「二人とも馬に。得物も持ってきています」
すまんな、と馬に跨る唐斌。
金蘸斧を受け取った索超は、戦袍を着込むこともせず、敵に突っ込んでいった。
「急先鋒、か」
さすがに唐斌が呆れた顔をした。
東門で関勝が、西門側では徐寧が戦っていた。次々と襲いくる敵兵を鈎鎌鎗を振るい、倒してゆく。そして思う。
本当に門を開けさせた。正直、何を考えている、と思った。
だが、関勝どのの盟友か。方法がなんであれ、認めるしかなかった。
唐斌どのが作った、この機を絶対に逃さない。それが今、己にできる事だ。
鈎鎌鎗が狂おしく舞う。
西門を奪い、潞城に入った。
敵は半分がた戦意を失っていた。
「逃げる者は構うな。住民の保護を優先しろ」
徐寧は兵たちに命じながら、敵将を探した。城内の大きな建物に辿り着いた。警備が厳重だ。ここだろう。
馬を下り、敵兵を薙ぎ倒し、内部に駆け入る。
奥の部屋に潞城の守将がいた。
池方は、刀を手に身構えている。
「くそっ。どうして俺がこんな目に」
池方の恨み節を無視し、徐寧がにじり寄る。しばし睨みあう形となる。
ふいに気配があった。徐寧は鈎鎌鎗を突きつけたまま、背で感じ取る。
現れた敵兵は三、いや四人か。
「はっ、まだ運は尽きてないらしいな」
不安から一転、池方の目に光が戻った。
徐寧が呼吸を消すほどに鎮め、意識を集中させる。
池方の唇が微かに動いた。
「やっちまえ」
そう言いたかったのだろう。
だが徐寧は、言葉が発せられる前に動いていた。
体を沈めながら捻るようにして、半円を描くように鈎鎌槍を払った。
敵兵四人の足が刈られた。
徐寧の体が再び、池方に向く。そして即座に鈎鎌槍を突き込んだ。
腹を貫かれた池方の手から刀が落ちた。
徐寧はゆっくりと長く、息を吐いた。
鈎鎌鎗を振るい、血を落とした。
守将は討った。じきに潞城も鎮圧されるだろう。
「ふざけるんじゃないぞ、ちくしょうめ」
山士奇がぼやいていた。
唐斌をまんまと信じ、壺関を奪われたことが恨めしい。いや、いつの間にか梁山泊と通じていた唐斌が憎らしい。
「そもそもはじめっから信用してなかったんだよ、俺は」
誰に言うでもなく、山士奇が呟く。
孫安が、信じられる、と言うからだ。
ともあれ、このままでは田虎に申し開きができない。威勝に行くとしても手土産がなければ、許してはくれまい。
生き残ったのは陸輝と雲宗武、そしてわずかな手勢だけだ。
「大丈夫です。奴らはおりませんでした」
陸輝が浮山県への偵察から戻った。どこへ行ってもすでに梁山泊勢ばかりだったが運はまだ味方しているようだ。
山士奇は浮山県に入った。
「田虎さまからの命である。梁山泊軍を蹴散らすため、兵を出すように」
疑わしげな目の知県だったが、従わない訳にはいかない。山士奇の名が知れ渡っている事が幸いした。
一万の兵を徴発し、策を練る。
壺関は難しいだろう。ならばどこを攻める。地図を睨み、唸る。
「いま梁山泊は昭徳を過ぎ、次は威勝に向かうでしょう。ならばここはどうでしょう」
雲宗武が南の位置を指した。
蓋州か。なるほど。背後を獲れば、連中の補給路も断てる。
かくして山士奇が浮山県を進発した。
何が何でもやってやる。やるしかないのだ。
山士奇が鈍色の空を睨んだ。
梁山泊へ帰還したら、書きたい事が山ほどある。
施恩は、この田虎討伐の経過を思い返しながら高揚していた。
蓋州から北に五里の陣である。
そこへ杜興が駆けこんできた。
肩口から流れる血を、気にもせずに叫ぶ。
「すぐに準備をするんだ。来るぞ」
弾けるように施恩が飛び出し、戦の準備を命じた。
杜興が、思い出したように肩の傷を押さえた。
蓋州の手前の防衛線。そこに杜興と施恩が配されていた。そして杜遷は偵察の際、田虎軍に襲われたのだ。
あえなく梁山泊軍は敗れた。
敵の将が馬上から施恩を見下ろす。
山士奇である。
「なんだ、よくこんな連中に任せておくものだな」
その言葉が突きささる。何度、自分の弱さを痛感するのだろうか。
しかし。
田虎軍に囲まれた施恩が刀を構える。
少しでも、時間を稼がねばならない。逃れた兵と杜興が蓋州へ向かっている。それまで、少しでも。
ひらりと、山士奇が馬を下りた。
「面白い目をしているな」
捕らえた彪を見るように、山士奇が近づいてくる。
金色の瞳で睨む施恩。半歩、足を前に出す。
一斉に田虎兵が得物を突きつけるが、山士奇がそれを制した。
「どうやら、梁山泊の中でも名のある者のようだな」
山士奇が笑みを消し、渾鉄の棒を構えた。
思わず引きそうになった足を、施恩は何とか堪えた。蔣門神と向き合った時のように、圧倒されてしまう。
何も考えるな。
吼えるように叫び、施恩が斬りかかった。
刀が棒で弾かれた。腕が痺れる。だが必死に柄を握り、今度は横に払った。
山士奇が後ろに飛び退きざま、棒を打ち込んだ。
「ぐあっ」
と施恩の嗚咽を漏らし、刀を落としてしまった。
施恩の額に脂汗が浮かぶ。
この痛みは、知っている。
腕が、折れた。
施恩は左手で刀を拾い、山士奇に向けた。
「無駄だ。やめておけ」
「やってみなければ、わからない」
「わかってるだろう、痛いほど」
棒が風を切る音。折れた右腕に激痛が走る。施恩が悲鳴を上げた。刀が、再び地面に落ちた。
だが噛みつきそうな勢いで、山士奇を睨む。
よせ、と山士奇が言い、棒を振った。
施恩の意識が飛んだ。
蓋州の城壁に立ち、腕を組む花栄。横には杜興。
やがて地平の彼方に土煙と影が見え始めた。
杜興が、鬼のような形相を歪めた。
「施恩が敗れたようです」
「うむ、頼んだぞ、杜興」
「はい」
杜興が頷き、城壁を下りた。
花栄は静かに弓を手にした。
山士奇軍が止まった。中央に、施恩が捕らえられているのが見えた。兵が背後から、首元に刀を当てている。
城から飛び出した、杜興の隊が対峙する。
山士奇が制するように呼びかける。
「おい、こいつの命が惜しければ城を明け渡せ」
花栄は目を細め、答えない。
施恩が叫んだ。
「私も梁山泊の頭領が一人。覚悟はできている。花栄どの、杜興どの、構わず攻撃を」
ちらりと施恩を見やる山士奇。
確かにそうなのだろうとは思う。だができるだけ戦わずに済ませたい。当人が言っていても、仲間を簡単に見捨てることもできまい。
だが花栄が矢をつがえ、真っ直ぐ施恩に向けていた。
なんの真似だ。山士奇が声を発する間もなく、矢が飛んだ。
悲鳴が上がった。施恩を押さえていた兵の額に矢が突き立っていた。
この距離で、正確に射抜くだと。化け物か。
解放された施恩が山士奇に向かって駆けだした。
「逃げれば良いものを、懲りぬ奴だ」
やはり右腕を折られた施恩は成す術もなく、難なく取り押さえられてしまった。山士奇は施恩を後ろ手に捕らえ、腰の刀を首に当てた。だが、山士奇がうすら寒いものを感じた。
花栄の矢が、ぴたりとこちらを狙っていた。山士奇が慌てて施恩を楯にし、身を隠すようにした。
陸輝と雲宗武が山士奇を守るように展開した。
杜興が慎重に、じりじりと兵を近づけてゆく。
どうする。
施恩を楯にしたまま、時が過ぎてゆく。
くそ、駄目か。こうなれば、
「おい、あいつらに兵を引けと言え。死にたくはないだろう」
「さっきも言っただろう。覚悟はできているって」
「はん。強がりはよせ。震えているのが伝わってくるぞ。お前にも家族がいるのだろう。なにも死ぬことはないだろう。俺だって死にたくなどないんだ」
施恩は妻を思った。梁山泊で、自分の帰りを待っているのだ。あの明るい笑顔を、曇らせることは確かに辛い。
揺らぐ。なにが覚悟がある、だ。
首元の刃がひやりとした。
城壁の上の花栄と目が合ったように思えた。
あの矢、自分を射ることもできたはずだ。いや花栄なら絶対にできた。
ならば。そうか。
「花栄どの、分かりました」
「あん。何ぶつぶつ言ってやがる」
僕が持つべきなのは死ぬ覚悟じゃない
「何としても生き抜く覚悟だ」
施恩が大きく口を開いた。そして山士奇の手首に齧りついた。
「て、てめぇ」
施恩を突き放し、手首を押さえる山士奇。
痛ぇ、痛えぞ。血が、噴き出してくる。
「それでいい、施恩」
花栄が矢を放った。山士奇めがけて矢が飛ぶ。
その時、山士奇がよろめいた。
矢は、山士奇の頬を掠め、地面に突き立った。
山士奇は迷うことなく言った。
「降伏するぜ。あんた達に協力する。いいだろ」
これに杜興が声を荒げた。
「都合の良い事を。花栄どの、聞くことはありません。出まかせに決まっています」
「いや、投降を認めよう」
「何故です。こいつは」
「そう敵、だった。だが降伏した者は無闇に殺さない。それが梁山泊だ」
そしてそれが宋江という男だ。
それでも不満そうな杜興は、施恩に水を向けた。
「私も、本当は納得がいきません。ですがこの山士奇、壺関でも生き伸び、ここでも花栄どのの矢が当たらなかった。運が強いと言えばそれまでですが」
はあ、と杜興は大きなため息を漏らした。
そして、
「わかりましたよ」
と鬼瞼児が山士奇を睨みつけた。
まったく、怖い顔するんじゃないぞ。
まあ、いいだろう。
しかし梁山泊は田虎に勝てるのか。
まあ、その時はその時か。
山士奇も腹を括るしかなかった。




