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伏竜 一

 田虎(でんこ)の背後を取るため、蓋州(がいしゅう)から西へ向かった盧俊義(ろしゅんぎ)軍。

 幸いなことに途中、田虎軍と出会うことはなかった。

 なぜなら陽城(ようじょう)沁水(しんすい)の住民が力を合わせ、田虎配下の将を討ち取り、町を解放していたのだ。聞くところによると巨躯の僧侶と、鋭い眼つきの行者の協力があったという。なるほど、と(よう)()が笑みを浮かべた。

 許貫忠(きょかんちゅう)の地図の助けもあり、すぐに目的の晋寧(しんねい)に着いた。 

 折しも、一寸先も見えぬほどの霧となった。盧俊義軍は夜陰に乗じて、兵を総動員し、()(のう)をうず高く積み上げていった。

 欧鵬(おうほう)がひらりと城内へ飛び込んだ。城壁の上も霧が満ちていた。見張りの兵たちは、突如現れた欧鵬を見た瞬間には倒されていた。

 屋根を伝い、中央の建物に向かって駆ける。盗賊摩雲金翅(まうんきんし)として、(けん)(こう)府を騒がせていた頃を思い出した。そしていつの間にか、欧鵬の目も往時の鋭さになっていた。

 警備が一番厳重な建物、ここに晋寧の守将がいると思われた。

 内部に忍び込み、聞き耳を立てる。

 まだなのか、という怒声が聞こえた。さらに耳を澄ます。

「一体、あいつらはいつ戻ってくるのだ。あれから何日経つというのだ」

「も、申し訳ありません、田彪(でんひゅう)さま。斥候を出しているのですが、なにぶんこの霧でして」

「言い訳はいらん」

 何かが割れる音。おそらく杯を投げ捨てたのだろう。

 田彪に叱咤された部下が出ていった。欧鵬はまだじっとしている。

 少し前に援軍の要請があり、晋寧から蓋州(がいしゅう)へ将を派遣した。王遠(おうえん)鳳翔(ほうしょう)だ。その二人が戻らぬまま、梁山泊進軍の報だけが届くのだ。

 実は二人は戦線を離脱し逃亡していたのだが、それを知る由もない田彪は気が気でならない。

「ったく、こうしている間にも梁山泊の連中が近づいてきているというのに」

 とぶつぶつと言う。

 お前の懸念は当たっているぞ、田彪。

 腰の刀に手を当てる欧鵬。ふっ、と短く息を吐き、飛びこんだ。田彪は欧鵬を見ると、咄嗟に右へ避けた。

 刀が空を切る。

 田虎は猟師上がりと聞いていたが、なるほどこの男もか。勘が鋭い。欧鵬は踏み込んだ足に力を入れ、田彪の方へ体を捻った。

 田彪が初撃を避けたのは、獣相手に身についた無意識の反応だった。

「なんだ、貴様」

 賊か。刀がこちらを狙っている。

 得物は、ない。田彪は両腕で顔をかばうようにし、後ろに飛んだ。刀の切っ先が腕を真横に切った。鋭い痛みが走る。背中を思い切り壁にぶつけた。

 くそっ。だが深くはない。しかし逃げ場がない。

 その時、部屋に兵たちが駆けこんできた。近くにいた兵が物音を聞きつけたのだ。

 欧鵬が横目で人数を確認する。三人、いや四人か。

 欧鵬は田彪の腕を引き、体勢を前に崩すと背後に回り込んだ。首筋に刀をぴたりと当てる。 

 兵たちは踏み込めずに、欧鵬と睨み合う形となった。

 欧鵬が低い声で囁く。

「死にたくなければ、こいつらを追い払え」

「き、貴様。だ、誰が貴様の言う事など。ひぃっ」

 刃が首に食い込み、田彪が悲鳴を上げた。

 兵たちがゆっくりと左右に割れる。

 欧鵬は田彪を楯に、部屋の出口へ移動する。部屋から出る寸前、外の気配を読む。足音。右側からだ。

 欧鵬は飛び去りざまに田彪の尻を蹴った。転びそうになる田彪と兵がぶつかる。

 その隙に足音と反対側に向かい、駆ける欧鵬。

 影から影を駆け抜け、城門に辿り着く。

 欠伸(あくび)(こら)えていた門兵を斬り伏せ、城門を開いた。

 盧俊義軍が城内へと突入した。

「流石だな、摩雲金翅」

 鄧飛(とうひ)が目を輝かせて言った。

 晋寧を陥落させたが、田彪は脱出したようだ。

 仕留め損なった。

 欧鵬はそれだけが悔しかった。


 一歩踏み入れると、空気が変わった。

 凛と、どこか張りつめるような感じがした。空気まで変わり、まるで違う世界に入ってしまったかのようだ。

「ほう」

 関勝(かんしょう)が感心するように唸った。

 宣贊(せんさん)が、はっとして上を見た。いつの間にか、空に五色(ごしき)の雲がかかっていた。郝思文(かくしぶん)が神妙な面持ちで訊ねる。

「ここが、そうなのか」

「ええ、そうです」

 魏定国(ぎていこく)単廷珪(ぜんていけい)が懐かしそうな顔をしていた。

 五竜山(ごりゅうざん)

 かつて水火の二将が、この山で孫安(そんあん)に学んだという。

 大きな廟が建っていた。四隅に太い柱があり、それに五色の竜の塑像が絡みついていた。

「廟の中央には、黄竜(こうりゅう)もいるのです」

 単廷珪が教えてくれた。

 廟は年代を()ていたが、手入れが行き届いている。やはり、孫安はここを時々訪れているようだ。

 魏定国、単廷珪は若い頃、孫安と出会った。

 配属されたのは、地方の大きくない県だった。特筆すべき事もなく、日々が過ぎていった。

 辺りの巡回にでも出掛けようか。そんな事を考えている魏定国に、召集がかかった。いつの間にか単廷珪が並んで駆けていた。

「何事か知っているか、単廷珪」

「どうやら、近くに山賊が出たらしい」

「ほう、それで俺たちを呼ぶとは、知県さまもわかってるじゃねぇか。はっ、腕が鳴るぜ」

「山賊なんだぞ。喜ぶことじゃない」

「まったく、お前らしいな。わかったよ、真面目にやればいいんだろ」

 と言いながらも、魏定国の口の()には笑みが浮かんでいた。

 単廷珪が言った通り、山賊が近くの町を襲っていた。すぐさま兵たちと共に現場へ急行した。逃げてくる人々とすれ違いながら、馬を飛ばす。

 手前にいた山賊たちを蹴散らし、町に飛び込んだ。血の匂いと、悲鳴がそこらじゅうに溢れていた。

 魏定国は怒りを燃え上がらせ、片っ端から山賊たちを斬り伏せてゆく。淡々と槍を振るう単廷珪だったが、その目には静かな怒りが滲んでいた。

 爆発音がした。先の方でから黒煙が上がるのが見えた。そしてすぐ後に炎が立ち上った。

「俺が行く。お前は火を消す手配を」

 と叫びながら魏定国が炎の方向へと駆ける。思わず顔を手で覆うほど、火力は勢いを増していた。

 兵たちが槌などを手に駆けつけてくる。だが消火など初めての者ばかり。どこから手をつけて良いのか途方に暮れる。

「あっちだ。まずは、あの家を壊すんだ」

 魏定国の声に、兵たちが弾かれるように動いた。火の及んでいない隣家を打ち壊す。まずはそれで延焼を防ぐ。

 単廷珪は桶を持った兵たちを率い、井戸に辿り着いた。桶を水で満たすと、火の元まで走らせる。だが、これでは切りがない。

「あれを」

 単廷珪が荷車を指した。桶を、一度にできるだけ多く運ぶしかない。

 荷車を押す単廷珪が立ち止まった。何かを探すような素振りをし、

「お前たちは先に行っていてくれ」

 そう言うと桶をひとつ掴み、そこを離れた。

 何か聞こえた気がした。角を曲がると女性がいた。そしてその前に、刀を持った髯面(ひげづら)の男がいた。山賊だ。

 聞こえたのは、女性の悲鳴だったのだ。

 山賊は、凶暴そうな目を向けたが、単廷珪の刀の方が早かった。

「大丈夫ですか」

 女性を抱えるようにする。

「子供が、子供が」

 と何度も呟く女性。震える指の先には火に包まれた家があった。

 単廷珪は躊躇(ためら)うことなく、桶の水を頭からかぶると、火の中に飛び込んだ。

 辺りは、炎が爆ぜる音のみとなった。

 女性の虚ろな瞳に映る炎が揺れている。ふいに、その炎が割れた。単廷珪が子供を抱えて飛びだしてきた。

 抱き合う母子(おやこ)。単廷珪が地に両手をついて、咳き込んだ。煙を少し吸ってしまったようだ。

 だが単廷珪はすぐに立ち上がった。

 まだ炎は消えていない。早く消さなければ。

 今行くぞ、魏定国。焦げた髪も気にせず、単廷珪は駆けた。

 煤けた顔に汗を流し、魏定国が長い息を吐いた。

「ようし、もうひと息だ」

 単廷珪が届けさせた水のおかげもあり、火勢はだいぶ落ちてきた。

 兵たちを鼓舞し、鎮火作業を続けた。

 単廷珪が駆けつけた時には、火は消え、黒い煙が燃え残った家屋から立ち上るのみであった。

「よお、やっと消えたぜ」

「さすがだな。これを」

 疲れで座り込んだ魏定国に、単廷珪が水を差しだした。それを見た途端、魏定国は喉の渇きを覚えた。

 母子を救った話を聞いた魏定国が立ち上がった。

「そうだ山賊だ。この火事を起こしやがった連中はどこへ行ったんだ」

「火は陽動だったのかもな。奪うものを奪って、逃げてしまったのだろう」

「ちくしょう」

 やり場のない怒りに、魏定国が燃え残った木片を蹴とばした。木片が飛んだその先に男がいた。

 あ、と魏定国、単廷珪が同時に言った。

 だがその男は、難なく木片を受けとめると立ち上がった。そして二人の方へ歩いてくる。

 魏定国は知らず、刀に手をかけていた。背筋がぞくりとした。横目で見ると、単廷珪も同じようだった。

「どうか落ち着いて欲しい」

 男は静かにそう言い、左手を差し出した。

 二人はぎょっとした。男は手に、三つほどの首をぶら下げていたのだ。

「ここを襲った山賊の主だった連中だ」

 首を二人の足元に転がした。本当かどうかは分からない。魏定国と単廷珪は男を計りかね、警戒を解かない。

「ぶしつけな話だが、私の元に来ないか。お主たちのような者を探していたのだ。二人とももっと、ずっと強くなれる」

 男の言葉に、二人の胸が高鳴った。

 そこに兵たちの声が聞こえた。二人を探しているようだ。

 男は背を向け、去りかけた。

 魏定国が堪えかね、問いかけた。

「強くなれるって、どういうことだ」

「五竜山で待っている」

 男は答えずにそれだけ言うと去っていった。

 それが孫安との出会いだった。

 数日後、魏定国と単廷珪は、五竜山へと向かった。

 悩んだ。

 得体のしれない男を信用していいのだろうか。だが、強くなれるという言葉への期待に抗えなかった。

「来ると信じていたよ」

 五竜山の廟の前で、孫安はそう言って微笑んだ。魏定国と単廷珪は複雑な表情でそれに応えた。

 まず聞かねばならない事があった。

 どうして二人を選んだのか。あの時、兵は他にもいたのに、だ。

「なによりも素質が必要なのだ」

 孫安はそう言い、木火土金水(もくかどごんすい)の五行を司る将を育てたいのだと続けた。

 あの時、魏定国には火の、単廷珪には水の適性を見たという。

「って言われても、俺は何もしてないぜ」

 魏定国が弁明するように言い、単廷珪も頷いた。

「無意識にこそ、その者の本質が現れるものだ」

 魏定国は意識せず、火の向きを的確に見定め、延焼の被害を最小にすべく動いた。

 単廷珪は、家に取り残された子供を救った時、井戸水を汲んだ桶を手にしていた。他の桶は荷車に乗せたのに、である。

 素質とはそういった事柄の端々に見え隠れするものだ、という。

 孫安は、たまたまあの町にいた。そして二人の行動を見て確信したのだという。

「もう一度聞こう。私の(もと)でその才能を鍛えてみないか」

 今度は逡巡しなかった。

 強くなりたい。魏定国と単廷珪を突き動かしたのは、同じその想い。そして目の前の、孫安という男に惹かれていたからでもあった。

 五行を司る五行将(ごぎょうしょう)、その荒唐無稽なものにも何故か説得力があった。

 この孫安ならば、と思わせるものがあったのだ。

 

「なるほど、な」 

 廟の欄干で腕を組みながら、郝思文が得心したように言った。横で関勝は笑みを浮かべていた。

 宣贊が思わず聞いた。

「嬉しそうですね、関勝どの」

「ああ、五行将など面白い考えではないか。思いつきはしたとして、それを本当に実行しようとする者など、なかなかいないものだ」

 魏定国と単廷珪がはにかんだ。自分が褒められたような気がした。

 とその時、五竜山が揺れた。地震か。

 廟の外へと飛び出す五人。

 いや、揺れているのは廟だけだ。周りの木々は、葉すらそよりとも揺れていなかった。

「まいったな、こいつは夢を見ているのか」

 郝思文の頬に汗が伝う。

 宣贊も唖然として空を見つめていた。

 なるほど五竜山か。

 関勝が感心するように言った。

 廟の柱に絡みついていた四匹の竜たちが生きているかのように動き出し、目の前で天へと駆け上って行ったのだ。

「ここは危険です。逃げましょう」

 魏定国の言葉で我に返った一同が、廟を離れる。

 そのすぐあと、五匹目の竜が廟の屋根を突き破り、飛びだした。

 支えを失った廟は大きな音と埃を巻き上げ、ついに崩れ去った。

 五匹の竜の咆哮が響き渡っていた。 

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