鳳雛 三
三昧神水の術が破られた。
何故だ。向こうには術を使うものはいなかったようだが。
昭徳が戦勝気分の中、喬道清はひとり浮かない顔だった。
釈然としない喬道清の元に、昭徳の将孫琪が姿を見せた。
「準備ができております」
捕らえた梁山泊の頭目たちが後ろ手に縛られ、並ばされている。
李逵、項充、李袞、劉唐。そして裏切り者の唐斌を、喬道清が見下ろす。
「話は聞いていたが、とんだ喰わせ者だな。孫安の見込み違いだったようだ」
「ふっ、自分の見る目がないとは考えられないのかい」
不敵に笑う唐斌。喬道清も同じように微笑む。
孫琪がいきなり唐斌を殴りつけた。唐斌が血の混じった唾を吐いた。
「田虎さまに逆らう逆賊め。本当なら首が飛んでいるところだぞ」
見ていた李逵が噛みつかんばかりに吼えた。
「手前ぇ、何しやがる。この黒旋風の李逵さまがぶん殴ってやる」
両肩の筋肉が盛り上がり、縄がみちみちと音をたてはじめる。
驚いた孫琪が、部下たちをに命じ棒で取り押さえさせた。
「さがれ、孫琪」
ばつが悪そうな顔をする孫琪。
非礼を詫び、一同を見渡す喬道清。
「お主たち、腕が立つようだな。田虎さまの軍門に下らぬか。共に腐った世を正そうではないか」
場が静寂に包まれる。そして、静かに、劉唐の笑い声が聞こえた。
「くっくっく、見る目がない、か。確かに唐斌の言う通りだ」
一同が笑いだす。
孫琪が、静かにしろと命じるが、聞くはずもない。
項充と李袞も言う。
「まったくだ。命が惜しくて田虎の下につくと思ったのか。見くびられたもんだぜ」
「ああ、俺たちは死ぬまで梁山泊だ。いや、あの世でも梁山泊さ」
喬道清が激昂した。
「そこまで言うなら、死ぬが良い。こいつらを連れて行って。処刑してしまえ」
「わはは、望むところだ。斬りたいなら何百回でも斬ったらいい。ちょっとでもおいらが眉をしかめたら、好漢とは呼べぬわい」
「良く言った、李逵。くそ道士よ、首を切り落としても、俺たちのこの鉄の膝は簡単に屈することはないぜ。よく見とくんだな」
李逵と劉唐がそう言って、爽やかに笑った。
兵たちが李逵らを引き立ててゆく。
喬道清は、抵抗することなく連れられてゆく姿に何故か引きつけられた。悪態をつく孫琪の言葉も聞こえなかった。
床几に腰をおろしたが、落ち着かない。なにか、間違いを犯したのではないかという思いが、喬道清を突き動かした。
「処刑を止めろ」
そう口走っていた。
「何か、他に使い道があるはずだ」
と言い訳のように添えたことを悔いた。
見る目がないだと。あいつらに何が分かる。そう思う喬道清の脳裏に、羅真人の姿が浮かんだ。
そして、幼い頃の、あの弟弟子の姿も。
五日間、梁山泊は動かなかった。
六日目、昭徳に追魂箭の聶新と、奪命剣の馮玘が率いる援軍二万が到着した、
動かぬのは策がある訳ではない。そう判断し、孫琪、戴美に兵を与え、喬道清自らも出陣した。
南の五竜山に陣を構え、梁山泊軍を囲むようにする。四人の編将を従え、喬道清が駆ける。宝剣を抜き、術の準備をする。
すると梁山泊の陣が割れ、ひとりの男が進み出て来た。
喬道清の眉がぴくりと動いた。
「ほう、術を使う者か」
感心するように喬道清が言った。
樊瑞が静かに、馬に揺られる。
喬道清が邪悪な笑みを浮かべた。
「どれ、腕比べといこうじゃないか。お前たち、邪魔をするなよ」
「我は樊瑞。いざ」
す、と樊瑞が背の宝剣を抜いた。対峙する喬道清が馬腹を蹴った。
幻魔君と混世魔王、二人の魔がぶつかった。
剣と剣が軋る。八つの蹄が縦横に走り、土埃が舞い上がる。次第に、互いの周囲に黒い気が湧き出してきた。
剣を振るう度、黒気が相手目がけて飛んだ。喬道清の黒気が流星のように飛ぶ。樊瑞は、剣を立てるように構え、自らの黒気でそれを弾いた。
樊瑞が溜めた黒気が竜の顎のようになり、喬道清を襲った。喬道清はすかさず宝剣を横に倒し、左の人差し指と中指を剣先に添えた。
そして一喝。
黒気は無数の巨大な棘と化し、黒竜の顎を突き破った。
何度そのような攻防が続いただろうか。
ふいに、喬道清は感じた。
間違いない、この男も。
「力が欲しかった、のか」
「なっ」
樊瑞の剣が乱れた。
すかさず喬道清が、黒気を纏った宝剣で斬りつける。樊瑞の戦袍の腕のあたりが裂けた。露わになった腕に、赤い筋が走った。
「力が欲しかったのではなかったのか」
「そうだ、欲しかった。だが求めていたものではなかった」
樊瑞が一気に間合いを詰めた。
樊瑞の目が妖しく光る。次の瞬間、喬道清が業火に包まれた。
幻術だ。即座に喬道清は悟った。だが炎を恐れる本能が反応を遅らせた。
横に一閃。樊瑞の剣が、喬道清の胴を薙ぎ払った。
出ごたえが、ない。
二つに斬り裂かれた黒衣だけが、地面に落ちた。喬道清の姿はどこにもない。
「力が欲しければ、手段を選ぶな。だからお前は弱いのだ」
喬道清の声が、敵陣から聞こえた。
烏竜蛻骨の法、か。
斬られた刹那、樊瑞との対決から脱したのだ。
宝剣を握る、樊瑞の手に力が込められた。
奴は、自分だ。
公孫勝に魔を落とされなければ、ああなっていたのだ。
樊瑞は鞍上に立ちあがった。宝剣を喬道清に向け、術を唱えた。樊瑞の目が光ると、一面を覆う業火が、昭徳府軍を包みこんだ。
悲鳴を上げ、逃げようとする昭徳府兵。だが喬道清は微動だにしない。
「まやかしなど無駄だと分からぬのか」
今度は喬道清が宝剣を天に向けた。たちまち天が黒雲に覆われ、雷鳴が轟きだした。そして地面に何か落ちてきた。
雹だ。
大粒の、人の頭ほどもあるような雹が激しく降り注ぐ。今度は梁山泊軍が悲鳴を上げる番となった。
「負けれらぬ」
樊瑞の目が燃えるように光る。
突風が吹いた。四方から狂風が起こり、砂を巻き上げ、昭徳府軍を襲った。
「つまらぬ。つまらぬぞ」
喝、と喬道清が叫んだ。
天が光った。雲が割れ、そこから何かがわらわらと飛び出してきた。
金甲兵だ。林冲が叫んだ。
陣を固め、敵襲に備える。団牌兵が宋江を囲むように位置につく。
帥字旗を持つ、郁保四の顔が強張った。そして自らを鼓舞するように吼えた。
「来るなら、来てみやがれ」
喬道清が馬を駆った。
雷震、倪麟、費珍、薛燦の四編将も続く。さらに飛来した金甲兵を伴い、乱戦となった。
樊瑞が懸命に術を駆使し、金甲兵を押さえこもうとする。だが、金甲兵に腕を斬りつけられてしまった。宝剣が地に落ちてしまう。
それを機に、金甲兵の勢いが増した。
くそっ。宝剣を拾おうとした樊瑞の背を、金甲兵が踏みつけた。
血を吐き、樊瑞が地に突っ伏す。
林冲が金甲兵を屠り、樊瑞を助け起こした。
「しっかりしろ、樊瑞」
「す、すみません」
勝てない、のか。
魔の力を手放した自分では、勝てないのか。
力が欲しい。
力が欲しい。
む、と喬道清が樊瑞を見た。そしてにやっと笑う。
「いいぞ、欲しろ。そうすればお前も強くなれる」
樊瑞の耳にその言葉が響く。
強く、なれる。強く、なりたい。
「そうだ、もっと願え」
「よせ、樊瑞」
林冲の言葉が、遠くから聞こえてくるように、ぼんやりとする。
力が、力が。
樊瑞が、かっと目を見開いた。
「力など、魔の力など」
いらぬ。
樊瑞の右足の甲に、宝剣が突き刺さっていた。己で貫いたのだ。
目が醒めた。
二度と、魔には堕ちぬ。
突如、黒雲に一条の光が照射された。その光で、黒雲が霧消してゆく。
さらに金甲兵たちの動きが緩慢になり、操り糸が切れたように墜落し出した。
「何者だ」
喬道清が目を剥いた。樊瑞ではない。では誰が。
男が一人、いた。
樊瑞に優しく語りかける。
「よく耐えた。あとは私が」
梁山泊の陣から現れたのは、公孫勝だった。
手には松紋の古定剣。
「お久しゅうございます、師兄」
喬冽と公孫勝。道清と一清が、再会を果たした。




