再起 三
手紙を送ってから十日あまり。
日が沈み、夜がさらに暗くなるのを見計らい、やっと唐斌が姿を見せた。
「よく来てくれた、待ちかねたぞ」
「すまんな。梁山泊の連中に見つかると台無しだからな」
うむ、と山士奇が頷く。
唐斌が作戦を伝える。
真夜中、文仲容と崔埜が一万の兵を連れ、抱犢山の東へ出る。兵は軽装で、音を立てずに進み、明け方までに梁山泊軍の背後に回る。
「挟撃だな」
「そっちも準備を怠らないでくれ」
「わかっている。まあ酒でもどうだ」
山士奇が唐斌と杯を合わせる。しばし呑み、その時を待つ。
月が出た。半分以上欠けており、辺りは暗い。
ふいに唐斌が立ち上がり弓矢を手にすると、外へ向かいだした。山士奇がそれを追った。
「どうしたのだ、唐斌」
「どうも胸騒ぎがするのだ」
二人が城壁へ出た。目を眇め、闇を見る唐斌。静かに矢をつがえる。弓を構え、一点を見つめる。
あ、と山士奇が声を漏らしそうになった。闇に目が慣れ始めると、林の茂みの中で何かが動くのが分かった。梁山泊の斥候か。
鋭い音を立てて矢が飛んだ。矢が斥候のひとりに命中した。もう一人が、射られた兵を引きずるように退散して行った。
山士奇が呻いた。
「ううむ、さすがだな。見事な腕前よ」
「ふん、臭いがしたのだ。こそこそと嗅ぎまわる鼠のな」
「さあ、飲み直そう。警備を増やすよう通達しておく」
うむ、と頷き、唐斌はしばらく闇を見つめていた。
深夜の軍議。
宋江と呉用が、一枚の布に目を落としている。
壺関へ偵察に出した斥候が射られた。だがその矢には鏃が鳴く、布が巻きつけられていた。そしてそれには文字が書きつけられていたのだ。
手紙の主は唐斌。
黎明、配下の者を梁山泊軍の背後に回らせ、壺関と攻撃するふりをする。唐斌は号砲を合図に討って出た後、機を見て壺関を奪う算段である。速やかに準備して進軍してほしい、というものであった。
にわかに信じ難い内容だ。だが信じるに足る文言が付記されていた。
唐斌は自分の友である、という関勝直筆の言葉だった。
呉用がゆっくりと羽扇をくゆらせる。
宋江はほっとした表情だ。
「驚いたが本物のようだ。蕭譲が間違いないと言っているしな。これで壺関を攻略できる。関勝には礼を言わねばなるまい」
「お待ちください。確かに関勝の文字には違いありませんが、罠でないとも言いきれません。慎重には慎重を期し、背後にも備えをするべきです」
「関勝を信じぬのか」
「何事も疑ってかかるのが私の役目ですから」
「わかった、お主の言う通りにしよう。私の役目は信じる事だ」
宋江の言葉に、呉用が微笑んだ。
山際が白みはじめた。
夜明けの静寂を破る砲の音が轟いた。
唐斌と山士奇が城壁に上る。梁山泊軍の後方に、砂煙が上がっている。文仲容と崔埜に襲われ、梁山泊軍が壺関へ追いたてられている。
「出るぞ、唐斌」
山士奇が叫び、駆けた。
唐斌は城外の様子をもう一度見やり、ゆっくりと追った。
山士奇は史定とともに一万を率い、先駆けた。唐斌は陸輝と一万を従え、後方から援護する。壺関の守備には竺敬と仲良が残った。
壺関軍を見て梁山泊軍が動揺したのか、動きが乱れた。
好機だ。山士奇は四十斤もの棒を風車のように回し、突っ込む。壺関軍と梁山泊軍がぶつかった。
梁山泊軍の左右から別動隊が現れた。梁山泊軍もそれなりの備えをしていたようだ。だが挟撃は成功している。あとは叩き潰すのみだ。
唐斌は梁山泊の兵と数度、刃を合わせただけで馬首を返し、壺関の門前に陣取った。陸輝が何か叫んでいたが、仁王のようにじっとそこに留まった。
別の号砲が鳴り響いた。
梁山泊軍の中から歩兵隊が飛び出した。李逵、鮑旭を先頭に左右を項充、李袞が守っている。
「なんだ、あいつら」
山士奇が目を剥いた。
ただの歩兵ではない。飛刀や投鎗を放ちながら進み、騎兵も寄せ付けない暴れぶりだ。近づいても楯兵に阻まれ、李逵や鮑旭の餌食となってしまう。
山士奇は舌打ちをし、目の前の兵を斬ってゆく。
だが、おかしい。乱れていると思われた梁山泊軍の動きが、そうではないように思われてきた。どの隊も猛然と戦い、徐々に壺関へ近づいているようだ。
その場を史定に任せ、山士奇が壺関へ駆け戻る。
城門の前、そこに唐斌がいた。
唐斌は手にした矛を、山士奇に向けた。
「何をしている。城に戻るのだ、そこをどけ」
「天王、唐斌ここにあり。終わりだ北覇天。お前とは共に天を戴けないようだ。降伏してもらおうか」
異変を察して飛び出した竺敬が、即座に斬られた。そのまま矛を振るい、唐斌が吼える。
馬腹を蹴り、唐斌に向かおうとした山士奇だったが、躊躇してしまった。史定が討たれたのが視界に入ったのだ。
山士奇は田虎に対してそれほど忠誠心を持ってはいない。すぐに手綱を引き、方向を変えた。山士奇は唾を吐き捨て、西へと逃れた。
唐斌は追わず、梁山泊軍に門を譲った。
壺関を守備していた仲良も乱戦の中で討たれ、壺関は陥ちた。
「唐斌どのですね」
文仲容と崔埜に挟まれるように、一人の男がやってきた。この男が宋江だと察すると、唐斌はにやりと笑った。
「いかにも」
「私は宋江と申します。おかげで壺関を取ることができました。感謝いたします」
頭を下げる宋江に、唐斌は珍しいものを見るような目をした。
「私の顔に何か」
「いいや、何も」
宋江は住民に手を出さぬよう厳命すると、ゆっくりと壺関の門へと馬を進める。
馬を並べた唐斌が訊ねる。
「関勝の事を聞かないので」
「関勝がここに来ないのは理由があるのでしょう。おらずとも梁山泊を思う心は、あなたを通じて届いております」
宋江が微笑んだまま、行ってしまった。
唐斌は黙ったまま、しばらく佇んでいた。
ふいに声がした。
「まさか、あなたが梁山泊の味方をするとは」
「誰だお前は」
「これは失礼を。陵川の副将、耿恭と申します」
「銀鈴公だな。名は知っている」
「光栄です」
「俺などに、なぜそのような態度をとるのだ。ただの山賊だぞ」
「いえ、孫安どのが認めた男と聞いております」
ふん、と唐斌が鼻を鳴らした。
しかしあなたが、と耿恭が同じ事を呟いた。孫安を裏切った事が信じられぬのだろう。
「戯れさ」
唐斌はそう言って馬を進めた。
文仲容と崔埜が背を伸ばし、左右に並んだ。
壺関へ向かう前の事だ。
「すまないが、この戦は俺たちだけでやる。上手くいけば俺たちの手柄だからな」
しばし口を閉ざし、関勝が分かったと言った。
だが魏定国が反論をする。
「関勝どの、どうして従うのですか。梁山泊の危機に駆けつけないなんて」
「文と崔の二人に負けたのに、よくも大きな口を叩けるものだな。お前たちが増えても邪魔になるだけだ」
唐斌の言葉に、魏定国は二の句が継げない。宣贊も単廷珪も何か言いたそうな顔をしていた。郝思文が真剣な面持ちで言った。
「悔しいが、唐斌どのの言う通りだ。皆も抱犢山の実力を見ただろう。その力を信じようではないか」
郝思文がそう言うとは意外だったが、それで意見はまとまった。関勝は優しげな目をしていた。
十日ほど経ち、月が欠けはじめる頃だ。夜が暗さを増してゆく。
文仲容と崔埜が数万の兵を引き連れ、壺関へ向かった。
抱犢山の中腹、関勝と唐斌が山腹にいた。
闇の中でうっすらと壺関の輪郭が見える。
「すまないな、嫌われ役を買って出てくれて」
「何の事だ。俺は本当の事を言っただけだ。それに最初から俺に花を持たせてくれるつもりだったんだろ」
ふふ、と関勝が微笑み、ふいに真顔になる。
「またあの日のような想いはしたくないな」
「心配するな。お前の分まで暴れてくるからよ。お前はお前の目的を果たせばいいんだ。それに生きて会える日が来ようとは思ってもなかったのだ。これっきりという事はあるまいよ」
「また会おう、友よ」
「ああ。次は共に暴れよう」
そして唐斌も発った。関勝の名を認めた手紙を持って。
そして夜明けを待ち、関勝たちも抱犢山を去った。
郝思文が、抱犢山を振り返った。宣贊が馬を並べる。
「上手く行くか、心配かね」
「いえ、唐斌どのならば間違いないでしょう」
「では、何が引っ掛かっておるのだ」
「正直に言うと、私は見たかったのです。大刀と天王が共に戦場を駆ける姿を」
宣贊が相好を崩した。
「実はわしもだよ」
だが、と続ける。
「今はその時ではない。それだけの事だ」
「時、ですか」
「そうだ。お主が関勝どのに出会った時、そしてわしらが梁山泊に敗れ、入山することになった時。何事にも、ふさわしい時があるのだ」
「なるほど。ではその時を待つことにします」
うむ、と宣贊が頷き、前を向いた。
郝思文はもう一度、抱犢山を振り仰いだ。




