再起 一
まるで壁のように、高い峰がそびえ立っている。
梁山泊軍はその連峰を見上げながら進軍する。
許貫忠の地図を広げ、耿恭を呼んだ。地図には房山という名が記されている。
「ええ、そうです。これが天地嶺にあたります。ご覧の通り、岩壁が城郭のようになっていて、昔の人々は戦乱を避けるため、そこへ逃げ込んだとされています」
李逵が顔を出した。
「そうだ、夢の中でも天地嶺って言ってたぞ。確かにおいらが見た山と同じだ」
そこから数十里進み、宿営した。
目指すは壺関。
天地嶺の東麓にあり、壺の形に似ていた。そして漢の時代に関所が置かれたことから、そう呼ばれるようになったという。
「なるほど、面白い。して壺関を守るのは」
「山士奇という者を筆頭に、約三万の精兵がおります」
山士奇、人呼んで北覇天。もとは富豪の息子である。生来、体格に恵まれた山士奇はその力を持て余し、物騒な連中を引き連れていた。こういった者たちの行きつく先は同じようで、やはり人を殺してしまう。そして田虎の元へと逃げ込んだ。
配下は、その頃からつるんでいた者たちだ。
泰山狼の陸輝。
銀毛豹の史定。
禿頭虎の呉成。
鉄爪熊の仲良。
烟火竜の雲宗武。
双頭蛟の伍粛。
白老彪の竺敬。
その渾名から七獣と怖れられていた。
壺関に到着し、すぐに戦が始まった。
山士奇は、重さ四十斤もの渾鉄の棒を得物とし、林冲とも互角に渡り合うほどであった。
梁山泊軍は伍粛と呉成を討ったものの、壺関を攻めあぐねていた。
睨み合ったまま、半月あまりが過ぎた頃。
軍議中の宋江に急報が届いた。
なんとそれは、田虎討伐軍に加わっていない、関勝からのものであった。
雪の踏み固められた道を、ゆっくりと馬が進んでいる。
魏定国を先頭に郝思文、宣贊、関勝が中央に、そして殿は単廷珪。
視界の左側に、壁のような峰が続いている。
その光景に目を細め、郝思文が聞いた。
「どこで会えるのだろうな、その孫安に」
「分からんよ」
「じゃあ、どこへ向かっているんだ」
「いそうな所だ」
ぶっきらぼうに魏定国が答える。単廷珪も、分からないという風に肩をすくめてみせる。
魏定国と単廷珪、二人の師であり、そして田虎軍の将でもある孫安に会う。そのために彼らは旅をしていた。
淀んだ雰囲気を、関勝の笑い声が晴らした。
「ははは、まあ良いではないか。会えるも会えぬも、縁があればこそだ。普段見る事ができない景色でも楽しもうではないか。見ろ、壮大な山並みだぞ」
関勝の言葉に、一同が峰を見やる。そして一同の背が伸びた。
宣贊が厳しい顔になっていた。
「お主ら」
「分かってます。宣贊どの、私たちはここで」
単廷珪が言い、宣贊が頷く。郝思文はすぐに前に出ると、魏定国と並んだ。
「私が見て参ります。関勝どのはここでお待ちください」
「おいおい、俺たちが、だろ。関勝どのに良いところ見せようとし過ぎなんだよ、お前さんは」
郝思文はそれを聞き終える前に馬を駆けさせた。魏定国が、待てとそれを追った。
単廷珪が心配そうな顔をした。
「大丈夫でしょうか」
「心配するな」
と言いながら宣贊も、不安げな顔で二人の背を見守った。
まったく、どうして気付かなかったのだ。これほどの気配が近くまで迫っていたというのに。
魏定国が歯嚙みをするように馬を駆る。
「さすが関勝どの、と言うしかあるまいよ」
その思いを読んだのか、郝思文が言った。
関勝に認められていたと自負していた。だがそれは自惚れだったと痛感した。よくも関勝の副将を名乗れるものだ。
だが今は、目の前の危険を取り除かねばならない。ゆっくりと息を吸い、郝思文は幾分か冷静さを取り戻した。
いたぞ、と魏定国が馬の速度を落とした。
道を塞ぐように、十数人ほどが待ち構えていた。手には物騒な物が握られている。郝思文、魏定国が得物を構え、近づいてゆく。話し合う余地はないようだ。
間合いだ。馬腹を蹴ろうとした、その時。
「どけい。お前たちでは相手にならん」
その声に敵が割れ、後ろから二人の男が姿を見せた。
魏定国も郝思文も咄嗟に手綱を引き、馬が竿立ってしまった。それほどに、突っ込むのは危険だと直感したのだ。
おい。あいつら。
ああ。相当に強い。
魏定国と郝思文が目で言葉を交わす。
二人の男は、杜遷と宋万を思い出させるほどの巨大な体躯であった。
郝思文は男たちの力量を見極めようとした。だが魏定国は雄叫びをあげ、馬を走らせてしまった。
待て、という声も届かない。
郝思文も、やむなく駆けた。
追いついた関勝たちが見たのは、地に倒れ伏した魏定国と郝思文だった。
まさか、この二人が敗れたというのか。宣贊が剛刀を抜き放った。
「おい、お前たち。覚悟しろ」
無言で単廷珪も槍を構え、駆けた。
それを巨漢二人が迎え討つ。他の山賊たちは、余裕の表情で見ている。
巨漢たちは強かった。宣贊の剛力をも軽々と受け止めてしまうほどだ。単純な膂力の勝負では負ける。
そう思われた時、関勝がゆっくりと進み出た。
青竜偃月刀を斜めに構えた関勝を見て、巨漢たちが半歩後ずさった。
「わしがお相手をしよう」
ずいと関勝が馬を進める。
巨漢たちが、宣贊と単廷珪を放りだし、関勝に向かった。
単廷珪がその戦いを見守る。
強い。二人を相手取り、それでも押し始めた関勝の強さを改めて実感する。
巨漢たちの息が乱れてきた。
宣贊は関勝の勝ちを確信した。だがその時、山の方から一騎が飛ぶように駆けてくるのが見えた。
宣贊と単廷珪が目を見合わせた。これだけ離れていても分かるほどに、強い。
疾風の如く駆けてきたその男が、そのままの勢いで関勝に向かった。関勝も巨漢から距離をとり、男に向きなおった。
関勝の表情が変わった。青竜偃月刀を構える。
男の顔は兜で見えない。男が矛を振り上げた。
関勝と男が激突した。火花が飛んだ。偃月刀と矛が、ぎりぎりと咬み合っているようだ。
突如、両者が馬を下がらせた。
得物を構えたまま睨み合い、しばし時が止まったようになる。
二人がほぼ同時に声を上げた。
「お主、まさか」
「お前、まさか」
男が兜を取った。
関勝が大笑した。
宣贊だけではなく、巨漢たちも呆気に取られた。
「やはりお主か、唐斌。生きていたとは、驚いたぞ。腕は落ちておらぬようだな」
「お前の方は、少し鈍ったんじゃないのか、関勝」
「ふふ、お主には敵わんな。して、こんな所で何をしている」
「ふん、戯れだ」
唐斌はつまらなさそうに唇を歪めた。
山寨の広間に、関勝たちはいた。
郝思文と魏定国の意識が戻り、酒が運ばれてきた。
関勝以外の全員が状況を飲み込めずにいた。この唐斌という山賊と知り合いのようだが、何者なのか。
唐斌が中央に座し、左右に巨漢がそれぞれ控えている。
ひとまず杯が干される。
関勝が切り出した。
「さて、教えてもらおうか。どうしてお主がここにいるのだ」
「見れば分かるだろう。俺は、この山を仕切ってる」
唐斌が山寨を構えるここは、抱犢山というようだ。
「田虎と関わりが」
ふん、と唐斌が鼻を鳴らし、酒を飲んだ。
「あったらどうだと言うのだ。お前には関係あるまい」
「そうだな。まあ、お主はお主だ。とにかく生きていてくれて、わしは嬉しいぞ」
関勝が杯を空け、唐斌を見据える。その目が潤んだように見えた。
あ、と郝思文が声を上げた。
まさかこの唐斌とは、かつて関勝がその背を預けていたという男ではないのか。確か、戦で死んだと聞いていた。いや生死不明であったか。
ともかく、その男だとしたら、
「あなたが天王、なのですか」
郝思文は声に出していた。
「そうだ、こ奴が天王の唐斌だ」
「やめてくれ、関勝。その名は捨てた。いや、奪われた。今はあの李成が名乗ってるらしいじゃないか」
何か言いたそうに、郝思文が身を乗り出したが、関勝が無言でそれを止めた。
「俺の方こそ聞きたい。どこへ行くつもりだったのだ。知っていると思うが、ここら一帯はすでに田虎の領内だ。いつ襲われてもおかしくはないのだぞ。まあ襲ったのは俺たちだったがな」
唐斌は言って、苦笑いした。
関勝は魏定国と単廷珪を見た。話しても良いか、というのだ。察した単廷珪が、それに答えた。
「孫安という人を探しています。ぶしつけですが、どこにいるかご存じないでしょうか」
「存じないね」
唐斌が即答した。
「しかし孫安ねぇ。だからこんな所まで来たって訳かい。梁山泊が、田虎軍の人間に会おうとしてるとはな。まあ、どんな関係かは聞かないがね」
と残りの酒を飲み干した。
そこへ手下が飛び込んできた。
唐斌の手に、壺関の山士奇からの手紙が渡された。梁山泊軍の攻撃を受けている。即刻、救援に参じよという要請であった。
唐斌の顔が曇った。
思わず宣贊が呟いた。
「梁山泊軍が、近くに来ているのか」
唐斌の目が険しくなる。
場の空気が張り詰めたように感じた。
唐斌が酒を飲もうと杯を取ったが、すでに空だった。不機嫌そうに、それを投げ捨てると、さらに不穏な空気が増した。
関勝たちは梁山泊軍。唐斌は田虎軍。相容れぬのだ。
「では、わしらは行くとしよう」
関勝が立ち上がった。郝思文らは、すぐに反応できず、関勝を見上げる。
「お待ちください」
巨漢の一人が頭を下げ、言った。
男は、撼山力士の文仲容と名乗った。
唐斌は煩わしそうに制止する。
「いいえ。話させてもらいます」
移山力士の崔埜という、もう一人の巨漢が立ち上がった。
文仲容と崔埜が唐斌をじっと見る。唐斌の目がさらに険しくなったが、ふいに肩の力を抜いた。
勝手にしろ、と諦めたように言った。




