夢想 一
元旦。
宋江は蓋州奪還と新年を祝し、宴会を設けさせた。
石秀、時遷そして解珍、解宝の働きを労い、勲功を賞した。もちろん李雲の功績も大きかった。
「これは鉄の雲梯飛楼を間に合わせてくれた、湯隆の手柄です」
「わかっている。二人とも大したものだ」
宋江が上げた杯に、酒の苦手な李雲は茶を入れた杯を合わせた。
そしてもう一人、耿恭を呼んだ。
「あなたが伝えてくれた情報のおかげでもあります」
恭しく返杯をした耿恭だったが、その実、複雑な思いだった。蓋州の城内の位置関係を教えはしたが、陥とせるかは半信半疑だったのだ。
確かに梁山泊軍は精強だ。しかし蓋州も要害で知られている。それを陥落させてしまったのだ。耿恭も、梁山泊の強さを認めざるを得なかった。
後から聞けば、梁山泊軍は住民から略奪などをしなかった。安全を約束し、怯える民を安心させたのだ。梁山泊にとっては当然のことらしい。
「しかし鈕文忠に逃げられてしまいました。あの者は山賊の頃から田虎と通じておりました。おそらく威勝に救援を求めることでしょう」
主だった将は、蓋州陥落の際に死んでいた。石敬、秦升は乱戦の中で。安士栄、莫真、赫仁、曹洪は梁山泊軍に討ち取られた。于玉麟ら、残りは鈕文忠と逃げたようだ。
耿恭は杯を空けると場を辞した。
宴は続き、酒で頬を赤らめた宋江がしみじみと言った。
「いまここにいない者たちとも、一緒に祝いたかったものだ」
陵川に史進と穆弘、高平には柴進と李応を残してきた。再び田虎軍に奪われないためである。
宴の最中、来訪者があった。楽和である。各地からもたらされる情報を収集する役を担っている。
その楽和が嬉しい報を携えてきた。史進たちからの年賀の挨拶状であった。
「これがあれば、会ったも同然だ」
宋江は大事そうに手紙を見つめ、破顔した。
その様子を見た耿恭は思った。田虎とはやはり違う、と。
翌朝、辺り一面を覆い尽くすほど、雪が降り積もっていた。
李逵や鮑旭が歓声を上げ、新雪に飛び込んだ。さらに雪玉をぶつけ合い、寒さをものともせずに楽しんでいた。
宋江がその様子を微笑ましく眺めている。手を擦り、温めようと吐く息も真っ白だ。
側に蕭譲がやってきた。
「雪のひとつひとつは、花びらのような形をしておりまして」
と語り出す。
曰く、一片は蜂児、二片は鵝毛、三片が攅三、四片が聚四、五片になると梅花、そして六片が六出という。
「今の季節は、五片か六片でしょう」
それを聞いた楽和が外へ出、降る雪を袖でそっと受け止めて見た。
まさしく雪は六片で、中には五片のものもあった。
「本当だ」
他の者もそれを見ようと集まってくる。すると寄ってきた李逵の鼻息で、雪が溶けてしまった。それを見た皆がどっと笑った。
宋江が目尻を押さえながら、告げる。
「みんな、宜春圃に席を設けてある。今日はそこで楽しもう」
宜春圃は州役所の東にある庭園だ。そこに檜や梅、松などが何本も生い茂る中に雨香亭がある。頭領たちはそこで酒と料理に舌鼓を打った。
ひととき戦を忘れ、穏やかな時が流れる。
宋江が頭領たちと出会った頃の話をした後、あらためて感謝を述べた。花栄や戴宗も酒を飲みながら、往時を懐かしんだ。
あちこちの卓を渡り歩き、したたかに飲んでしまった李逵。ふう、とひと息つき、卓に突っ伏すと、大きな鼾をかきはじめた。そして、むにゃむにゃとなにやら寝ごとを言っているようだ。
子供のような姿に、一同が笑顔になった。
「ふああ、良く寝たな」
李逵は両腕を大きく伸ばして、体をほぐすと立ち上がった。腰のあたりを擦りながら、まだ雪は降ってるかな、と外へ出ていった。
おや、と李逵が寝ぼけ眼を開いた。雪は降っていなかったどころか、積もってさえいなかったのだ。
おかしいな、と思いながらも李逵は酔い覚ましに散歩をすることにした。腰に手をやると、いつの間にか愛用の板斧が挿してあった。
小さなことは気しない李逵。そのまま当てもなく歩いていると、前方に高い山が見えてきた。麓に着くと、山の方から一人の男が歩いてきた。
黄色い道袍を着た書生だった。
そして李逵を見てにこりと笑い、
「これは将軍。お散歩なら、この山に面白いものがありますよ」
「ここは何という山だ」
「天地嶺でございます。お帰りに、またお会いいたしましょう」
書生に見送られ、李逵は山裾を行った。
すると屋敷が見えてきて、そこでなにやら喚き声が聞こえてくる。
見るからに野蛮そうな男たちが。屋敷の中で暴れていた。武器を手にした男たちが家財道具を叩き壊しながら、娘を出せと叫んでいる。
李逵はむかむかと腹を立てた。
「おい、お前たち。人さまの娘を出せとは、どういう事だ」
「なんだあ、お前は。関係ない奴はすっこんでろ」
と李逵の胸を押す。
李逵は髪を逆立てると、斧を振り下ろした。目の前の男が真っ二つにされ、地面に血があふれた。
野郎、と襲いくる男どもを李逵は次々と斬ってゆく。男たちが李逵の強さに気付いた時にはもう遅い。怖気づくが、斧からは逃れられなかった。しかし運良く一人の男が、逃げおおせてしまう。
返り血を浴びた李逵が鼻息も荒く、奥の戸を引き開けた。
中には老人の夫婦が抱き合って震えていた。そして李逵を見ると、悲鳴を上げてさらに震え出した。
「おいおい、待て待て。おいらは弱い者の味方だ」
李逵の説明を聞いた老夫婦はほっとした顔になる。そして酒やごちそうを並べ、李逵を歓待してくれた。
良い気分になってきた時である。老爺が娘を連れてきた。
「将軍さま、ここでお会いしたのも何かのご縁です。うちの娘を貰ってはいただけないでしょうか」
「なんだと、馬鹿野郎。おいらはそのために助けたんじゃあない。その口をとっとと塞いでしまえ」
怒った李逵は卓を蹴とばし、屋敷を飛び出した。
と、そこへひとりの男がやってきた。胸板が厚く、虎のような男だった。
「お前だな。俺の手下たちを殺したのは。覚悟しやがれ」
男は吼えると、朴刀を構えて突っ込んできた。李逵は斧を抜き、それを迎え討つ。
二十合ほど打ち合うと、男は青い顔をして背を向けた。李逵はそれを追った。
男を追い、林を通り抜けたところで、目の前に宮殿のようなものが現れた。
「見た事があるな。どこだっけ」
男は人ごみに紛れてしまった。追うのをやめ、李逵は宮殿に近づいた。やはり見覚えがある。李逵は臆せずに中へと入った。
「李逵よ、ここでは。まずは無礼はならぬぞ」
頭上から声が聞こえた。
正面に何段もある階段があり、その下に役人たちがひれ伏していた。階段の上には玉座があり、誰かが座っている。
思い出した。
「ここは確か、宋江の兄貴たちと来た事がある。ってことはあんたは」
「いかにも。覚えておったようだな」
ここは文徳殿。
玉座にいるのは帝であった。
李逵が叩頭して拝謁すると、くすくすと笑い声が漏れた。
むっ、とするが李逵は何とか堪えた。
「李逵よ、そなたは先ほど、多くの人間を殺めたな。どうしてそんな事をした」
「あいつらが人さまの娘を奪おうとするので、たたっ斬ってやったんです」
「そうであったか。うむ、まさに好漢だ。その義勇を称え、そなたを値殿将軍に任じよう」
「さすがは天子さまだ」
そう言って李逵が何十回も叩頭した。
そこへ四人の者が進み出た。
李逵が鼻を鳴らす。なんだか悪党の臭いがぷんぷんする。
蔡京、高俅、童貫、楊戩であった。
四人が帝に拝謁し、奏上する。
「田虎討伐に赴いている梁山泊が、任務も果たさずに終日酒ばかり飲んでいるとの事。ぜひとも奴らに懲罰をお与えくださいますよう」
ここで堪忍袋の緒が切れた。
手に二丁の斧、髪を逆立て、まるで鍾馗のような形相で四人に向かって駆けた。旋風のように斧が閃き、四人の首が一度に飛んだ。
「天子さま、こんな奴らの言う事を聞いちゃいけません。宋江の兄貴は三つも城を陥とし、さらに田虎って野郎の首を獲るために戦っているんだ」
兵たちが李逵を取り囲んでいた。いまにも飛びかからんとする兵たちに、李逵が吼えた。
「来るなら来てみろ。お前らもこうなるぞ」
床に転がっている蔡京らの首を見て、兵たちが怖気づいた。誰も手を出すことができず、李逵は大股で宮殿を後にした。
「わはは愉快、愉快。ついにやつらの首を獲ってやったぞ。まるで夢のようだわい。これで宋江の兄貴も喜んでくれるだろうて」
悠々と歩を進める李逵の前に、また山が現れた。天地嶺だ。そしてその入口にあの書生が待っていたかのように、いた。
「いかがでしたか、将軍。お楽しみいただけましたか」
「おう、面白かったぞ。なにせ悪党どもを成敗してやったからな」
「そうでしたか。実は私は汾沁の者なのですが、たまたまここへ遊びに来てあなたや宋江どのの忠義の心を知りました」
「おう、そうだ。宋江の兄貴とおいらたちは田虎の首を獲りに来たのだ」
「はい。そこで田虎を捕らえる秘訣があるので、それをお伝えするために参ったのです」
「秘訣だと。なんだそれは」
微笑んで書生が告げた。
田虎の族を夷げんと要すれば
須く瓊矢の鏃と諧しむべし
「田虎の族を、何だって」
「この秘訣をしっかりと覚えて、どうか宋江どのにお伝えください」
書生は何度も、李逵が覚えられるまでその秘訣を唱えた。
「ふう、もう大丈夫だ。ありがとよ」
「はい。李逵どの、あそこをご覧なさい」
書生が林の方を指さした。林の中に誰か座っているようだ。
あれは誰だ、と振り返ると書生の姿は煙のように消えていた。
李逵が林に行ってみると、青石に老人が腰かけていた。
あっ、と声を上げ、李逵が駆けだした。
「おっかあ、おっかあ。おいらだよ、鉄牛だよ」
「その声は、本当にお前なのかい」
盲た目で老婆が李逵の顔をじっと見た。確かに李逵の母であった。李逵の目からは大粒の涙があふれ出た。
「おっかあ、ごめんよ。今度は本当に役人になったんだ。梁山泊は招安を受けたんだ」
「そうかい、そうかい。立派になったねぇ」
「いま、近くに来てるんだ。おぶって上げるから、宋江の兄貴のところへ行こう」
と、そこに不穏な唸り声が聞こえた。そして立ち込める獣の臭い。
虎だ。巨大な虎が、李逵に向かって喉を鳴らしていた。
あの時、殺したんだけどな。いいさ、何度だって殺してやる。今度こそおっかあを守ってみせる。
李逵が腰の板斧を抜き、虎に向かって駆けた。
がたんと大きな音がして、卓が引っくり返った。
そこで寝ていた李逵が床に転がり落ち、手足をばたばたさせている。
「おっかあ、虎は逃げたぞ」
叫び声と共に李逵が跳ね起きた。頭領たちがぐるりと取り囲み、李逵を覗き込むようにしていた。
宋江が心配そうに声をかける。
「おい、李逵。どうした、大丈夫か」
「あれは、夢だったのか」
どうやら夢で暴れていたらしい、と分かり頭領たちも卓へ戻ってゆく。
李逵が夢を語る。蔡京らの首を斬り落としたという話に、鮑旭や解兄弟などは、手を叩いて喝采を送った。
宋江は複雑な思いだったが、その後の話が気になった。
「田虎を捕らえる秘訣だと」
「はい、意味は分からんのですがね」
そして李逵は書生から教えられた言葉を、しっかり伝えた。
「呉用、今の秘訣をどう思う」
「さて。何とも言えません。およそこういった言葉は事が起きてからか、その寸前になって、これだと分かるもの」
「確かに」
智真長老の偈、羅真人の偈、そして九天玄女の書。すべてがそうであった。
李逵はお役御免とばかりに、あちこちの卓を渡り歩いていた。夢の中での奸臣退治を自慢げに語っているのだ。
杯に残った酒を飲み、宋江は苦笑した。




