道標 四
やっと石材調達の許可が下りた。
梁山泊や周辺施設の補強のためである。
寨の増強をし再び国を襲おうとしているのではないか、と楊戩や童貫などから難癖をつけられたためだ。そこを宿元景がどうにか説得してくれた。国のためにも運んでくるという条件付きであった。
太原の石室山に良質な石材がある。
梁山泊からは黄河を遡ることになる。田虎の支配が及んでいる河北を通るため、充分な兵が必要であった。
それには李俊率いる水軍が当たることとなった。まずは童威、童猛が共に向かう。運ぶ段取りができた頃、張兄弟と阮三兄弟が合流する手筈となっている。
また、採掘を行う陶宗旺の部下たち、そして金大堅と李雲も同行することとなった。
金大堅も印章などに使う石材を求めており、李雲も建材に使用する目的があった。
ともあれ百戦錬磨の梁山泊水軍、その名が功を奏したのだろう。
「ちぇ、張り合いがねぇな」
と童威などは言っていたようだが、途中襲われる事もなく太原に到着した。
さっそく作業を始めようとそれぞれが持ち場へ散る。
しかしである。雲ひとつなかった空だったのだが、突如雷鳴のような音が鳴り響いた。
「何事だ」
李俊が叫ぶ。
見ると少し離れた場所で、人が数人倒れていた。陶宗旺の部下たちだ。
李雲も駆けつけ、彼らを助け起こす。
「おい、どうした。大丈夫か」
辛うじて息はしている。気を失っているようだ。
金大堅が眉根を寄せた。
「おい、こいつは何だ」
倒れている者たちの側に、真っ白な石が鎮座していた。人の大きさほどもあるだろうか。
近づくな、と金大堅が止められた。陶宗旺の配下によると、その石を動かそうと近づいたところ、雷鳴が轟いたというのだ。
そんな馬鹿な、と金大堅は思うが、そう言われると側に寄ることはできない。
「仕方ない。李雲、その石に近づけないようにしてくれないか」
李俊の指示で、白い石の周りに囲いが組まれた。さらに見張りを付けることにした。そうした中で作業が行われた。
その後、同じような事は起きなかった。
「しかし何だったんだろうな」
童威の言葉に童猛も首を傾げた。
さらに数日、もう問題なかろうという事で金大堅と李雲が帰途についた。
「それでは頼んだぞ。わしらは陸を行くよ」
採られた石は、水軍が黄河の支流を下って運ぶ。そして黄河本流に入り、東京開封府に寄ってから梁山泊へ至る道程だ。
積み荷が一杯となったため二人はその船に乗らず、兵たちと共に陸路を行くことにした。
馬に揺られ。河沿いに南下する。
田虎が支配するという威勝に近づくにつれ、山賊のような連中が多くなってきた。田虎の配下なのだろう。
大きな道を避け、進む一行。
やがて昭徳府に至った。日が傾いてきたが城内に入ることはできない。
李雲たちが辺りを探らせると運良く、廟が見つかった。
薄闇の中でも古びた廟である事がわかった。
そこで李雲が一行を止めた。
「待つのだ」
「どうした」
「気配がする」
李雲の言葉に、金大堅も意識を集中する。
確かに、廟の奥の方から物音がする。一人や二人ではない、数十人はいるだろうか。いやそれ以上かもしれない。
どうする、と金大堅が言おうとしたその時、中から悲鳴が聞こえてきた。
女の悲鳴だった。
はっ、と見ると李雲の姿はすでにそこになかった。
「おい、李雲に続け」
兵たちに叫び、金大堅も護身用の棒を手に、駆けた。
廟の中はすでに騒然としていた。
本殿の周りに山賊のような男たちが屯しており、その前に李雲が朴刀を構えていた。
李雲の足元には、地に濡れた山賊がふたりほど倒れている。
この一瞬に二人も斬ったというのか。
普段、建築の現場でしか見ない李雲の、青眼虎という渾名を思い出した。
「大丈夫か」
と金大堅が声をかけるが、李雲は答えない。青い目が本殿の山賊、そして捕らわれた女を捉えていた。
金大堅も状況を把握する。
山賊の中央に座っている男がいる。風貌などから、山賊を束ねる男のようだ。
山賊どもは三十人ほどか。こちらよりも数は多い。
女がひとり、髪を掴まれている。すがるような目をこちらに向けていた。
山賊の頭領が意外にも穏やかな声を出した。
「なんだい、そいつら。あんたの仲間かい。いるなら言ってくれよ」
そう言われた李雲は答えず、じっと頭領の顔を見て言った。
「その娘を、放してもらおう」
あん、と頭領の表情が変わった。
そこへ金大堅が割り込んだ。棒を下ろし、警戒を解くような態度だ。
「そいつはすまないな、親分。休んでいるところを騒がしちまったようだ」
李雲が金大堅を見る。金大堅は、任せろという目配せをした。
李雲は、確かに強い。だが真っ直ぐすぎる。まともに戦っては、被害も大きくなってしまう。
金大堅が畳みかけるように訊ねる。
「で、親分。あんた、名の知れた山賊のようだが」
「ふふ、そうでもねぇさ」
頭領の頬が緩んだ。
そうだ、と頭領が手を叩いた。
「実は俺たち、田虎さまに会いに行くところだったんだ。強い者を集めてるって聞いてな。ぜひ暴れてやろうと思ってね。それでこの娘を手土産にしようって訳さ」
男が言うには、田虎はどうやら女が好きなようであった。
ちらりと李雲の足元の部下を見やり、
「そいつらは仕方ねぇ。負ける方が悪いのさ、なあそうだろう」
とにやりと笑う。
「あんたたち、一緒に行かねぇか。その強さなら田虎さまも満足してくれるだろうぜ」
「面白そうだな。ところでなんて名なんだい。有名な人かもしれねぇ」
「へへ、買いかぶるなよ。まあちっとは知れた名かもな。俺は楊春ってんだ、聞いた事あるかい」
金大堅と李雲が顔を見合わせた。
「ああ、聞いたことあるな」
「いやあ、そいつは嬉しいね」
む、と頭領が顔をしかめた。
金大堅がうつむき加減で、口を押さえて肩を揺らしていた。
そして徐々にそれは大きくなり、ついに笑い声を上げてしまった。
「すまない、すまない」
金大堅が目尻を拭きながら、楊春に近づいてゆく。
「どうだい、その女よりももっと良い土産があるんだが」
「なんだよ、それは」
「梁山泊さ」
金大堅が不敵に笑う。
梁山泊だと、と楊春が不審な目をする。
「わしたちが捕らえたのだ。しかも頭領の一人だ。楊春どの、あんたと会ったのも何かの縁だ。その女と交換するというのはどうかね」
楊春が顎に手をやり、探るような目つきになった。
金大堅はさりげなく、手の届く距離まで近づいた。
「梁山泊といや、今後田虎さまの邪魔となる連中だ。そいつは願ったりだな」
「だろう」
「よし、良いだろう。で、その頭領はなんて奴なんだ。早く連れて来て顔を見せてくれ」
「金大堅、ってんだ。知ってるだろ」
「金、なんだって。いや、聞いたことねぇな。まあいいや。早く連れて来てくれよ」
「知らないってのは失礼な奴だ」
視線を隠すように、ずいと金大堅が楊春の前に出た。
李雲の手に力が込められた。
「金大堅とはわしの事さ、小僧」
李雲は爪先に力を込めた。
瞬きを二つか三つする間に、五人が斬り伏せられた。
梁山泊兵も即座に呼応した。
状況を飲みこめない、楊春の部下たちは武器を使うことなく、次々と倒されてゆく。
娘を掴んでいた男の腕が、胴と離れた。さらに李雲の刃が、その首を切り離した。
兵たちが娘を保護し、廟の隅へ連れてゆく。
「貴様」
やっと楊春が刀に手をかけた。
金大堅は棒で、楊春の手首を打った。嗚咽を漏らし、楊春が刀を落とす。
さらに首筋を打ち据えようと構えたが、楊春は怯まずに突っ込んできた。楊春は片手で胸ぐらを掴み、金大堅を押してゆく。金大堅の背が思い切り、壁に当たった。
さらに楊春は拳を、金大堅の腹にめり込ませた。
ぐお、と呻く金大堅。
「へへ、何が梁山泊だ。おいぼれが、舐めるんじゃねぇぞ。本当にお前の首、持って行ってやるぜ」
李雲が駆けつけようとするが、楊春の手下に囲まれた。
楊春が懐から小刀を出すのが見えた。
楊春が笑い声を上げる。
万事休すか。金大堅は覚悟をした。
鈍い音がした。
上から何かが落ちてきて、それが楊春の頭を直撃した。白目を剥き、鼻から血を流した楊春が天を仰いで倒れた。
解放された金大堅が振り返った。壁ではなく、背後にあったのは石碑であった。
廟と同じくらい古びた碑で、相当に脆くなっていたいたようだ。
金大堅がぶつかった衝撃で上方が崩れて落ちてきたのだ。
「無事ですか、金大堅どの」
「ああ、危なかったがな。少し張り切り過ぎたようだ」
「しかし、金大堅どのを知らぬとは」
楊春に縄をかけながら、李雲は真面目な顔でそう言った。
金大堅が目覚めると、本殿の外で物音がしていた。
李雲が、どこかから切り出してきた木材を並べていた。
「どうするのだ、それを」
「ひと晩宿を借りたお礼をと思いましてね」
と言って廟を見やった。つられて金大堅も目をやる。
明るいところで見ると、廟はかなり傷んでいる事が分かった。
金大堅は石碑を撫でるようにした。彫られた文字も消えかかっているが、修復は可能と思えた。楊春の頭に落ちた上部が欠けているが、それもなんともいえない味があった。
建築に慣れない兵たちを使っての作業だったが、二日ほどでなんとか廟の修復が終わった。さすがは李雲と思わせる出来栄えだった。
一方の金大堅も、石碑の修復を終えた。
「戊己の神、が祀られていたようだ」
薄れていて判じ難かったが、そう読めた。
金大堅と李雲が祈りをささげながら思う。
神を祀る廟が荒れ果てているという事は、人心が荒れ果てているという事だ。
それは田虎のような山賊どものせいなのか、それとも国そのもののせいなのか。
替天行動。民のために戦う、か。
宋江がいつも言っている言葉を、思い出した。
朝議の場が騒然とした。
昨日、衛州の使者から急報があった。
河北で暴挙を振るっている田虎が蓋州を陥落させ、次に衛州を襲おうとしているという報であった。
衛州は、東京開封府とは黄河を挟んだ北西に位置している。つまり田虎がすぐそこにまで攻めてきているという事だ。
「どうするのだ」
「すぐにここまで攻め込んでくるぞ」
「軍は何をしているのだ」
怒号にも似た声が飛ぶ。
童貫が隠れるように下を向く。河北の窮状を、帝に届く前に握りつぶしていたからである。田虎の叛乱軍は精強であると聞いていた。童貫は勝てない戦に出張る気はないのだ。
ひとりの官僚が発言を求めた。宿元景である。
帝が待っていたように、それを許可した。
「おそれながら、河北を平定できる者たちがおります」
「ほう、それは何者か、言ってみよ」
宿元景は御簾に続く階を見つめ、言った。
「梁山泊にございます」
再び場がざわついた。
「梁山泊ならば、河北の賊を平定できるでしょう」
「うむ、確かに。宿太尉、よくぞ申した。そなたが勅使となり、すぐに向かうのだ」
「ははっ」
蔡京が面には出さず、びくりとした。宿元景の目が、一瞬こちらを見ていたような気がしたのだ。
合図の鐘が鳴り、帝が退出する。蔡京は目を細め、顔を伏せた。
頭を上げた時、宿元景の姿はすでに無かった。
まさか、な。蔡京は心中で呟く。
自分が褚堅の裏で糸を引き、耶律輝をそそのかしていたという事は誰も知らないことだ。褚堅ももう死んだ。
それに露見したところで問題はない。宋のためにやった事だ、と言い張れば良いのだ。それだけで帝は何も言えなくなる。
しかし宿元景だ。ここで騒ぎ立てれば、何かを感づかれてしまうかもしれない。梁山泊を消す機会だったが、ここは静観するとしよう。
何事もなかったように、蔡京は朝議の場を出ていった。
柱の陰で宿元景がその背を見つめていた。
横槍を入れられると思っていたが、無かった。
遼の地に侵攻し、あまつさえ戦を行ったのだ。梁山泊を潰す絶好の大義名分ができたはずだ。だから田虎討伐に尽力することで、遼の一件を不問にできると考えたのだ。
果たして梁山泊が田虎を倒せるかどうかは、わからないが。
宿元景は屋敷に戻り、出立の手配を始めた。
独りで危険ではないか、という宋江に、
「ご心配痛み入ります。なに、わしは坊主ですから怪しまれますまい。それに、そう言われると思ったので道連れを考えております」
と笑った。
そして道連れに選ばれた武松も不敵に笑んだ。
宋江は苦笑した。魯智深と武松の二人ならば、襲った相手の心配をしなければならないだろう。
「すぐに済みます。それに梁山泊のために、強そうな者や、才のありそうな者などがおったら、声をかけてきますわい」
宋江は、魯智深が残した言葉が心に残っていた。
遼との戦を終え、梁山泊へ帰還した。
偽の王が相手とはいえ、一応は和議を結んでいる国の中で戦をしてしまったのである。
沙汰を待て。梁山泊に戻ると、待ち構えていた使者がそう言った。
自らの首を差し出す覚悟をしていた。しかしまだその沙汰がない。
やきもきしていても仕方ない。宋江は気持ちを切り替え、梁山泊のこれからについて考えることにした。
梁山泊存続のために戦い、文字通り招安を勝ち取った。
その後である。替天行動などと掲げているが、それを実現できるのか。そのために何をすべきなのか。
呉用はあえて口を出さないようだ。宋江どの、頭領であるあなたが道を示すのです。どうやって進むのかを考えるのが、私の仕事です。きっとそう言うのだろう。
宋江は考えた。
だが答えはすでに出ている。苦しむすべての民を救うのだ。
奸臣を、賊を、民を苦しめるものを取り除くのだ。しかし軽率に動いてしまうと、梁山泊を陥れるための格好の大義を与えてしまう。
いかんともしがたい思いに、宋江は腕を組み、唸った。
「やはり宋江どのは、大した運をお持ちのようです。風向きが変わったようです」
部屋に入ってきた呉用がそう言って羽扇をくゆらせた。
帝からの沙汰があった。
使者として現れた宿元景からそれが告げられた。
遼との戦の件は不問とする。だがその代わり、河北で暴虐をはたらく田虎を討伐せよ、というものだ。
「お主らに相談せずに決めてしまい、申し訳ない。だが蔡京らを黙らせるには、これしかないと思ってな」
「宿太尉の深慮に感謝いたします。首を差し出しても、梁山泊を守る覚悟でしたから」
真面目な顔で宋江が言った。その目をじっと宿元景が見る。冗談などではないのだ。本気でこの男はそう思っていたのだ。
もっとも、そうでなくてはならない。
「帝も、期待しております」
「必ず」
帝が梁山泊に招安を与えたのだ。梁山泊がそれに見合った働きをしなければ、ひいては帝の決断が謝っていたととられてしまう。そうなれば蔡京などを喜ばせることになってしまうのだ。それは避けねばならない。
帝の権威が弱まれば、領土を狙う異国の侵入を許す結果となってしまう。狭い宮中で政争を繰り返している場合ではないのだ。
「梁山泊の失態を待ち望んでいる連中を喜ばせないように。くれぐれも気をつけて欲しい」
釘を刺すように最後にそう言って、宿元景が去った。
替天行動をなす刻だ。
その想いに、宋江は拳を強く握った。