星辰 二
庚辛の金、白の軍装の林冲隊が東方青竜の陣に突っ込む。
大将の青竜木星、只児払郎が声を荒げる。
門が開き、宿星将が姿を現す。
徐寧の鈎鎌鎗が地面すれすれを走る。角木蛟の孫忠の乗馬の脚が刈られた。倒れこむ孫忠の体を、突きに変化した鈎鎌鎗が貫いた。
孫立の槍と、房日兎の謝武の槍がぶつかる。謝武の槍は、孫立に引けを取らない。十合ほど打ち合い、孫立が了事環から鉄鞭を取り出した。
右から槍、左から鉄鞭の猛攻にさすがの謝武も抗しきれなくなる。そして手を乱した謝武は、鉄鞭に頭を割られて果てた。
黄信は、氐土貉の劉仁と刃を交えていた。時に馬を止め、時に交差させて剣と剣が激しい音を立てる。
はあっと黄信が気合を発した。喪門剣を縦真一文字に打ち込む。劉仁は自らの剣を横たえ、受けようとした。
だが劉仁の剣が乾いた音とともに両断された。そして劉仁の体にも真っ直ぐに血の筋が走った。断末魔の声もなく、劉仁が馬から落ちた。
陳達と楊春が奥へと駆ける。
「おい、俺たちも負けられねぇぞ、楊春」
「そうだね。さっそく来たよ」
正面から宿星将二騎が迫りくる。
尾火虎の顧永興は陳達へ、亢金竜の張起は楊春へと向かう。
陳達の点鋼鎗が顧永興を攻め立てる。だが顧永興は棍を巧みに捌き、それをすべてかわし切ってしまった。
「小癪な野郎だ」
唾を吐き、陳達が再び顧永興に襲いかかる。
しかしまたも点鋼鎗は淡々と弾かれてしまう。顧永興はあくまでも涼しい顔だ。
楊春と張起も、一進一退の攻防を繰り広げる。
張起が槍を雷鳴のように繰り出せば、楊春も大桿刀を暴風のように閃かせる。
楊春は、陳達が苦戦しているのを見た。しかし援護もできない。こちらも接戦なのだ。
だから叫んだ。
それは普段の楊春が出さないような声だった。
「陳達、しっかりしろ。朱武が見ているぞ」
玉のような汗を浮かべながら槍を振るう陳達。その言葉に、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「おお、楊春。言ってくれるじゃねぇか。そんな事言われたらよ」
負ける訳にいかねぇぜ。
陳達が馬の腹を思い切り蹴った。馬が棹立ちになる。
何をしたのだ。顧永興は判断しかねて槍を戻し、少し後ろに下がった。
馬が前脚を地に下ろした。
「え」
思わず漏らしてしまった。
鞍上に、誰もいなかったからだ。
ふいに暗くなった。
顧永興が上を仰ぎ見た。
「え」
と、また漏らした。
天から、人が降ってきたのだ。
中空から陳達が、顧永興に槍を突き立てた。
楊春が吐息を漏らした。
向き合う張起のこめかみに血管が浮かんだ。
「自分の事を心配した方がよいのではないか」
「そうだね」
その返答に、張起が呆れたような顔になる。だがすぐに、その表情を変えることとなる。
張起はうんざりするような顔をしていた。
しつこいのだ。互いに決め手になる一撃を決められずにいるのだが、相手は休む間もなく、何度も何度も大桿刀を振るってくる。
蛇のようだと張起は思った。もちろん楊春が、奇しくも白花蛇と呼ばれているなど知るはずもない。
しかし蛇ならば、竜である自分に勝てるわけはない。裂帛の気合いと共に、必殺の一撃を放った。
楊春は何とか体を捻ったものの、脇腹に傷を負った。
舌打ちをする張起。体勢を整えようと馬を下げたところへ、楊春が襲いかかった。
こいつ。
張起の頬に血の筋が走った。
待て。
楊春は攻撃をやめない。
血の跡が二筋、三筋。
張起の動きが鈍る。
足に、腕に、そして体に、いつの間にか傷が増えてゆく。
張起は狼狽した。
俺は何と戦っているのだ。俺は竜だ。蛇などに負けるはずが。
鈍い音と共に、大桿刀が張起の胸を貫いた。全身を血に濡らした張起が馬から落ちた。
蛇がじわりじわりと竜を飲み込んでしまった。
波涛の如く突進を繰り返す、梁山泊の騎兵がいた。没遮攔の穆弘である。
箕水豹の賈茂が剣を抜き、立ちはだかった。
その間にも穆弘は遼兵を蹴散らし続ける。
賈茂は息を飲んだ。
あの男、巨体の割に機敏な動きだ。同じ宿星将の牛金牛を思わせる。しかしよく見ると荒っぽいだけで、技術もなにもあったものではない。ただの力任せのようだ。やはり牛金牛の方が上だ。
賈茂が駆けた。剣を斜に構え、勢いをつける。
穆弘がそれに気付き、向きを変えた。賈茂に真っ向からぶつかってゆく。
交差した。
穆弘の刀が折れた。
やはり、見かけ倒しか。賈茂が馬を反転させた。
刀を捨て、穆弘も再び向き合った。
馬鹿な男だ。逃げれば死なずに済んだものを。
賈茂と穆弘が交差する。
穆弘は馬を駆けさせながら大きな拳を握った。
やはり馬鹿なのか。剣に拳で、だと。
賈茂が剣を振り下ろす。
しかし穆弘の方が早かった。
甲冑をものともせず、穆弘が岩のような拳を思いきり打ち込んだ。
げぶぅ、と吐瀉する賈茂。
吹っ飛ばされた賈茂が地面に落ちた。
肋骨が肺腑に刺さっているようだ。起き上がる事ができないまま、殺到した騎兵の蹄に踏まれ、賈茂は肉泥と化した。
長柄の斧を構えた青竜木星の只児払郎は、目の前にいる獣の目をした将を見定めていた。
向かい合う林冲は蛇矛を斜め下に下ろし、すぐにでも駆けだせる態勢をとる。
両者が同時に息を吐く。
両者が同時に駆けた。
一瞬だった。
林冲の蛇矛が、只児払郎を袈裟掛けに斬っていた。
「大将は討ち取った。命が惜しくば武器を捨てよ」
力なく肩を落とした東陣の兵たちが、次々に得物を手放した。
真っ赤な軍装、丙丁の火軍が遼兵を焼き尽すかのように暴れ回っている。
率いる秦明が狼牙棒を唸らせ、駆けまわる。それを見ていた龔旺が血を滾らせた。
「おい、丁得孫。大将の分まで暴れ回ってやろうじゃねぇか」
「うちの大将は、暴れ回りはしないだろう」
「良いんだよ、細かい事は」
笑いながら龔旺が敵の中へ飛び込んでゆく。
まったく、と苦笑しながら丁得孫は思う。確かにうちの大将が受けた借りをきっちりと返さねばならない。
今日のところは龔旺に賛成だ。丁得孫も敵へと突っ込んでいった。
大将とは張清の事だ。張清が梁山泊に運ばれてきた時、意識を失っていた。首に矢を受けたのだという。
いつもなら怒り狂うはずの龔旺は、意外にもそれを自制した。
拳を戦慄かせながら、
「必ず報いは受けさせるからよ。それまでに目ぇ覚ましとくんだぜ」
と病室を出て行った。
長年、相棒を務める丁得孫も意外だった。そしてそんな龔旺を誇らしく思った。
龔旺がその怒りを、いま遼軍に存分にぶちまけていた。
己の得物である巨大な投槍を飛ばし、遼軍を怯ませる。そのまま馬を走らせ、立ちすくむ兵たちの武器を片っ端から奪ってゆく。そしてその武器を片っ端から投擲するのだ。槍はもちろん、刀でも、剣でも、楯でさえも龔旺にとっては武器なのだ。
龔旺を追いかけるように、丁得孫も飛叉をぶん回し、近づく敵を攻撃し続ける。
「ずいぶん馬鹿な戦い方をする者がいたものだ。所詮、水たまりの山賊か」
「まったくだ。野蛮そのものだな」
龔旺と丁得孫の前に星宿将が待ち構えていた。
参水猿の周豹と、奎木狼の郭永昌だった。
「あん、何だこの野郎」
「待て、挑発に乗るんじゃない」
「ふん、乗ってやろうじゃねぇかよ」
丁得孫の制止も聞かず、龔旺が駆けた。
持っているのは槍が二本と刀が三本。まず槍を二本飛ばす。
「笑止」
周豹が棍で、難なく弾き飛ばす。
おらあっ。次に矢のような速度で、刀を飛ばした。
龔旺がにやりとする。三本同時に、落とす事などできまい。
周豹は腿に力を入れ、鞍にぐっと腰を落とした。
気合と共に棍を突く。一本を棍の先で叩き落とすと、周豹は手首を捻った。
すると棍の先がぐにゃりと撓った。獲物を襲う蛇の頭のように二本目、三本目の刀を落としてしまった。
「芸達者なもんだな」
強がりも空々しく聞こえる。龔旺は周囲を見る。得物はすべて投げてしまった。さて、どうしたものか。
龔旺に向かって郭永昌が駆けだした。手には刀が鈍く輝いている。
舌打ちし、龔旺が斜めに駆けた。
「させるか」
郭永昌が妨げようと迫る。
鞍上で斜めになった龔旺が手を伸ばす。倒れている兵の側に、槍が突き立っている。
郭永昌の刀が、龔旺の手首に襲いかかった。
捕れなかった。
すんでのところで引っ込めたが、手首にうっすらと血が滲んでいた。
再び馬を旋回させ、武器を捜す。郭永昌は龔旺に馬を寄せた。刀を高く上げ、龔旺の首元に狙いを定め、振りおろした。
郭永昌がびくりとした。龔旺が凶悪そうな笑みを浮かべていた。
「へへ、わざわざありがとうよ」
龔旺は郭永昌の腕を捕り、ぐいっと引き寄せた。そして、目を丸くする郭永昌を、何と頭上に抱え上げてしまった。
腿で馬を操り、向きを変える。周豹の方向だ。
脱出しようともがく郭永昌だが、龔旺の膂力に押さえつけられ身動きが取れない。
「どっちが曲芸だ」
周豹が棍を構える。
そこへ何かが飛来した。丁得孫の飛叉である。
もう一人おったな。周豹は慌てず、飛叉を落とすため棍を繰り出す。
しかし飛叉が空中で止まった。
馬鹿な。
丁得孫が、飛叉に付いている鎖を寸前で引いていた。
勢いを止められずに、棍が空を切る。
おおお、と雄叫びをあげる龔旺。
無防備な周豹に向けて、郭永昌を渾身の力で投げ飛ばした。避けようとする周豹に向けて、再度飛叉が襲いかかる。
周豹は判断に迷った。なす術のない周豹は防御したが、激しい音と共に郭永昌が激突した。
もんどりうって二人が落馬する。
龔旺が自分の槍を地面から抜いた。
「次だ、丁得孫」
「ああ」
地面で呻く周豹と郭永昌の元へ、梁山泊兵が殺到した。
鬼のような咆哮を、劉唐が上げる。悲鳴を上げる暇もなく、婁金狗の阿里義が真っ二つにされた。
その側では雷横が、昴日雞の順受高と戦っていた。手数の多い順受高に苦戦をしていたが、雷横が粘り勝った。
刀の血を拭きながら劉唐が毒づく。
「おい、腕が落ちたんじゃねぇのか」
「余計なお世話だ。黙って敵を倒してろ」
雷横は言いながらも、どこか嫌ではなかった。
周通が畢月烏の国永泰を倒した。
それを見ていた魏定国が、觜火猴の潘異を斬り伏せ、単廷珪に言った。
「よし、この陣もあと少しだな。しかし単廷珪よ」
胃土雉の高彪に縄をかけていた単廷珪が顔を上げた。
「赤の軍装も良いもんだろう。これからそれにしろよ、似合っているぞ」
「やめろよ。俺は壬癸の軍に配属されたかったんだ」
「くく、そんな事言うなって」
おい、と周通が割って入る。
「もうこの陣は、終わるぞ」
三人の視線の先には、秦明がいた。
狼牙棒を高々と掲げ、大将である太白金星の烏利可安に向かって駆けている。
烏利可安も雄叫びを上げ突進するが、狼牙棒がその胴に噛みついた。
嫌な音を立て、烏利可安は馬から落ち、そのまま動かなくなった。
秦明が拳を突き上げ、吼えた。
丙丁の火軍が、敵陣を燃やし尽くした。




