表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
269/304

星辰 一

 梁山泊(りょうざんぱく)が布陣を変えていた。

 九宮八卦(きゅうきゅうはっけ)の陣ではない。軍装が五色に整えられており、太乙混天象(たいいつこんてんしょう)の陣に似ていた。しかし規模も、その精緻さもこちらに及ぶものではない。

 兀顔光(こつがんこう)が不敵に笑う。

 太乙混天象の陣に通底(つうてい)する、同じ陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)(ことわり)で対抗しようというのだろう。だが急ごしらえの陣で勝てるほど甘いものではない。舐められたものだ。

 だが決して油断はしない。

「進め」

 兀顔光が号令を飛ばす。

 両軍が徐々に近づいてゆく。

 梁山泊中軍で朱武(しゅぶ)が指揮をとる。宋江(そうこう)呉用(ごよう)がじっと遼軍を見据える。

 朱武が自軍の陣形を見渡す。

 九宮八卦の陣の基本を崩さずに、より凝縮させた陣であった。

 八方位ではなく、(もく)()()(ごん)(すい)の五つの陣に分かれ、兵たちはそれぞれ象徴する色の軍装を纏っている。敵の陣に相生(そうしょう)相克(そうこく)(ことわり)を用いてぶつかるためだ。

 幽州(ゆうしゅう)を訪れた宋江が、梁山泊に援軍を求めるため戴宗(たいそう)を走らせた。当初はここまで大規模な戦になるとは想定していなかったからだ。

 それと同時に侯健(こうけん)に作製を依頼していた、九宮八卦用の軍装を急がせるためでもあった。童貫(どうかん)戦の時、急場しのぎだったものだ。それが間に合った。

 朱武は昨日の痛手を受け、陣形を組み直した。九宮八卦を活かしつつ、太乙混天象に相克する陣とした。

 梁山泊の布陣を見て、手の内はすぐに露見するだろう。当然、相手はそれを防ぐよう動くはずだ。

 隣の雲梯の公孫勝(こうそんしょう)に合図を送る。

 公孫勝が剣を抜き、天を指す。足を踏み、滔々(とうとう)と唱える。

 ふいに風が吹いた。風は徐々に強くなり、砂や石まで飛び始めた。

 五雷天罡(ごらいてんこう)の法だ。

 風が遼軍に向かって一気に吹きつけた。

「進め」

 宋江が檄を飛ばす。

 梁山泊の陣が一斉に速度を上げた。

 土は水に()ち、金は木に克つ。火は金に克ち、水は火に克つ。そして木は土に克つ。これが相克の理である。これに基づいて、太乙混天象の陣を破る。

 もちろん兀顔光はこの理など熟知している。反対に遼が有利になるように動かそうとする。

 だが、兀顔光は歯嚙みをしていた。

 いきなり吹き始めた強風と天を覆うような黒雲に、自軍が動揺し出したのだ。

「まやかしだ。敵の動きをよく見ろ。相克を狙ってくるぞ」

 そうは言うものの、風の感触はまやかしなどではない。賀重宝(かちょうほう)の術よりも強力なものだ。

 朱武は祈るように戦況を見守る。

 敵はその数ゆえ、前軍を動かすのに時間が必要だ。勝ちを得るには、そこを突くしかない。

 追い風に乗るように、梁山泊軍が遼軍の先頭に到達した。

 朱武が奥歯を強く噛む。公孫勝の風が勢いを増した。

 遼軍の前軍二隊がそれを阻もうと左右から迫る。

 駆ける梁山泊の先陣も二つに分かれた。

 太陽星に向かうのは、花模様の刺繍の軍装を纏う、魯智深(ろちしん)武松(ぶしょう)を中心とする歩兵たちだった。彼らは羅睺(らこう)星を模していた。羅睺星は日と逆行するという凶星だ。

 太陽星の耶律得重(やりつとくじゅう)が馬を飛ばす。目の前に怪異な僧侶がいる。その僧侶が大きな口を開けて吼えた。

「無益な殺生は好まぬ。降伏すれば命は取らぬ」

「坊主が世迷事(よまいごと)を」

「仕方ない」

 耶律得重の乗馬が、突如前のめりに倒れた。

 飛びこんできた武松が、馬の脚を薙ぎ払っていた。

 耶律得重もそのまま前に放り出される。

 そこに魯智深の禅杖が待ち構えていた。

 太陽星が討たれ、配下の兵たちは乱れた。

 反対側の太陰星には銀の(よろい)を纏う兵が向かっていた。

 月と逆行するという計都(けいと)星を模した扈三娘(こさんじょう)孫二娘(そんじじょう)顧大嫂(こだいそう)らが率いる隊だ。

 太陰星の答里孛(とうりはい)が扈三娘に迫る。答里孛が手にするのは七星の宝剣だ。

 向きあう扈三娘が刀を振るった。

 さすがというべきだろう。答里孛は咄嗟に剣で体を守った。だがその顔には驚きの色がありありと浮かんでいた。

 一丈ほども距離があったはずだ。なぜ届く。

 扈三娘が二度、三度と刀を振るう。答里孛は近づきたくても、それができない。

 次第に苛立ってきた。

「ええい、鬱陶しい」

 身が傷つくのも構わず、前へと出た。扈三娘が一旦、刀を引き、馬を駆けさせた。

 扈三娘と答里孛が馬を並べ、打ち合った。

 日月二刀と七星宝剣が乱れ飛ぶ。

 周りの兵が見惚れてしまうほど美しく、そして激しい攻防だった。

 たまりかねた答里孛が、渾身の突きを放った。扈三娘は華麗に身を捻り、答里孛の腕を抱き抱えるように取った。

 懸命に抵抗する答里孛だったが、扈三娘はしっかりと脇で固めている。

 もがく答里孛の視界が真っ暗になった。扈三娘の手刀が、首筋を打ったのだ。

 遼の女兵が孫二娘、顧大嫂に次々と斬り伏せられてゆく。

「死にたくない奴は、武器を捨てな」

 顧大嫂の言葉に、女兵たちが次々と従ってゆく。

「ちぇっ、意気地がないねぇ」

 孫二娘は文句を言いながら、刀を捨てない兵を探しているようだった。

 援護しようと構えていた王英(おうえい)が、顧大嫂に怒鳴られた。

「ほら、突っ立てないで、縄をかけるんだよ」

 王英が弾かれたように走りだした。張青(ちょうせい)孫新(そんしん)が顔を見合せ苦笑した。

「あんたたちもだよ」

 孫二娘が怖い目をする。

 はいはい、と二人も駆けだした。


 兀顔光の指示で、遼の陣が動いた。

 梁山泊軍も太陽太陰を抜け、本陣に迫る。

 戊己(ぼき)の土、黄の軍装を纏う董平(とうへい)隊を先頭に、庚辛(こうしん)の金は林冲(りんちゅう)丙丁(へいてい)の火が秦明(しんめい)壬癸(じんき)の水は呼延灼(こえんしゃく)そして甲乙(こうおつ)の木の関勝(かんしょう)が続いて駆ける。

 梁山泊は狙いの相を捉えたい。遼はそうはさせまいと、陣の位置を絶えず変える。

「天盤を旋回し続けろ。隙を見せるな」

 梁山泊軍は機を伺いながら、遼軍の周囲を回る。

 中軍で見守る宋江にも、付け入る隙はとても無いように思えた。

 一方、朱武は冷静に戦況を見つめていた。

 右手を構え、瞬きをせずにじっと見ている。

 朱武の右手が上がった。合図の軍鼓が鳴らされる。朱武が、届かぬと分かっていても、叫んでいた。

「頼むぞ、凌振(りょうしん)

 遼の周囲を回る梁山泊の外側に、いつの間にか別の部隊が陣取っていた。凌振が二十四輌の雷車を引いていた。

 雷車は箱のような形で、上に鉄でできた筒が据えられている。それが陣の周囲に均等に並べられており、筒の先が遼軍に向けられていた。

 朱武の指示を受け、凌振が命令を飛ばす。兵たちが側面の導火線に火を付けた。

 数瞬後、筒から勢いよく炎が噴き出した。二十四の炎が、遼の陣に突き刺さるように噴き出し続ける。

 太乙混天象の陣は、動きを止めざるを得なかった。

 そして止まった陣と相対する梁山泊の隊は、ちょうど相克の関係となっていた。

 遼軍に戦慄が走った。

 兀顔光が歯嚙みをしながらも、兵たちを鼓舞した。

「怯むな、怖れるな。相克の(ことわり)とて、我らの力と数には手も足も出ぬ。者ども、退くな。退いた者は、わしに斬られると思え」

 乱れかけた兵の心だったが、この兀顔光の言葉で踏みとどまった。

「何という将軍だ」

 宋江は畏敬を込め、そう言った。

 しかし梁山泊も負ける訳にはいかない。

「お前たちも退くんじゃあないぞ」

 北方玄武の陣に飛び込んだ董平の二槍が華麗に舞う。遼兵が近づく事もできずに、地に倒れ伏す。そのまま大将の曲利出清(きょくりしゅつせい)を目指す。

 遼軍も必死の抵抗を示す。七門が開き、宿星将が飛び出してきた。

「やっと出て来やがったな」

 三尖両刃刀を頭上で旋回させ、史進(ししん)が吼える。璧水㺄(へきすいゆ)の成珠那海(せいじゅだかい)が繰り出した槍を弾き、一刀両断に斬って落とした。

 おおお、と雄叫びを上げ、室火猪(しつかちょ)祖興(そこう)が斧を振り回しながら駆ける。その進路に燕順(えんじゅん)がいた。まさに猪の如き攻撃を燕順は、体躯に似合わぬ軽やかさでかわす。

 振り返った祖興の首から血が噴き出した。燕順が避けた時、すでに斬られていたのだ。

 欧鵬(おうほう)馬麟(ばりん)が並びながら遼兵を蹴散らしてゆく。

 ふいに欧鵬が馬麟を睨み、叫んだ。

「伏せろ」

 馬麟は反射的に身をかがめた。

 その上を欧鵬の槍が飛んだ。

 背後から馬麟を狙っていた、危月燕(きげつえん)李益(りえき)の喉に穴が空いた。

「すまねぇ、欧鵬」

 そう言って馬麟が低い姿勢のまま、欧鵬に向かって駆けだした。

 槍を手放した欧鵬に向かって、虚日鼠(きょじつそ)徐威(じょい)が襲いかかっていたのだ。

 馬麟が乗馬のまま体を回転させた。一刀めで徐威の胴を斬り付け、二刀めで首を薙ぎ払った。

「すまんな、馬麟」

 二人はにやりと笑い、再び駆けだした。

 梁山泊兵が蹴散らされている。穆春(ぼくしゅん)が駆けつけると、周りの兵よりも大きな将が暴れ回っていた。牛金牛(ぎゅうきんぎゅう)薛雄(せつゆう)であった。

 穆春を見た薛雄は大刀を構え、突進してきた。駆けながら大刀を振り下ろす。それは風を巻きこみ、唸りを上げる。

 穆春は受け切れぬとみて、(たい)を捌いた。しかし穆春の体が(かし)いでしまい、馬から落ちてしまった。そしてごくりと唾を飲んだ。

 受けなくて正解だ。薛雄の大刀が、馬の首を斬り取っていたのだ。

 徒歩(かち)の穆春に向かって、今度は横薙ぎに大刀を払った。

 咄嗟に後ろに飛び、それをかわす穆春。

「逃げるだけしか能がないのか。貴様が将校とは呆れたな」

 薛雄が肩をすくめてみせた。

「なんだと、手前(てめえ)ぇ。言わせておけば」

 かっとなった穆春が薛雄の間合いに飛びこんでしまった。

 馬鹿め。薛雄が大刀を斜めに斬り下げる。

 む、と薛雄が目を大きくした。いない。

 ふいに背後から腕が伸びてきた。そして薛雄の首に絡みついてきた。

「遅いんだよ、動きがよ。兄貴ならもっと速いぜ」

 いつの間にか穆春が薛雄の背後にいた。穆春が逆手に握った短刀が、薛雄の首を狙う。

「あ、兄貴って」

 その答えを知ることなく薛雄は絶命した。

 鄧飛(とうひ)鉄鏈(てつれん)を振り回し、遼兵たちを薙ぎ倒している。

「行け」

 できた道を董平と朱仝(しゅどう)が駆け抜ける。

 鄧飛に刀が襲いかかる。間一髪でかわす鄧飛。

 女土蝠(じょどふく)愈得成(ゆとくせい)がゆらゆらと刀を揺らしていた。

「邪魔なんだよ」

 気付くと愈得成の腕に、鉄蓮が絡みついていた。

 いつの間に。

 振りほどこうとするが、固く絡みついてしまっていた。

 鄧飛が鎖を引っ張ると、愈得成がつんめるように地面に転がされた。そこへ梁山泊兵が殺到し、愈得成は切り刻まれてしまった。

 董平の前に斗木獬(とぼくかい)蕭大観(しょうたいかん)が立ちはだかる。だが朱仝がそれを押さえ、董平を先に行かせる。朱仝と蕭大観の刀が火花を散らした。

 董平が北陣の大将、玄武水星の曲利出清と対峙した。

「かかってこい。王文斌(おうぶんひん)どのの(かたき)だ」

「ふん、貴様こそ奴の元へ送ってやるわ。我らに歯向ったことを後悔させてやる」

「後悔するのは、そっちだ」

「ほざけ」

 怒りを(たぎ)らせ、曲利出清が馬を飛ばす。董平もそれを迎え討つ。

 馬を止め、打ち合いとなる。力任せに両刃刀を繰り出す曲利出清だったが、董平の舞うような二本の槍の前に、次第に汗をかきはじめる。

 梁山泊がこれほどとは。

 そう思った時、馬の下方から槍の影が迫った。曲利出清は咄嗟に両刃刀で防いだ。

 しかし董平のもう一槍が迫っていた。槍が曲利出清の体に深々と突き刺さる。曲利出清は白目を剥き、大量の血を吐きだした。そしてそのままずるりと鞍から落ちた。

 大将が敗れた。

 北方玄武陣の兵たちが次々に武器を捨て、両手を上げだした。

 蕭大観は唸った。朱仝の刀で、腕を傷つけられ、すでに得物を落としていたのだ。

「殺せ。投降などせぬぞ」

「その覚悟、見事」

 素早く朱仝が動いた。

 朱仝は刀の(つか)を蕭大観の延髄に当てた。うぐと呻き、蕭大観が気を失った。

「優しすぎるぜ、あんたはよ」

 鎖を巻きつけながら、鄧飛が笑った。

 にこりと朱仝が微笑み、自慢の(ひげ)をなでた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ