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布陣 三

 本隊が来る前に、梁山泊(りょうざんぱく)など蹴散らしてくれよう。

 そう息巻いていた遼軍だったが、いまは水を打ったように静まり返っていた。

 大将の一人である瓊妖納延(けいようのうえん)が、地に倒れ伏していう。すでに息絶えていた。

 九紋竜(くもんりゅう)史進(ししん)が、三尖両刃刀の血をふるい落とし、悠々と自陣へと戻ってゆく。

「おのれ賊将め」

 顔を真っ赤にした寇鎮遠(こうちんえん)が飛び出した。

 史進と入れ違うように馬を駆るのは、病尉遅(びょううつち)孫立(そんりつ)である。竹節虎眼鞭を右手に、颯爽と寇鎮遠に迫る。

 二騎が交差した。激しい音が響き渡った。

 両者が馬首を返し、再び向き合う。今度は馬を止め、打ち合いになる。

 孫立の鞭が振るわれるたび、寇鎮遠の顔に苦悶が滲みだす。

 堪らずとばかり、寇鎮遠が離れた。そのまま自陣へと逃げだした。

 逃がさじと、孫立がそれを追った。しかし距離が空いてしまった。孫立は鞭を了事環にかけ、弓矢を手にした。

 遠ざかる寇鎮遠の背を目がけ、矢を放った。矢は一直線に飛ぶ。

 だが達する寸前、寇鎮遠が体を捻り、何と矢を掴みとってしまったのだ。

 これには孫立も瞠目した。

 寇鎮遠の妙技に、遼軍が湧きあがった。それに後押しされ、寇鎮遠も意気が()がる。

 鞍から弓を外し、孫立の放った矢をつがえた。

「お返しだ」

 体を捻り、矢を放つ。ひょうと風を切る音が鳴る。

 孫立の体が吹っ飛ぶように後ろに倒れた。

 梁山泊陣営からは悲鳴が、遼の陣からは歓声が上がった。

 仕留めたか。寇鎮遠が馬を返す。

 上体をのけぞらせたままの孫立を乗せ、馬が走っている。足が辛うじて鐙に引っ掛かっており、そのために落ちなかったようだ。

 とどめを刺してくれる。

 槍を手に寇鎮遠が駆けた。

 孫立は倒れたままぴくりとも動かない。

 槍の届く間合いで、突然孫立が上体を起こした。

 死んだ振りか。

 驚く寇鎮遠だったが、すでに攻撃態勢に入っている。そのままの勢いで槍を突きこんだ。唸りを上げ、孫立を襲う槍。

 喰らえ。寇鎮遠がにやりとした。

 槍先が孫立の(よろい)に触れた。

 刹那、孫立が体を半身に捻った。

 槍が突き立てる場所を失った。槍は(かす)かに鎧を傷つけただけだった。

 寇鎮遠が前につんのめる。

 孫立の手に、鞭が握られていた。

 がら空きになった寇鎮遠の頭に、それが振り下ろされた。

 (うり)が割れるように、兜ごと寇鎮遠の頭が削ぎ落された。

 遼軍の歓声が、瞬く間に悲鳴に変わった。


 敗走する遼軍を追った梁山泊だったが、一旦引き返さざるを得なかった。

 遼の本隊が近くに迫っていたのだ。

 山上から見ると、見渡す限り兵で埋め尽くされており、地を揺るがすほどの進軍だ。兀顔光(こつがんこう)率いる、二十万の軍勢である。

 冷や汗を流す宋江(そうこう)

「実際目にすると、これほどとは」

「かつて謝玄(しゃげん)は五万の兵で、百万の敵を討ち破りました。勝敗の(つね)は兵力で決まるものではありません」

 呉用(ごよう)の言葉に、宋江もやや落ち着きを取り戻す。いまさら慌てても仕方がない。自軍を信じ、全力を尽くすのみだ。

 陣営の周囲に鹿角(さかもぎ)を植え、塹壕を掘り、守りを固める。

 朱武(しゅぶ)の指揮で九宮八卦のの陣を敷く。

 秦明(しんめい)関勝(かんしょう)林冲(りんちゅう)らを前方に配し、後陣に昨夜合流した盧俊義(ろしゅんぎ)を置く。そして宋江は中軍である。

 地響きとともに遼軍が姿を現す。梁山泊など歯牙にもかけぬような、泰然とした進軍だった。

 雲梯(うんてい)の上で朱武が冷や汗を流す。

 敵軍はすでに陣を組みながら進んできていた。兀顔延寿(こつがんえんじゅ)が用いたものより遥かに巨大で、高度な陣形であった。

 牢の中で兀顔延寿は隠そうともせず、誇らしげに言っていた。燕京の精兵を率いる統軍が、父である兀顔光(こつがんこう)だと。兀顔延寿の陣の知識は父譲りという事か。そしてその父、兀顔光という男の底知れなさを、目の前にした陣で実感していた。

 宋江の呼びかけで、朱武は我に返った。

「朱武よ、相手の陣が分かるか」

「はい。太乙混天象(たいいつこんてんしょう)の陣、でしょう」

 推測のような言い方になってしまったが、間違いはない。ただ圧倒的な巨大さに、気圧(けお)されてしまったのだ。

 敵の陣形は分かった。だが。だがしかし、どう戦う。

 朱武は眼前に迫る、さながら生き物のように(うごめ)く陣を睨みつけた。

 東西南北に四つの陣を配する。軍装が方位で揃えられており北は黒、東は青、南が赤で西が白である。その四つの陣に二十八宿将が、それぞれ七宿配置されている。さらに前方には日月の陣が左右に置かれていた。

 東西南北の陣の間にも四つの陣があった。羅睺、紫炁、計都、月孛の凶星が四方に陣取っている。

 そして中央には兀顔光が守護する黄色の軍装。そこに屈強な兵に守られ、王がいた。竜車に乗り、どうだと言わんばかりの表情で梁山泊軍を見据えている。

 後陣の盧俊義の元へ、燕青が駆けこんできた。燕青の報告を聞き、盧俊義の目の色が変わった。

「なんだと。本当なのか」

「はい。間違いありません」

 遼の王の隣、右丞相の位置にいる男。それが褚堅(ちょけん)だというのだ。

 檀州で、銭の流れを任せていた男。それが露見して消されたと思っていた。違った。

 あの時感じた違和感。綺麗すぎたのだ。これで繋がった。

 消されたのではない、自分から消えたのだ。

「なるほどな」

 盧俊義は心中に怒りの炎がふつふつと燃え上がるのを感じた。

 

 兀顔光が、西陣の烏利可安(うりかあん)に指示を飛ばす。

「今日は(きん)の日だ。お主が攻めよ」

 五行で西は金に当たる。号令と共に陣が動きだした。東陣が北の位置に動き、さらに西へ。ついには南の位置に陣が動いた。必然、他の陣も同様に位置を変えている。

 指名された烏利可安の西陣が北に、すなわち前方に来た。

 天盤左旋(てんばんさせん)の象だ。

 陣が開き、烏利可安と配下の宿将のうち、金を司る四将が飛び出した。

 亢金竜(こうきんりゅう)張起(ちょうき)牛金牛(ぎゅうきんぎゅう)薛雄(せつゆう)婁金狗(ろうきんく)阿里義(ありぎ)鬼金羊(ききんよう)王景(おうけい)である。

 朱武の指示が遅れた。梁山泊軍は乱れた。

 辛うじて反撃をするものの、少なからぬ被害を受けた。

 後方でそれを見ていた盧俊義が援護に駆けた。李逵(りき)樊瑞(はんずい)ら歩兵を伴っている。

 朱武がすぐに応じ、花栄(かえい)呼延灼(こえんしゃく)を日月の隊にぶつけた。さらに林冲(りんちゅう)秦明(しんめい)徐寧(じょねい)らが加勢し、耶律得重(やりつとくじゅう)答里孛(とうりはい)を押さえる。

 その間を盧俊義たちが駆け抜け、王のいる中軍目指して突っ込んだ。

 本隊にぶつかってくるとはいささか驚いた兀顔光だったが、そこは冷静だった。数でも圧倒的に有利である。

 号砲が轟き、陣形が動き始めた。

 李逵はしゃにむに二丁の斧を振りまわす。その度に遼兵が頭を割られ、腕を斬り落とされ、胴を真っ二つにされてゆく。鮑旭(ほうきょく)も恍惚の表情で刀を血に染めてゆく。鬼神の如き二人に、勇猛な遼兵もたじろぎだした。

 盧俊義は好機と見た。狙うは遼の王。そして、何よりも横に侍る褚堅である。

 盧俊義の視線が彼方に見え隠れする褚堅を捕らえた。絶対に許さぬ。

 その褚堅の背に悪寒が走った。見ると遠くで盧俊義が暴れている。だが到底ここまで来られはしないと思えた。

 落ち着いた風を装い、王に囁く。

「ご安心ください。我らの勝利は揺るぎありません」

 その言葉通り、盧俊義たちの退路が塞がれつつあった。

 盧俊義に襲いかかった遼兵の額に飛刀と標鎗が突き立つ。

「盧俊義どの、ここは退くべきです」

 樊瑞が叫ぶ。項充(こうじゅう)李袞(りこん)は団牌兵を指揮し、道を確保する。

 もう一度、褚堅を見る。

 見下したような顔が見えた。

 頭に血が上るが、樊瑞の再三の叫びに何とか自制した。

 突如、遼の陣内に炎が巻き起こった。驚きと、その熱さに遼兵が離れてゆく。

 樊瑞の幻術である炎の道の中を、盧俊義たちが退却してゆく。

 李袞が叫んだ。

「おい、李逵が」

 李逵が撓鈎(どうこう)に絡め取られるのが見えた。

 戻ろうとする李袞を、項充が必死に止める。

「駄目だ。お前まで捕まっちまう」

「ちくしょう」

 李逵は、何人かの首を飛ばした後、縄で縛りあげられた。

 梁山泊本隊から退却の(かね)が鳴った。

 李袞は後ろ髪を引かれる思いで、何度か振り返った。

 やがて李逵の姿は見えなくなってしまった。

 

 悲嘆に暮れる梁山泊軍。

 項垂(うなだ)れる朱武の元に、史進が現れた。

 史進は何も言わず、朱武の横っ面を殴った。

 朱武が吹っ飛び、地面を転がる。口の中が切れた。血の味がする。

 何をする、と言いかけたが、その前に史進が吼えた。

「情けない顔してるんじゃねぇぞ、朱武。神機軍師(しんきぐんし)って渾名は飾りかよ。俺は、もっと凄いと思ってたんだぜ、あんたの事を」

 射竦めるような視線が、痛かった。

 だが怒っているのではない。それだけは分かった。

「兵法、陣形に関しては誰にも負けないんだろ。少華山(しょうかざん)の連中を見てみろ。海千山千の梁山泊の中でも、奴らが活躍してるじゃねぇか。それも朱武、あんたが鍛え上げたおかげなんだ」

 史進が手を伸ばした。

 朱武はそれを取り、立ち上がった。

「相手も陣形に関しては相当らしいが、だからどうした。数で勝ってるだけじゃねぇか。俺の知ってる朱武は、そんな状況をいくつも覆してきたぜ」

 にいっと笑い、史進が部屋を出てゆく。

 ふいに史進の姿が歪んだ。涙が頬を流れていた。

 同じく項垂れていた宋江は鬱々と朝を迎えようとしていた。だが、もたらされた報告に破顔した。

「遅くなりました、宋江どの。侯健(こうけん)が文句を言いながらも、間に合わせてくれましたよ」

 戴宗(たいそう)が微笑みながら、そう言った。

 梁山泊からの援軍が、到着したのだ。

 宋江は胸を高鳴らせた。

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