異心 四
獣道しかないような山中を、解珍と解宝が歩いている。
時おり何かが吠えるような声が聞こえる。狼だろうか。
空は暗く、すっかり日が落ちてしまった。
前を行く解珍が止まった。闇の中で目を凝らし、土や木の枝の様子を調べはじめた。
そして解宝を見るでもなく、また進みだす。
解宝は黙って兄についてゆく。兄を信じているのだ。獣の追跡において兄の右に出る者を、解宝は知らない。
しかし今追っているのは獲物ではなかった。
賀重宝との戦の最中、忽然と姿を消した盧俊義たちを行方を追っているのだ。
時遷、段景住も捜索にそれぞれ当たっている。
解兄弟は山に手掛かりを求めたという訳だ。
「宝、あれを」
静かに解珍が言った。解宝が見ると、向こうの峰にほんのり灯りがあるようだ。
だが盧俊義たちではない。灯りが小さい。
誰か住んでいるようだ。もし人がいれば、何か見たかもしれない。ふたりは山を越え、そこへ向かった。
山中の開けた場所に、三棟ほどの草ぶきの家が建っていた。灯火はその一つから漏れていた。
「夜分すみません」
解珍が戸を叩き、呼びかける。
中から老婆が顔を出した。
「なんだい、倅が帰って来たと思ったらお客さんだったかい。こんなところに珍しい事もあったものだねぇ。あんたら、猟師のようだね」
「はい。俺たちは山東から来たのですが、大きな戦に巻き込まれちまいましてね。元手をすって、獲物を取りながらやり繰りしてたんですが、なんせ慣れない土地で。ついに迷ってしまいこの有り様という訳なんで」
「そいつは難儀だったね。近ごろ物騒だからねぇ。分かったよ二人ともお入んなさい。飯の支度をしてあげるから」
「そいつは助かります」
老婆はすぐに飯の準備を始めた。とりとめのない話をしながら、解珍と解宝は何となく母親を思い出した。二人がまだ小さい頃の記憶しかないが、生きていたら同じくらいだろうか。
「おっかあ、帰ったよ」
飯の炊ける良い匂いがしてきた頃、外で声がした。
入ってきたのは二人、解珍たちと同じように兄弟だった。
おや、という顔をする兄弟に、老婆が話してくれた。すると兄弟は警戒を解き、笑顔になった。兄が劉二、弟が劉三といった。
劉二が背負っていた大きな獐をおろし、
「ちょうど良い、こいつを肴にしよう」
と裏へ運んで行った。
解宝が感嘆した。
「あの獐、大物じゃないか。よく仕留めたな」
本心である。
劉三は満更でもない顔で、鼻の舌を擦った。
五人で飯を食べ、獐の鍋で酒を飲んだ。猟の話題になり、兄弟と盛り上がる。
母親は早々に床についたので、場所を劉二の家に変え、飲み直すことになった。
「すまないな、おっかあに心配かけないよう気を遣ってくれて」
「何の事だ。気など」
劉二が笑みを浮かべる。
「本当のことを言ってくれていいんだぜ。どうやら猟師というのは本当のようだけどな」
解珍と解宝は顔を見合わせた。
そして笑い、兄弟に頭を下げた。
「すでに劉のご兄弟には見抜かれていたようだ。大変失礼をいたした」
「頭を上げてください。お二人は一体」
「隠し事はしますまい。俺は梁山泊の解珍。こっちが弟の宝です」
解宝が少し頭を下げる。
「なるほど、梁山泊のお方でしたか。頭領の宋江どのは天に替わって道を行い、良民には決して危害を加えないと、この遼の地にまで聞こえてきております」
「はい。俺たちが手にかけるのは、民を虐げる非道な役人どもや、世に蔓延る悪人どもだけです」
「わかりました。しかし梁山泊がどうしてここまで」
遼の地に至った経緯、そして盧俊義たちを探していることをを聞き、劉二が教えてくれた。
この辺りに青石峪と呼ばれる地がある。
周囲を高い山に囲まれた地で、通じる道はひとつだけ。もし塞がれてしまえば、出る事は難しい。盧俊義たちはそこに陥れられたのではないかという。
また、青石峪の入り口には大きな柏があり、それが目印だという。
「ありがとう、礼を言う。しかし、あんたたちはどうしてこんな山奥に住んでいるんだい」
素直な疑問を、解宝が投げかけた。
劉二と劉三は怒りの表情を浮かべ、答えた。
「あいつらのせいさ。近ごろ、燕京を奪っちまった、あいつらのな」
劉二たちは、もともと幽州の近辺に住んでいたという。父も一緒だった。
だが燕京が何者かに奪われた。そしてその者が国王を名乗った。幽州、覇州もその国王の軍隊が押し寄せ、周辺の民が巻き込まれた。
そこで父は死んだ。劉三が拳を床に叩きつけた。
罪もない、避難する人々が襲われた。その中で父は、母や劉二たちを逃がすため、犠牲となった。
その兵を率いていた将は、賀の旗を掲げていたという。
解珍と解宝が、思わず立ち上がりそうになる。
「そいつは賀重宝に違いない。必ず野郎を仕留めてみせよう。お前たちの父の仇討ちだ」
「本当か。なんだか梁山泊に何とかしてほしいと言っちまったみたいで」
「そんな事はないさ。俺たちは、受けた恩義は必ず返すんだぜ」
四人が杯を合わせた。
翌朝、劉兄弟と母親に別れを告げ、解珍らは陣へと戻った。
宋江に青石峪の件を報告している所へ、段景住が飛び込んできた。
共にいたのは、何と満身創痍の白勝だった。盧俊義とともに行方不明となっていたのだ。
段景住が谷川を捜索をしていると、斜面から袋が転がり落ちてきた。驚きながらも中を確かめると、そこには毛氈に包まれた白勝が入っていたのだ。
気がつくと閉じ込められていたが、盧俊義や頭領たち、他の兵たちは無事だという。
救出を待っていたが兵糧も乏しいため、白勝は自ら崖をよじ登り、転がり出てきたという訳だ。
宋江はやや安堵した。
呉用が地図を見つめて言う。
「白勝が見つかった場所から推測すると、やはりそこが青石峪のようですね」
「よし、すぐ救出に向かうのだ」
解珍、解宝を先頭に、梁山泊軍が進発する。
「さて恩返しといくか、宝」
「望むところだ、兄貴」
ふたりは昨夜の蕩けるような、獐の味を思い出していた。
もう少しのところで術を破られた。
あれが梁山泊の道士、公孫勝か。九宮県二仙山に住む羅真人。術の道に入ったものならば、聞かぬ者はない名だ。その弟子か。
賀重宝は唇を噛んだ。
術は破られはしたが目的は果たした。
次、会う時は充分対策をすればいい話だ。
配下が慌てて報告に来た。梁山泊が青石峪に向かっているという。
なぜ青石峪の事が露見したのか。いや、どうせ当てずっぽうだろう。
「飛んで火にいる、だ。返り討ちにしてくれるわ」
賀重宝は弟二人を呼び、燕京へ使者を走らせた。
すでに梁山泊軍が、谷の入り口である二本の大柏へと殺到していた。
「くそう、どうしてばれたのだ」
「考えても仕方あるまい、雲。どのみち殺し尽すのみだ」
賀拆と賀雲が競うように襲いかかる。
賀拆に向かって林冲が一騎で駆けてきた。
喰らえっ、と賀拆が槍を繰り出す。
林冲は馬を止める事なく、それを受け流した。すぐに反転し、蛇矛を突き込む。
何とか防いだ賀拆の眼前に、次の一撃が迫っていた。
それに反応することができず、賀拆は蛇矛に貫かれた。
「兄上」
吼える賀雲が林冲に馬を向ける。だが林冲は一瞥すらせずに、宋江の部隊へ合流してしまった。
「待て、許さんぞ」
叫んだ賀雲だったが、突如地に投げ出された。
何とか頭をかばうように転がり、状況を把握する。
乗馬の前脚が斬られていた。
「へへ、お前はおいらの獲物だぜ」
二丁の斧を手にした李逵が、賀雲の横に立っていた。斧からは血が滴っている。
この男か、と思った時にはすでに賀雲の首が飛んでいた。
梁山泊の歩兵が谷を塞ぐ大石に群がり、懸命に動かしてゆく。
弟二人を討ち取られた賀重宝は髪を逆立てた。
「貴様ら、絶対に生きて返さんぞ」
狂風が巻き起こり、黒雲があたりを覆い始めた。遼兵が怒涛の如く押し寄せる。
しかしその黒雲を穿つように一条の光が射した。
梁山泊の陣で公孫勝が宝剣を天に向け、文言を唱えていた。
公孫勝の視線が樊瑞を捕らえた。こくりと頷き、樊瑞も剣を掲げる。
樊瑞が一喝すると、遼軍が業火に包まれた。
悲鳴を上げ、逃げ惑う遼の兵たち。
賀重宝は目を見張った。公孫勝だけではなかったのか。
「怖れるな、まやかしだ」
叫ぶ賀重宝だったが、兵たちには届かない。幻と言われても熱さを感じるのだ。
そこへ李逵率いる歩兵が突っ込んでゆく。項充、李袞が武器を飛ばし、李逵が斧で斬りまくる。たちまち阿鼻叫喚の場と化す。
黒雲は、公孫勝の術によりほぼ消え去った。
「退けい、退けい」
賀重宝は残った兵をまとめ、撤退した。
戦場には累々と遼兵の骸が残されていた。
ようやく歩兵たちが石をすべて取り除き、宋江、白勝が駆けこむ。
盧俊義が笑みを浮かべた。
やや憔悴しているようだが、命に別状はないようだ。
「白勝、良くやってくれた。信じていたぞ」
「盧俊義の旦那」
鼻をすする白勝。
「申し開きのしようもない、宋江どの。わしが強行を主張したばかりに、皆を危険にさらしてしまった」
「いえ、私もそれを認めたのですから。とにかく無事だったのですから、それ以上何も言いますまい」
「かたじけない」
「ひとまず薊州で休養を取ってください。燕京を攻めるには、あなたの力が不可欠なのです、盧俊義どの」
頭を下げる盧俊義に、竹筒が差し出された。
燕青が微笑みを浮かべていた。
「ゆっくりと飲んでください。焦ると喉を痛めます」
「心配かけたな、小乙」
「いえ、心配など。旦那さまを信じておりますから」
盧俊義が大笑した。燕青も随分と言うようになったものだ。
水が喉を潤す。
美味い。
なぜか目の端に、涙が浮かんでいた。
「また公孫勝か」
賀重宝が苛立ちを抑えきれずに、杯を投げ捨てた。
弟を亡くし、おめおめと逃げ帰ったのだ。酒も喉を通らぬ。
さらに悪い報せが重なる。梁山泊軍が幽州に向かっているのと。
すでに一万近い軍が迫っているのだという。
「何をしている。とっとと守備につかんか」
うろたえるばかりの配下を怒鳴り飛ばし、自らが城壁に上がる。
「おい、門を開けろ」
「は、いま何と」
「門を開けろと言ったのだ。耳はついているのか」
「し、しかし、副統軍さま」
「目はついているのか。あれは味方の旗だ、馬鹿者が」
はい、と配下が飛ぶように駆けて行った。
使えぬ者ばかりだ。吐き捨てるように賀重宝が言った。
紅旗の軍は国王の女婿である駙馬、太真胥慶のものだ。
青旗の軍が天子警護たる金吾職の李集である。ともに雄州を守護していた。
「国王さまの命により加勢に参った」
「これは太真駙馬さま、李金吾さま。わざわざご足労いただき、誠に感謝しております。申し訳ありません、突然のお出ましのため、何の用意もできておりませんが」
「そんなものは良い。お主、大口を叩いた割に戦果は出ていないとか」
李集が睨む。
賀重宝は内心で舌打ちしながらも、強張った笑顔を作る。
「あと一歩のところだったのです。梁山泊にも術を使う者がいて」
「言い訳は良い。まあ、わしらが来たのだ。国王さまに朗報を持って帰らねばな」
一方の太真胥慶は柔和な笑みを浮かべている。
太真胥慶と李集は、幽州の背後で伏兵となる。梁山泊が攻めてきたら、左右から襲いかかるという策だ。
これで梁山泊は終わりだ。こちらが増援した事など知る由もないだろう。
先ほどとは打って変わった態度で、床几に腰を下ろす。
「酒をもって来い」
賀重宝は配下から酒瓶を奪うと、ぐびぐびと流しこんだ。
酒臭い息を吐き、邪悪そうな笑みを浮かべた。
「このまま幽州を攻めるべきです」
呉用がきっぱりと言った。
幽州を攻め取る。宋江もそう決断をした。
朱武が各隊の配置を決め、幽州に向かって進軍する。
城門が開き、賀重宝が軍を率いて出てきた。
宋江が馬を進め、呼びかける。
「おとなしく降伏すれば命までは取らない。どうする、賀重宝」
「ふざけるな。弟たちの命は貴様らの血をもって償ってもらう」
進め、と賀重宝が剣を振る。
林冲、花栄が率いる騎兵隊が真っ向からぶつかった。騎兵の後から、李逵らの歩兵もぶつかり合う。
林冲の馬が賀重宝に迫る。蛇矛が賀重宝を襲うが、わずかに届かない。
賀重宝が背の剣に手をかけた。
妖術だ。
林冲が馬を寄せ、呪言を唱えさせまいとする。
しかし賀重宝は馬首を返し、幽州城へと駆け戻ろうとする。
賀重宝の合図で軍鼓が鳴らされた。
にわかに城の周囲から地響きが起こった。左右の山から土煙と共に、伏兵が姿を見せたのだ。
耳元まで裂けるのではないかというほどに、賀重宝が笑った。
「かかりおったな。愚か者どもめ」
すぐに馬首を返し、宋江めがけて駆けた。
だが宋江は焦らずに賀重宝を見据えていた。横に控える呉用も同じだった。
「思った通りです」
「うむ。さすがだな、呉用」
呉用はそれに答えずに、やや目を細めた。
左右で激しい衝撃音が起こった。
梁山泊を挟撃するはずの太真胥慶と李集が、梁山泊軍に止められていた。
「何だと、奴ら」
呉用は見抜いていた。
賀重宝が籠城するならば、敵にもはや策は無い。だが攻めてくるようであれば、必ずや伏兵を潜ませていると。
まさに予想通りであった。
太真胥慶には関勝が、そして李集には呼延灼が当たっている。
「進め、賀重宝を討つのだ」
宋江の号令で中軍が突撃を始めた。
賀重宝は算を乱した。将が乱れれば兵も乱れる。
梁山泊軍の攻撃に、幽州軍はほぼ壊滅の憂き目にあった。
旗色悪しと見た太真胥慶、李集は鉦と共に逃げ去ってしまった。
幽州の門前に梁山泊軍が立ちふさがっている。
残った兵と退路を求め、賀重宝が駆ける。しかし梁山泊の歩兵軍に囲まれてしまった。
「覚悟してもらうぞ」
楊雄と石秀が雄叫びをあげる。
遼兵が次々と斬り伏せられ、賀重宝も馬から引きずり降ろされた。
「ま、待て。降伏する。幽州は空け渡すから、い、命だけは」
「反吐が出るな」
「ぐっ」
杈で首を押さえつけた解宝が、唾を吐き捨てた。
解珍が刀を抜いた。
「同じように命乞いする民を、貴様はどうしたのだ。劉二と劉三の父親のような民を、どうしたのだ」
杈から逃れようとする賀重宝だが、それはできない。目に血の筋が浮かぶほど、解珍を睨みつける。
解珍の刀が、深々と賀重宝の胸に突き刺さった。
幽州の城壁に梁山泊の旗が掲げられているのを、賀重宝は今際の際に見た。




