表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/311

異心 三

「そら見た事か。だからわしは反対だったのだ」

 燕京にその声が響いた。

 声の主は、統軍の兀顔光(こつがんこう)であった。

 恵まれた体格である事が、(よろい)の上からでも伺える。歴戦を経てきた鋭い眼光で、褚堅(ちょけん)を睨みつけた。

 だが褚堅も()じることなく、堂々としたものだった。

「仕方ありません。ですが偽りとはいえ、宋江がこちらの招安を受けたことは大きな成果です。盧俊義の性格からすると、たとえ策だとしても、許せるものではないでしょう。心の奥にわだかまりを残しているはず。必ずそれが綻びとなり、梁山泊に亀裂が入る事でしょう」

 兀顔光は、ふんと鼻を鳴らし、国王の前に進み出る。

「どうか出陣の許可をいただきたい。姑息な手ではなく、正々堂々と奴らを蹴散らしてご覧にいれます」

「お待ちください。鶏を殺すのに牛刀は用いないと申します。兀顔統軍どのが出張(でば)るまでもございません。まずはこの私にお任せいただけないでしょうか」

 兀顔光の背後から声がした。

 幽鬼のような青白い顔をした男であった。

 男の名は賀重宝(かちょうほう)。副統軍であり、幽州(ゆうしゅう)の守備を任されてもいた。賀重宝が得意とするのは三尖両刃刀。だがそれでだけではなく、妖術まで使うのだ。

 兀顔光は、この男をあまり好きではなかった。純粋な武人たる矜持もあったのだろうか。

 また兀顔光は、褚堅も信用してはいなかった。燕京で挙兵できるほどの莫大な資金をもたらしたとはいえ、元は盧俊義の手駒だったのだ。

 なぜ裏切ったのかは知る由もないが、いまだ盧俊義とつながっているのではないのか。兀顔光はそう考えている。

 一度裏切ったものは、また寝返るものだ。密かに監視をさせている。幸い、いまはその様子はないようだが。

 結局、国王は賀重宝を指名した。

 不気味な笑みを浮かべ、兀顔光に視線を送る。

「お主が敗れた時は、わしが出る。もっともその時には、文句を言う首もない訳だがな」

「珍しく冗談を言うのですね。宋江の首を土産に戻るので、楽しみにしていてください」

 賀重宝は再び笑みを浮かべ、場を辞した。

 兀顔光は大股で王の間から出てゆくと、すぐに軍営に向かった。

 兀顔光が姿を見せると、兵たちが整列した。兀顔光は、楽にしろという手振りをする。

「父上、いかがでしたか」

 息子の兀顔延寿(えんじゅ)である。

「褚堅め、のらりくらりと責任逃れをしおったわ。次は賀重宝が討って出る。延寿、お前は不測の事態に備えておけ」

「私を出してくれるのですね」

「その時にならねば分からん」

「ご期待に添えるよう、頑張ります」

 兀顔光が調練を見回る。どの兵も面構えが違う。兀顔光自らが鍛えた自慢の者たちだ。

 いま兀顔光が仕える燕京の国王は、(そう)(きん)に対して軟弱な姿勢しか示さない上京臨潢府(じょうけいりんこうふ)に対し反旗を翻した。

 契丹(きったん)人のための強い大遼国を取り戻すという理想に、兀顔光も賛同した。臨潢府に渡るはずの宋朝からの貢物を奪い、また褚堅からの梁山泊の資金の横流しで軍備を整え、燕京を奪った。

 そして檀州(たんしゅう)薊州(けいしゅう)と支配下に納めた。これからだった。

 ここから北の臨潢府を奪うため、兵を鍛え上げたのだ。

 それを梁山泊に邪魔されてなるものか。

 他人の国の事に横槍を入れず、とっとと宋へ戻っていればよいものを。

「馬を持て」

 胸のすくまで、草原を駆け廻りたかった。


 賀重宝は覇州と薊州に兵を進軍させた。

 覇州を攻めるのは賀拆(かたく)、薊州は賀雲(かうん)。ともに賀重宝の弟で一万ずつを率いている。

 報告を受け、宋江軍と盧俊義軍が進発した。

 それぞれがほどなくして遼軍とぶつかった。そして賀拆も賀雲も、少し戦っただけで退却してしまった。

 両州の(あいだ)辺りに陣を敷き、軍議を開いた。

 盧俊義は、追撃してそのまま幽州を攻めよという意見だ。

「これだけで退却するとは、おそらく罠でしょう。我らを誘い込もうとしているのです」

 呉用は静かにそう言った。朱武(しゅぶ)も同意見だった。

 あくまでも盧俊義は追撃を主張する。

「宋江どのは、どう思う」

 ややうつむき、宋江は眉間に皺を深く刻む。

「二人の言う通り、誘っていることも考えられる。しかし覇州を取られ、向こうも焦ってはいるはずだ」

 呉用と朱武は仕方なく妥協案を探った。

 遼軍を追撃する。ただし深追いはしない。危険だと察したならばすぐに引き上げること。

 盧俊義は燕青(えんせい)を呼び、さっそく出陣の準備に向かう。

「これは罠です。宋江どのも分かっていると思いましたが」

 呉用が再度告げる。

 宋江は振り返ったが、何も言わず出て行った。

 盧俊義が()いているように思えた。この戦が、自分が発端になっている事が関係しているのだろうか。

 だが宋江も、攻めるならば今だという思いがあった。機を逃してはならぬと踏んだのだ。

 梁山泊は軍を大小三軍に分け、進んだ。

 斥候から報告が届く。前方に敵軍が待ち構えていた。呉用の視線を感じた。しかし撃破すれば問題ではない。

 前軍にまで進み、敵を見やる。後方に丘を背負い、黒い旗を押し立てている。さながら黒雲のようだ。

 梁山泊軍の到着を見て、敵が動きだした。黒雲の中から湧き出るように、一人の将が進み出た。

 旗には大遼国副統軍、賀重宝の文字。三尖両刃刀を手にした、どこか目の鋭い男だった。

 副統軍が出張ってくるとは。だがそれは敵に余裕がないという証でもある。

 命令を出す前に関勝(かんしょう)が前に出た。

 宋江と盧俊義を向き、在るか無きかの微笑をたたえると赤兎馬(せきとば)を疾走させた。

 賀重宝と関勝が激突する。

 賀重宝が三尖両刃刀を閃かせ、関勝の青竜偃月刀が唸りを上げる。

 打ち合いはすでに三十合。

 賀重宝の動きに疲れが見え始めた。一方、関勝の技は衰えることを知らぬ勢いだ。

 堪らず、賀重宝が離れて逃げだした。

 それを機として、両軍が乱戦を始めた。

 遼軍が賀重宝を守るように、丘に沿って駆ける。関勝は、追いついた宋江と共にそれを追う。

 突如、軍鼓が鳴り響き、丘の向こうから伏兵が現れた。

「宋江どの、盧俊義どのと合流を」

 襲いくる遼兵を斬り伏せながら、関勝が血路を開く。

 だがそこへ賀重宝が軍を戻してきた。さらに伏兵の突撃で、後方と分断されてしまった。

 呂方(りょほう)郭盛(かくせい)が必死に宋江を守る。

「くそっ、ふざけやがって」

「おい、あれはなんだ、郭盛」

 宋江と郭盛が見ると、中空の一点に黒雲が出現していた。見る間に黒雲は大きくなり、梁山泊軍めがけて勢い良く落ちてきた。

 何も見えない。

 あの黒雲は何なのだ。

 暗闇の中、なんとか進む梁山泊軍。

「宋江どの、ご無事ですか」

公孫勝(こうそんしょう)か。この闇は一体」

「おそらく妖術。あの賀重宝という男の仕業のようです。しばしお待ちを」

 公孫勝が背の宝剣を抜いた。

 そして(まじな)いを唱え、見えない天に向かって一喝した。

 闇に穴が開いたように、ひと筋の光が指した。

 そしてその穴が広がり、闇が四散した。

退()くぞ」

 宋江軍は包囲を抜け、窮地を脱した。

 賀重宝はそれ以上、追ってはこなかった。

 山裾に陣を敷いた。

 人員を点検し、宋江は悲痛な面持ちになった。

 盧俊義はじめ十数名の頭領と、五千もの兵が忽然と姿を消していた。


 前軍が、突如不気味な黒い雲に覆われ始めた。盧俊義は駆けつけようとしたが伏兵に分断された。

 さらに黒雲は広がった。闇の中を、必死に突き進んだ。

 どれくらい駆けたのだろうか。

 黒雲が晴れたのもしばらく気がつかなかった。すでに夜だったのだ。

「盧俊義どの、ご無事ですか」

 白勝(はくしょう)である。火を灯して見ると、周囲が断崖に囲まれているようだ。

 人員を確認する。十数名の頭目と五千ほどの兵が、この地に閉じ込められてしまった。

「こいつは参りましたね。出口らしきところが、塞がれちまってます。どうやらまんまとここに追い込まれちまった、ってことですかね」

 鄒潤(すうじゅん)が頭の瘤を掻きながら報告した。余計なことを、と鄒淵(すうえん)が叱るが、その通りだった。

 やはり罠だったのだ。

 盧俊義は星の無い夜空を見上げ、ため息を漏らした。

 わしのせいだ。呉用と朱武の言葉を退け、ここにいる者たちを危難に陥れてしまった。

 目を瞑る盧俊義。憤然たる思いだったのかもしれない。

 敵の招安を受けるなど、たとえ嘘であっても許せなかった。友であった晁蓋(ちょうがい)が作り上げた梁山泊なのだ。

 宋江も良くやっているとは思う。だが宋江は国を倒すための戦をするのではなく、梁山泊を存続させる道を選んだ。

 分からなくはない。宋江も晁蓋を慕っており、梁山泊を失いたくないのだ。

 どちらが正しいのか、それは誰にも分かるまい。おそらくどちらも正しいのだ。

 それに史文恭(しぶんきょう)を討った自分が頭領になる道もあったのだ。だがそれをしなかった。ならば今さらどうこういっても仕方ない。

 盧俊義は首を振り、目を開けた。

 徐寧(じょねい)索超(さくちょう)らが兵の間に入り、元気づけているようだ。

 自分がこれでは示しがつかんな。

「心配するな。いまごろ宋江どのがわしらのことを必死に探してくれている。いま少しだけ辛抱してくれ」

 盧俊義の言葉に、兵たちは目を輝かせ強く頷いた。

 盧俊義どの、と白勝が囁いた。

「宋江どのを待つのもいいんですが、あっしにひとつ考えがあります」

「わかった。頼んだぞ」

「へ。どんな事か聞かないんですかい」

「お主のことを信用しているよ」

 白勝は何度も北京(ほくけい)大名府(たいめいふ)を訪れていた。

 晁蓋が使いに送るくらい信頼していた男なのだ。

 白勝は誇らしげに笑みを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ