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異心 一

 薊州(けいしゅう)を訪れる者がいた。

 燕京(えんけい)からの使者で、侍郎(じろう)を務める欧陽某(なにがし)という者だった。

 宋江(そうこう)は門を開け、欧陽侍郎(おうようじろう)を迎え入れた。

「いかなる用件で参られたのでしょうか」

「国王の言葉を預かってございます。申し訳ありませんが、人払いを」

 普段ならば、宋江は承諾することはない。梁山泊の誰もを信じているからだ。

 だが呉用(ごよう)は、応じろという目をした。

 呉用の意を汲み、奥の間へと会談の場を移した。

 居住まいを正し、欧陽侍郎が言った。

「あなた方梁山泊(りょうざんぱく)の噂は、国境を越えたこの大遼(りょう)国にまで届いております。天に替わって道を行い、苦しむ民のために戦っていると。そして(そう)との戦いに勝利し、招安を受けた後も、その想いを貫いている」

 宋江は黙って聞いている。

 しかし、と欧陽侍郎が身振りを大きくした。

蔡京(さいけい)をはじめとした奸臣どもは、相変わらず己の(ふところ)を温めることに邁進し、梁山泊を邪魔にさえ考えている事でしょう。今日、ここに勅書をお持ちいたしました。我が国王は梁山泊を、正当な待遇をもって迎えたいとお考えでございます。決して嘘偽りではございません。ぜひとも皆さまの、お力をお借りしたくお願いに参った次第でございます」

 そう言って、欧陽侍郎は恭しく勅書を取り出した。

 宋江は微笑んだが、それを固辞した。

「国王さまのお気持ちは充分伝わりました。ですが、私は梁山泊から遠く離れた地にいる身。頭領たちと相談せずに即断することはできません」

「では国王さまからの気持ちだけでもお受け取り下さい。大したものではございませんが、絹や(ぎょく)などを持ってきております」

 だが宋江はそれも固辞した。

 宋江の意志が固い事を悟り、欧陽侍郎は引き下がる事にした。

「また時機を見て参ります」

 そう言い残し、燕京へと戻った。

 宋江の胸が、早鐘のように鳴っていた。

「まさか招安を持ちかけてくるとは」

 あの時、呉用が話を聞くように促した。おそらく相手に魂胆があると見たのだろう。 それで宋江も和睦の提案か何かだろうと踏んでいたが。

「どうするのだ、呉用。曖昧な言葉で濁してはみたが、良かったのか」

「あの男の言葉は、核心をついております。帝は蔡京たちを罰することなく、いまだ目を覚まさぬままではないですか。遼の国王とやらに仕えた方が」

「それ以上は言うな。私は官位や財産が欲しいのではない。民が幸せに暮らせる世にしたいのだ。それに相手は本当の国王ではない。内乱を起こし、国を乱している元凶ではないか」

「申し訳ありません。ではやはりお気持ちは変わらないと」

 うむ、と宋江は強く頷いた。

 部屋の外から呼ぶ声がする。公孫勝(こうそんしょう)である。

「どうです、盧俊義(ろしゅんぎ)どのの容態は」

「はい。いまは薊州の医者に診てもらっております。傷は多いものの致命傷ではなく、命の心配はないとのことです。ですが」

 公孫勝は渋い表情になる。燕青(えんせい)が付きっきりで看病をしているが、まだ意識が戻らないという。

「やはり(あん)先生に診てもらった方が」

 という宋江に呉用が提案をした。

 羅真人(らしんじん)ならば、なにか良薬の(たぐい)を持っているのではないか、と。そもそも北に赴いたのは、羅真人に会う事が目的であったのだ。

「そうか。どうだ、公孫勝」

「弟子になった時分、薬の調合なども教わりました。おそらくあるかと」

「よし、ならば善は急げだ」

 宋江らは二仙山(にせんざん)へと向かう事になった。支度を整え、翌朝に薊州を()った。

 呂方(りょほう)郭盛(かくせい)を護衛に付け、それに花栄(かえい)という最低限の人数だ。

 九宮県(きゅうきゅうけん)に入り、さらに奥へと進む。

 峰が多くなり、山道へと続く。

 時おり猿の声が響く。生い茂る青松に潜んでいるのだろう。

「見ろよ宋江。まさに仙人が住んでそうなところだな」

「ああ、壮観だな」

 雲に隠れる頂上を見上げ、宋江が唾を飲んだ。

 紫虚観(しきょかん)に着いた。

 羅真人は奥の草庵にいるという。一行を待たせ、宋江と公孫勝のみで向かった。

 小柄な老人だった。

 戴宗(たいそう)の話から、もっと仙人然としていると思っていた。

「こんなみすぼらしい老人で、残念でしたかな」

「いや、それは」

 心の中を読まれたような言葉に、宋江は真っ赤になり、恥じた。

「お師匠さま、こちらが梁山泊を率いている及時雨(きゅうじう)の宋江どのです」

「ようこそお越し下さいました。何もないところですが、(くつろ)いでくだされ」

 宋江は拝礼し、来訪の理由を告げた。羅真人はすぐ薬の場所を教えてくれた。公孫勝が取りに行く。

 宋江は深々と再拝し、もうひとつの来意を告げる。

「この私、縁あって公孫勝どのをはじめとする者たちを束ねることになりました。民のために尽くそうと、帝から招安を受け、晴れて罪が取り除かれました。ですが」

 少し言い淀み、宋江は続けた。

「不安なのです。長い戦いとなる事は覚悟しております。梁山泊の行く末をご教導いただきたく参った次第なのです」

「誠に恐縮だが、わしは出家の身。世俗と離れて久しく、冷えた灰のようなもの。わしなど何の役にも立ちますまい」

 穏やかな笑みを浮かべ、宋江に茶を勧める。

 それでも宋江は真摯に教えを請うた。やがて伝わったのか、ぽつりと言った。

「分かりました。あなたは実直な人だ」

 道童を呼び、筆と紙を用意させた。そして書き上げたものを宋江に渡した。

 そこには八句の法語が記されていた。


 忠心の者少く 義気の者稀(まれ)なり

 幽燕(ゆうえん)功畢(おわ)り 明月虚(うつ)ろに輝く

 始めて冬暮に逢い 鴻鴈は分かれ飛ぶ

 呉頭楚尾(ごとうそび) 官禄同じく()せん


 これが自分の、梁山泊の行く末なのか。

 宋江には句の意味が判じかねた。しかし懇願しても羅真人は、その意味までは教えてはくれなかった。

 時が来れば、おのずと分かるというのである。

「宋江どの、この年寄りからお願いがあるのです」

「年寄りなどと。願いとは何でしょう」

一清(いっせい)の事です」

 修行のため、世の中を見せるため、公孫勝を下山させた。そして梁山泊に入る事となった。だがあくまでも、公孫勝は羅真人の弟子である。

 宋江の崇高な理想のために、もう少しだけ預ける。だが時が来て公孫勝が、二仙山に戻ると言ったならば引き留めないでほしいと。

 その時がいつ訪れるのかはわからない。

 宋江は悩んだものの、承諾した。

「感謝いたします、宋江どの。帰る前に、一清と話をさせて下さい」

 宋江を紫虚観に送り届けた公孫勝が、師の前に座る。

兄弟子(あにでし)を覚えておるな」

「はい」

「遠くないうちに、お前は兄弟子と会うだろう」

「はい」

「魔に堕ちた奴を、お前が救うのだ。やってみせよ」

「私が、ですか」

「そうだ。前に樊瑞(はんずい)とやらを正道(せいどう)に導いたな。奴の魔は、あの比ではないと思え」

「わかりました」 

 羅真人が軽く嘆息した。

「本当ならば、お主の役目はもう終わっておる。わしらのような者は世俗に関わってはならぬのだ。だが晁蓋(ちょうがい)どのや宋江どのには面倒を見てもらった恩がある。もう少しだけ力を貸すが良い。そして機を悟ったならば戻ってくるのだ。良いな、一清」

「有難うございます」

 公孫勝は深々と頭を下げた。

 羅真人に別れを告げ、一行は薊州へと戻った。

「何だよ、宋江の兄貴。羅真人の小僧の所に行くんなら声をかけてくれればよかったのに」

 李逵(りき)が宋江を見るなりぷりぷりと怒った。

 花栄がからかうように言った。

「羅真人さまは、お前に殺されそうになったのだと、大層ご立腹だったぞ。行ったら酷い目に遭っていたかもしれないぞ」

「なんだい、向こうだっておいらを散々な目に遭わせたくせに」

 どっと笑い声が広がった。


 ひと月が()とうとする頃、欧陽侍郎が再び現れた。

 宋江はひとりで会った。

「お考えは決まりましたかな、宋江どの」

「ええ。どうやらあなた方が正しいようです」

 口元に笑みが浮かびかけたが、欧陽侍郎は辛うじて抑えた。

「それは良かった。それでは早速、燕京へとおいでいただきたい」

「その前に、ですが問題があるのです」

「問題、ですか」

「はい。前にも言ったように、この申し出を快く思わない頭領がおります。なので梁山泊全員という訳には参りません。それでも良ければ、お受けいたします」

 身を乗り出した欧陽侍郎だったが、安心したように肩の力を抜いた。

「問題ではございません。来られる方々だけで構いません。して、その同調しないという頭領は」

「その筆頭は、副頭領の盧俊義なのです。いま彼を檀州(たんしゅう)の守りに当たらせております。出発するならば、今のうちだと思いますが」

 歯切れの悪い物言いに、欧陽侍郎が促した。

 宋江らが薊州を出たとして、それを盧俊義が知ったならば、必ず追って来るだろうというのだ。どこか隠れられる場所はないだろうか、というのが宋江の懸念だった。

 これにも欧陽侍郎は微笑んでみせた。

「ご心配ありません。恰好の地があります」

 欧陽侍郎が提案したのは、薊州から南の覇州(はしゅう)であった。

 覇州に至るまでに二つの要害があるという。益津関(えきしんかん)文安県(ぶんあんけん)で、ともに両側を険しい山に挟まれた隘路(あいろ)を通らねばならない。

 まずは林冲(りんちゅう)、花栄という主だった頭領と、一万の兵だけで向かう。

 覇州で追っ手をやり過ごし、燕京の国王に会う。

 檀州にいる盧俊義の元に、白勝(はくしょう)が飛び込んできた。

「宋江どのが、薊州を出発しました」

 うむ、とだけ盧俊義は言い、広がる平野を見つめていた。

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