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辺境 四

「やっぱりここにいたか。楊雄(ようゆう)の旦那、石秀(せきしゅう)の旦那」

 背後からの声に、張保(ちょうほ)は飛びあがるほど驚いた。

 笑みを浮かべた痩せた男がいた。

「俺は時遷(じせん)ってんだ。この二人を探しててね」

「おお、来てくれたか」

 そう言って嬉しそうな顔をする楊雄を、眩しそうに時遷が見た。石秀も笑っていた。

「そういう事かよ」

 話を聞き、時遷は不精ひげを(さす)った。

 檀州(たんしゅう)が内乱を起こした連中に乗っ取られたのならば、合点(がてん)が行く。まったく盧俊義の旦那も、面倒臭いことに巻き込まれたものだ。

 楊雄は、内外呼応して薊州(けいしゅう)を陥落させようという。だが、いま玉田県(ぎょくでんけん)の梁山泊軍は動ける状態ではない。兵力も、とてもではないが足りない。

 張清(ちょうせい)は重傷だが、一命は取りとめたと聞き、安心した。安道全(あんどうぜん)に診せるため、戴宗(たいそう)と共に梁山泊へ戻った。そして宋江(そうこう)に救援を求める事になっている。

「待つしかないだろう。しかしどれくらいかかるのか」

 石秀も苦い顔になる。だが時遷は不敵に笑う。

「楊雄の旦那は玉田県へ戻ってくれ。宋江どのたち援軍が到着したら、薊州に来てくれ。それまで準備して待ってるからよ」

 そして石秀に目線を送る。石秀も、時遷と一緒にという事だ。

 わかった、と楊雄が(うなず)いた。

 宝厳寺(ほうごんじ)という大きな寺がある。その寺が、雲に届くような宝塔を有していた。時遷はそこに忍び込むことにした。

 張保がふらりと現れた。

「あんた、鼓上皂(こじょうそう)だろ。噂は聞いてるぜ」

「どんな噂だい」

 張保は答えず、へへへと笑った。

「まあ()いや。あんたに力を貸す訳じゃないぜ、勘違いするなよ」

 玉田県へ帰還したが、楊雄と石秀の姿が見当たらなかった。戴宗と、矢を首に受けた張清もだ。もしかして、と時遷は探していたのだ。

「しかし、どうやって潜りこんだんだ。表からは無理だろう」

 時遷は答えず、へへへと笑った。

 久しぶりの薊州は活気がなかった。何となく物悲しい思いがした。

 人目につかぬよう、夜の裏路地を行く。張保に手配させた火薬などを宝塔に運び込む。

「なんだか、あんたからは同じ匂いがするぜ」

 張保がぼそりと呟いた。

 同じ匂い、か。決して良い匂いではない。

 時遷は分かっていた。泥棒として今まで裏の世界で生きてきたのだ。いま目の前にいる張保がどんな人間かも、良く分かる。

 確かに同じ匂いだ。

 だからこそ、この男を頭から信用する訳にはいかない。

 張清を助けてくれたことに感謝はしよう。耶律得重(やりつとくじゅう)を追い払いたいという言葉にも嘘は無いのだろう。だが純粋にそれだけではないはずだ。こういう男は、必ず自分の都合の良い方に転がるからだ。

 自分もそうしてきたように。

 闇夜にそびえる宝塔を仰ぎ見る。

 同じようにしている張保を横目で見、時遷は鼻を鳴らした。


 盧俊義の傷は幸いにも、深いものではなかった。

 意識はまだ戻らないが、寝息は安定している。じきに目を覚ますだろう。

 その最中(さなか)、楊雄が戻った。

「薊州の事はわかった。だが今は無理だ」

 関勝(かんしょう)は言い切った。やはり宋江の救援を待つしかない。

 しかしそこへ急報が入る。遼軍が攻めてきたのだ。

 遼軍で、四方十里先まで埋め尽くされていた。先頭で兵を鼓舞するのは、耶律得重の長男、宗雲(そううん)だ。

 燕青が城壁から弩を(はな)った。

 矢は耶律宗雲の鼻の下に突き刺さった。血を噴き出し、宗雲が落馬する。

「張清どのの仇です」

 突然の事に怖れ(おのの)いた遼軍は五里ほど下がり、一昼夜攻めてくることはなかった。だが戦況は、それ以上好転はしない。

「あれを」

 翌日の昼すぎである、段景住(だんけいじゅう)が南を指し示した。

 彼方に土煙が見えた。そしてその中に揺れているのは、梁山泊の旗であった。

「宋江どのか」

 朱武(しゅぶ)が身を乗り出し、確かめる。

 間違いない、梁山泊軍だ。

 遼軍の後方が混乱をきたした。機に乗じ関勝、徐寧(じょねい)董平(とうへい)が兵を率いて飛び出す。

 将を失い、包囲に疲れていた遼軍は簡単に崩れた。

 梁山泊軍が追うまでもなく、四方に散っていった。

「まさかこんな事になっているとは」

 宋江が(よろい)を脱ぎ、盧俊義を見舞った。

 朱武が不思議そうに訊ねた。

「随分早かったのですね。いくら戴宗どのでも、あと数日はかかるはずですが」

「実はちょうど二仙山(にせんざん)に向かっていたところだったのだよ」

 宋江はかねてから羅真人(らしんじん)に会いたいと思っていた。そこで、盧俊義を迎えに行くついでと思って、先に出発していた。そこへ戴宗と行き合ったのだ。戴宗は梁山泊へ戻り、さらに援軍を連れて戻ってくるという。

 宋江は決然と告げた。

「その遼国王を討ちます。贈り物を簒奪していた事は、宋朝に対する侮辱とみなします。そして何より、張清、盧俊義たち我が兄弟を傷つけたことを後悔させてやりましょう」

「まずは薊州からです」

 同行していた呉用(ごよう)が、さも当たり前のように言った。

 相変わらず見透かしたような男だ。

 朱武が嘆息した。


 息子、宗雲の亡骸を抱き、耶律得重が怒りに震えていた。

 洞仙侍郎(どうせんじろう)が静かに言った。

「軍令ではありませんでした」

「勝手に出陣したから仕方ないというのか」

 洞仙侍郎が口を(つぐ)む。

「息子はわしのために、梁山泊の連中と戦ったのだ。宗霖(そうりん)も討たれた。この恨みは奴らの血をもってのみ果たされる」

 そこへ報告が飛び込んでくる。梁山泊軍が攻めてきたと。

「そっちから死にに来るとはな。宝密聖(ほうみつせい)天山勇(てんざんゆう)、すぐに準備を。奴らを丁重にもてなしてやれ」

 城外三十里のあたりに梁山泊が陣を敷いていた。

 洞仙侍郎は胸騒ぎがした。

「皇弟さま、奴らの数が増えております。援軍が来たのではないかと」

「だからどうした。虫けらが少し増えたところで、心配をする事はあるまい」

 怒りで冷静さを欠いているようだ。だが洞仙侍郎はそれ以上、言う事はできなかった。

 軍鼓が鳴り響き、遼軍を率いる大将、宝密聖と、副将の天山勇が進み出た。

 梁山泊からは徐寧と、そして林冲(りんちゅう)である。ともに禁軍師範であった二人だ。馬を並べ、進むだけで遼軍にどよめきが起きた。

 敵を見据え、徐寧が囁く。

「副将は張清の仇だ、俺がやらせてもらう。しかし林冲、お主と馬を並べるのは、久かたぶりだな。そうだ」

「何だ」

「奴ら、馬に長けている。油断するな」

「そうか、分かった」

「では行くか」

 まるで遠乗りにでも行くような言いぶりだ。

 四騎が同時に駆けた。

 おおお、と林冲が吠える。獣の目を輝かせ、蛇矛を横たえる。

 対する宝密聖も雄叫びをあげ、(ほこ)を掲げる。

 林冲と宝密聖が交差した。

 宝密聖の首が飛んだ。

 徐寧が鈎鎌槍を閃かせる。

 天山勇は槍で防ぎきれなくなり始めた。

 徐寧の槍が止まる。

「まともに戦うのは苦手か」

「なめるな」

 天山勇が腰の()を素早く取り出した。一点油(いってんゆう)をつがえ、徐寧めがけて()った。

 鈎鎌鎗が回転し、矢が両断された。

 天山勇が愕然とした。この近距離で、槍で矢を。

「鈎鎌鎗法、(はらい)の一手」

 天山勇が突進してきた。

 また鈎鎌鎗が回った。

 天山勇の首が飛んだ。

 (おのの)いた遼軍が、雪崩(なだれ)を打つように退却して行った。

 徐寧が林冲に馬を寄せる。

「お主、強すぎるぞ」

「助言があったからさ」

「敵わんな」

 呆れたように徐寧が長い息を吐いた。


 軍鼓が鳴り、梁山泊が薊州に向けて進軍した。

 耶律得重は怒りを抑えきれない。

 洞仙侍郎を呼びつける。

「檀州で敗れたお前たちを(かくま)ってやった恩を返してもらおう」

 唇を噛む洞仙侍郎。

 行かない訳にはいかない。曹明済(そうめいせい)らも了承せざるを得なかった。

 薊州に梁山泊軍が迫る。

 門から三騎が兵を率い、出陣した。

 梁山泊軍からは索超(さくちょう)が飛び出す。それに咬児惟康(こうじいこう)が相対する。両者は名乗りもせずに、ぶつかった。

 唸りを上げる金蘸斧(きんさんぷ)に怖れをなし、咬児惟康が背を向け、逃げの姿勢となる。だが索超の斧は容赦なく、その頭をかち割ってしまった。

 梁山泊軍から喚声が上がる。

「次は任せてもらうぜ、朱武」

 史進(ししん)が嬉々とした表情で馬を駆る。

 楚明玉(そめいぎょく)曹明済(そうめいせい)が史進を迎え討つ。

 二対一にも関わらず、史進は逃げない。

 裂帛の気合を込め、三尖両刃刀を振り下ろす。先を駆ける楚明玉が、一刀の元に斬り伏せられた。

 一瞬たじろいだ曹明済は、それが命取りとなった。防御も間に合わず、三尖両刃刀の餌食となった。

 ここで史進は止まる事をしなかった。雄叫びをあげ、敵陣に向けて速度を上げた。

「宋江どの」

 朱武が叫ぶ。宋江が号令を発し、全軍を駆けさせた。

 しかし遼軍は一目散に城内へと逃げ込んでしまう。あと一歩のところで、吊り橋を上げられてしまった。

「奴らを近づけるな」 

 耶律得重が檄を飛ばす。城壁から石や木を落とさせる。

 やむなく梁山泊軍はやや下がり、薊州を包囲した。

 配下を討ち取られた洞仙侍郎は、悔しさに震えていた。

 張清にやられた耳が、じんじんと痛んだ。


 宝厳寺の梁で、時遷が顔を上げた。外が騒がしい。

 戦闘が起きているようだ。

 梁山泊だ、という声が聞こえた。

「思ったより早かったな」

 音もなく立ち上がり、窓から顔を出した。

 すぐに石秀が駆けて来た。石秀は時遷に合図を送り、そのまま行ってしまった。

 時遷は塔内に戻り、火打石を()り、導火線を確認すると素早く脱出した。

 宝塔のあちこちに仕掛けた火薬や火筒に次々と引火してゆく。そしてものすごい爆発音とともに、炎の柱が天を突くように燃え上がった。

 その炎の柱は城外からもはっきりと見えた。

 楊雄がそれを見上げ、拳を握った。

 耶律得重の元へ、報告が次々と寄せられる。宝塔だけではなかった。城内のあちこちから火が起こり、住民も兵も消火に大わらわだというのだ。

 門に向かって石秀が駆けている。手には朴刀を握っている。

「どけどけぇ、死にたくない奴はそこをどけぇ」

 その言葉通り、止めようとする兵たちを斬ってゆく。

 門番のひとりが、相方に(おめ)く。

「おい、お前も早く止めに行けよ」

「やなこった」

 その門番は張保(ちょうほ)だった。すらりと刀を抜き、相方の門番を斬った。

 石秀が門に辿りつく。

「へへ、(おせ)ぇじゃねぇか、石秀の旦那」

「仕方あるまい。さあ、とっとと門を開けるぞ」

 二人が吊り橋を下ろし、(かんぬき)を外した。

 開門と共に梁山泊軍がなだれ込んできた。

 遼兵は戦意を失っており、すぐに薊州は()ちた。

「よくやってくれました。石秀も、時遷も」

「宋江どのが来てくれたおかげです」

「でもよ、敵の親玉は逃げちまったみたいだぜ」

 耶律得重と洞仙侍郎は、家族を連れ北門から逃げた。

 薊州から西へ向かい、幽州(ゆうしゅう)へ入る。そして国王のいる燕京へと至った。

 国王の前で耶律得重がひれ伏した。

「蛮族ごときに遅れをとり、申し開きのしようもありません。死をもって償うのみです」

「まあ待つのだ、弟よ。たまたま奴らの奇策が功を奏しただけの事ではないか」

 対する国王は、意外にもそう言った。

「しかしどうして宋の連中が攻めてきたのだ。盟約を結んでいたはずではないか。まさか臨潢府(りんこうふ)の連中が我らの事を討つために寄越したのではあるまいな」

「いえ、そうではないと存じます」

「お主は、確か」

「はい。檀州を預かっておりました侍郎の洞仙文祥(どうせんぶんしょう)です。十一陽の大将が一人、文栄(ぶんえい)は我が弟でございます」

「して、何が原因だと」

 洞仙侍郎は絞り出すように答えた。

 梁山泊軍は宋朝からの贈り物の護衛についていた。だが臨潢府に着く前に檀州軍が奪っている事を知ったため、交戦となった。そしておそらく密雲県(みつうんけん)の知県あたりから、我らの内情が露見しているだろうと。

「我らは蛮人に媚びへつらい、女真(じょしん)族に怯えるような連中を見限り、契丹(きったん)の真の強国を造るために立ち上がったのだ。望むところではないか」

 だが耶律得重も、梁山泊の強さを侮ってはならないと戒めるように言う。

 そこへ脇から静かに声があった。

「臆病な宋の連中は、梁山泊の援護には来ません。梁山泊はこの遼の地で孤立しているという訳です」

「ならばどうする。お主の知謀を見込んで右丞相(うじょうしょう)に取り立ててやったのだ。何か策があるのであろうな」

「はい、国王さま。私は彼らを良く知っておりますから」

 右丞相の褚堅(ちょけん)が、すっと目を細めた。

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