辺境 二
王文斌と梁山泊軍はひとまず密雲県に陣を敷き、知県に会う事にした。
警戒はしたものの、密雲県の知県は盧俊義たちを歓待してくれた。
「ここで騒ぎを起こすつもりは毛頭ありません。恥ずかしい話、宋朝からの贈り物を盗賊に奪われましてな。それでちと行き違いが」
「なるほど、そうでしたか。それは難儀でしたな」
余計な事を、という顔を王文斌がしていたが、盧俊義は気付かぬふりをした。
とりとめのない話をいくらかした後、酒が運ばれてきた。
酒が進むにつれ、知県の様子が変わってきた。何か話したいそぶりを見せては、躊躇したように口をつぐむのだ。
王文斌の言葉を思い出し、訊ねてみた。
「そういえば、檀州のことなのですが」
「檀州がどうかしましたかな」
知県の顔色が曇ったような気がした。
「檀州を預かっている者が、突然変わったようなのです。わしらはその者に攻撃を受けたのです」
知県は答えず、何か考える風だった。
おもむろに酒を飲み、人払いをして欲しいと言った。
「ご心配なく。ここにいるのは信用できる者。人払いとは、却って侮辱というものです」
盧俊義の言葉に、知県は悩みながらもやっと口を開いた。
「いま遼国で、叛乱が起きております」
予想外の言葉に、王文斌も盧俊義も驚いた。
知県は続ける。
先ごろ幽州の燕京が、遼国王を名乗る者に占拠されたらしいというのだ。
燕京は、北にある上京臨潢府に対する副都であり、檀州から西に位置する。
その国王と名乗る者が率いる軍は非常に強力で、次々と燕雲十六州を支配下にしているという。
膨大な兵や装備を整えるための資金などをどう賄っているのか、知県は不思議がっていたが、盧俊義には分かった。
宋朝からの贈り物である。ちらりと盧俊義が王文斌を見る。
王文斌は知らぬという顔をしたが、そうなのだろう。
上京臨潢府までは必ず、檀州を含め燕雲を通らねばならない。それが事あるごとに奪われていたのだ。宋の上部にまで伝わっていなかったのは、いつものように誰かが失敗を揉み消していたのだ。
そして盧俊義の作った銭の流れも、その中で見つかってしまったのだろう。資金として喉から手が出るほど欲しい量があったはずだ。
そして消されたのか。任せていた褚堅には悪いことをしたものだ。盧俊義は嘆息するしかなかった。
翌朝、青ざめた顔をした知県に呼ばれた。後には武器を構える県兵が控えている。
「例の国王の甥たちが来る。すまないが、あなたたちを置いておく訳にはいかない」
「分かりました。こちらも無駄な血を流したくはない」
盧俊義率いる梁山泊軍が密雲県を離れた。
どうするのだと王文斌が喚くが、落ち着く間もなくすぐに敵に姿が見えた。
関勝が馬を寄せる。
「どうしますか、盧俊義どの」
盧俊義自身の目的は果たされた。これ以上、遼の内紛に関わるつもりはない。
だが、
「素直に帰してくれる連中ではなさそうだな」
盧俊義は戦闘に備えさせた。
兵はおよそ一万、こちらと同数ほどか。だが先ほどの戦で見たように、契丹人の騎兵の力は割り増して考えねばならない。
先頭の騎馬が二人、同時に進み出た。
「お前たちが梁山泊だな。断りもなしに我らが地に踏み込むとはいい度胸だ。だが噂は聞いているぞ。民のために戦うと嘯き、結局は招安を受けた意気地なしだと」
「国王の命により、我ら兄弟が一匹足りとも逃さぬ。覚悟せよ」
耶律国珍と耶律国宝が大声で布告する。体格も良く、なるほど大した胆力だ。
「あの野郎、勝手なこと抜かしやがって」
「まあ待て、李逵」
斧を振り上げる李逵を制し、董平が馬を進めた。
「我ら梁山泊は意気地なしではない。俺が無粋な蛮人に分からせてやろう」
良いですね、と盧俊義に確かめる。
話が通じる相手ではない。こうなれば仕方あるまい。
董平が二槍を構え、馬を飛ばした。
敵陣から突進するのは兄の耶律国珍。得物の槍を横たえている。
耶律国珍と董平がぶつかる。三本の槍が乱れ散る。
冴えわたる技で董平と渡り合う耶律国珍だったが十合、二十合と槍を重ねるうち、やや乱れが生じてきた。
まずいと、耶律国宝が銅鑼を鳴らさせた。
耶律国珍が董平の槍を弾き、馬首を返そうとする。だが背を見せかけた国珍が捻るように槍を繰り出した。
董平が首を曲げ、それを避ける。
「退かないのかい」
「うるさい」
吼える国珍が再び董平と対峙する。
国珍の突き出した槍が、董平の槍に抑え込まれてしまった。
上から押しているだけのように見えるが、国珍は槍を引く事もできない。そこへ董平のもう一つの槍が迫った。
その槍が、耶律国珍の首を貫いた。
「兄者」
怒りをあらわにする耶律国宝に向かって、張清が駆けた。
耶律国宝が槍を掲げ、速度を上げた。張清は素早く腰の袋を探ると、見切れぬほどの速さで礫を放った。
突如、耶律国宝が後ろに吹っ飛んだように見えた。耶律国宝の額が割れ、意識はもう無かった。
「かかれっ」
盧俊義の号令で梁山泊軍が飛び出す。
大将二人を討ち取られた遼国軍は、迎撃態勢も整わぬまま、散々に斬り倒された。
遼側のわずかな敗残兵が逃げてゆく。盧俊義はそれ以上追撃をせず、そのまま陣を敷いた。王文斌は緊張の糸が切れたように早々に眠ってしまっていた。
「これだけ暴れられるとは、やっぱり来てよかったわい。なあ鮑旭よ」
「まったくだ。それに契丹の奴らは俺たちを無事に帰しちゃくれなさそうだしな。存分に返り討ちにしてやるぜ」
笑い合う李逵と鮑旭を止めることはできなかった。事実、そうなのだから。
「朱武よ、檀州をどう思う」
「簡単ではないと思いますが」
「止めぬのだな」
朱武がちらりと鮑旭らを見やる。
「彼らの言う通りかと。それに本来遼国へ贈るべきものが、檀州の連中に奪われました。王文斌は何としても取り返すと言うでしょうし。我らの失態にされるのも沽券にかかわります。違いますか」
「確かにそうだな。すまぬが、考えてくれ」
黙って朱武が頷いた。
この遼の地でも反乱が起きているとは。内憂を抱えているのは宋だけではないらしい。
段景住の声がした。
「な、すげえだろ。遼だと、星がこんなに綺麗に見えるんだぜ。金まで行くともっとだ」
それが聞こえたのか、あちこちから感嘆の声が上がりだした。
盧俊義も夜空を見上げた。思わず、ほうと呻いた。段景住の言うとおりだった。
河北の三絶と言われ、何でも知っている気になっていた。だがこの星空の事は知らなかった。
まさに満天の星が、夜空を埋め尽くすかのように瞬いていた。
燕青が側にいて、同じように星を見ていた。
ぱちぱちと爆ぜる篝火の音が、耳に心地よかった。
洞仙侍郎は怒りを爆発させていた。
床には、杯であったものがいくつも粉々になっていた。
「国珍、国宝さまが敗れるとは、なんたる事。国王さまに何と言って詫びればよいのだ」
そして持っていた杯をまた床に叩きつけた。
ううむと唸り、天井を睨む。そこへ楚明玉が来た。
「どうした。これ以上、悪い報告をするなよ」
「い、いえ。潞水に舟が入りこんできているのです」
「何がだ」
潞水とは檀州を取り囲む川の事である。敵の攻撃を防ぐものでもあり、運河としての用を成すものでもあった。
楚明玉によれば、どうやら糧秣船のようで、その数は十数艘だという。
洞仙侍郎はすぐに襲撃を命じた。
城門が開き、吊り橋が下ろされる。一千の兵を連れ、咬児惟康が出陣する。
続いて水門が開き楚明玉、曹明済が舟を奪いに漕ぎ出した。
突如、闇夜の中から雄叫びが轟いた。
三人が警戒を強めた。
狼の遠吠えのように、周囲の至るところから聞こえてくる。それがどんどん大きくなり、人の声だと分かる。一万、いやそれ以上いるのではないか。
「うろたえるな、早く舟を奪うのだ」
楚明玉と曹明済が素早く軍船を走らせ、糧秣船に近づく。撓鈎をかけ、水門まで引いてゆく。
その時、糧秣船から人が飛び出してきた。
「すまんね、わざわざ運んでくれるなんて」
「き、貴様っ」
楚明玉が、周通の刀を防いだ。
「さすがは、守将のひとりだな」
虚をつかれた楚明玉は周通の猛攻に押される。さらに次々と舟から梁山泊兵が湧きだしてくる。
李忠の棒が曹明済を襲う。曹明済はすっかり狼狽してしまい、ほうほうの体で城内へ引き返してしまった。
残された楚明玉も奮戦したが、隙を見て逃げだした。
「よし、水門を奪え」
李忠が棒を掲げ、号令を発した。守将のいない遼兵たちは逃げるのに精いっぱいだった。
外では雄叫びが衰えることなく響き続けていた。
吼えていたのは鮑旭とその手下たちだった。
檀州城を半円に囲むように配置されたその数、実は千人ほどであった。その雄叫びによって、十倍もの兵数に見せかけていたのである。
「俺の山はそんなに人がいなかったから、とりあえず驚かさなくっちゃならなくてな」
寨を構えていた枯樹山の事である。
盧俊義はにやりとして、指揮をとる朱武を横目で見た。
鮑旭が、その手下もだが、このような特技を持っていたとは。そしてそれを引き出した朱武の手腕に感嘆した。
水門のあたりに火が上がった。
朱武が指示を飛ばす。
雄叫びを上げながら鮑旭隊が駆ける。檀州城を押し包むように、喊声が近づいてくる。
城外の咬児惟康はなんとか踏みとどまっていたが、そこへ李逵、楊雄、石秀ら歩兵が突撃してきた。
乱戦となる。
あれほど叫び続けていた鮑旭だが、嬉々として遼兵たちを斬り倒してゆく。返り血に染まり、笑う姿はまさに喪門神だ。
恐れていたほどの兵数ではなかった。だが遼兵は、それにすら気付く余裕もなかった。
これまでと見た咬児惟康は城門を捨て、洞仙侍郎の元へ向かった。
檀州城を陥とした。
洞仙侍郎はすでにどこかへ落ちのびたようだ。
盧俊義は鎮火を急ぎ、住民を安撫させた。
宋朝からの贈り物が発見された。まだ燕京へ運ばれていなかったのだ。
「わしはこれを臨潢府へ届け、開封府へ報告に戻らねばならん」
荷駄の準備を終え、王文斌が出発した。密雲県知県の話によると、反乱は檀州より南との事で、護衛は必要ないとの判断となった。
「戦になるとは不本意でしたが、仕方ありますまい」
長く国境で異民族と戦ってきた関勝は、複雑そうな表情だった。いまはこちらが侵入している立場なのだから当然だ。
檀州陥落の報はすぐに広まるだろう。帰路も遼軍の攻撃があろうことは必定であった。
梁山泊軍は装備を整え、南へ向かった。
檀州から逃げた洞仙侍郎はじめ咬児惟康らは、薊州へと落ちのびていた。
洞仙侍郎が窮状を訴える。
薊州を預かる男が腹立たしげに配下に命じた。
「我が血族を殺した梁山泊に、死をもって報復をする。奴らに国境を跨がせるな」
男は総兵の宝密聖に薊州を任せると、四人の息子を従え自ら先頭に立ち、出陣した。
薊州を預かる男の名は、耶律得重。
燕京にて叛乱を起こした国王の、実弟であった。




