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軍師 一

 忠義堂(ちゅうぎどう)に、梁山泊(りょうざんぱく)の頭目たちが集まっていたる。

 宋江(そうこう)盧俊義(ろしゅんぎ)をはじめとする百八人である。

 二度目の戦いも、水軍の活躍を中心として勝利を収めた。だがこの勝利を喜ぶ雰囲気ではなかった。

「宋江どの、あんたの考えを聞かせていただきたい」

 水軍頭領である李俊(りしゅん)が静かに言った。有無を言わせぬ迫力があった。

 招安について、梁山泊の今後について、である。

 宋江はこれまで明言はしてこなかった。

 替天(たいてん)行動(こうどう)を掲げ、国を救うとは宣言していた。晁蓋(ちょうがい)の遺志を継いでいると、誰もが思っていた。

 だが招安の使者を迎え入れた時から、一同に疑念が生じ始めたようだ。その(あと)(とう)(けい)(かい)(ほう)()へ忍び込んだことも、余計にそう思わせたようだ。

 何も言わなかった事は悪かったと思っている。目的の達成が、より確実になるまでは(おおやけ)にはしない方が良いと考えていたからだ。

 しかし、やはり言葉にしなければいけなかったようだ。自分の思いを、自分の言葉で伝えなければならない。

 宋江は進み出ると、頭目の顔をひとりひとり見つめた。

 結論を言おう。しばしの沈黙の(のち)、宋江が告げた。

「招安を受ける」

 忠義堂内が一斉にどよめいた。

 李逵(りき)が真っ先に声を荒げた。

「どうして招安なんか受けるんですかい。開封府でふんぞり返ってる奴らの首を、おいらたちが()って来てみせますぜ」

 おお、と幾つもの声が応じた。

 李逵め、勝手なことを言いおって。呉用(ごよう)が割って入ろうとした。だが鋭い視線を感じ、足を止めた。

 盧俊義(ろしゅんぎ)だった。睨むではなく、じっと呉用を見ている。待て、というのか。しかし。

 呉用が判じかねていると、堂内がどよめいた。李逵も驚いた顔をしていた。

 宋江が泣いていた。

「すまぬ。納得できない事は分かっている」

 涙を流しながら、宋江が詫びた。

「それでも招安を受ける理由は、たったひとつ」

 頭目たちの目が宋江に(そそ)がれる。

 宋江の涙が、止まった。

「梁山泊には戦い続ける覚悟がある。しかし、その家族にまでそれを()いることはできないのだ」

 賊徒は、どこまでいっても賊徒にすぎない。替天行動などという、崇高な大義を掲げていようとも、だ。それは梁山泊に住まう者、また関わるもの全てが同じ罪に問われるという事だ。

 宋江の言う通り、梁山泊に家族を持つ者が少なからずいた。己だけならば良くとも、家族まで巻き込みたくないのが本音だろう。

「だからって招安を受けるのかよ。せっかく御酒を濁酒(どぶろく)にすり替えたってのに」

 鼻息を荒くする阮小七(げんしょうしち)の袖を、阮小五(げんしょうご)が引いていた。小五の視線の先は阮小二(げんしょうじ)だった。

 は、と小七が思い当たった。小二には妻と息子の阮良(げんりょう)がいる。戦に出たがっている阮良を、いつも小二が(いさ)めていたことを思い返す。

 そこへ李逵が問いかけた。

「でもよ、招安を受けちまったら、おいらたちは国の手下になっちまうんだろ」

「通常の賊徒ならばそうなるだろう。しかし、我らは招安を()うのではない。国の方が、梁山泊に頭を下げるのだ。そのためにはこの戦いで、徹底的に勝たねばならないのだ。梁山泊の圧倒的な力を、帝に認めさせなければならないのだ」

 宋江の瞳が熱を帯びている。

 大きく息を吸う。

「そうすることによって梁山泊は何にも縛られぬ存在として、奸臣や各地の賊徒を倒し、国を平定してゆくのだ。天に替わって道を行うのだ」

 どよめきが起こった。

 阮小七が、やれやれという表情で言った。

「宋江どのの言う通りかもな。家族は安全なとこに帰した方が存分に戦えるってもんだ。見ろよ、これだけの面子(めんつ)が揃ってるんだ。面白そうじゃねぇか」

 喝采が上がるなか、呉用は驚いていた。

 まさか小七が賛同するとは。晁蓋を今でも慕っており、招安には最後まで反対すると思っていたからだ。

 阮小五が笑いながら、小七の背中を叩く。阮小二は困惑気味の表情だった。

「小七、お前」

「へへ、(りょう)の奴を巻きこむ訳に行かないさ。あいつが笑って暮らせる世の中に、俺たちが変えるって事だろ。考えたらすげぇ事だよな」

 阮小二は黙って小七の肩に手を乗せた。小七は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。

 宋清(そうせい)の手配で酒が運ばれてきた。

 燕青(えんせい)が盧俊義の杯を酒で満たす。

 そこへ李俊がにやりとしながらやってきた。

「なるほどね」

「何がだね」

「いや、及時雨(きゅうじう)どのは、俺たちまで救おうって腹らしいな、と思ってね」

 盧俊義は答えない。軽く微笑んだだけだ。

 李俊もそれに笑みで答え、まあ()いさ、と行ってしまった。

 李俊には分かったのであろう。宋江が招安を受けると決めた、本当の理由を。

「しかし」

 と盧俊義がひとりごちた。

 よくも考えたものだ。招安を受け、国の中から奸臣と戦おうなどという事を。

 宋江は李逵や武松(ぶしょう)たちと杯を組み交わしていた。

 及時雨か。

 盧俊義は燕青から酒瓶を奪った。

「お前も飲め、小乙」

「はい」

 にこりと燕青が微笑んだ。


 聞煥章(ぶんかんしょう)が到着した。

 不機嫌そうに高俅(こうきゅう)が迎えた。

 この男か、徐京(じょきょう)が言っていたのは。貧相な風貌で、どう見ても知謀に秀でているとは思えん。

 さらに別の使者も一緒だった。

「なんだと。招安だと」

 帝が、高俅の戦果が思わしくないと判断し、再び梁山泊に持ちかけようというのだ。

 なんという屈辱。わしが梁山泊を叩き潰すのだ。招安などさせてたまるものか。

 その顔色を読んだかのように、とある老官が声を上げた。

 名は王瑾(おうきん)済州(さいしゅう)府から高俅の元に派遣され、雑用を取り仕切っていた者だ。刻薄残忍な性質(たち)剜心王(わんしんおう)と呼ばれていた。肝剜(えぐ)りの王という意味だ。

「太尉どのは実に運の良いお人です。この詔書には、太尉どのの思うようになる道が仕掛けてあります」

「言ってみろ」

「はい、ここの文章でございます」

 にやりと王瑾が狡猾そうな顔をした。

 いったいどうやって詔勅の内容を知り得たのか分からないが、王瑾の性格を知っている(ちょう)(しゅく)()は嫌な予感がした。

 咳払いが聞こえた。

 高俅と王瑾が、聞煥章を見る。

「なりません、太尉。詔勅の内容を変えて読むことなど、許される事ではございません」

「聞煥章、この件に関してお主の意見は聞かぬ。お主の仕事は戦だ」

「これも戦です」

 高俅の顔が険しくなる。

「敵との交渉も含め、すべては軍略の内です。それを理解されないようでしたら、私は辞去させていただきます」

 毅然とした態度で、聞煥章が言い放った。拳を戦慄(わなな)かせる高俅だったが、ここは堪えたようだ。

「ふん、生意気な口を。だがこの詔勅の件は、このまま進める。失敗したなら、お主に従ってやる。それで良いな」

「どうしてもやるのですか」

「くどい」

 それで両者のやり取りは終わり、すぐに梁山泊へ向けて使者が送られた。

 翌日、宋江ら主だった者が城外に現れた。張叔夜は驚いた。宋江はわずかな兵を連れただけだったのだ。

「己の死期を知っていると見える」

 顎を(さす)りながら、高俅がにたりとした。

 城門が開かれ、勅使が進み出た。宋江は馬を下り、(こうべ)を垂れ、それを迎える。

 詔勅が読み上げられる。

 其処(そこ)にいる誰もが、勅使の言葉に耳を傾けた。

 勅使が言葉を切り、息を吸った。

 (いわ)く。

 今、勅使を(つかわ)し詔書を頒降(はんこう)し、宋江を除きて盧俊義ら一同が犯せる所の過悪、並びに赦免を(あた)う。その(しゅ)たる者は、云々(うんぬん)。

 後方で控えていた呉用と花栄(かえい)が、思わず顔を上げた。

「聞きましたか、花栄」

「ええ、聞いたさ」

 花栄が矢をつがえるのと、勅使が読み終えるのは同時だった。

 そして次の瞬間、勅使の額に矢が突き立った。

 場が一瞬にして凍りついたようになり、誰ひとり、動く事も音も立てることができなかった。

 倒れた勅使の元へ、花栄がゆっくりと歩いてゆく。

 落ちた詔書を拾い、一瞥すると城門の上の高俅に突きつけた。

「見ろ。宋江、盧俊義ら一同が犯した過悪を除き、というのが本来の文章ではないか。それを、宋江を除きなどと、天子さまの言葉をねじ曲げるとは言語道断。我が軍師どのを欺こうなど、百年早いわ。見逃してやるから出直してこい。その度に叩きのめしてくれるわ」

 花栄が引いてきた馬に、宋江が乗る。

「行くぞ、宋江」

「うむ、すまない」

 二人は呉用と合流し、済州城から離れてゆく。

「待てい。貴様ら、生きて帰れると思うなよ」

 高俅が城門の上から飛びかかりそうな勢いで吼えた。

 呪縛から解けた他の兵たちが門を飛び出し、宋江らを追った。

 がだ数里行ったところで、梁山泊の伏兵にそれを阻まれた。李逵や扈三娘(こさんじょう)らが、官軍を散々に追い散らした。

 高俅はその報告を、苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。激昂すると思われたが意外にも冷静な声で、聞煥章に問うた。

「約束は守ろう。しかし、勝てるのだろうな。お主の軍略とやらで、梁山泊に勝てるというのだろうな」

「分かりません」

 なんだと、と今度こそ爆発しそうな高俅を制し、言った。

「勝敗は兵家(へいか)(つね)、それは太尉も重々ご承知の事でしょう。ですが最善は尽くします。そして軍師として扱っていただけるのならば、私の言う事を聞くよう、兵たちにもご下命願いたい」

 聞煥章を睨み、高俅は背を向けた。去り際に、分かったとだけ言った。

 聞煥章は大きく息を吐いた。今の官軍に軍師と呼ばれる存在がほとんど見当たらない理由が分かった気がした。

 宋江らが去った方角をしばらく見つめ、聞煥章は思い返していた。

 矢を放った男が言っていた、梁山泊の軍師とやらの事だ。あの書生風の男の事だろう。

 聞煥章の横に徐京が並んだ。

「すまない。梁山泊に勝つために、あなたの名が浮かんでしまったのだ」

「まあ、時は経ちました。昔のことは忘れましょう」

 聞煥章は城壁から空を見つめたまま言った。

「どのみち、こうなっていた運命なのでしょう」

「いま、何と」

「いえ、何でもありません」

 そしてやっと徐京の顔を見る。

「徐京、あなたからも、私の指示に従うよう伝えておいてください。でなければ、勝てる相手ではない事は、分かっているでしょう」

 うむ、と徐京が唇を噛む。

 聞煥章が張叔夜に告げる。

「梁山泊に関する資料、伝聞、噂話、何でも良い。あるだけ私の部屋に運んでくれませんか」

 すぐに張叔夜が部下たちを走らせる。

「さあ、忙しくなりそうです」

 ぽつりとつぶやき、聞煥章は城壁を下りた。

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