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野望 一

 やはり、負けおったか。

 童貫(どうかん)高俅(こうきゅう)が、ここ宰相府に現れた瞬間に、蔡京(さいけい)は悟った。

 しかし蔡京は、あくまでも心配そうに振舞った。

「よくぞ無事に戻ったな」

「おかげで、命は拾うことができました。しかし梁山泊(りょうざんぱく)の連中め」

(みかど)へは」

「そのことで参ったのです。知らせる訳には行きますまい」

 ここで高俅が膝を進めた。

「こたびの戦、童枢密は歩兵と騎馬のみでした。奴らは湖の中の(とりで)に引きこもり、船がないこちらは手を出せなかった。さらにこの炎暑。兵たちをいたずらに消耗させないため、童枢密は梁山泊から一旦、引き揚げたのです」

 という筋書きで、帝に報告すると言っているのだ。

 童貫め、己の戦歴に泥を塗るくらいならば、失われた兵の命など無かったことにしてしまおうということか。童貫がすがるような視線を送っている。

 普段いがみ合っているが、こういう時だけは息を合わせおる。高俅の奴め、自分が同じ立場になった時のために、恩を売っておく腹らしい。やはり高俅の方が一枚上手(うわて)ではある。

「しかし、帝があくまでも殲滅せよと言ったならどうする」

 高俅が胸を叩き、言った。

「次は私が」

 ただし、水軍を自由に使わせてほしい、と高俅は言った。そして戦船(いくさぶね)の建造と、各地から船を徴発させてほしいと。

「ふむ、わかった。その件はわしに任せておけ」

 鷹揚に蔡京が答えた。どうせわしの(かね)ではない。国の金だ。これでこ奴らに恩を売れるのだ。一石二鳥というわけだ。

 そこへ蔡京の家人が報告に来た。

 なんと捕らわれていた鄷美(ほうび)が戻ったというのだ。

 三人のいる()に通された鄷美はいささか緊張して、梁山泊での事を伝えた。

 それは罠に違いあるまい。声を上げたのは高俅だった。

「寛大なふりをして見せ、我らの気勢を削ごうというのだ。よし、兵は遠方から徴収することにしよう。いずれにせよでかしたぞ、鄷美」

 はい、と鄷美は答えたもののどこか釈然としない表情だった。

 朝議では密議の通りに報告がなされ、予想通りに高俅を討伐に向かわせる決がなされた。

 先日その場にいなかった楊戩(ようせん)はいぶかしんだ。あの高俅が自ら進んで戦に赴くなど、ないことだと思っていたからだ。

 高俅は梁山泊を討つのはいまだ、と考えていた。

 息子のために林冲(りんちゅう)を陥れた。だが命を奪うことはできず、それ以来悪夢にうなされる夜が続いていた。そして現実に東京(とうけい)開封府(かいほうふ)にまで現れたのだ。

 林冲の槍が己に突き立てられる夢。その悪夢から解放されるには、林冲の息の根を止めるしかないのだ。そして何より、高廉(こうれん)の仇も討たねばならない。

 だがそれ以上に高俅は抱いていることがあった。ここで梁山泊を潰すことができれば、さらに高みへと登ることができるかもしれないのだ。

 蔡京のいる場所、宰相という地位が欲しい。

 武人でもない、ましてや科挙に通った訳でもない高俅はそれでも、太尉の地位にまで上り詰めた。並の事ではなかった。ここに至るまで何でもした。犬のように尾を振り、猫のようにすり寄ることもあった。だが心では、常に虎狼のように獲物を狙う隙をじっと狙っていたのだ。

「例の節度使(せつどし)たちを呼び集めろ」

 高俅は配下に高らかに命じた。

 そのときの目は猛禽のそれに似ていた。


 先ごろ、辺境において異民族の制圧に功があった節度使が十人ほどいた。

 いまや名誉職となりつつある節度使だが、この十名は武芸に通じ勇猛果敢で知られる者たちだった。そしてその半数以上が元は山賊であった。

 山賊にとっては罪を許され官軍となることができ、国にとってはその力を有効に利用できる、互いに利のあるものであった。つまりは招安(しょうあん)に応じた者たちである。

 高俅は、その十名に白羽の矢を立てた。

 河南(かなん)河北(かほく)節度使、王煥(おうかん)

 上党(じょうとう)太原(たいげん)節度使、徐京(じょきょう)

 京北(けいほく)弘農(こうのう)節度使、王文徳(おうぶんとく)

 穎州(えいしゅう)汝南(じょなん)節度使、梅展(ばいてん)

 中山(ちゅうざん)安平(あんぺい)節度使、張開(ちょうかい)

 江夏(こうか)零陵(れいりょう)節度使、楊温(ようおん)

 雲中(うんちゅう)鴈門(がんもん)節度使、韓存保(かんぞんほう)

 隴西(ろうせい)漢陽(かんよう)節度使、李従吉(りじゅうきつ)

 瑯琊(ろうや)彭城(ほうじょう)節度使、項元鎮(こうげんちん)

 清河(せいが)天水(てんすい)節度使、荊忠(けいちゅう)

 それぞれ一万の兵を率い、節度使の軍だけで実に十万を擁することとなる。開封府の周辺では、城内に収まりきらない兵たちで騒然となった。

 高俅との謁見を終え、息巻いている将がいた。韓存保である。

 韓存保は武家の出であり、山賊あがりの他の節度使とは一線を画していると言えた。

「出陣はまだ先だそうだ。だが兵を休ませるな。いつでも戦えるだけの準備は整えておけ。心も、体もだ」

 副官にそう告げ、韓存保は宿舎へと戻る。そして部屋へ入らずにそのまま庭へと出た。韓存保は愛用の方天画戟(ほうてんがげき)を振り始めた。副官に告げたように、己自身も準備を怠らないというわけだ。

 韓存保またの名を鉄戟将(てつげきしょう)という。

 戟が風を切る音が小気味よい音となって聞こえた。汗が流れ始め、韓存保は無心に近づいてゆく。だがもう少しのところで、現実に引き戻されてしまう。

 いつもだ。あと一歩なのだが、そこで心に浮かぶのは叔父の事であった。

 宰相にまで上り詰めた韓忠彦(かんちゅうげん)。韓存保はその甥であり、叔父を尊敬していた。だが蔡京の登場により、韓存保は失脚した。

 蔡京の策謀だと、一時(いっとき)は思いつめた。だが今はそうではない。この梁山泊討伐において、自分が功績を残すことができれば、叔父が復帰するための一助になるのではないかと考えていた。

 戟を振る音が早くなる。

 心が再び無に近づいてゆく。

 天を割るような気合を発し、韓存保は腕を止めた。

 汗が、滝のように溢れだしていた。


 高俅の配下である牛邦喜(ぎゅうほうき)という男が、建康府(けんこうふ)に来ていた。

 平素から高俅のために細々(こまごま)と走り回っており、なかなか重宝できる男であった。

 その牛邦喜、梁山泊戦のためにこの江南の地にまで来ていた。

 なんといっても、こたびの戦の(かなめ)は水軍である。その水軍の統制、劉夢竜(りゅうむりゅう)に会いに来ていたのだ。

 名は体を表すというが、この劉夢竜もそうであった。

 なんでもある時、母親が腹に黒竜が入った夢を見た。そして子を宿したので、夢竜と名付けたのだという。長じては、まさに水の申し子となり、かつて西川(せいせん)峡江(きょうこう)で賊を討伐し、功績を上げていた。

「高太尉が、わしをお呼びか。ついに認められたということだな」

 牛邦喜から高俅の言葉を伝えられた劉夢竜は、胸を反らせ喜んだ。

 だが同じ部屋にいた男が、水を差すように言った。その男も軍人であった。

「梁山泊と言えど、長江(ちょうこう)太湖(たいこ)には較ぶべくもありせん。広さと深さがなければ、水軍とその戦船は活かせませんぞ」

 む、と牛邦喜が名を問うた。

 韓世忠(かんせいちゅう)という男だった。

 十八の時、募集に応じて兵となり、国境(くにざかい)を脅かした大夏(たいか)との戦で大功を上げた。さらに四年前には黄州(こうしゅう)を荒らしまわる欧鵬(おうほう)らの率いる黄門山(こうもんざん)の賊を討伐したという。そしていまは江南に配属され、水軍の将校であった。

 牛邦喜が口を尖らせる。

「下っ端風情が()いた風な口をきくな。これは太尉の命令であるぞ。すぐに山東(さんとう)へ向けて出発せよ。よいな、劉夢竜」

 もう一度、よいなと釘を刺し、牛邦喜が去っていった。これから長江一帯で、船を徴発するのだという。

「すまんな、韓世忠よ」

「いえ、わたしこそ差し出がましい事を」

「お前の言う通り、狭小な河川では我らが水軍は力を発揮できん」

 何か言いたそうな韓世忠を制し、劉夢竜は続けた。

「だが梁山泊討伐で実力の一端でも見せることができ、帝の目にとまってくれれば、これからの扱いも変わってくるだろう。そのためにわしは喜んで戦に行こう」

 東京開封府では、水軍を重要視していないきらいがある。それもそのはず、()の地は平原や山岳の多い地域。重要になってくるのはおのずと騎馬であるからだ。

「心配するな。所詮、梁山泊は水溜りだということを思い知らせてやるさ」

 劉夢竜の活躍を期待はしている。だが反面、勝手の違う山東地方で戦えるのか、韓世忠はそれが不安であった。

 牛邦喜は、五百もの戦船を集めきった。高俅の威を借る男だと思っていたが、牛邦喜もその実、有能なのだろう。

 かくして劉夢竜と、およそ一万五千もの水軍が東京開封府へと進んでゆく。

 広大な長江を埋め尽くす船団の(さま)に、江南の人々も喝采を送った。

「ご武運を」

 おためごかしの追従(ついしょう)などできない性質(たち)だ。

 劉夢竜を見送る韓世忠は、そう言うのがやっとだった。


「どう思うね、老風流(ろうふうりゅう)どの」

 老風流と呼ばれた王煥は、白い見事なあご(ひげ)を撫でながら微笑んだ。

「さて。やってみねば、分かるまいて」

 王煥に訊ねた徐京(じょきょう)は、その答えに落胆するでもなかった。

 二人は開封府の城壁の上で外を眺めていた。目の前に広がるのは、辺り一帯を埋め尽くす兵の群れである。およそ十二万、これに水軍が加わるという。 

「これだけの数ですよ」

「そうだな。だが、勝敗は兵家(へいか)(つね)と申すではないか。大軍を擁しているからといって、勝てる相手だとは思わない方がよいのではないかな」

 にやりと、徐京がした。我が意を得たりという顔だった。

「その事について大尉とお話しは」

「しておらん」

「そうですか。そうですな」

 話しても聞きはしない。王煥は言外にそう言っているのだ。

「お主の方こそ、話したい事があるのではないのか、四足蛇(しそくだ)

 突如かつての渾名(あだな)で呼ばれ、徐京は王煥を見た。

 王煥はまっすぐに兵たちを見ている。

 徐京は、根っからの山賊ではなかった。些細なことから役人と揉め、刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こしてしまう。そして落草し、山賊へと身をやつした。

 徐京はその時のことを思い出す。役人たちに追い詰められ、絶体絶命となった。だがそんな状況から徐京は逃げおおせ、四足蛇の異名と共に名を馳せることとなった。

 実は徐京に協力していた者がいたのだ。かねてよりの知り合いであったその者の知略で、徐京は命を永らえたのだ。

「いえ、ありませんよ」

 徐京が目を細めた。

 童貫軍は、梁山泊軍の巧みな計略により敗れた。あの男の力があれば、と徐京は思った。 

 だが、いまは世を捨て、隠棲していると聞いた。ならば、こちらへ引き戻すことは避けるべきだろう。

 梁山泊か。

 奴らも、自分や王煥と同じように落草したもの達だという。しかしいまや己は節度使であった。

 徐京は王煥の横顔を窺い、また目の前を埋める兵たちを見た。

 どう思う、と聞いた徐京の意図は、分かっていた。戦の勝敗についてではない。徐京は、梁山泊そのものについて、どう思うか問うたのだ。

 だが王煥は、はぐらかすようなことを言った。

 口に出してしまうのが、躊躇(ためら)われたのだ。王煥そして徐京も、梁山泊をどこか(うらや)む想いがあったということを。

 王煥は若い頃から風流と称されており、やる事の一つ一つが人々の耳目を集めていた。

 惚れた女性に逢うために、果物売りに変装して近づくなどという馬鹿もやった。また、悪徳役人らに(しいた)げられていた人々を助けたりした。そして落草した。

 手頃な山に(こも)り同調する仲間を集め、役人どもと戦うと息巻いていた。だが今は、倒そうとしていた役人の(がわ)に立っている。

 節度使になる代わりに、なにか大きなものを失ったような気がしていた。

 それを、梁山泊は持っているのだ。

 替天(たいてん)行動(こうどう)というとても信じ難い理想を掲げ、それを貫こうとする大馬鹿者どもが、いるのだ。

 王煥は自身の白い髯を見た。

 かつての風流が、いまや老風流だ。

 まだ誰にも言ってはいないが、王煥はこれが最後の戦と思い定めていた。

「さて、最後にひと花咲かせてみるとするか」

「何かおっしゃいましたか、老風流どの」

「いや、何も。さて徐京よ、酒でも飲みに行こうか」

「はい。そういえば良い店を見つけたのです」

「ほう、それは楽しみだ」

 王煥は城壁を下りる前に、もういちど兵の群れを見た。

 それが開封府から動くのは、およそふた月ほど待たねばならなかった。

 秋の風が吹き始める頃であった。

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