表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
232/304

戦塵 一

 酒を飲みたくなる暑さだった。

 だが兵の誰も、汗を流れるままに行軍を続けている。

 だが中軍の中央にいる童貫(どうかん)の頭上にのみ、傘が掲げられていた。

 殿軍(でんぐん)李明(りめい)がぼやいた。

「ちぇ、自分だけかよ」

 同じ殿軍の呉秉彝(ごへいい)が、聞こえるぞというような目をした。聞こえるかよ、と返そうとした李明は飛び上がりそうになった。

 童貫が太い首を回し、こちらを見ていたのだ。李明はばつが悪そうに愛想笑いを浮かべた。童貫は何も言わず、再び正面を見据え、馬に揺られた。

「あれは」

 前軍の段鵬挙(だんほうきょ)が叫んだ。

 一同が見ると、彼方に砂ぼこりが見えた。三十騎ほどの斥候のようだ。

 中央には緑の軍袍の男。旗印には、没羽箭(ぼつうせん)張清(ちょうせい)と見える。左右には凶悪そうな二人がいる。張清は百歩ほどまで近付いてきたが、馬首を返して離れていった。

 段鵬挙と陳翥(ちんしょ)は、とり急ぎ中軍へと報告した。

 童貫が(ほう)()(ひっ)(しょう)を連れ、前方に来ると、張清が再び近づいてきた。龔旺と丁得孫がからかうように、なにかを叫んでいる。

「馬鹿にしおって、梁山泊(りょうざんぱく)め。追え、奴らを仕留めて来い」

「お待ちください」

 止めたのは鄷美だった。

「あの張清という男、確かもと東昌府(とうしょうふ)の兵馬都監で、石礫(いしつぶて)の妙技を持つとか。追えば奴の思惑通りです」

「そうか。まああの程度の数、蠅のようなもの。いつでも蹴散らせるか」

 その後、張清は三度ほど挑発をかけてきたが、童貫軍は構わず軍を進めた。

 五里ほど行ったところで、銅鑼の()が鳴り響いた。山裾からおよそ五百の歩兵が現れた。みな一様に団牌を手にしていた。歩兵の中央には両手に斧を持った悪鬼のような男。

 梁山泊歩兵たちは一文字(いちもんじ)にならび、手にした団牌をぎっしりと並べた。

「ふん、通さんという気か。鄷美、今度は止めるなよ」

 歩兵ということで気を大きくしたのか、童貫が攻撃の指示を出す。

 迫る童貫軍に対し、梁山泊歩兵が二つに分かれた。そして背を向けると山裾に沿って逃げだした。

 童貫が追撃の命令を飛ばす。鄷美は止めようとしたが、間に合わない。

 歩兵たちを追い、山を回った先は広い原野だった。

 童貫軍はここで陣を敷いた。それが終わるころ、原野を囲む山向こうから砲声が轟いた。

「なるほど。そういう事か」

 八人の兵馬都監たちの顔が曇る。

 だが鄷美と畢勝は当然だという表情だ。

 童貫は即座に笑みを消し、武人の顔になっていた。


 張清の報告を受け、李逵らの歩兵隊の陽動で、童貫軍をこの原野へと導いた。

 兵力では八万とやや劣る梁山泊軍が勝利を収めるには、やはり先の先の手を打たねばならない。

 砲が放たれた。それを合図に、梁山泊が姿を現す。

 東西南北から青、白、赤、黒の軍袍を着込み、旗を掲げた兵が布陣する。(かん)(しょう)林冲(りんちゅう)秦明(しんめい)呼延灼(こえんしゃく)が率いる。さらにその間の方角からも四つの軍が現れ、八包囲をしっかりと固めた。

 一番後方には後詰めには扈三娘(こさんじょう)孫二娘(そんじじょう)顧大嫂(こだいそう)と彼女らの夫が頭となる部隊が備える。また遊撃隊として穆弘(ぼくこう)劉唐(りゅうとう)らが童貫の首を狙う。

 そしてその囲いの中に、別の一団がいた。四つの門を模した軍の前に、方天画戟と(さすまた)を手にした兵たちが列をなす。呂方(りょほう)(かく)(せい)そして解珍(かいちん)解宝(かいほう)の隊だ。その後ろに並ぶのが処刑刀を手にした物騒な連中で、彼らを率いる蔡福(さいふく)蔡慶(さいけい)の二人がさらに禍々しい笑みを浮かべている。

 門の左右には徐寧(じょねい)花栄(かえい)の指揮の(もと)、金鎗隊と銀鎗隊が整然と居並び、門を守るように凌振(りょうしん)の砲がずらりと鎮座している。

 門の内部には堂々と、巨大な旗がひと際目を引くように風に揺れている。替天行動、その文字が梁山泊兵の心を鼓舞する。その、郁保四(いくほうし)に護持された旗の下に、公孫勝(こうそんしょう)呉用(ごよう)そして盧俊義(ろしゅんぎ)が敵を見据えている。

 そして梁山泊軍の中央、そこに照夜玉獅子(しょうやぎょくじし)(またが)る宋江の姿があった。

 どこか決然とした表情で、眼前の童貫軍を見ていた。

 やがて剣を抜き、ゆっくりと右手を前に伸ばした。その切っ先は真っ直ぐ、童貫を示していた。

小癪(こしゃく)な真似を」

 そう言いながらも童貫は、ほんの少し感心もしていた。なるほど山賊と侮っていたが、これほどの陣を敷いてくるか。これでは並の軍など負けるのも無理はない。

 だが、わしに勝てるはずはない。童貫が目を見開いた。

「先鋒は誰だ。()けい。まずは首ひとつ、土産(みやげ)にするのだ」

 童貫の声と共に、陳翥が馬に鞭をくれた。正先鋒である段鵬挙(だんほうきょ)は出し抜かれた形だ。

「おい待て、陳翥」

「すまんね。初手柄は俺がもらうぞ」

 馬が一気に加速する。

 梁山泊側からも一騎飛び出してきた。

「来い。俺は鄭州(ていしゅう)兵馬都監、蒼鷹翅(そうようし)の陳翥だ。せめて名乗ってから死ねい」

「梁山泊、五虎将がひとり。霹靂火(へきれきか)秦明(しんめい)

 陳翥が秦明めがけ、刀を振り下ろす。

 秦明は構わず、狼牙棒を横薙ぎに払った。

 互いの騎馬が交差した。

 馬上に、陳翥の姿がなかった。

 秦明の方はそのままの勢いで、童貫軍へと突き進んでくる。

 段鵬挙は見た。

 陳翥が、鷹のようにではなく、ぼろ(ぬの)のように宙を舞っているのを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ