表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
228/311

蛮勇 三

 盧俊義(ろしゅんぎ)は驚いた。

 燕青(えんせい)を送りだしたものの、聞けば李逵(りき)が一緒について行ったというではないか。そこで、何かあっては、と急いで兵を伴い、泰山(たいざん)まで来のだ。

 そこで盧俊義は見た。

 手塩にかけて育てた燕青が、擎天柱(けいてんちゅう)と呼ばれる無敗の男を投げ飛ばしたのだ。鼠め、と任原(じんげん)揶揄(やゆ)していたが、盧俊義は華麗に飛びまわる燕を見ていた。

 嬉しく思うのと同時に、もう燕青は自分の下を巣立ってゆくのではないかと、寂しい思いにもとらわれた。

 燕青が勝利し、怒った任原の弟子たちが舞台に押し寄せた。盧俊義が命令を出すまでもなく、焦挺(しょうてい)をはじめとした兵たちが既に掛け出していた。

「ご覧になっていたのですね、旦那さま」

「お前の雄姿を、見逃すはずがあるまい」

 にこりと燕青が笑った。盧俊義は陶然とした。そこに小燕子(しょうえんし)がいる気がした。

「こいつら、梁山泊(りょうざんぱく)だ」

 誰かがそう叫び、群衆が逃げだした。そして兵たちが殺到し、泰山が戦場と化した。

 盧俊義と燕青は兵たちを倒しつつ逃げる。

 ようやく追っ手がいなくなったころ、李逵がいない事に気付いた。


 嬉しそうに、鮑旭(ほうきょく)が笑っている。

「いやあ、もっと暴れたかったが、任原の野郎を討ち取ったから、まあ良しとするか」

 並んで歩く李逵も、鼻息を荒くして同じようなことを言っている。焦挺はただ黙々とふたりについて行っていた。

 焦挺と一緒に鮑旭も来ていた。奮闘している李逵を助けに入った時、地面に転がる 任原を見つけた。そして有無を言わさず、その首を掻き切ってしまったのだ。

 泰山を脱出した時には、すでに盧俊義たちの姿はなかった。

 梁山泊まではそう遠くはない。三人は急ぐでもなく、旅でもするような気持ちで道を進んだ。

 一行は西へ遠回りをして、寿張県(じゅちょうけん)までやってきた。そしてそのまま県役所へと足を向けた。

「おう、黒旋風(こくせんぷう)さまが来たぞ。誰かおらんのか」

 鈁旭が大声で叫ぶ。役所の者たちは黒旋風という言葉に、飛びあがるほど驚いた。梁山泊の黒旋風といえば、泣く子も黙るほどだ。

 李逵はずかずかと部屋に入ると、知県の椅子にどかりと座ってしまった。

「別に騒がせにきたのではない。通りかかったので、遊びに寄ったのだ。知県はどこだ」

 ちょうど昼どきで、知県は不在だった。役所の者たちは、逃げてしまったと言ったが、李逵は信じない。

 行李(こうり)を抱えた焦挺が入ってきた。鮑旭とあちこち物色していたらしい。開けると知県の服が一式入っていた。

 興が乗った李逵が、それを着こむ。似合ってるぜと、鮑旭と焦挺が手を叩いて笑う。

「ならば、代わりにおいらが知県だ。なにか訴えはないかね」

 役人どころか、まるで鍾馗(しょうき)のような姿の李逵に、役所の者たちは震えるばかりだ。そこへ鮑旭が脅すように言った。

「おい、真似ごとで()いんだ。早くしないと李逵の兄貴が怒っちまうぞ。そうなったら俺たちでも止められるかどうか」

 命に代える訳にはいかない。仕方なく二人の者が進み出た。

 李逵が途端に笑顔になる。

「おお、お前たちは何を訴えるのだ。言ってみろ」

「どうかお憐れみを。この男が、私を殴ったのです」

 とひとりが言う。

「それは、この男が私を罵ったからです」

 ともう一方も訴える。李逵が身を乗り出す。

「それで、どっちが先に殴ったのだ」

「こいつが罵ったので、私が先に殴りました」

 李逵が手を叩き、勢いよく立ちあがると、先に殴った方を指した。

「よし。こいつは好漢だ、放免としよう。そっちの意気地なしは、枷をはめてさらし者にするのだ」

 言われた男はたまったものではない。真似事ではなかったのかと言うも、李逵には通じない。集まった町の州の前で、泣く泣くされるがままにするしかなかった。

 李逵たちは陽気に笑い、役所から出ていった。着物はそのままである。

 さらに李逵は小さな塾に足を向ける。ぬっと恐ろしい顔を見せた途端に教師は逃げだし、子供たちは泣きわめく始末。

 寿張の者たちが困り果てている所、その李逵を呼ぶ声がした。

 没遮攔(ぼつしゃらん)穆弘(ぼくこう)であった。

「こんなところにいたのか、鉄牛。鮑旭も、焦挺も早く帰るぞ」

 せっかく楽しんでいたところに水を差された李逵だったが、おとなしく従うしかない。相手は、膂力では李逵に引けを取らない穆弘なのだ。

「また来るからな」

 と言って、李逵たちは寿張県を後にした。

 寿張県の人々は、やっと災難が去ったと肩を抱き合って喜んでいたという。


 火事騒ぎなどなかったかのように、店は元通りに修復されていた。

 むしろ前よりも大きく、豪華になったようである。帝の力が、密かに働いたという証左なのだろう。

 その広い部屋で、李師師がひとり佇んでいた。ほんの少しの休息のとき、李師師(りしし)は何もせずにこうしているのが好きだった。

 だがそれも老女将(おかみ)の声で終わりを告げる。

「いつものお方だよ。ちゃんとお礼を言っておくれよ。それじゃ、通すからね」

 人目をはばかるように帝が入ってきた。あの火事以来だった。

「お久しゅうございます」

「すまぬな。あの騒ぎがあってから、なかなか難しくてな」

「いいえ、お気にかけていただけるだけで、嬉しゅうございます」

 帝のための酒と食事でもてなし、李師師が唄を披露する。帝が惜しみない賞賛を送り、李師師が酒を注ぐ。

「どうした李師師。何か悩みでもあるのか」

 ぴたりと李師師の手が止まる。表に出さないようにしていたつもりではあった。だが帝には露見してしまったようだ。李師師はしばしうつむき加減で思案する。そして決心したように口を開いた。

「あの時、失火騒ぎの直前に来ていたお客がいるのですが」

 机の引き出しから、李師師が一通の紙を取り出し、帝に渡した。そして、田舎から出てきたという金持ちの話をする。

 帝はじっと書かれた詞に目を落としている。しばしそうした後、帝がやおら酒で唇を湿らせた。そしてその金持ちたちの風体(ふうてい)を李師師に尋ねる。

 なるほど、と帝が顎を(さす)った。

 火事騒ぎの翌日、賊を追った高俅(こうきゅう)が梁山泊軍と一触即発の状態だったという。高俅からは報告を受けてはいない。宿元景(しゅくげんけい)から、帝はそれを聞いていたのだ。

「その金持ちとやらは、梁山泊の者とみて間違いあるまい」

「申し訳ございません。危ないところだったのですね。私が軽々しく店に入れてしまったために」

「いや、女将だろう、そ奴らを入れたのは。お主は悪くない」

 優しく杯を差し出す帝。李師師はゆっくりと酒を満たした。

 そしてもう一度、詞に目を落とす。

 先の朝議では、梁山泊は危険な存在だと聞いていた。だから討伐の準備を進めよ、と命じていた。だがこの文を読むと、どうも田虎(でんこ)王慶(おうけい)そして方臘(ほうろう)などといった(たぐい)とは違うような気がする。

 六六(ろくろく)雁行(がんこう)八九(はちく)(つら)ねて、只等()金鶏(きんけい)の消息を、か。

 宿元景の情報によると、梁山泊の主だった頭領は百八人いるという。六六、三十六に八九で七十二(しちじゅうに)、合わせて百と八。自分たちを雁になぞらえ、金鶏である帝の言葉を待つという。

 一考の余地はあるかもしれない。そう思った時、部屋の外から声がかけられた。

「お料理をお持ちいたしました」

「うむ。頼む」

 梁山泊のことはあとで考えることにしよう。今は、李師師と楽しまねば。

 湯気と共に食欲をそそる香りが漂ってきた。

 帝は手紙を懐へと収めると、竜顔をほころばせた。


 朝議の()、一同が(おもて)を下げ静まり返ったところに、帝が入ってくる。

 侍従官が高らかに呼ばわる。

「奏上の儀あらば、早々に申し出られますよう。なければお開きといたします」

「おそれながら」

 とひとりの役人が進み出た。

 役人の元に届く上申書には、梁山泊(りょうざんぱく)宋江(そうこう)が府や州役所を襲い、倉から食料などを掠め取り軍民を殺害し、飽くことなき貪婪(どんらん)さであるという内容が数え切れぬほどあるのだという。

「早く討伐してしまわねば、必ずや後顧の(うれ)いとなりましょう」

 役人は苦悶の表情でそう告げた。

 帝は目を細め、ふむと唸る。

「過日、この都に梁山泊の者たちが入りこみ、騒ぎを巻き起こしたと聞いた。(こう)太尉、そなたからの報告はまだ上がっておらぬようだが、間違いないか」

 びくりと高俅(こうきゅう)が、座したまま飛び上がりそうになる。どっと顔中に玉の汗が浮かんだ。

「おっしゃる通り、梁山泊の賊どもがこの都を侵しました。あと一歩で敵の首を()れるところだったのですが、いかんせん多勢に無勢で捕り逃してしまいました。一連の件は、すぐに報告書を出しましたが、誰かの怠慢で届かずにいたのでしょう。私としたことが、大変失礼をいたしました」

 高俅の弁明に、蔡京(さいけい)は冷ややかな目をしていた。自分の非を瞬時に他人のせいにしてしまいおった。まったく口の達者な男だ。

「それと梁山泊討伐の件は、枢密院に早急に対処せよと言っていたと思うが」

 今度は童貫(どうかん)がびくりとする。梁山泊討伐に関して準備は進めてはいた。だがまだ整いきれていないのが現状だった。

「いま少しなのですが、田虎(でんこ)などといった他の賊どもや、北の(りょう)がまた辺境で騒がしいために、そちらにも兵を回さねばならぬのが実情でして。もちろん、梁山泊討伐のための軍も整えつつはありますが」

 と苦し紛れの弁明をする。童貫が言い淀んでいると、横合いから別の声がした。御史大夫の崔靖(さいせい)という者だ。

「おそれながら、童枢密のお言葉ももっともかと」

「ならばどうすれば良い」

「毒をもって毒を制す。梁山泊を帰順させ、彼らをもって賊や夷狄(いてき)を倒さしめてはいかがかと。それならば我が国の兵も損ずることなく、梁山泊を手の内に入れられれば強力な戦力となりましょう」

 ぱんと膝を打つ音が聞こえた。

「よくぞ申した。さっそくそのように手配せよ」

 帝が喜色を浮かべているようだ。宿元景に聞いていたように、梁山泊にはおそらく帰順の意志がある。それは李師師(りしし)に届けられた手紙からも明らかだ。それならば望み通りにしてやろうではないか。

 穏やかでないのは高俅だった。馬鹿な。あれほどまでの賊どもを許すというのか。従兄弟である高廉(こうれん)を殺されているのだ。その恨みを晴らせぬというのか。

 だが、歯を(きし)らせ唸る高俅を尻目に朝議は散会となった。役人たちが退出していく中、拳を床に押し付けるような恰好のまま、高俅はそこにいた。

「悔しいだろうな」

 蔡京が側に立っていた。

「おそらく宿元景あたりの入れ知恵だろうて。だが安心しろ。必ず、宋江(そうこう)とやらの首は獲ってみせる」

 蔡京の、深い皺の奥の目が笑ったように見えた。

 それは高俅さえもぞくりとするような冷たいものだった。

 

 梁山泊に吹く風に、花の匂いを感じる季節になった。

 忠義堂(ちゅうぎどう)戴宗(たいそう)が入ってきた。

 それを待っていたかのように、宋江が勢いよく床几から立ち上がる。

 しかし戴宗は、

「違いますよ、宋江どの」

 となだめるように言う。そして宋江は静かに腰を下ろす。

 開封府で李師師に手紙を託してから、すでに数月(すうつき)。報告がある度に、よもやの期待を込めて待ち続けていた。だがそれらしき報はいまだ届けられていない。

 だが梁山泊へ討伐軍を出す気配も、いまだ無い。元宵節にあれだけ開封府を騒がせたのだ、すぐにあるものだと思っていたのだ。

「いずれにせよ、準備はできています。待つしかないでしょう」

 呉用(ごよう)が言うように、この(かん)に迎え討つ体勢は整った。

 忠義堂を取り囲むように築かれた宛子城(えんしじょう)には、砲台が十余り据えられた。凌振(りょうしん)が鍛冶職人の湯隆(とうりゅう)と工夫を重ね、より耐久性のある、より(たま)を遠くに飛ばすことのできる砲台を開発したのだ。また神火将(しんかしょう)と呼ばれる魏定国(ぎていこく)もそれに協力したという。

 さらに(かなめ)となる水軍だ。孟康(もうこう)の設計により、これまで漁船程度だったものが軍船へと変貌を遂げた。本格的な戦はまだだが阮小五(げんしょうご)阮小七(げんしょうしち)などは早くもうずうずしているようだ。

 その船が並ぶ梁山湖のほとりを、張清(ちょうせい)が歩いていた。

 時おり腰をかがめて何かを拾う仕草をしている。石だった。

 没羽箭(ぼつうせん)という渾名は、張清が得意とする石礫(いしつぶて)に由来する。それに使う石を集めていたのだ。

 じゃりっと石を踏む足音が、もうひとつ聞こえた。

 張清が顔を上げると、そこに董平(とうへい)がいた。

「よう」

 とだけ言い、董平は黙って湖を見た。張清も何を言うでもなく、同じようにしていた。

 やがて思いついたように張清がつぶてを取り出した。平手打ちをするように、張清が礫を(はな)った。

 礫は湖面ぎりぎりを飛び、やがて着水した。だがそれで沈まず、湖面に弾かれたように再び飛んだ。石が(いなご)のように何度も湖の上を跳ねた。二十回ほどだろうか。その後、やっと石は水中へと消えた。

 董平が同じように石を飛ばした。三回跳ねただけで、水に沈んだ。

「くそっ」

 と叫ぶ董平だが、その顔はさして悔しそうではなかった。

「やはり、官軍と戦うのかな」

 もう一度、張清が礫を飛ばした。先ほどとほぼ同じ軌跡を描き、礫が跳ねてゆく。石を手にしていた董平は、それを見て投げるのをやめた。

「嫌か」

「というより、複雑な思いさ」

 董平と張清は、この梁山泊で新参者である。つい先日まで、ふたりとも兵馬都監を務めていたのだ。

 梁山泊の面々は、張清に散々打ちのめされたにも拘らず、気持ちいいほど胸襟を開いてくれる者ばかりだった。梁山泊に(くだ)った今、やはり官軍は敵という立場になるのだ。

 まだ割り切れていない様子の張清に対し、董平は少し違うようだった。

 どうも己の悲劇に酔っているようなところもあるようだ。張清は、この男のいう風流とやらが理解できない時がある。

「そうは言っても、やるしかないのだがな」

 張清がつぶやくように言い、三度(みたび)礫を放った。

 それは先ほどよりも勢いよく遠くへ飛んだ。だが礫の跳ねてゆく先に、船があった。

「危ない」

 叫ぶ張清だったが、どうすることもできない。董平も身を乗り出すようにする。

 船の上の男が身をかがめるようにした。礫は辛うじて、船をかすめただけだった。

 乗っていたのは王定六(おうていろく)だった。

 大丈夫かという前に、王定六は船から飛び降り、そのまま駆けだした。顔だけ向けて叫んだ。

「びっくりしたけど、大丈夫です。それよりも、急がなきゃ」

 あっという間に王定六の姿が山門の方へ消えた。活閃婆(かつせんば)と呼ばれるほどの健脚であった。

 忠義堂にたどり着いた王定六が告げた。

「来ました」

 盧俊義(ろしゅんぎ)が拳を握った。

「ついに来たか。して敵の数は」

「いえ、それが違うのです」

「どういうことだ、違うとは」

 王定六は、自分でも信じられぬという顔をして言った。

「来たのは、軍ではないのです」

 宋江が、床几(しょうぎ)を倒すほどの勢いで立ち上がった。

 唾を飲んだ。頬にひと筋の汗が流れた。

 宋江が待っていたものだ。

 それは帝から遣わされた、招安(しょうあん)の使者だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ