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恩讐 一

梁山泊(りょうざんぱく)が騒然としていた。

 関勝(かんしょう)らが勝利を収め、戻る少し前のことだ。

 段景住(だんけいじゅう)と、その護衛についていた索超(さくちょう)が満身創痍で運ばれてきたのだ。

「また奴らか。今こそ晁蓋(ちょうがい)の兄貴の(かたき)を討つべき時だ」

 珍しく宋江(そうこう)(いきどお)って拳を震わせていた。横の盧俊義(ろしゅんぎ)も表情を険しくしていた。

 奴らとは、曾頭市(そうとうし)のことだ。

 段景住の馬が再び奪われ、索超が重傷を負った。これ以上、曾頭市を野放しにしておく訳にはいかない。その想いが宋江を突き動かした。

 だが反して呉用(ごよう)は冷静だった。

「お気持ちは分かります。だからこそ冷静にならなければいけません」

「なるほど、その通りだ。宋江どの、ここは軍師どのの言葉を聞こう」

 その毅然とした態度に、盧俊義も応じた。

 呉用は、まず時遷(じせん)を曾頭市に送りこみ、情報を集めさせると言う。

 前回の失敗は油断と情報不足である。呉用はそう判断したのだ。

 誰よりも仇を討ちたいであろう盧俊義が、怒りを抑えている。宋江は、二人に従うことにした。

 ひとまず忠義堂(ちゅうぎどう)での会議を終え、呉用は索超の元へ向かった。

 寝台からはみ出すように索超が寝ていた。寝台の横に楊志(ようし)がいた。

「どうです、(あん)先生」

(あばら)をかなりやられたようだが、驚いたことに折れてはおらんかった。大した鍛え方をしとったのだろうな。もし折れて、肺腑(はいふ)に刺さっていたら、わしとて救えたかどうか」

 しかし索超ほどの男をここまで打ちのめす者とは、どんな者なのだろうか。

 索超は細い寝息を立てている。

 突如、覗きこむようにした呉用の襟に、手が伸びた。

 索超の目が開いていた。疲労の色が濃いが、索超は笑って見せた。

「おい、まだ動いてはいかん」

 安道全(あんどうぜん)が怒鳴るように言った。

「すまん。護衛は失敗した」

 (わず)かに乱れてはいるが、索超はしっかりとした口調だった。

「ええ、そのようですね」

 下から襟をつかまれたまま、呉用は冷たく言い放った。

 さすがに楊志が詰め寄る。

「呉用どの、それはあまりな言い方ではないか」

「いいのだ、楊志。本当のことだ」

 ですが、と呉用は言う。

「本来ならば馬をすべて奪われていてもおかしくはなかったでしょう。段景住の機転もありますが、なによりあなたがいたからです。馬も半数以上は梁山泊に届きました」

 ほっとしたように、楊志が腰を下ろした。

 だが索超は違った。あくまでも失敗だと言い募る。

 いい加減にしろ、と安道全が言いさした時、

「いい加減にしろ」

 そう言ったのは楊志だった。

「いい加減にしないか。索超も呉用どのも」

 呉用と索超が首をすくめるほどの剣幕だった。だがすぐに、楊志は唇を噛み、椅子へ腰を下ろした。

「段景住もこ奴も命は無事だったのだ。それで良いではないか。馬はまた手に入れられる。だが」

「命は、取り返すことができん」

 安道全が、横からそう言った。

「いかに、わしの腕をもってしても、死んだ者を生き返らせることはできん」

 索超も呉用も、それ以上何も言うことができなかった。二人とも良く知っていた。楊志が生辰綱の護衛をした事を。

 そして失敗した。その後、命を絶とうと思ったという。

 だが思いとどまった。梁山泊で会った林冲(りんちゅう)を思い出したからだ。

 楊志は生きた。だから、いまここで索超とも再会することができた。

 重かった。その楊志の言葉は、何よりも重かった。

 重苦しい沈黙が続いたが、安道全が追い払うように手を叩いた。

「さあ、もう良いだろう。こいつはいま目を覚ましているのがおかしいほど重傷なのだ。分かったらとっとと出て行ってくれ」

 呉用と楊志が部屋を出てゆく。それを索超が呼び止めた。

「治ったら。治ったら、わしを梁山泊に入れてくれるのだろうな」

 呉用が驚いたような表情をした。それを隠すように羽扇をくゆらせた。

「考えておきます。ああ、それと、労役はこれで終わりにしておきますので」

 では、と呉用が出て行った。

 索超は長い息をゆっくりと吐き、目を閉じると、すぐに眠りにおちたようだ。

 ふん、と腕組みをする安道全。

 頭を下げ、部屋を出て行った楊志は、嬉しそうに微笑んでいたようだ。


 目の前にいる巨漢を、史文恭(しぶんきょう)が射抜くように見ていた。

 そのやや後ろには曾頭市(そうとうし)の長、曾弄(そうろう)が座している。

険道神(けんどうしん)と呼ばれていると言ったか」

 はい、と郁保四(いくほうし)が返事をする。

 険道神とは葬列の先導をする巨神のことだ。郁保四は荒くれ者の手下たちと青州(せいしゅう)から来た。この曾頭市(そうとうし)への手土産とするため、梁山泊の馬を百頭ほど奪ったのだ。

 身の丈は一丈ほどもあろうという郁保四であったが、その巨体を縮こめていた。曾弄の威厳に、ではない。史文恭の視線を怖れるように、であった。

「どうですか、先生」

 曾頭市の兵として加えても良いか、というのである。

「ご覧の通り、立派な体躯です。この曾頭市のために、梁山泊の連中の葬列を導いてくれるという訳ですな」

 史文恭は、郁保四を見据えたまま言った。

 ありがとうございます、と場を辞した郁保四だったが、うすら寒い感じだけはしばらく(ぬぐ)えなかった。

 郁保四と入れ替わるように、部屋に五人の男たちが入ってきた。曾家の五虎と呼ばれる、曾弄の息子たちだ。

「また梁山泊の連中が攻めてくるようですね。この前みたいに返り討ちにしてやりましょう、父上、先生」

 威勢良く言ったのは、長男の曾塗(そうと)。弟たちも、そうだそうだと拳を上げる。だがというか、やはり史文恭は冷静にそれを諌める。

常日頃(つねひごろ)、言っているが戦うならば勝たねばならん。前回、曾頭市が勝ちを得たからといって、相手を侮ってはならん」

 釘を刺す史文恭の前に、曾塗は口を閉じた。史文恭は、薄く微笑んで告げる。

「だから十全に備えを重ねるのだ」

 応、と吼える曾家の五虎。

 史文恭の横で、副師範の蘇定(そてい)は思う。この史文恭、いつもながら恐ろしい男だと。

 自身の強さはもちろんだが、決してそれだけに頼ることなく、万全の策を講じるのだ。

 いつの間にか史文恭が、蘇定を見ていた。上げそうになった悲鳴を飲みこみ、蘇定が背筋を伸ばした。

「蘇定、お主には農夫たちを集めて、穴を掘らせてもらいたい」

「穴を、ですと」 

 それ以上は言わず、史文恭は曾頭市周辺の地図を差し出した。数十箇所に印がある。ここに掘れというのだろう。

 蘇定は視線から逃げるように部屋を出た。

 農夫たちを配置させている時、先ほどの郁保四に声をかけられた。

「あの、俺は何をしていたら」

「ん、ああ。お前は馬を守っておれ。寺の敷地に放牧してある」

「戦に出してくれないのですか。馬を奪う時に、梁山泊の奴をぶっ倒した。戦って名を上げるために、青州から来たんだ」

「分かった。力を借りる時もあるだろう。だがまだ新入りだ。まずは与えられた職務をこなすんだな」

「待ってくれ、俺だって」

 食い下がる郁保四が、蘇定に掴みかかろうとした。

 咄嗟に蘇定は横にいた農夫の(くわ)を奪い、突き出した。鍬は郁保四の顎すれすれのところでぴたりと止まった。

 うわっ、と郁保四が巨体をのけぞるようにした。

「同じことを何度も言わせるんじゃない」

 鍬を返し、蘇定が去ってゆく。

 力の差を見せつけられた郁保四は、悔しそうに拳を戦慄(わなな)かせていた。


「わしに先鋒を務めさせてくれないか」

 盧俊義が言った。

「晁蓋どのの仇を討ちたいのは分かります。ですが」

 と呉用は返した。

 盧俊義はまだ梁山泊に入山したばかりだ。さらに、盧俊義は晁蓋への想いが誰よりも強い。だから史文恭を目の前にすると激情に駆られ、戦略を無視して独走しかねない。だから認められない。

 呉用はそう言った。

 盧俊義はどさりと床几に腰を下ろした。

「軍師どのの、言う通りかもしれんな。だが」

「いえ、盧俊義どのにも戦いには出てもらいます。先鋒ではなく、曾頭市の裏手に当たる道に待機してもらいます。それが不服ならば、梁山泊に残っていただくしかありません。分かってください。この度の戦、負けた方は滅んでもおかしくないのです」

 盧俊義は目を細め燕青(えんせい)を見た。燕青は無言で盧俊義を見つめている。やがて盧俊義はゆっくりと頷いた。

 宋江は盧俊義に仇を討たせたかった。そうなれば盧俊義が頭領となる。晁蓋の友にして、河北(かほく)の三絶。まさに、梁山泊の頭領にふさわしいではないか。

 しかし呉用の有無を言わせぬ態度に、ついに口出しをする事ができなかった。

 かくして梁山泊軍が編成され、出陣の儀が開かれた。曾頭市の陣地に合わせ、五路の軍が広場に居並ぶ。

 空は青く、春を感じさせる風が柔らかく吹いていた。その風になびく旗には替天(たいてん)行動(こうどう)の四字。

 宋江はその横に、(ちょう)の旗を見た気がした。

 宋江が瞬きをすると、それは消えた。あるはずがないのだ。だが宋江は思った。晁蓋が見守っていてくれている。

 宋江は出陣の号令を力強く出した。

 地鳴りのように頭目たちが呼応する中、盧俊義は叫びたい気持ちを抑えていた。

 晁蓋よ。待っていろ。必ず仇はとる。

 呉用の言うとおりだった。

 仇を目の前にしたならば、きっと見境をなくしてしまうだろう。

 晁蓋の死を聞いた時から(くすぶ)らせ続けていた炎が、胸の奥でじりじりと燃え広がってゆくのを、盧俊義は感じた。

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