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宿運 三

 西嶽廟(せいがくびょう)の観主と、廟の役僧らや人夫たちが船着き場まで迎えにきた。

 供え物の香華(こうげ)や燈燭、神仏の頭上にかざす宝蓋(ほうがい)が運び出された。そして香炉を台に乗せ、人夫がそれを担ぎあげた。それらを先導役とし、その後に金鈴弔掛(きんれいちょうかい)が続いた。ふたりの接待係がそれをてきぱきと指示していた。

 観主が太尉に挨拶しようと近づいてきた。だが太尉側の接待係のひとりがそれを押しとどめるように前に出た。

「申し訳ございません。太尉さまはご病気ゆえ、ご気分がすぐれません。(かご)を用意いただけませんか」

「それはそれは。それなのにお越しいただき、誠にありがたいことにございます。すぐに用意させましょう。昨日、麓まで参っておられたのに、突如どこかへ行かれてしまったのはそういう訳でございましたか」

「いかにも。急なことゆえ、連絡もできずにおりました事をお許しください」

 そう言って、接待係が礼をした。

 轎がやって来て、太尉が気だるそうに乗りこむ。

 観主が先導し、轎と供の者たちが嶽廟まで上って行った。太尉を休ませ、また接待係が口を開いた。

「太尉さまがこうして聖旨(せいし)を奉じてきているのに、華州(かしゅう)の役人たちは出迎えにも来ないのですか。連絡は出立前からしてあると聞いているのだが。ああ、観主どのの責任ではないのですが」

「いえいえ、しかし遅うございますな。先ほど使いの者を走らせたゆえ、間もなく参るころかと」

 と話している矢先、州の副官が七十ほどの小役人を引き連れ、慌ただしくやってきた。

 すでに到着していた太尉の一行を見て、明らかに焦っているようだ。急いで平伏し、出迎えの口上を述べた。

「いまごろ来るとは随分のんびりしたものだな。しかもお主は副官ではないか。()太守は挨拶に来ないのか」

「申し訳ございません。少華山(しょうかざん)の賊どもが州城を連日、攻め立てておりまして、出立が遅れました所存にございます。太守さまは州城を守らねばならぬゆえ、私めが取り急ぎ参りました。太守さまも後から駆けつけます」

 へこへこしながら小役人たちに命じ、酒や肴を並べ始めようとする。

「待て。太尉さまはご病気で、酒は一滴も飲まれないのだ。早く太守を呼び、儀式の打ち合わせをしてしまいたい」

 副官が見ると、太尉は寝台に持たれるようにして座っていた。顔はうつむき加減で、はっきりと見えないが、どこかその姿も精彩を欠いているようだ。

 接待係が副官を廟へと促した。

 そこに装飾が施された箱が鎮座していた。鍵が開けられ、中から絢爛(けんらん)な金鈴弔掛が姿を現した。副官は思わず目を細めた。

 金、銀、瑠璃(るり)などの七宝や真珠で飾りつけられ、その真ん中には赤い(うすぎぬ)の燈篭が(とも)されるようになっていた。まことに(みやび)な造形で、聖帝殿の中央に掛けるために開封府のとある名工が腕を振るった一品であるという。

 ううむ、と唸る副官を尻目に、接待係は金鈴弔掛を仕舞い、しっかりと鍵をかけた。そして別の箱から公文書の束を取りだし、副官に手渡した。

 すぐに、と言い残し副官と小役人たちは華州へと戻って行った。

 ふたりの接待係は、それを見て確かめるように頷くと、寝台にもたれかかる太尉の姿を仰ぎ見た。

 その太尉の顔はよく似てはいるのだが、宿元景(しゅくげんけい)の顔ではなかった。

 接待係の姿をした宋江(そうこう)呉用(ごよう)が、にやりと笑った。


 華州から史進(ししん)魯智深(ろちしん)を救い出す策を考えあぐねていた時である。

 宿元景という太尉が、開封府から聖旨を奉じて華山へと参詣に来るという情報を得た。

 すぐに呉用が反応した。

 開封府からの使者が来るという事は、賀太守も挨拶に顔を出すということ。

 ならば、その宿大尉になりすましてしまえば良い。用心深い賀太守をおびき出すには、この手しかないと思われた。

 すぐさま太尉の行程と日時を割り出し、林冲(りんちゅう)らに華州城を攻めさせた。迎えに出てこられないようにする、時間稼ぎのためだ。

 そして宋江は渭水(いすい)の入り江に船団を待ち構えさせた。

 居丈高(いたけだか)虞候(ぐこう)たちだったが、李俊(りしゅん)張順(ちょうじゅん)によって仲間が水に投げ落とされるのを見て、やっと事態の深刻さが分かったようだ。

 あとは宿元景との話し合いだった。

 宋江は自らの思いを語った。誠意を込め、語った。

 宿元景という男の、人となりを調べさせていた。少なくとも蔡京(さいけい)高俅(こうきゅう)(くみ)する者でないことは分かった。

 だから宋江の思いは伝わると信じていた。最悪の場合も考えてはいたが、その手は使わずに済んだ。

 宿元景らを少華山に留め置き、顔が似ている者を選んで衣裳を着せた。声や立ち居振る舞いで露見する恐れがあるので、太尉は病気だという事にした。虞候ももちろん、梁山泊と少華山の頭領たちが扮している。

 その後、やっと副官が登場したというわけだ。

 宋江は聖帝殿に向かい、目を閉じた。これからこの西嶽廟を、血で(けが)してしまう事を許してくれるよう祈った。

 物見の兵から、賀太守が来たと連絡があった。

 賀太守は三百人ほどの兵を引き連れていた。兵は全て、物々しく帯刀していた。 

「賀太守よ、太尉の前であるぞ。なんだその兵たちは、戦でも仕掛けるつもりか。お主ひとりで参るのだ」

「そのようなつもりはございません。山賊に囲まれた州城を出るのに、必要だったのです。兵たちは、すぐに下がらせます」

 接待係の姿をした呉用の言葉に、賀太守が従った。

 賀太守が太尉に礼をし、門をくぐった。突如、門柱の陰から解珍(かいちん)解宝(かいほう)が飛びだし、賀太守を取り押さえた。何が起きたのか確かめるような目で、賀太守は太尉の方を見た。

 賀太守の側に、楊雄(ようゆう)が立っていた。楊雄は手にした鬼頭刀(きとうとう)を、躊躇(ためら)うことなく振り下ろした。

 両断された賀太守の首が、ごとりと廟の床に転がった。

 やはり、何が起きたのかわからないという表情をしていた。

 外に待機していた兵たちも茫然としたまま、梁山泊の兵たちに斬られていった。逃げようと門に殺到した兵もいたが、そこには武松(ぶしょう)石秀(せきしゅう)が待ち構えていた。

「あんた武松だったよな。俺はどうやら、よっぽど坊主に縁があるとみえる」

「ふふ、先に行くぞ」

 武松が石秀に向けて鋭い笑みを浮かべ、戒刀を抜き放った。石秀は、その刀身から冷気のようなもの感じ、さらに口笛のような音を聞いた気がした。

「ふふ。だが、あんたみたいな男なら、大歓迎だ」

 石秀も刀をひっ下げ、兵の中へと突っ込んで行った。

 宋江はすぐに華州城へと早馬を走らせた。賀太守を外へ出すため、一旦待機していた林冲らの隊が再び州城を攻撃し始めた。

 華州の副官は懸命に応戦した。だが太守を失い、統制のとれない華州軍は長くはもたなかった。林冲の隊そして少華山の兵が門を抜け、城内へとなだれ込んだ。

朱武(しゅぶ)の兄貴、ここは俺たちが。史進を頼む」

 陳達(ちんたつ)楊春(ようしゅん)が、華州の兵たちを食い止めるために残った。朱武は何も言わずに奥へと駆けた。林冲もそれに続く。

 牢が見えた。牢番のひとりが林冲の蛇矛(だぼう)に倒されると、もうひとりは悲鳴を上げて逃げて行った。朱武は鍵を奪い、さらに牢の奥へと進む。

()の兄貴」

「おお、林冲か。すまんな、ちょっと寄り道をしてしまってな」

 牢の中でうっそりと起きた魯智深(ろちしん)が、途端に明るい顔になって笑った。

「まったく、無事で良かった。とっととここを出て、再会の酒でも飲もう」

「がはは、そうこなくては。したい話が山とあるのだ。とことん付き合ってもらうぞ」

 林冲と魯智深が笑った。ここが牢だとは思えないほどの笑い声だった。

 朱武はそのさらに奥へと進んで行った。

 突き当たりの牢の中に、史進がいた。

 城内の騒ぎで、何が起きているのか察したのだろう。朱武を待っていたように、笑みを浮かべた。

「史進」

「今度は、俺が助けられちまったな」

 鍵を開け、外に出た史進の横っ面を、朱武が殴った。

 史進は驚いて朱武を睨んだが、何も言わず口を固く結んだ。切れた唇から血が流れていた。

「すまない。だが、無事で良かった、史進」

 握っていたもう一方の拳をゆっくり下ろしながら、朱武はそう言った。

「おう、史進よ。すまんな、お主を助けに来たはずが、わしの方が捕まってしまってな」

 史進が何か言おうとした矢先、魯智深と林冲がやってきた。

 二人を見て林冲は黙ったまま、魯智深は大きな目をさらに大きくした。そして大きな口をにんまりとさせた。

 ぱあん、という乾いた大きな音が二回、牢に響いた。

 史進と朱武が、背中を押さえ、飛び上がった。

「痛ってえな、いきなり何を」

「史進も朱武も、喧嘩は後で好きなだけやれ。いまはここからさっさと抜け出そうではないか」

「ふん、早く酒を飲みたいだけだろ、魯の兄貴」

「お主、史進と言ったか。ふふ、なかなか分かってるではないか」

「林冲も、冗談を言っている場合ではないぞ。ほれ、朱武も急げ」

 朱武は感謝した。

 史進を、頭領を殴った。

 怒りなのか。確かにひとりで華州に乗り込んだ史進に怒ってはいた。だが同時に心配でもあり、行かせてしまった己のせいだという気持ちもあった。

 それらがすべてないまぜになった想いだったのだろうか、朱武にも分からない。

 魯智深はその重い空気を吹き飛ばしてくれた。

 少華山に来た時は粗野な坊主だと、正直思った。だが無謀とはいえ、ひとりで華州に乗り込んだ姿を見て、史進と同じものを感じた。

 そして目の前の魯智深の笑顔を見て、やはりそう思う。

 とにかく良かった。朱武は目頭が熱くなるのを感じた。

「陳達と楊春は外で戦っているのだな。待っていろ、二人とも」

 史進が鼻息を荒くして、上着をはだけさせた。

 史進の背中の竜の(あいだ)に、大きく赤い手形がくっきりと浮かび上がっていた。

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