第一章 非日常からの御誘い(1)
彼女は夢を見ていた。
どこかも分からないような、白くてとてつもなく綺麗な世界に、彼女は立っている。
そこへ、音もなくなにかが降りてきて、ふわっとした風が巻き起こる。
彼女は、無意識にお気に入りのバレッタがとんでいってしまわないように手で押さえる。
彼女に見えたのは、六枚の翼。
そして、そこから降りてくる、とても美しい一枚の羽。
羽が彼女の手元へと導かれるように収まる。
そのとても心地よい感触にうっとりしていると、どこか懐かしいような、せつないような、そんな気持ちに彼女はなる。
しかし、次の瞬間、周りは見るのもおぞましいような景色に一変する。
死者が泣き叫び、どす黒い血がみるみると溢れていく。
羽は、どんどん枯れてゆく。
あたりは、邪悪な気で満ち溢れている。
彼女が戦慄して、ふるえていると、なにか、が彼女のほうへ、ど、ど、ど、っとやってくる。
思わず、彼女が悲鳴をあげた、その瞬間―――――
「朝からうるさいわよ、鈴!」
と、声がしてがばっとベッドから彼女は起き上った。はあ、はあ、と、鈴と呼ばれた少女は息をつく。
「まさか、ゆ、夢…?」
「鈴!りんー?ねえ、大丈夫なのー?!」
鈴のいる二階へ、一階から彼女の母の声が響く。ハっと、鈴は目が覚める。
「うん、大丈夫だよ―、ママ」
そう一階に向けて言うと、彼女、海山 鈴は、ふー、と息をはいた。
久しぶりに見た悪夢だなーと、彼女は一人考え、学校に行く支度を始める。
鈴は高校二年生で、本日はおなじみの定期テストだ。できれば遭遇したくないイベントともいうべきであろうか。鈴は、今回のテストは本当にちんぷんかんぷんで、昨日も散歩をしてきたぐらい、能天気である。まあどうにかなるさ!が、彼女のアイデンティティーでもあった。
でも。
「あー、このさい、神様でも悪魔でも釈迦でもなんでもいいから点をとらせてくれないかな~」
と、苦しいときの神頼みをしながらブレザーの制服に腕を通すのであった。彼女の高校のブレザーは、なかなか可愛いとイマドキの女の子に高評だ。カッターシャツだけでも、白と薄い黄色、ピンクと三種類あって、基本的にどれを着て行ってもいいことになっている。その上から毛糸地のベストを着て、指定のネクタイかリボンを付ける。これも、基本的に自由だ。下は、チェックのミニスカート。この制服目当てに入学を決める生徒もおおいとかなんとか。鈴はというと、ただ家から一番近くて、友達もわりと多めにこの学校に進学を決めていることから、この高校を選んだ。
ふと、昨日拾ったストラップを鞄に付けるのをわすれていたことを想い出す。しかし、なんだか鞄につけたらいけないような気持ちになってしまい、どうしようか迷った末にブレザーのポケットにハンカチとともにしまってしまった。
「今日のテストでいい点をとって、トップ10に入って…俺のイメージを脱却してやらないとな!」
一人の男子高校生は、本日のテストに、ものすごい熱をいれていた。だからといって、そこまでまじめそうな外見でもなく、どちらかというと不良っぽそうな印象で、目つきも鋭い。服装は、学校指定の学ランだ。
「ったくよー、なんで地毛が茶髪で目つきが悪いだけで不良あつかいされなきゃなんねーんだよ…」
ぶつぶつ一人でいいながら、通学路を歩く。すると、同じクラスの男子生徒とおぼしき人が二人で前をあるいていた。すると、なんと右側に歩いていた男子生徒がハンカチを落とした。
これはチャ―ンス!と思った茶髪の男子高校生は、サっと華麗な動作でハンカチを拾い、その男子生徒に声をかける。
「なあ、これお前のだろ?」
背のせいか、少々見下す感じになってもうしわけないな、と思っていると、男子生徒二名はなぜかフリーズしていた。
「ヒィイイあ、ああああ旭川君?は、はははハンカチちち、あありがとう、うわあああああ!お、お金ならあげるから!殺されるうう!!」
「殺さないで!なんでもするからうわあああ!」
と言うと、うわああああと叫びながら男子生徒たちはハンカチを受け取らずに一緒にその場を走り去っていってしまった。
一人、ハンカチを持ったまま立ち尽くす、旭川 元成。
「あはは、ははは…」
力のない笑みを浮かべながら、ハンカチは後で机に置いておこう、と心に決め、こそこそと噂する周りをチラ見しながら、学校へととぼとぼ急いだ。
「ねー、美亜聞いた?また隣のクラスの旭川君がクラスメイトを脅迫してたんだって!ほんと懲りないよね~」
と、うにゅーんという感じで机に寝そべりながら鈴は言う。美亜と呼ばれた彼女は、その艶やかな黒髪を肩の後ろへあげながらその話を聞いていた。
「彼、そこまで悪い人にみえないんだけどなー。よく見ると、ハンサムじゃない?」
フフフ、と大人な微笑を浮かべる美亜に、鈴はまだまだかなわないなーとかなんとか思いながらその微笑に問いかける。
「じゃー、脅迫したってまがいの話は、ほとんどが根拠のほとんどない噂って、美亜はいいたいわけ~?」
「そうよ、話っていうのはね、尾ひれ背びれつくようなものって、昔から言うじゃない」
そーいうものかなー、ふーん、と、鈴はなんとなく納得する。しかし、こんな話をしている場合ではないと気付く。
「美亜!!桜川 美亜!テスト、勉強した?というか勉強してるでしょ!!!」
「え?テストって、三周はさらっておくものでしょ?勉強してるにきまってるじゃない」
さらっと日本人らしからぬことを言う美亜を見据えながら、うわあああと美亜の肩をゆすぶる鈴。
「だってえー勉強とかぁー分かんないんだもーんもう知らなーい!」
そういって拗ねる鈴に、ハっと何かを思い出したかの様に美亜は尋ねる。
「ねえ、鈴!!」
「なによ?ゆーとーせい?」
「昨日さ、空き地のごみ箱の近くで、落し物拾わなかった?」
鈴の心臓が、ドクンと波打つ。どうしよう、もしかしたらパクったの見られた?そう鈴が思った瞬間―――
「いや、別に咎める気はないのよ?ただ、教えてくれればいい、だけ、で…」
珍しく、美亜の歯切れが悪い。こんな美亜、初めてだ。
「鈴、もし拾ったらでいい、いつでもかまわないわ、心構えができたら、教えて。黒い天使のストラップを拾ったら、すぐに教えて。お願い、本当に、でないとあなたが―――」
きーんこーんかーんこーん。
気の抜けた予礼が教室に響く。我に返った美亜は、気まずそうな表情を浮かべながら、自分の席へと戻って行った。
(あのストラップは、美亜の、それとも…―――?)
なぜ、拾ったのがストラップと知っているのか。そして、それが黒い天使のストラップとしっているのか。いろんなことがぐるぐると彼女の頭を駆け巡っていた、
だから、気がつかなかった。
ポケットにいれておいたストラップが、ほんのりと熱を発していることに―――――。