第一の戦
七不思議。それが明確に噂されてきた時期は曖昧だが、生徒たちの間では、三年もしくは四年ほど前からだろうと一応の結論が出されている。
では、いったいどのような奇怪現象があるのか。それは以下の通りだ。
一、夜な夜な響く狂ったような笑い声。
二、誰もいないはずの音楽室からピアノの音。
三、男子トイレから聞こえるすすり泣く声。
四、醜い化け物を写す恐怖の大鏡。
五、随分前に廃部となった図書部の部室から度々消失する本。
六、保健室に現れる死者の亡霊。
七、存在しない学園長室の謎。
それでは、ユーマたちが最初に目を付けたものはどれか。それは、わざわざ夜に抜け出してまで校舎に侵入したことから、一番目の『夜な夜な響く狂ったような笑い声』であることが分かる。
夜な夜な響く狂ったような笑い声。その始まりは、忘れ物を取りに来た一人の男子生徒からだった。校舎に忍び込んだ男子生徒は、忘れ物を回収すると急いで帰路に付こうとした。
その時だった。
笑い声が聞こえた。何がそれほどおかしいのか、狂ったように笑う声が確かに聞こえた。これはおかしい。夜間の外出は、減点対象となる校則違反だ。慎重にならざるを得ない。あのような笑い声を上げてはお終いだ。
男子生徒はそんなことを考えながらも、君が悪くなり逃げだした。
と、ここまでは良い。問題は、その男子生徒が逃げる途中に何者かに襲われ、気絶したという事だ。同じような被害者はその後も続出し、誰一人として犯人の顔を見ていないことから七不思議の一つにまでなってしまった。
「なあ、本当にやるのかよ。嫌だぜ。校則違反がばれて減点喰らうのは」
限界まで潜めた声でそう言ったのは、必要以上に注意を配っているルークだ。ちなみに、全員顔を見られないようにタオルを顔に巻くなどの対策をしている。
ユーマが返答する。
「大丈夫だよ。ボクとシエルがいるんだ。相手が普通の人間なら、シエルに敵うはずがないし、タクトを連れてるとしても何とかなるさ」
「どっからそんな自信が沸くんだよ。羨ましいというか何というか……」
「――ルークさん、少し黙ってください」
シエルが無理矢理ルークの口を塞いだ。驚くルークだが、シエルが目を閉じ、何かに集中していることに気付きじっとすることにした。
シエルは目からの情報を一時的に遮断し、聴覚に神経を研ぎ澄ませた。ブランケット一族の強靭さは、身体能力だけではなく、こういった感覚にまで及ぶ。限界まで集中すれば、現時点のシエルでも常人の五倍の性能を引き出せる。
やがて、目を開くと二人の方へ向き直り、短く言った。
「足音が聞こえます。数は一人、場所は三階あたりです」
「三階か。ここは二階だから……そうだね、二手に分かれよう」
ユーマは素早く二人に作戦を伝えた。
校舎には北と南に二つの階段がある。ユーマは自分とルークが北階段、シエルが南階段から上へあがるように伝えた。勿論、あくまで最優先は見つからないように行動することだ。
ユーマはルークと共に、現地点で北階段より若干遠くに位置する南階段へ急いだ。足音を立てないように走るため、速度が落ちるのは仕方が無い。
一方シエルは、さすがブランケット一族と言うべきか。無音で全速力となんら変わらないスピードで走り出した。三階到達には、当然だがそれなりのタイムラグがあるだろう。だが、今回の作戦はそれがミソとなる。
足音を殺しながらも、なんとか三階へたどり着いた二人は、廊下を慎重に盗み見た。
「……誰もいないね。移動したのかな?」
ユーマがそう呟いた直後だった。
とある声が、三階を中心に全ての階へ響き渡った。
そう、七不思議の一つ。狂ったような笑い声である。掠れたような声で、けたたましく鳴り響くその声は、確かに三階からの物だった。では、一体何処に? それを見つけ出すのは、容易であった。
背後。
二人の背後に、いったいいつの間に現れたのか、その声の主は居た。急いで振り返り、正体を確認する。しかし、その姿が確認できる前に、ユーマは、そしてルークは頭部に強い衝撃を感じた。
視界が歪み、バランスが保てなくなる。
「っ……しま、った……」
それでも地に倒れる寸前、ユーマはポケットから一体のタクトを取り出した。そのタクトは出るや否や本来の姿を取り戻し、巨大な腕でユーマたちを襲った張本人を一薙ぎした。身を仰け反らせ、寸でのところで躱した犯人が、逃走する。しかし、その先にはある意味、最も人間が相手にしたくない相手が――シエルが待ち構えている。
これこそが、この作戦の最大の要点。あえてシエルの到着を遅らせることで、犯人の逃げ場をなくす。
犯人は笑い声をあげていた張本人、恐らく自らのタクトを呼んだ。それはユーマの出したタクトを抜けると、犯人の下へ猛スピードで向かう――ことはなかった。
突如、開けられていた窓から飛来してきた鷹に撃墜されたからだ。
ユーマが最後に繰り出したタクト。それは決してシュラではない。ユーマが出したのは、シエルのタクトであるルナだった。
では、シュラはどうしたのか。
その問いの答えは、熊を前にした際の犯人の行動が示してくれる。三メートルは有ろうかと言う熊に襲われれば、誰だって逃げ出す。万が一立ち向かおうと考えても、タクトと共に戦わなければならない。そのタクトを倒すのが、シュラの役目だ。あらかじめ外へ飛ばせておき、頃合いを見計らって先に三階へ着いているはずのシエルに窓を開けさせる。
あとは簡単だ。ルナに意識を向け、隙だらけの犯人グループへ不意打ちを仕掛ける。残された犯人は、シエルに打ちのめされる。
ルナに揺らされ、何とか目を覚ましたユーマは、ルークを起こし犯人とシエルのいる場所へ向かった。
予想通り、犯人はシエルに取り押さえられていた。顔は良く見えないが、あとでいくらでも拝むことが出来るはずだ。ユーマは頬が緩むのを感じていたが、少しだけ、僅かに詰めが甘かった。
犯人は最後の抵抗に、口から何かを吐き出した。カラン、と転がる音がしたと思うと直後――
三階全域を一瞬だけ昼に変えるような閃光が迸った。
暗闇に慣れすぎていたことが裏目に出た。あまりの眩しさに、視界がパニックを起こし、視覚を断たれてしまった。それはシエルも、ついでに言えばタクトであるシュラとルナもだ。
ただ一人、後ろにいたことで、ユーマが盾になったことで被害を免れたルークを除いて。
犯人はすぐに逃走した。追うことが出来るのは、眼が見えるルークだけしかいない。
「ルーク、あいつを追うんだ。今この状況だと、君しかいない」
「わ、分かった。絶対に捕まえる!」
犯人に続くように、ルークも走り出した。だが如何せんコンパスの差がありすぎる。ルークは年齢からすれば身長が高い方だが、さすがに十七辺りであろう犯人との歩幅の差は覆せない。
――くっそぉ……駄目だ、引き離される。何か、何かないか!?
必死に考えるも、名案は浮かばない。しかし、名案ではないが、一つだけ絶望的に成功率の低い作戦なら、思い浮かんだ。
――俺は、どうしてこの学校に居られるんだ? ……ドラゴンだよ。あいつがいるから、俺はここに居るんだ。
「だったら……今来てくれよ。俺に、力を貸せよ……!」
《テレパシー》を使い、必死に呼びかける。そしてふいに、ドラゴン――チェインから返事が来た。
「その名前、どうにも慣れんな」
「はあ!?」
「随分長い時間を生きているが、やはり慣れんな」
「何が慣れないんだよ! いいから来てくれ! 話はその後に聞く! ていうか来い!」
「……まあいい。詳しいことは、あとで教えてやる」
瞬間、それはやってきた。
ガラスを割り、途方もないプレッシャーを従え、それはやってきた。
「……チェイン? 来てくれたのか……?」
「ふん。少しは、マシになったかもしれんな。で、あれを捕まえればいいのか?」
チェインは目線を犯人へ向けた。ルークがこくりと頷くと、五メートル、それでもまだ最大ではない青い体をうねらせ動き出した。瞬く間に距離を詰め、犯人を締め上げる。
その直前に、犯人は何者かに奪われた。チェインより素早く犯人を奪い取った者の正体に、ルークは目を見開いた。
信じられないという声で、呟く。
「お前は……エルファ?」
「まさか、貴様のような奴がドラゴンを従えているとは。飛んだ隠し玉だな」
「……いつから居たんだ。そいつを奪って、どうする気だ」
エルファは見下すように笑うと、静かに口を開いた。
「結果として、七不思議の一つ。夜な夜な響く狂ったような笑い声は俺が解決したことになる。よく覚えとけ。戦は既に始まっているんだ」
「てめえ……チェイン、闘うぞ!」
チェインの回答は、断る、と言うものだった。
「……何でだよ……俺に何が足りないってんだよ!」
「何もかもだ。……俺はこれで帰るが、もしもお前が本気で俺を従えようと言うなら、『絶対零度の山』の頂上へ来い。来れるならば、だが」
「はあ? おい、待てよ!」
ルークの制止もむなしく、チェインは去って行った。エルファがまた言葉を言った。
「未熟だな。だが、育ち方次第ではいいテイマーになるだろう。まあいい。とにかく、今回の戦は俺の勝ちだ」
「……そうはいかないな。エルファ」
ルークは後ろを振り返った。そこには、視力を回復し駆けつけたユーマたちの姿があった。
手にはインコをぶら下げているようで、どうやらあれが笑い声の犯人らしい。
「そうはいかない、とはつまり……この状況から逆転できるという事か?」
「できるさ……と言いたいとこだけど、今回ばかりは無理だね。さすがのボクでも、零を一にすることは出来ない。今回は譲るさ。……けど」
ユーマはルークに「帰るよ」と言うと踵を向けた。歩き去りながら、続きを口にした。
「次はこうはいかない。残り六つ……全部ボクが取るから。覚悟しなよ」