裏の世界
奴隷市場、『アルミゼ』。
日夜奴隷の競売が行われる中規模都市であり、一日に動く金は一億グフ(この世界の通貨。一グフが日本円にして一円程度。ちなみに全世界共通)は下らないと言われる、金持ちのための娯楽場である。
それだけの金が動くということは、裏を返せばその分奴隷が売られ、仕入れられているということのため、裏の商売、金を求めるならず者が出没する危険地としても知られている。
「ま、そういう訳だが、心配することはないぞ。俺はそれなりに強いからな。そんじょそこらのチンピラには負けねえよ」
「それはこの道中に何十回と聞いたけど、本当に買うの? その……奴隷を」
三か月後、傷が癒えたユーマは、整備された道を、父の背中に付いて歩きながら躊躇いがちに聞いた。現代日本人の飛鳥悠馬の感覚からすれば、人身売買の制度は聞いていて気持ちの良い物ではない。だからと言って、同情するわけでもないが。
グラウストはある一軒の店の前で止まると、扉を押し開けながら答えた。
「もちろんだ。お前もヴォルデモートの血を引く限り、命を掛けて守ってくれる人が一人二人はいないといけないしな。ま、俺も奴隷制度ってのは好きじゃないが……」
「世の中の秩序を守るためには、仕方ない、と?」
「まあ、そんなところだ。さあ、入るぞ」
二人は店内に入った。十人ほどの客が入っており、壁に貼ってある各奴隷の顔写真やプロフィールなどを見物している。よく見れば、ユーマでも知っているような大物も二、三人ばかしいるようだ。
グラウストはカウンターの女性店員と一言二言会話を交わすと、ユーマに「行くぞ」と一声かけて奥の方に消えてしまった。続くように足を踏み出したユーマだったが、壁に貼られている一つのプロフィールに興味を持ちその足を止めた。
その場で眼に入ったプロフィールの文字を呟く。
「シエル・ブランケット……世にも珍しい水色の髪を持つ、ブランケット一族の生き残り。一族特有の、身体能力には目を見張るものがある。注意事項、幼少時より熊型タクトと契約しているため、ご購入される際はテイマー育成学校の学費も購入者の負担となります。年齢、九歳。血液型A型。身長百四十センチ。体重二十キロ」
ブランケット一族。確か、何年か前に一夜にして滅んだとか。何故滅んだのかは不明とされているが、まさかその生き残りがいたとは。そして、それが奴隷になっているとは。
そんなことを考えながら、ユーマは父親の向かった部屋へ入って行った。
「遅いぞ! まあいい。とりあえず、紹介しとく。奴隷商人で、この店のオーナー。ジャックだ」
グラウストの指差す先に目を向けると、小太りの中年男性が目に入った。
「どうも。トリックスター店主、ジャック・ベルメールです。グラウストとは、まあなんていうか……腐れ縁みたいなもんです。よろしく」
「で、お前が一押しする奴隷ってのはどいつだ。あまりにもお前がうるさいもんだから、来てやったが」
「ああ。もうスタンバイしてるよ。おーい! 入ってくれ!」
ジャックがそう言うと、ユーマが入ってきたところとは別のドアから、一人の少女が入ってきた。頑丈そうな首輪、手枷と足枷を嵌められており、その表情は当たり前だが暗い。
だが、それ以前に目を引くのは肩のあたりまで延びている青い髪だった。ユーマは目を僅かに見張った。
ジャックが紹介する。
「シエルだ。年はちょっと前に九つになったばかり。ここには、四歳の時からきてる。丁度、あの事件の後だ」
「その青髪……なるほど、ブランケットの生き残りか。確かあの事件が……五年前だったか。つまりジャック。お前が言いたいのは」
「ああ、奴隷商人としてではなく、お前の友として頼む。この子を引き取ってもらえないだろうか?」
ユーマは自らの知識から、奴隷について引っ張り出した。売れ残る奴隷の生死は、基本的にその店のオーナーの裁量で決めてもよい。ただし、五年間一度も売れないようであれば、強制的に処分しなければならない。
ユーマにもジャックが言わんとしようとすることが分かった。つまり、売れ残ってしまったからどうにかもらってくれないだろうか、ということだ。
ジャックが、熱を持って語り始めた。
「俺は、今まで何百と売れない奴隷を処分してきた。それを悪いなんて思ってねえし、反省する気もこれっぽっちもない。けどな、俺には自分で決めたルールがある。子供だけは、何とかして子供だけは救ってやる。まだ、将来に希望がある子供だけは、何があっても処分しないようにしてきた。俺の自己満足かもしれない、ただのエゴかもしれないけど、必死でそういう奴らにも飼い主を捜してやって、多少強引な手を使っても渡した。でもな……」
シエルをちらりと見て、続ける。
「この子は、ちょいと事情が事情だからな。それにタクトも所持してる。だから、そんじょそこらの金持ちじゃあ、引き渡せねえんだわ。だからよお、もしもお前に……この子を助けたいって善意があるなら、引き取ってくんねえか?」
グラウストはフッと笑って返す。
「何か勘違いしてるな、ジャック。俺に聞くのはお門違いだぜ?」
口を開きかけたジャックを遮って、ユーマの方を指差す。「今日の目的は、せがれのお目付け役兼監視役兼ボディーガードを買う事だ」
ユーマの方へ体を向き、問いかける。
「お前はどうしたい? ユーマ。この子でいいか?」
「……ずるいな」
ユーマは盛大にため息を吐いた。ジャックの方を向いて、枷のカギを貸すよう命じる。ジャックは頬を緩ませると、鉄のカギを投げ渡してきた。
シエルへ近づき、鍵を開けながら言う。
「ここで断ったら、まるでボクが悪者みたいじゃないか。……ほら、君を縛る鎖はなくなったよ」
シエルにそう伝えると、彼女は小さな声でお礼を言った。少しだけ罪悪感が残るが、それを心のうちに仕舞って、今度はグラウストに向かい話す。
「用件は終わったし、早く帰ろう。話があるなら、シュラを呼んで先に帰るけど」
「ちょっと待てよ。ジャック、こいつを渡しとく。後で確認してくれ」
グラウストは大きめの封筒を渡した。それを訝しげに見て「何だこれ?」と聞く。
「自分で確かめろ。ただまあ、いい知らせではないと思う。誰にも見られんなよ」
「……分かった。それじゃあ、細かい手続きはこっちでやっとくから、また来てくれよ。坊ちゃんもね」
「坊ちゃんて、ボクのことかい? 多分、もう二度と来ないと思うけど」
ジャックは苦笑を浮かべ、シエルを加えた三人を見送った。
その後、自らの書斎に戻り、早速あの封筒の内容を確認することにした。
「……どれどれ。えーと、『魔法研究の権威』ジャック殿へ……っておいおい」
壁に耳あり障子に目あり。聞かれてはまずいと思ったジャックは声に出さず黙読した。そして全てを読み終えると、それを灰の一片も残らぬまで焼き尽くした。
険しい顔で前方を見つめ、忌々しげに呟く。
「ふざけんなよ……あの研究を、再開しろってのか? あの、悪魔の研究を……ったく、五、六年の内に荒れるぞ。この世界は」