契約
ユーマが異世界に転生して、早十年が過ぎようとしていた。この間にユーマが取得した主な情報は大きく分けて三つ。
一つ目にこの世界の自分の境遇について。詳しく調べてみると、ヴォルデモート家はユーマの住む大国『ミゼラン』の四大貴族の一角という事も分かった。つまり、かなりの上流階級なのだ。兄弟はユーマを加えて三人。八つ上の長男ラルグと三つ上の長女ルルがいる。白い髪に紅い眼を持ち、過去に優秀な武人や官僚を輩出している、名家として知られている。
二つ目は、この世界自体について。主に『ミゼラン』『コータン』『ガルマ』の三つの大国に分けられている。アレンの住むミゼランは、町並みなどは中世ヨーロッパを想像させるものだが、文明レベルは現代の日本レベルまで発達しているため、そこに言い表せない違和感が生まれている。言語は全世界で統一されており、ユーマは持ち前の記憶力と順応力で二年ほどで完璧にマスターした。
そして三つ目。これがいちばん大きいのだが、この世界には『タクト』と呼ばれる不思議な生物が存在する。各地に散らばり、いつの間にか増殖する遺跡に眠る「光る卵」。人肌に触れると孵化するその卵から生まれるモンスターで、あらゆる動物をモチーフにした個体の他にも、ドラゴンやペガサスと言った空想上のものとされている怪物をモチーフにした個体もいる。タクトを使役する者を契約者、もしくはテイマーともいう。
これらの情報を集めたユーマだが、今どうしているかと言うと――
「……お、大人しくしとけば、命までは奪わねえ」
「言われなくても、そうしとくよ。でも、大丈夫なの? 遺跡に入って」
誘拐されていた。
別段、可笑しなことではない。権力の強い貴族という事は、必然的にそれなりの財力も持ち合わせているため、それを狙う輩が現れるのも、また必然なのだから。
だとしても迂闊だった。親の目を盗んで、街に出ようとしたのは良いが、まさか家を抜け出した直後に誘拐犯がいるとは。門番は何をやっているのか、と小一時間問い詰めたい気分だったが、今はそれどころでもない。
誘拐犯が遺跡に入っていくとは思いもしなかった。先に述べたとおり、遺跡の最奥には光る卵が眠っている。言わずもがな、その卵を守るように遺跡には漏れなく危険なトラップが仕掛けられていることが多い。それも大量にだ。
全くもってツイテない。犯人の要求した金額は、ヴォルデモート家からすれば大きな額ではないが、遺跡に入られたとなると、身代金を払う払わない以前に死んでしまう可能性が出たからだ。
ユーマはやみくもに縛られ、背負われている自分の体を一瞥し、男に聞いた。
「ねえ、何の装備もなしに進んでるみたいだけど、どうする気? おじさん、何か武術でも嗜んでるの? 本当に死ぬよ? 馬鹿なの?」
「う、うるせえな。遺跡はよく分からん電波を放っていて、逆探知されないからな。金をこっちが指定した場所の置いてくれるまで身を隠すには、うってつけなんだよ」
「じゃあ何で進む必要があるのさ。入り口付近で待ってればいいじゃないか」
「そ、そりゃあ、こんなことしちまった以上、俺はもう日の目を見ることは出来ねえからな。命を狙われることもあるはずだ。タクトをもってりゃあ、闘えるかもしれねえだろ」
ユーマは溜息を吐いた。どうにかしてこの状況を打破したいが、明確なプランが全く出てこない。何か第三者からの干渉があれば状況も変わるかもしれないのだが……。
と、その時だった。浮遊感がユーマを襲った。悲鳴が聞こえるところを見ると、男が何かへまをしてしまったようだ。
下を見ると、堅そうな土の地面。落ちればまず死ぬだろう。
「……いや、これはボクの求めていた第三者からの干渉じゃないか」
ユーマは軽く笑うと、少しだけ動く足で男を蹴った。男がさらに大きく、五月蠅いほどに悲鳴を上げる。スピードを上げ落ちていく男の着地点を瞬時に割り出し、その場所へ落ちるよう、自らの体もコントロールする。
――運が良ければ、この男をクッションにして助かるかもしれない。
そう考えていると、男が無様に墜落した。血を流して、白目を剥き、尿を垂れ流している。あの惨状を見る限り、即死と言ったところだろう。まともに落ちてはだめだ。少しでも、気休めでもいいから衝撃を和らげる体制に入る。
目を瞑り、何となく生存確率を計算する。
――何てことだ。神は何を考えているのか。百パーセントじゃないか。
瞬間、強い衝撃がユーマを貫いた。どこかの骨が折れる感覚が、明確に伝わってくる。ぐっと歯を噛みしめ、声を上げるのを我慢する。
痛い。過去最大に痛い。
だが、生きている。計算通り、生きている。そう思うと、笑い声がこぼれた。折れた骨が痛むが、構わず笑い続ける。体は依然縛られているが、動きを抑制していたもう一つの鎖――誘拐犯の男は砕けた。
うっすらと目を開けたユーマは、その光景にさらに歓喜に浸った。
「あ、はは。いつか……いつか手に入れたいとは思っていたけど……」
目に見える先。ぼんやりと光っているものがあった。そしてその光源はまさしく――
「光る卵……こんなに早くお目にかかれるとは。全く。この男は、感謝してもしきれないね」
ユーマは体を這わせ、光る卵の下へたどり着いた。心臓が、妙に早く脈打つ。やさしい、それでも確かな生命力を伝えさせるその光は、あまりにも美しかった。
ユーマは卵の傍に座り、後ろ手に掴んだ。ほのかな温かさを感じ取っていると、ふいにピシ、と音がしてひびが入っていく。日々は次第に広がっていく。
全体にひびが回った所で、ようやく殻が砕けた。
強い光が辺りを満たし、ユーマは咄嗟に目を閉じた。光が収まり、少し経ったころ、ユーマはゆっくりと瞳を解き放った。
「……君が、ボクのタクトかい? 鷹……ホークか。悪くないね」
大きな鷹は、血のように紅い翼を広げ一声鳴いた。全長七十センチ、否もう少しある。翼を広げれば、ユーマの身長を軽く超える程まで大きくなる。それでも、翼が比較的短いことから見て、ユーマはこの生物がクマタカであると推測した。
クマタカは鷹と名義されている鳥類の中では最も大きく、森林生態系のトップに君臨することから、日本では「森の王者」とも呼ばれる非常に凶暴な固体である。
「良いね。君、ボクの言葉は分かるよね? ボクに従ってくれるなら、この鎖を断ち切ってもらいたいんだけど」
鷹はユーマの体を囲むように、ぐるりと飛翔した。すると、ユーマを縛っていた鎖はたちまち解けた。鋭い爪で切り裂いたのだろう。肩の関節を回したりしながら立ち上がったユーマは、話しかけた。
「さて、帰るとしようか。確か、タクトは契約者とのみ話せるんだったよね。で、君に名前はあるの? さすがに鷹って呼ぶのはあれだし」
鷹は厳格な声で答えた。
「名前は貴方に付けてもらって構わない。我が主、ユーマよ」
「へえ、契約者の情報は筒抜けってところかい。まあいいや。そうだな、名前は……」
しばらく考え、呟いた。
「……シュラ。シュラでどうだい?」
「シュラか。うむ。素晴らしい名だ。恩に着る。ではユーマよ。わたしに乗れ。その怪我では、立っていることさえ苦難だろう」
「……乗れるの?」
「当たり前だ。今でも、普通のクマタカの、少なくとも十倍のポテンシャルは持っているはずだからな。主のような子供一人なら、訳もない」
それならば大丈夫か、とユーマはシュラに掴まった。シュラは翼を羽ばたかせ、空を飛んだ。ユーマを乗せて尚、かなりの速さで飛ぶシュラのおかげで、僅か数十分ほどで家に着くことが出来た。
家に入ると、真っ先に母親が飛び出てきた。
「ユーマ? うそ、どうしたの。お父さんからは何の連絡もないわよ」
この世界のユーマの母、シェリィ・ヴォルデモートはしばらくそんなことを続けたあと、
「ま、いっか」
と簡単に済ませてしまった。まあいいわけはないのだが、そんなこと気にせず「お父さんに伝えなくちゃ」と言うと奥に引っ込んでしまった。これがシェリィなのだ。
どんな突拍子もない事でも、「ま、いっか」で済ませてしまう。良くも悪くも楽観的な性格なのだが、そのおかげで四大貴族の婦人、という肩書を背負っていられるとも言える。
がしかし、ユーマがこんなことになってしまったのはそもそもユーマが家を抜け出そうとしたことにある。母が許しても、父が許さなかった。
「なにやっとるんだ、この馬鹿は!! 本当に死んでたかもしれないんだぞ!!」
数日後、怪我の療養中のユーマの耳に、怒号が響き渡った。
四大貴族ヴォルデモート家当主、グラウスト・ヴォルデモート。ヴォルデモートの証、白髪と赤い眼を持ち、二十になる頃には既にヴォルデモート家当主となり、領民からの評価も上々。四十代前半だと言うのに、未だに少年のような若々しさを保つ彼が怒ることなど滅多にないのだが、まあそれだけ息子が大切だという事の表れであろう。
「まったく。やんちゃが過ぎるぞ、ユーマ。こんなこと、本当はしたくはないんだが……仕方が無い」
グラウストがユーマに顔を近付け、告げた。
「お目付け役兼見張り、あとボディーガードも兼ねて……お前に『奴隷』を与える」
「…………はい?」