圧倒的実力差
そのメールが届いたのは、ユーマの停学処分期間が三週目に突入した頃だった。どこでメールアドレスを手に入れたのかは分からないが、メールの相手がハイドだったことに、ユーマは思わず眉をひそめた。気になる内容は、「キリスト、ホワイトハウス、ハリウッド、ディズニー。この中に、知っている単語はあるか?」という短いもの。
そして、このメールを見たユーマは、言葉を失った。ポカンとして口が半開きになったまま、五分間は画面に釘付けになってしまった。思考を取り戻して、キリスト、ホワイトハウス、ハリウッド、ディズニーの四単語を難度も復唱する。目眩がおきそうだった。
忘れるはずもない。恐らく、元の世界の住人にこれと同じ質問をすれば、十人が十人YESと答えるだろう。つまりそれは、こういうことでもある。
「ボク以外にも、別の世界からここへ迷い込んだ者がいるのか? 君がそうなのか?」
ユーマの問いかけにハイドは、軽い笑みを浮かべ答えた。
「……ああ。俺たちは『転生者』と名付けてるが。しかし半分賭けだったから、ヒヤヒヤしたぞ。この場で、二人きりの状況を作るのも面倒だったが、それ以上に有益な情報だったな」
「君はこの世界で、どんな情報を集めた? 知ってることを全て話せ」
「……はあ?」
ハイドはユーマのもとへ近づいた。背丈の関係で、自然と見下ろす形になる。そのまま、高圧的に話しかける。
「確かに、俺はお前よりも情報を持っているだろう。けどな、それはそれなりの危険を冒して得た物だ。――フェアじゃないだろう。それをタダで教えてくれ、ってのは」
「……回りくどいな。はっきり言いなよ」
不機嫌そうな声の返しに、ハイドの頬はさらに吊り上った。隣で大人しくしていたジキルが、僅かに牙を剥く。
「転生者ってことは強いだろ? 確固たる意志を持って、幼少期を過ごせるんだから、それだけでも普通の奴とは一線を隔せる。そうだろ? だから――俺と闘え。生まれた時からおかしくなっちまった俺のために……!」
「嫌だ、と言ったら?」
答えは予告なしの攻撃で返ってきた。予測できていたことなので、ユーマは素早く上空へ飛び、躱した。
「お前に拒否権はない!」
「何処かで聞いた、いや言ったセリフだね」
二人の視線が交差する。眼鏡越しにも、途轍もなく獰猛なその目力を見て、ユーマは理解した。
――こいつ、戦闘に飢えてるのか。
言うなれば、生粋の戦闘中毒。強いものと闘うことを至上とする、世界によっては限りなく不必要な人種。
「なら、思う存分付き合ってあげるよ。シュラ、まずは外に出る」
命令に従い、シュラは素早く出口へ向かった。その後に続き、ジキルに跨ったハイドが嬉々として追う。ひとまず、遥か上空へと飛んだユーマは、眼下の光景を見て、眼を疑った。
「空中戦が鳥だけの物だと思うなよ」
「……だとしても、空を走るなんて、どういう原理?」
「知るか!」
「だろうね。とりあえず、あいさつ代わりの一発だ」
ユーマは《フェザーボム》を大量に降らせた。避ける位置すら見当たらないほど大量に。破壊力は犠牲になるものの、確実に攻撃はヒットする。生身の人間ならまともに喰らう、というのは避けたいはず。
――さあ、どう出るかな。
ジキルの巨体に一枚の羽がぶつかった。その爆発を皮切りに、連鎖的に何百の爆発が引き起こされる。体を震わす轟音と、吹き飛ばされるほどの爆風がユーマをも襲いに来る。
次の瞬間、かろうじて開けていた眼が映した光景は、有り得ないものだった。
「……な、そんな……」
「俺を見くびりすぎだ」
振り下ろされた鋭く長い爪を、寸でのところで、シュラが急降下して避ける。我に返ったユーマは、シュラに一言謝ってジキルを見上げた。
まじまじと見つめてみて、間違いないと確信する。
「どうやってあれを躱したの? 無傷で切り抜けるなんて、おかしいだろう」
「……どうやっても何も、正面からまともに受けたが?」
「ふざけるな。これ以上ボクをイライラさせないでくれる。正面から受けて、無傷で済むはずがないだろ」
「だが、実際無傷で済んでいる」
ユーマは眉間にしわを寄せた。これ以上は、もう無理だった。「もういい」
《オーバークロック》を発動するよう。シュラに伝える。
「もう……終わらせる」
時間が、限りなくゆっくりと流れ始める。一瞬でハイドの後ろを取り、銃を構える。照準を風船へ当てて、引き金を引いた。
ゆっくり、ゆっくりと。しかし確実に、ペイント弾は風船へ向かって行く。やがて、弾丸は風船を割る――
「速さ勝負か? それもいいな」
直前に、ハイドはさらにユーマの背後を取った。ペイント弾は、虚しくも彼方へ消えていく。急いで後ろを振り返ったユーマの眼に飛び込んだのは、ライオンではなくチーターに跨るハイドの姿だった。
――訳が、分からない。なぜ、チーターなんだ? いや、それより。
「今、あのスピードで動けるのは不可能だろ。どう考えても」
「こんな不思議生物がいるんだ。不可能とか無理とか有り得ないとか、そんな概念は捨てた方がいいぞ。ま、答えを言うとしたら、これが俺のスペシャルスキルだからだ」
「スペシャルスキル?」
ユーマは《オーバークロック》を解くと、体力を回復するために、膝をついて聞き返した。
「恐らくだが、転生者のみが習得できるスキルだ。お前のそれ、突然早くなる奴もそうだろ? 普通のスキルの規模じゃない」
「お前のは、他のタクトのスキルを無効化するとか、そういう類のものか?」
「ご名答。さすがに、頭の回転が速いな。一つ訂正すると、無効化ではなく半分程度の効果に抑えるってだけだ。はっきり言って、話すのもやっとなくらいだがな。お前は十分に早いよ」
いや、おかしい。例え、動けるとしても。おかしい。半分程度に抑えたところで、傍から見れば誤差の範囲だ。視認することすら不可能だろう。何せ時間そのものに干渉しているのだから。
それに追いつくスピードに、果たして普通の人間が耐えられるだろうか?
答えは否だ。ロケットに無防備でしがみつくくらいに無茶な事だ。となると、ハイド自身に何かがあるのでは、という結論に達する。
「……君、もしかしてブランケットの血縁者?」
瞬間、ハイドは目の色を変えた。濃密な殺気をばら撒き、一瞬でシュラを湖に落とした。ユーマはひたすら困惑した。思っていた以上に、力の差がありすぎる。最初から手加減されていただけで、本気を出せば自分など一瞬で葬ることが出来たのだ。
水の中に落ちたユーマに、今度はハイド自身が近付いてきた。首を鷲掴み、力を込められる。
――息が、もう、持たない……
死ぬ前に、教員たちが助け船を出すだろうか。いや、希望論を語るのは良くない。思考するのは、確実に助かる方法のみでいい。
打開策を、新たなスキルを、シュラに目覚めさせるのだ。
主な攻撃方法は、爆発。ならば、爆弾に対する知識を総動員させる。
――爆弾のことなら、死ぬ前に腐るほど調べたじゃないか!
そう。破壊するだけが、爆弾の目的じゃない。爆弾には、いろんな種類がある。今、ここで必要なのは――
シュラが羽を一枚、高速で射出した。そして次の瞬間、ユーマとハイドの視線がぶつかる場所で、眩い光をぶちまけた。たまらずハイドが手を離した隙に、《オーバークロック》を再度発動。チーターになっているジキルを振り切ったシュラに引き上げられ、空中へと躍り出た。
「ハアッ、ハアッ。あぶ、なか、った。……スタングレネード、まさか、上手い事使えるように、なるとはね」
目を固く閉じたユーマでさえチカチカするほどだ。ハイドの視界は、しばらく閉ざされたままだろう。
「でも、タクトの方は無事だろうね。テイマーの視力なんて、そこまで関係ないか」
「その通りだ。個人的にムカついたんでな。殺していいか?」
姿を現したハイドがいる前方を見て、ユーマはふっと息を吐いた。
――まさか、こんなタイミングで来るとは。いったいどういう経緯があったのかな?
「ハイド、ボクより強い相手を紹介するよ」
「あ?」
「バトンタッチだ。ここまで粘ったし、上出来だろう?」
ユーマはハイドのさらに奥を見据えた。そこに見えるのは、青くて巨大な竜。そして、それを繰る小さな少年。
「あとは任せたよ、ルーク」
「ああ。任されたぜ」
王立テイマー育成学園、一年B組の秘密兵器、ルーク・ネルバー。
後に史上最強のテイマーと言われるようになる彼の伝説は、ここから始まる。
今まで影の薄かったルークですが、これから先は主人公並の活躍をします(というよりさせたい)