水上訓練
どこまでも広がる青い空。そこへまばらに配置された白い雲。ギラギラと照りつける太陽。そんな空の下では、青い海ではしゃぐ水着姿の――
「……なんて光景この学園で見られないなんて、そんなこと分かってたよ畜生! なあ、カエル三兄弟の皆さん!」
「まあ、思わん事もない」
「全くだぁ! ここは殺伐としすぎなんだよ!」
「お前ら……ちと盛り上がりすぎじゃ。ワシも同感だが」
議論をヒートアップさせる、ルークにカエル三兄弟を加えた四人をチラリとみて、ユーマは呆れたようにため息を吐いた。ルークはまだいい。まだ十歳になったばかりなのだし、そういうことに興味も出るだろう。
だが、カエル三兄弟は違う。彼らは下は十七歳、上は二十五歳。これはさすがにはしゃぎ過ぎだ。シエルがどん引きするほどだ。それ以前に、あれだけ騒いで暑くないのだろうか。
なんにしても、そろそろ気合を入れてもらわなければならない。ユーマは手を叩き、視線を集めた。
「前にもしたけど、水上戦想定訓練の作戦を説明するよ」
四人が話を止めたのを確認し、ユーマが地図を広げた。今回の訓練地、面積約四ヘクタールと、学園の二十五分の一の大きさを誇る湖が描かれているそれに、赤いマーカーで三つ丸を付ける。丁度三角形の頂点の様に配置された丸に、それぞれABCを入れていく。
「これが、各クラスのキャンプ。ボクたちのは、北側。そして同盟を組むB組は、右下、南東のここ」
AとBの文字をトントンと指で叩く。
「で、A組B組連合でここを叩くわけだけど……正面からやるのはナンセンスだ。人数が少ないボクらなら、なおさらね。だから……空中と水中の二か所から襲撃する」
ユーマはそこで言葉を切ると、駒を取出し、素早く配置した。
「ボクが空から。それ以外が水中だ。極端だけど、空を飛べるのはシュラと……」
「チェインだけしかいないもんな。悪いな、俺に力がないから」
「気にしなくても良いさ。さあ、作戦は以上だよ。何か質問は?」
エイルが真っ先に声を上げた。
「それだけか? お前にしてはやけにシンプルだが」
「これだけだよ。戦力が多いんだから、このくらいシンプルでも問題ない。短期決戦で、一気に押し切る」
ユーマはそっけなく返した。嘘をついているともいないとも取れる表情で。
しばらくして、訓練開始のサイレンは鳴り響いた。各々が武器と必要な道具を持ち、出動の準備を整える。支給された武器は、夏休み前という事で全てペイント弾になっている。
「さあ、始めようか」
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C組キャンプにて、その報せは約三時間ほどでハイドの耳へ届いた。
「上空の部隊、全滅です! 直接攻撃が来るのも時間の問題ですよ!」
「水上も、そろそろ限界です! この浮島に上がってこられる!」
駒が言うとおり、戦況は最悪。逆転は不可能に思える。――と、普通の人間ならば考えるのだろう。確かに、空からはユーマとエルファのツートップが。そして、水上からはそれ以外の夥しい数のタクトが来ている。無理だと考えるのが正常だ。しかし、ハイドは違う。彼は常々感じている。
この世界で、最も強いのは自分だと。
別に、頭が悪いわけではない。むしろ、彼の知能は一般の平均値を大きく上回ると言える。しかし、難しいことを考えるのも、策を巡らすことも好きじゃない。
――だが、それがどうしたというのか。力で叩き潰せばいいじゃないか。
圧倒的な力で恐怖を植え付ければ、大抵の奴は命令に従う。その裏付けに、クラスメイトも、先輩たちも、ほとんどはハイドの駒になっている。
「ギャーギャー喚くな。戦場の空気なんざ、俺が出りゃあ一瞬で変わる」
ハイドはゆっくりと立ち上がった。タクトを従え、その足をキャンプの外――戦場へと向かわせる。扉を開けて、銃声やら怒号やらが飛び交うその場へ足を踏み入れた。
その瞬間、
「……狩りの時間だぞ、ジキル」
戦況は、文字通り逆転した。
「何が、起きた?」
「おい! ほとんどやられてるぞ!」
「有り得ねえだろ、あの一瞬で……?」
狼狽える者たちを見て、ハイドは無感動にため息を吐いた。
――やはり、弱い。
「弱者は、さっさと退場しろ」
ハンドガンを構え、打つ。自分が思う限り、弱そうな奴から順に。彼に言わせれば、弱者は存在するだけで罪なのだ。だからこれは、弱者の中の強者への、せめてもの褒美。撃たれた者は、片っ端から教師陣のタクトが回収していく。
――この中で一番強いのは、だれだ。
あいつでも、こいつでもない。残り四人。エルファの代わりか、B組の風船を持っている生徒に狙いを定める。
「残念、B組はここで脱落だ」
ハンドガンの引き金を絞る、その瞬間。ハイドは生まれて初めて『恐怖』を感じた。引鉄を絞る指を止め、辺りを見渡す。ハイドと対峙することが出来る、強靭な牙と爪を持った捕食者が、この中に居る。
――なんだ今のは。どれだ。さっきのは、どいつだ。
青い髪の女? いや違う。強者の部類ではあるが、あそこまでのプレッシャーは持っていない。B組の大将代理でもないとするなら、あとは金髪のガキと灰色髪の奴。どっちかなのか?
思考に耽る彼を引き戻したのは、傍にいた男子生徒の声だった。
「う、上から二人来ましたぁ!」
「……! っち、面倒な」
ユーマとエルファが放ったペイント弾は、男子生徒を射抜いただけで、ハイドを仕留めるには至らなかった。横に跳んで躱したハイドは眉間にしわを寄せ、メガネのレンズ越しに前方の二人を睨みつけた。
ユーマが空から見下ろしながら、口を開く。
「カエル三兄弟の二男と三男がやられちゃったか。そっちは……」
「十人やられた。風船は割られてないが。おい、大丈夫か」
エルファは風船を貰い受け、装着した。それと同時に、キャンプから四人のC組生徒が出てきた。それを見たうえで、ユーマが言った。
「戦力は、こちらの方が上だね。諦めるかい?」
「っは。冗談いうな。何の戦力が上だって? お前ら如き――」
ハイドは口角を吊り上げながら後ろを向くと、銃口を仲間に向けた。ペイント弾を撃ち込み、脱落させる。すかさず、教師陣の手により回収される四人の生徒。
ハイドの暴挙ともとれるその行動に、ユーマですら言葉を失った。「何のつもり?」ようやく絞り出たのは、そんな言葉だった。
「お前ら如き……俺一人で十分だ」
ハイドのタクト、ライオンを模したジキルが、牙を剥く。一瞬重心を後ろへ駆け、獲物を定めて走り出す。姿が霞むほどに加速し、一閃。
鋭い爪が捕えたのは、B組の男子生徒。
「制裁の続きを、始めようか」
ブレーキをかけ、次の一手を打とうと構えるジキルに、エルファのペガサス型タクト、ヴィーツが対抗した。ワンテンポ遅れて、ユーマのシュラ、シエルのルナ、ルカジのギルも応戦する。
「ルークさん、怪我人の介抱を頼みます!」
「あ、ああ。任せろ!」
シエルの声に従い、ルークは走り出した。それを待っていたかのように、ハイドはジキルへ命を下した。
――さっさと終わらせて、あいつを襲え。
爪を持つタクトなら、一番に覚えるであろうスキル《スラッシュクロー》を発動。シュラたちを一気に振り払うと、ジキルはルークへ襲い掛かった。
「……え? うわああ!」
「しまった! ルーク!」
「くそったれ……!」
ルークを突き倒し、身代わりとなったのはルカジだった。ジキルの鋭い爪はいとも簡単に肉を抉り、血を流させた。主人を守ろうと、ギルが突進をかまし、威嚇するように唸る。
「っちょ、おい大丈夫か、おい! 生きてるよな!?」
「落ち着け。傷はかなり深いが、手当てすれば大丈夫だ」
動揺するルークをエルファが宥め、シエルに医療キットを出すように言う。ジキルはいつの間にかハイドの元へ戻り、超高速の足の動きで、水の上を走り何処かへ行こうとしていた。
「……ボクはあいつを追う。そっちは任せたよ」
「ふざけるな。仲間の治療が先だろう」
「ボクがいなくても大丈夫なはずだ」
「おい、いい加減にしろ。いったい何を……」
肩を掴んだエルファは、思わず押し黙った。ユーマの表情は、いまだかつて見たことがないほど、怒りに満ちていた。静かに発せられた「離せ」と言う言葉に、エルファは黙って従った。
「あいつはボクが始末する。絶対に……」
「待ってください、ユーマ様」
「シエルか。何か用?」
「危険すぎます。無礼を承知で言いますが、ユーマ様では、敵いません」
「……シエル。手を離してくれ」
ユーマは、抱きつくように絡められたシエルの白い手を握った。そして、振り払おうとしても、なかなか離してくれないシエルに、小さく告げる。
「命令だよ。離して」
「……いやです」
「ボクは誰にも負けない。あいつにだって、負けないさ」
ユーマはポケットからスタンガンを取りだし、シエルの腹部へ添えた。意識を奪える最小限の電圧に設定し、電撃を放つ。強制的に手を離す形になったシエルを受け止め、地面に寝かせたユーマは、エルファに一言伝えた。
「手厚く頼むよ」
「分かっている。早く行け」
ユーマはシュラに跨り、ハイドの後を追った。
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「で、追いついた訳だけど……」
「ようやく、二人きりになれたな」
「キャンプ内だから、ここでの話はどこにも漏れることはない。これで、安心して質問できる」
「何が、聞きたいんだ?」
「――――君も、ボクと同じなのかい。君が送ってきたメールには、あたかもそのように記されていた。君もそうなのか? 君も……」
「……君も、何だ?」
「――――別の世界から来たのか?」