一章
1987年7月、アメリカ、シカゴ空港。もう2時間以上も飛行機の中に缶詰状態だ。ユナイテッド航空の客室乗務員は無料でアルコールやスナックを配りながらお客さんたちと談笑をしているが、英語がほとんどできない朋実は、隣の白髪のご婦人に話しかけられないように祈りながら、ひたすら寝たふりをしていた。外は大雨。時より、ばりばりっ!と雷の音がする。なぜ滑走路から飛行機が動かないのか、なぜラウンジじゃなくて飛行機の中で待たなければいけないのか、目を閉じたまま頭の中で英語に訳そうとするが、"Why..."の先が続かない。10時間前に成田を出発してからほとんど寝ていないせいか、頭が全然働かない。この飛行機に他に二人の日本人留学生が乗っている。彼らなら私より英語が話せるかもしれない。そう思うや否や、朋実はいきなり席を立った。隣のご夫人は「まぁ、この子やっと起きたわ!あなた、どこから来たの?」朋実はあわてて座り、「えっと~、I'm from Japan. I'm a high school exchange student." 「まだ高校生なの?一人で来たの?これからどこに行くの?」と早口でご婦人は立て続けに質問した。しかも、やはり白髪でピンクのセーターを着たご婦人が「まぁ、一人でアメリカに来たの?ちょっと、この子一人で日本から来たんですって!」と周りの人たちにも教えている。一気に注目を浴びて恥ずかしくなった朋実は、"Excuse me..."と席をたち、二人の日本人留学生を探しに飛行機の後ろへとゆっくり歩いていった。