はじめての通話
しばらくキーボードの上で指を遊ばせる。どう返信すれば正解なのだろう?休み時間の野崎の様子を思い返すと、安易に返事をするべきなのか迷った。暫くパソコンの画面を見つめる。チャット画面は動かないままだ。
野崎は一体どんな子なのか。俺はそれを知りたいと思った。それなのに、いざそのチャンスに恵まれたら、びびって動けずにいる。俺はこの気持ちをよく知っている。相手のことは知りたい。でも自分のことは知られたくない。侮られたくない。失望されたくない。馬鹿にされたくない。俺の心の奥底に根付いて取れない、煮え切らない気持ち。
馬鹿馬鹿しい。それで相手のことを知りたいだなんてどうして思えたのだろうか?一人で悩んで、結論付けて、相手のことまで勝手に分かった気になって。何様のつもりなんだ俺は。完全に一人相撲じゃねえか。
野崎は少なくとも俺とつながりを作ろうとしてくれてる。その事実だけで十分だったのに。
『何せ若干の早足だったから』
チャットを打ち込む。完全に嘘だ。全速力で家まで帰った。何をするよりも真っ先に電源を付けた。
『そう。その頑張りに免じて昼間のことはナシにする』
思わず頬が緩む。顔が見えないのは、気楽だ。文字だけのコミュニケーションは、安心する。我ながら情けないことに、俺は野崎に怯えていたのだ。厳密に言えば、クラスの中でのお互いの位置。お互いの所属するグループの位置、クラスでの雰囲気、男子と女子という違い、俺が野崎に持つコンプレックス、俺の今までしてきた対応。そういう有象無象に縛られて、俺はあろうことか逃げることを選ぼうとした。野崎はそれに気がついて俺を責めた。それでも、そこから歩み寄ってくれた。
野崎、マジでごめん。俺は心から野崎に謝った。チャットには打ち込まなかった。
『神谷、通話できる?』
『できるけど』
『ん、じゃあしようよ』
野崎お前ぐいぐい来るなあ。俺は完全に押されっぱなしだった。チャットまではまぁ、問題はない。でも実際に通話となってくると話は別なんじゃないか?だって肉声なわけだし。何か声ってすごい生々しいっていうか、距離感がすごい近い気がする。
でもすぐさま思い直して、そんな気持ちも押さえつける。よく分かんないけど、俺はかなり野崎にびびってる。でもそれは俺が野崎に対してまだレッテルを貼ってるってことだ。
野崎がどんな奴で、どう思ってて、俺とこうやって関わろうとしてるのかも、話してみなきゃ何も分からない。
『準備するから、あと5分待って下さい』
腹を括ろう。俺は仕舞ってあったヘッドセットマイクを机から取り出し、パソコンへ接続した。
息を長く吐いてから、チャットを打ち込む。
『準備できたぞ』
少し間が空いてから、チャットが流れる。
『OK』
ぷーっぷっぷーぷーっぷっぷー
何とも言えない電子音が響く。音量の大きさに思わずのけぞって慌てて音量を調整した。
「・・・聞こえてる?」
数時間前、固くひび割れたような響きを持っていた声が、こんどは無表情に耳元で響く。
「・・・うん、聞こえてる」
「・・・何か神谷声違う」
「え。そう?」
「うん、やっぱマイク通すから?」
「そうかな?野崎の声は別に普通だけど」
「ふーん、そっか、別にいいんだけど」
「野崎、今時間大丈夫なの?ていうか部活とかは?」
「私部活入ってないよ。神谷と同じ」
「あ、そうなの?野崎って運動神経いいから、何かやってるのかと思ってた」
「別に何も。神谷だって中学では陸上やってたんでしょ?」
「え?何でそんなこと知ってるの?」
「何か神谷やたら足速かったでしょ去年のマラソン大会。閉会式で前に出てたじゃん」
「あー、あれか」
「神谷、あれ何位だったの?」
「6位」
「は!?」
「いや、学年ごとの表彰だから別に凄くはないだろ」
「・・・神谷、それ意味分かって言ってる?」
「は?意味?」
「・・・なんでもない。・・・何か、神谷と私普通に喋っててウケるんだけど」
「いや、誘ってきたの野崎じゃねーか」
「そうだけど。何か面白い。っていうか神谷って結構普通に話すんだね」
「話すわ!どういうことだよ!」
「でも今日あんな態度取られたし」
「・・・それはマジでごめん」
「別に責めてるわけじゃないよ。単純に不思議っていうか。今全然普通じゃん。話しかけた時なんか、凄い話しかけるなオーラ出てたのに」
「え・・・、いや・・・マジでそんなつもりは・・・」
「ぶっ」
「えっ」
「凄い声小さいんだけど」
「!!」
「ウケる。神谷って面白い」
「・・・褒められてるのか。それ・・・」
「まー、でもこうやって普通に話せるなら、良かった。・・・迷惑だったかなってちょっと思ったから」
「野崎」
「ん?」
「もし良かったら『ジェネシス』これからやらない?」
「・・・私も今そう言おうと思ってた」
くすぐったそうに言う声を聞きながら、俺は『ジェネシス』のアイコンをダブルクリックする。
たった数分、会話しただけだ。俺はまだ野崎のことなんか何も知らない。明日学校に行ったら、俺は野崎に話しかけることも出来ないのだろう。今はまだそれでいいと思える。焦ることはない。今すぐじゃなくても少しずつ、仲良くなっていければいい。
耳元に心地よく響く野崎の声を聞きながらそう思った。
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「神谷!神谷が見えない!!真っ黒になってる!!」
半オクターブ上ずった声で野崎がわめく。ヒー、ヒーという音が聞こえてくる。
「笑ってないで助けろって!!うわああああまた湧いたああああ!!!」
走りまわるライアの後を次々とモンスターが追いかけていく。
「やめて!もうやめて!お腹痛い!!」
「野崎ぃいいいい!!!はやくううううう!!!死ぬからあああああ!!」
ゴホッゴホッ!!野崎が呼吸困難になりながらも攻撃してくれたらしく
雷属性の全範囲魔法、<ライトニング>で俺の周りにうじゃうじゃと凝り固まっていたモンスター、フレイムボム達が吹き飛んだ。
「野崎!無理!!ここは二人じゃ無理!!いくらなんでも湧きすぎ、うわあああまた湧いたあああ」
「・・・・!!!」
すでに野崎は声も出せないようだ。
瞬く間に新しく出現したフレイムボムにタゲられ、一瞬で囲まれる俺ことライア。
「うわ、全然動けない!!めっちゃクリックしてるのに!!野崎!笑ってないで!!ライトニング撃って!!」
ハイポーションを湯水のように使いながら、NANAKOをターゲットにしている何匹かのフレイムボムに向けて、ファイター唯一の全範囲攻撃である斬撃<ブレードウェーブ>を打ち込む。
今俺のキャラクター、ライアが行っているのは俗に言う「釣り」という行為だ。野崎の操っているキャラクターNANAKOの職業は魔術師。全職種の中でも高い攻撃力と、攻撃範囲を持つ。だが、豊富なMPに比べてHPの伸びは悪く、モンスターたちに囲まれて逃げ場を失えば、あっという間にHPが尽きる。それに引き換え俺の操作するライアの職業は戦士。物理攻撃、物理防御では他職を凌駕する。それに加えHPの伸びも全職業の中で秀でている。このそれぞれの特性を活かしたのが「釣り」。
つまりは防御力とHPの高い戦士や騎士職がモンスターたちの前をわざと走り抜けてアクティブにし、自分にターゲットを向けることで、攻撃力は豊富でもHPが低く、囲まれた場合窮地に陥りやすい魔術師や神官などからターゲットを外して安心して攻撃できるようにするのだ。そして、この「釣り」の最も大きな意味が、釣り役が大量のモンスターを集合させて一度に殲滅させることができる、ということである。
フィールドにおいて湧いてくるモンスターの数やタイミングはプログラムで決まっている。フィールド上のモンスターのほとんどを一箇所に固めて倒せば、また一気に次のモンスターが湧いてくる。効率的に狩りを行うことができるため、時間を費やしたソロ狩りよりも圧倒的な経験値を得ることが出来る。
野崎とパーティーを組んでやってきたのはダンジョン<アラム>の地下3階。
適正レベル105~110であるこのダンジョンはレベル120である野崎に取っては安心して狩りの出来る場所だろう。だが、レベル94である俺にとってはかなり厳しい。
おまけにこの<アラム>の地下3階のこのフロアは上位モンスター、フレイムボムが倒しても倒しても間髪いれずに湧いてくる、所謂「沸き場」の狩場なのだ。
本来なら4~5人で、少なくとも3人で狩りにやってくるような場所だ。だが野崎がどうしてもというのでやってきてみればこの有様である。無理。死んじゃう。
『NANAKO: 誰かアラム3階きてください。ライアさんといます。面白いもの見れるよ!』
『♪LILI♪: !?』
『黒白猫: アラムってwwwライアさん大丈夫なの?』
ログインメンバーの反応を見返しながら叫ぶ。
「・・・野崎お前チャット打ってんじゃないよおおおおお!!!」
ヒィヒィ笑い続ける野崎に叫びながら必死で<ブレードウェーブ>を放つ。フレイムボムのレベルは105。ライアに比べるとおよそ10もレベルが違う。はっきりいってかなりきつい。ウェーブ一発でHPを4分の1ほどしか減らすことが出来ない。そこに続いて、画面上部に出ていたアイコンが点滅するのに気づく。残り時間が30秒を切っていた。
「・・・野崎!30秒ちょうだい!効果切れる!!もう一回<エグゾースト>使うわ!!」
「・・・はぁ、ウケた。ん、30秒ね」
俺は走り回るのをやめる。と同時にNANAKOがまた<ライトニング>を打ち込んだ。あっという間に吹き飛んで地面に消えていくフレイムボム達。だがすでにもう何匹か新しく湧き始めている。NANAKOは雷属性の単体魔法、<ショックショット>をフレイムボム達に打ち込んでいく。ターゲットがNANAKOへと向けられる。次々と押し寄せるフレイムボム達を<ライトニング>で吹き飛ばしていくが、次々と湧き出てくるフレイムボムに、殲滅数よりも出現数の方が段々と増えていく。
俺はすぐ様キーボード上の「X」ボタンを押す。ショートカットボタンに設定されていたのは「エグゾーストスキル」。右クリックでの発動攻撃が、<ブレードウェーブ>から切り替わる。
右クリックを長押しし続ける。ライアが右腕を天に掲げたポーズで停止し、地面には光り輝く魔法陣のエフェクトが現われる。発動と同時に見る見るうちにMPゲージが減っていく。右クリックを長押ししてMPを消費させればさせるほど、「エグゾースト」の効果は持続する。MPゲージが0になったのを確認して、指を離した。
戦士の「エグゾーストスキル」の1つ、<バーサーカー>。
このスキルは使用したキャラクターの攻撃力と攻撃速度を通常時よりも引き上げる。まだスキルレベルは4でしかないが、この時点で攻撃力&攻撃速度上昇率は24%になっている。
高レベルにならなければ覚えることも出来ず、MPを一度に大量に消費し、また使用するには「魔石」というアイテムも消費しなければいけないこのスキルだが、その分効果は絶大だ。
MPは空になってしまったためしばらくは通用攻撃しか使用出来ないが、すぐさまNANAKOに群がるフレイムボム達を圧倒的な攻撃力と攻撃速度で次々と蹴散らしていく。
「おおー。神谷、ここでソロ狩りもいけるんじゃない?」
「お断りだよ!!」
何かちょっと前までの雰囲気どこいったって感じなんですけど!野崎すげえ笑うんですけど!!俺もうすでに2回位マジで死に掛けたからね!1回死ぬだけでデスペナがしゃれになっていないからね!うわまた湧いたじゃないですかー!やだー!
すると画面端から人がやってきた。
・・・LILIさんと黒白猫さんだ!!
『♪LILI♪: 何してるの二人とも!?』
『NANAKO: ライアさんを餌に狩り中!!』
『ライア: し ぬ 』
『黒白猫: ライアさんwwwwwww入りたてなのにこの仕打ちwwwwwwww』
黒白猫さん、助けてくださいほんとひどいんですよ、<ライトニング>のディレイタイム(冷却時間)絶対終わってるのに野崎ぜんっぜん魔法打ってくれないんですよ!!
「神谷、モテモテじゃん」
とかいうんですよこんなごっついモンスターに囲まれても何も嬉しくないんですよ!!
「神谷、言い寄られて悪い気はしてないんでしょ?」
とか言うんですよ信じられないですよ!!あとすいません黒白猫さん正直何てお呼びすればいいんですか?「くろしろねこさん」でいいんですか?あ、このタイミングで聞くことじゃなかったですよね!すいませんせめて死ぬ前に聞いとこうと思って!!
俺達に近寄ってきた二人の表示名が緑から黄色に変わった。どうやら野崎が二人をパーティーに参加させたらしい。
『♪LILI♪: ライアさん大丈夫?』
『黒白猫: ライアさん囲まれすぎwwwwwNANAKOはドSだなぁwww』
次の瞬間に画面が一瞬止まる。急な処理でラグったのだろう。凄まじい範囲の<ライトニング>が放たれた。フレイムボムが一匹残らず吹っ飛んで消えた。
『黒白猫: さすがリリ姉だわ。相変わらずの火力』
『♪LILI♪: えへへ』
『黒白猫: よっしゃ、ここは俺もとっておき出すよ!』
あっという間にパーティー全員に補助魔法が掛けられていく。<ウインドフォース>、<ウインドウォール>、そして<クイックムーブ>。それぞれが攻撃速度、物理防御、移動速度を上昇させる技だ。
『黒白猫:何つっても全部スキルレベルMAXですから!!ライアさんちょっとそこの爆弾1匹殴ってみ!!』
言われたとおりにフレイムボムに通常攻撃をお見舞いする。早送りにしたような連撃が続き、コミカルに吹っ飛んで地面に沈んでいった。
『ライア: ・・・えええ』
『♪LILI♪: その反応いいなぁw』
『黒白猫: wwwwwww』
『NANAKO: くしねさん、あまりライアさんを甘やかせるのはちょっと・・・』
おいいい!!!
「野崎!!いくらなんでもそれはひどいから!!」
思わず叫ぶとヘッドセットの向こうから笑い声が漏れる。
「いいじゃん、神谷。うちのギルドにももう馴染んでるって感じで」
「完全にやられキャラじゃん!!」
「あれ?神谷って実際そうなんじゃないの?」
『黒白猫: ななこ辛らつwwwwwwwwwwwwww』
現実の会話とチャットの会話が妙にシンクロしているのを見ながら、俺はチャットを打ち込みながら言った。
『ライア: テンション上がってきました』
「それはない!!」
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