特別編
いつものように改札を抜け、駅前の大通りを抜けて少し外れた裏路地へ入っていく。ものの5分も歩けば見えてくる洒落た店が、喫茶店『GALLETTO』だ。モスグリーンの扉を押し開きながら中へ入る。
「おはようございます!」
人の気配がしてカウンターの奥から店長が顔を出した。
「あぁ、おはよう龍二」
「あれ、まだ店長だけですか?西野さんは?」
いつも午前のシフトに入っているはずの西野さんの姿が見えない。
「西野さんはシフトちょっとずらして午後から」
「あ、そうなんですか?」
「そう、まぁ午前中は俺と龍二で大丈夫でしょう。今夏休みだしね」
そう言って店長は笑う。その笑顔は文句なしに輝いている。
「そういえばさっき、龍二の露店見つけたから、ポーション全部買いましたよ」
そんな店長の言葉に思わず吹き出してしまう。
「いや、何やってるんですか!言ってくれれば普通にあげますって!!」
そう、俺がバイトしているこの喫茶店『GALLETTO』の店長は、俺が今ハマっているオンラインゲーム、『ジェネシスオンライン』のギルドマスターでもあるのだ。
「安かったから。それに、ちょっと龍二に相談したいことがあって」
そう言いながら手招きをしながらカウンターの奥に引っ込んでいく店長。
何だろうと思いながら俺もカウンターに入ってみると、店長はバックルームから繋がる通路の扉を開けるところだった。そのまま更に奥へと引っ込んでしまう。導かれるまま俺も店長の後をついていく。
1階の奥部屋にある、店長の部屋まで行くと、店長はデスクトップのパソコンをいじりながら何やらうーんと唸っている。
「どうしたんですか?っていうか今お店誰も居なくなっちゃってますけど」
「すぐ済むから。ちょっとこれ、見てくれませんか?」
そう言いながらマスターがモニターから少しだけ体をずらす。言われるがままに画面に顔を近づける。
するとそこには『ジェネシス』の中でも特に露店が盛んな町『ビヨンド』で、画面の真ん中には『風巳』が座り込んでいた。
「この顔文字、どっちの方が可愛いと思います?」
そう言いながら動かされるカーソルの先には、露店名の入力ウィンドウに
『Sマナポ踊り食いヾ(◉ฺ∀◉ฺ。ฺ)ノヾ(・ᆺ・✿)ノ゛』
とあった。
「……いや、顔文字とか以前にマナポ踊り食い!!ってフレーズがダメじゃないですかね?」
「え。そうかな。……ちなみにどっちが可愛いと思いますか?」
「え」
「顔文字」
「……いや、右……ですかね?」
「あ、やっぱり?俺もそうだと思ったんだよ」
嬉しそうにニコニコしながら、マスターが露店名を打ち直していく。
『ヾ(・ᆺ・✿)ノ゛Sマナポ踊り食い祭りヾ(・ᆺ・✿)ノ゛』
「いや、確かに可愛いですけど!!祭りって!!さっきよりも更に騒々しい感じになっちゃってるじゃないですか!!」
「いいでしょう?」
「すげえ満足気だ!!」
満面の笑みを浮かべると、店長は露店を設置して、「さ、戻ろう」と腰を上げた。
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そもそもどうして、バイト先の店長が、ギルドマスターなのか。
元々、俺は大学の友人2人と『ジェネシス』を遊び始めたのだけれど、たった3人で立ち上げた身内ギルド『クライシス』は、数か月のうちに自然消滅する形となった。俺以外のメンバーが、所謂リアル充実となった為だ。1人はバイトで入った塾講師に一身を捧げ、もう1人もそのうち飽きが来たと言ってログインしなくなった。ただ俺は『ジェネシス』の攻城戦やソロプレイの快適さに満足していたので、たった1人のギルド『クライシス』のギルドマスターとして、『ジェネシス』を満喫していた。
ある時、ふと店長に、『ジェネシス』でのソロプレイを笑い話として話した時だった。
店長は真顔になって
「え……坂本さんも、『ジェネシス』やっているんですか?」
と聞いてきたのだった。
俺はかなり仰天した。初めて間もないバイト先の喫茶店の店長は、30代にも関わらず見た目はどう見ても20代で、ペーペーの大学生である俺に対しても常に敬語で話してくれる人だった。
「え、……え。マジですか……。え、店長知ってます?『ジェネシス』って」
「……私、実は『ジェネシス』でギルドマスターやってるんですよ……」
眉尻を下げながら、ひどく恥ずかしそうに店長は教えてくれた。
そこからは、「1人でやっていてもつまらないだろうから」という理由で、あれよあれよと言う間に話が進み、『OVERLOAD』入りして今に至る。
同じゲームにハマっていることが明らかになってから、店長はとても気さくに話しかけてくるようになった。といっても仲が悪かったというわけでは無くて、単純に仕事だけじゃない共通の話題が出来たからだろう。『ジェネシス』のことがあってから、気が付けば店長の俺の呼び方は『坂本さん』から『龍二』になり、相手の年齢に関係なく、ネットでもリアルでも徹底されている敬語遣いも、俺の前ではかなり崩れている。
「……次の休憩までには、全部売れていればいいんですけどね」
そう微笑みながら支度をする店長に、思わず笑ってしまう。
「店長、課金してるんだから露店で稼がなくてもいいじゃないですか」
「ううん、商売人ですからね。ゲームとはいえ、稼がないとね」
俺が噴き出した瞬間、入り口の鐘が鳴る。ぞろぞろと、熱さに茹だった様子の女子高生が3人入ってきた。ショートヘアの子に、ロングヘアの子、それに茶髪の子。よく見る顔ぶれの子達だ。夏休みでも部活に忙しいのだろう。
「あっつーい」
「あ、お店の中超すずしーい」
すっかりへばった様子の女子高生たちが、いつもの位置に座る。
「いらっしゃいませ。」
人数分のお手拭に、キンキンに冷えた水を注いだグラスと、おかわり用の水差しをテーブルに置く。水差しには、薄くスライスしたレモンが入っている。美味しそうに水を飲み干した女子高生たちは、鞄を椅子に置いて立ち上がるとさっそくカウンターまで移動していった。
「店長さん、こんにちは!!」
ショートヘアの女の子がにこにこと挨拶をする。
「こんにちは。今日も部活ですか?暑いのに、大変ですね」
店長もとびっきりの笑顔で応対する。何度もしつこいようだけれど、店長は実年齢を聞いても初めは冗談だと思う程、見た目が若い。実際、俺の友達がバイト先に来た時、その中の1人の女友達が、「あの人もここで働いてるの?凄いかっこいいね。タメ?」と言っていた位だ。ちなみに俺は今19歳なので、それはつまり、とんでもないことなのだ。更に言えば、その若々しさは、そのまま店長の見た目の麗しさを表している。
仕事をする時は少し長めの後ろ髪をヘアゴムで縛って、いつも糊の効いた黒いシャツに、アイビーグリーンのエプロンを着ているスマートな姿は、男の俺でもかっこいいなと思ってしまう位だ。
店長目当てのお客さんがどれ位いるのかは知らないけれど、うちのお店の来客女性率が異常に高いのは、事実だ。
案の定店長の爽やかな笑顔に、女子高生たちがふにゃふにゃになっているのが見える。
「ご注文をどうぞ」
「あたしアイスティー!サイズMで」
「私は、チャイのアイスで……グランデで」
「オレンジジュースのM下さい」
お会計を済まそうと財布を取り出す女子高生たちは、額に前髪を張り付けたまま、パタパタと手で顔を扇いでいる。
「ごめんね、店内あんまり冷えてなくって」
お釣りを差し出しながら、店長が女子高生に謝る。
「え?……あ、全然。凄い涼しいです。ね?涼しいよね?」
ショートヘアの子の言葉に他の2人も首を縦に振る。
「でもほんと、凄く外暑くって。……クラクラしちゃいます」
ロングヘアの女の子が、へばった様によろめいた振りをした。他の女子高生2人はケラケラと笑ったのだが、店長は何を思ったのかカウンターの奥に引っ込んでしまった。少しして、注文されたメニューでは無く、水で絞った様子の小さめのタオルを持って現れた。
怪訝な顔をしている女子高生たちだったけれど、店長はカウンターの扉を開けると、ロングヘアの子に近づいて、そのまま手にしたタオルで女の子の額を拭きはじめた。
「え!?」
「ひゃ!?つ、つめた……」
突然の事態に女子高生たちが固まってしまう。特に突然拭かれ始めた子はどうしていいか分からないようだ。見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく。
「熱中症は、危ないですからね。これで、頭と、あと首の後ろを冷やしてください。……顔、真っ赤じゃないですか。……大丈夫?」
そう言うと、心配そうに女子高生の頭をさらっと撫でた。うおおお、店長!!さすがにそれはまずいんじゃないんですかね!?俺は無表情になろうと努めながらも内心かなり冷や冷やしていた。
「だだあだ、だい、大丈夫です!!!あ、だ、大丈夫じゃないです!!でも大丈夫です!!」
ロングヘアの子はもうこれ以上は無いだろうって位に真っ赤な顔で頭を抑えている。
ショートヘアの子と茶髪の子は羨ましそうな顔でロングヘアの子を見ている。
店長!!俺はもう一度心の中で叫んだ。っていうか風巳さん!!風巳さん的には「眼中に無い」年齢の子達なのかもしれないですけど!!自分の外見が思ってるより若いってホント自覚してくださいよ!!もうあの子達の視線完全にハート出てるじゃないですか!!っていうか俺凄い空気と化してるじゃないですか!!
俺は心の中で叫び続けた。『ジェネシス』のギルメン達にも言えない、風巳さんの「リアル生活」はこうして過ぎていくのだった。