反旗
よっちゃん視点です
携帯を持ったまま、固まる。
神谷っちからの返信は軽かった。思わず眉を潜めるくらい軽かった。返信のスピードも、凄く早かった。ちっとも悩んでくれてるとは思えなかった。
分かってる。神谷っちは私のことを意識なんてこれっぽっちもしてくれていないのだ。神谷っちにとっての女の子は、ほとんど恐怖の対象なのだ。神谷っちが私のことをすんなりと受け入れてくれたのは、私が細心の注意を払いながら、敵意も、害意も、他意もないのだと、純粋に友達になりたいのだと示したから。そう思わせることに成功したから。だから神谷っちは私が投げかけたのと同じ位の友情を示してくれている。
でも、私にだって我慢の限界というものはある。
神谷っちがいつまで立ってもお芝居を続けるというのなら、私はそれに付き合ってあげるつもりはない。
何故なら私は神谷っちのことが好きだからだ。そして、神谷っちが思うほど、お人よしではないからだ。
私を懐に忍ばせたことを、うんと後悔させて、そして良かったと思わせてみせる。私は携帯を置くと、クローゼットを開けて、服を選び始めた。
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私が神谷っちに興味を持ったのは、クラスで一時期女の子たちが神谷っちの話題でひとしきり盛り上がって、そして冷めていった後のことだった。
神谷っちは勉強も出来て、運動神経も悪くなく(特に走ることが得意だ)、何よりも人を引き付ける外見があった。でも、無愛想というか、余り周りともうち解ける様子が無くて、そんな神谷っちに初めは浮足立っていた女の子たちも、すぐに落ち着いてしまった。でも、私はそんな神谷っちを見ながら、ある事を思っていた。
……どうして、わざと周りの反応に気付かないふりをするんだろう、と。
騒がれて、気が付かない人なんていない。噂されて、耳に入らない人なんていない。うちのクラスの女の子なんて、そもそも神谷っちのいる前で声を潜めて話題に上げていた。本人達は隠している気でいるかもしれないけど、人間って、そんなに鈍感じゃない。気が付かないなんて不自然だ。
まるで気が付きたくないみたい。
そう思った途端、私は神谷っちに興味を持った。単純に、彼がどんな人なのか知りたくもあったし、どうしてそんな風に振る舞うのかも気になった。
そんな折に奇しくも席が前後になって、私はあまりのタイミングの良さに叫びだしそうだった。神谷っちが、何を考えてるのか、話しているうちに何か分かるのかもしれないと思ったからだ。はっきりいってしまえば、その時あったのはただ単純に興味があったからで、私が神谷っちに対して個人的な好意を持っていたわけではなかった。……なかったはず。
後ろを振り返って、少しずつ話しかける。初めの頃の神谷っちの反応は、私が思ったより良好だった。私は、あまり特徴のない顔をしてると思うのだけれど、笑顔だけには自信があった。そして私は笑顔を保つことにも自信があった。神谷っちに対してにこにこ話しかけ続けていくうちに、話しかけられると少しだけ目を見開いて、視線をそらしていたのが、とつとつと話して、だんだんこっちに視線が向いてきて、つられたように笑うようになっていった。
何だか、凄く可愛いなと思った。
それに話してみると神谷っちは話下手なんかでは無く、とても話し上手で、聞き上手だった。初めは私が一方的に話して聞き役に徹していたみたいだけど、少し心を開いてくれたのか私の話に突っ込んでくれたりするようになった。あいさつをしてくれるようになった。
更に時間が経つと、私のことを「大野さん」から「よっちゃん」と呼んでくれるようになった。
何だか、凄く嬉しかった。
私はある日とうとう、核心に触れることにした。神谷っちと仲のいい矢野君の彼女さんの話題が出た時だった。このタイミングしかないと思った。
「……そういえば神谷っちはさ、どうなの?」
私が努めてさり気なく聞いた質問に、神谷っちは不思議そうに答えた。
「どうなのって?」
「付き合いたいなーとか、ないの?」
その時の神谷っちの表情は、何だか変だった。困ったように眉が下がった。本当に一瞬だったけど泣きそうな顔になった気がして、私の心臓が驚くくらい跳ねた。
「ないない。あり得ないでしょー。俺は全然無い」
笑いながら首を振る。ほとんど拒否反応に近い。何だかその反応にムッとしてしまって、私は少しだけ意地悪を言ってみた。
「でも、神谷っち結構女の子に人気あるよ?神谷っちのこと好きな人、いるんじゃないかな?」
ストレートに事実を告げる。どう出るだろう?
「あ、本当?マジかー!それは普通に嬉しい!!」
え?
「よっちゃんこそ、人気あるけどね。よっちゃんのこと好きな人いるでしょー」
えええええ。はぐらかされた。凄い強引なやり方で。てっきりまた「無い無い」っていうと思ったのに。まるでそんなこと知ってるみたいな言い方、したなぁ……。
そこまで考えて私ははた、と止まってしまった。もしかして、と思う。
「神谷っちはさ、何で彼女欲しいなーって思わないの?」
「んー?うーん、いやー、欲しいけどね。まぁ、でもなぁ。俺には無理でしょ」
あぁ。やっぱりだ。この人、諦めたいんだ。
実際に自分がどう思われてるかなんて、関係ないんだ。むしろ、好意的に見られてるなんて知りたくないんだ。だから自分の中で無意識的に、そういう情報だけは否定しちゃうんだ。だって、そんなことを知ってしまったら、障害が無くなっちゃうから。
でも何でだろう?何でそんなことをするんだろう?
「……でもうん、彼女出来たらかなり嬉しいだろうなぁ。凄いなぁ。だってさ、自分が好きな人が自分のことを好きなわけでしょ?それってあり得ないよね……。凄いことだよねえ」
言いながら神谷っちが微笑む。私は何ともない風に更に探りを入れてみた。
「そうだねえ!凄く幸せなことだよね。でもきっと、神谷っちだってそういう人、出来るよ?」
私は目一杯の笑顔でそう言った。でも、次の瞬間私は真顔になっていたと思う。
「うん、いいねー!待ち遠しいねえ!!」
満面の笑顔で、神谷っちは嘘をついた。
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その日家に帰って、私は神谷っちの反応の意味について考えていた。神谷っちはきっと、ある程度は自分の容姿が周りを惹きつけてることには気づいてる。でも気づいてるって事実を意識していない。彼女は欲しいという。……でも本心ではちっともそんなこと思ってない。
頭が混乱してきた。ちぐはぐで、めちゃくちゃだ。まるで……。
まるで子供みたい。
「……あ」
思わずベッドから跳ね起きる。そう。まるで子供だ。いじけて、欲しいくせに要らないと言ってみせたり、でも誰かが欲しがると自分も欲しくなったり……。
神谷っちはきっと、すごく恋愛に憧れているんだ。でも、恋愛の難しさも分かってるんだ。
だから自分からそういう話をわざと遠ざけてるんだ……。欲しがらないように。
欲しいから、近寄らない。憧れてるから、諦める。無意識に自分を騙してまで。
でも、でもそれじゃ神谷っちはいつ人を好きになって、いつ付き合うの?
「……神谷っち、間違ってるよー」
私はベッドに転がりながら呟いた。何だかひどく悲しかった。神谷っちのアホ、とも思った。胸が苦しかった。
あぁ、私は神谷っちのことが好きなんだと思った。
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待ち合わせの場所に着くとすでに神谷っちは柱に寄り掛かりながら待っていた。その姿に心臓がドキドキするのが分かる。神谷っちの私服姿を見るのは初めてだ。
可愛い。可愛い可愛い可愛い。
意識しないようにして、神谷っちに近づいていく。肩を叩くと神谷っちが驚きながらこっちを振り向いた。可愛い。
何だか神谷っちがオロオロしているので内心ガッツポーズをする。神谷っちが夏休み前に『女の子はロングスカートがいい』と言っていたのを私は覚えていた。だから私は今日、私が持っている中でも一番短いスカートを履いてきた。神谷っちの言う『女の子の格好で好きなもの』はそのまま『神谷っちが女の子として相手を意識せずに済む格好』に違いないのだ。だから私はめいいっぱいお洒落をして、化粧をして、めいいっぱい女の子らしい格好をしてきた。
神谷っちに意識してもらう為に。
それでも、あまりにも神谷っちが挙動不審なので不安になる。似合ってないのかもしれない。変なのかもしれない。
「……私何か変?」
ちゃんと笑えているのか、自信がない。
神谷っちはそれまでオロオロしていたけど、意を決したようにこっちを向いた。
「……ごめん何かね、何かよっちゃんが可愛くてびびりました」
……。
可愛い。
神谷っち可愛い。可愛い。可愛い。好き。
「神谷っち」
じっと見つめると神谷っちは顔を伏せてしまった。でも私の方が身長はずっと低いから覗き込むような形になる。
「私服かっこいいね」
効果はてきめんだった。神谷っちの顔がみるみる赤く染まる。照れると顔が赤くなるって本当なんだなぁ。
何だか私は嬉しくて楽しくて仕方がなくなってしまった。にっこりと微笑んで神谷っちを見つめる。
神谷っちは気づいてないけど、私はもう神谷っちにとっての無害で心許せる異性の友達では無いのだ。「よっちゃん」ではなくて「大野良美」なのだ。
だから、今日はそれを分かってもらおう。私は心の中で気合を入れ、歩き出した。