表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユアハート・マイリーズン  作者: 八武希幽水


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/28

1.7 神城の大桜

「……早く、来すぎちゃった」


 無数の星と青白く光る月が彩る夜空の下、由紀は携帯を見ながらそう呟いた。

 液晶画面の時刻表示が指し示すのは午後十時過ぎ。結実との約束の時間まで二時間近くあるが、思い浮かんだ様々な感情から居ても立っても居られなくなった由紀は、一足早く約束の場所に来てしまった。


「…………寒いなぁ。まだ」


 溜息交じりに吐く息は白い。漸く近づいてきた春の気配によって寒さも大分和らいできたものの、真夜中の、それも人気の無い山奥の空気は未だ冷たかった。


 由紀の家から自転車で十数分、桜美丘駅から駅一つ分離れた場所に、神城家が持つ一際大きな山がある。寂れた駅近くの目立たない場所に石造りの階段が山の中腹まで続いていて、それを登りきると『神城神社』のかすれた文字が刻まれた鳥居と古びた境内社が見えてくる。人気も無く、手入れもされず乱雑に生える木々の合間に佇む社の姿は、それこそホラー映画に舞台として出てきてもおかしくない出で立ちだった。何も知らない者にとっては近寄り難い、非常に不気味な場所。幽霊の類が大嫌いな由紀にとっても、結実と出会わなければ生涯死んでも訪れない場所だったろう。

 結実の話では、昔は彼女の親族が管理していたが、神城家の直系が幼い結実だけになってしまった時点で権利のみ残った放置状態になったという。


 そして現在由紀が腰掛けるのは神城神社の更に奥、木々が神社以上に人の目を覆い隠す様に生い茂る中を進み続けると辿り着ける場所。


 神城山の頂上付近で静かに佇む一本の桜の木、『神城の大桜』が聳える広間だ。


 由紀は桜の根元に腰掛けたまま、頭上に無数の枝を伸ばす巨木の姿を見上げる。まだ枝ばかりの寂しい姿だが、よくよく見てみるよあちこちに小さな花の蕾が春気を待ちわびているかのように膨らんでおり、中には桜色の花びらを綻ばせているものもある。

『この子』は毎年、誰よりも早く花を芽吹かせる。

 それは由紀と結実、二人だけの秘密であった。


「……良かった。今年も元気で居てくれて」


 由紀は目を閉じ、鼻から深く息を吸う。……香りはまだ、無い。感じるのは未だ抜けきれない冬の冷たい匂いと、周りに生える草花の微かな匂い。

 街中で良く植えられるソメイヨシノなどの花には人が感じる程の匂いは無い。しかし、ヤマザクラ系統の個体などはその限りではなく、とても上品な香りを放つ。

 この『神城の大桜』もその一つ。満開になれば一帯にとても優しく甘い芳香が漂う。桃の香りにも似た、しかしそれ以上に甘く高貴で、頭がぼうっとする程優しい匂い。それが由紀の一番好きな香り。


 由紀はこの場所が、この桜が大好きだった。毎年必ず結実と二人きりで花見をする場所。毎年変わらず由紀を迎え入れてくれた木。


 そして、母の死後、落ち込んでいた自身と結実を引き合わせた存在だった。


――今でも忘れない。


 由紀の母は誰よりも綺麗で美しく強く、そして優しい人だった。

 常に由紀の傍に居てくれて、元より居ない父親の分まで深い愛情を注いでくれた彼女は、由紀が八歳になった頃、唐突にこの世を去った。幼かった由紀はその当時の事を何んとなくにしか覚えていないが、どうしようもない程泣き、悲しんだことは記憶に残っている。

 母の親友だった在子を始めとする周りの大人達も随分気にかけてくれたが、由紀の心の傷を癒すまでには至らず、母が死んでから暫くは彼女の姿を探すように共に遊び歩いた土地を彷徨い巡っていた。山、森、川。自然が好きな人で色んな場所に自分を連れ出してくれたから、何かの悪戯できっと何処かに居るはずなんだ。きっとそうだ。

 虚しい期待を寄せながら川沿いを歩いていた時、由紀は山の中で光る何かを見つけた。誰も気づかなくても由紀には見えた。それがこの場所、それがこの桜、『神城の大桜』。


 そして、ここで結実に初めて出会った。


 ふと、今日の彼女を思い出す。調子外れの元気さは気になるが、それ以外にもう一つ。

 結実が由紀を呼ぶ際、『由紀ちゃん』か『ゆーちゃん』が殆どで『由紀』と呼ぶことは滅多に無い。由紀の経験上、結実がそう呼んでくれるのは本気で怒っている時か悲しんでいる時、そして二人にとって大切な用件の時だけだ。


「……もし、結実も僕に」


 同じ言葉を伝える気ならば。そんな考えがふと頭をよぎった由紀は途端に頬を赤くし、首を振って楽観的な自分を諫める。自分に都合の良い展開ばかり訪れるわけはない、と。

 だけど、結実が今日内に秘めるのは相当に大切な用事である事は確かなのだ。彼女の誕生日に、二人だけの秘密の場所で会う約束。


 もうすぐ、時間だ。


「……………………」

 どうなるかは分からない。しかし、自分はもう此処にいるのだ。そして、結実も来る。


――きっと、大丈夫。


 例え数十分後、自身が望む結果になろうと、そうならなかったとしても。

 結実が居て、笑顔で幸せに生きてくれればそれでいい。それが自分の『幸せ』。

 願わくは、その隣に居ていいのが自分であって欲しい。しかし、


――僕が居て結実が居る世界は、明日もその先もこれまで通り続いていくのだから。


「大丈夫、大丈夫」


 そう由紀は自身に呟き、目を閉じる。『神城の大桜』の幹は小柄な由紀をすっぽり収めてもなお余裕があるくらいに大きい。それに神城神社の御神木である為だろうか、冷たい筈の空気は和らぎ、由紀をほんのり暖く包み込む。それが僅かに緩んだ緊張の隙を突くように、由紀をゆるやかなまどろみへと誘う。


 そんな由紀の頭上。『神城の大桜』の枝が一つ、一際大きく膨らんだ蕾が俄かに揺れた。それは時間をかけゆっくり広がり暗闇の中に一つ、小さな桜色の光を生み出した。

 まるで、何かを迎え入れるように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ