1.5 出会いと予兆
舞之宮駅はこの時間、日中以上に視覚的・物理的に煌びやかになり騒々しくなる。学校終わりの生徒や仕事終わりの人間の帰宅ラッシュが重なる他、そんな彼らをターゲットにした商店や飲食店が一斉に活気づくからだ。あちこちに建ち並ぶ高層ビルも、駅前を中心とした各商店街も、全てが色とりどりの光を放つ。その光一つ一つに人々の営みが体現され、街全体が一つの大きな、生きたイルミネーションを形成している。
「――考えたけど、やっぱりアクセサリーとか。ネックレスとか良いんじゃないか?」
ビルの合間に吹く冷たい風に身を縮めて歩きながら、優香里はそう提案した。
「結実、あんまりアクセとか興味なさそうだけどなぁ。つけてる所あんまり見た事無いし」
結実は昔から着飾るタイプでは無い。自分に自信が無さそうにしがちであった。
もっともそれは、由紀から見た時の結実の印象ではあったが。
「というか由紀お前、今までアイツの誕生日プレゼントってどうしてたんだっけ?」
「え? ……それは、まずはご飯にケーキで、結実に欲しいもの聞いてあげてたかな? お財布とか、お洋服とか。……あとはゲームソフトとかの時もあった」
「なるほど。無難にリクエストに応える感じか」
幼い由紀と結実が二人、ほのぼのパーティをしている様子を思い浮かべ微妙な顔をした後、顎に手を当て難しそうな顔をして見せた。
「……なんつーか、やっぱりどちらかと言うと家族か姉弟みたいだな、お前ら」
「また、すぐそうやってからかう……」
むぅ、と膨れる由紀を見て優香里は笑う。
「へへ。ま、今まではそれで良かった訳だ。だけど今回は違う、だろ?」
「……うん。でも、いきなりネックレスとか重たいって思われないかなぁ」
「それでこそ本気だって鈍い結実にもガツンって伝わるんだろうが。……うん、ネックレスでいこう。派手なのはアイツに似合わなそうだからシンプルで綺麗なのがいいな」
「んー。……うん、優香里姉ぇがそう言うなら。いいかも」
「ほんじゃ、手当たり次第に品定めと行こう」
優香里はそう言い、由紀を急かす様に引っ張り駆けていった。
――ガシャン!
それは、ジュエリーショップを幾つか回った後の事。これと気に入ったものが見つからない中、気分転換も兼ねてモール内の本屋に立ち寄った時の事だった。由紀が本棚を眺めていた矢先、そのすぐ背後で突然店外まで響き渡りそうなほどの大きな物音がしたのだ。由紀は思わずビクッと肩をすくめ音のした方に振り向く。
「――、――ぁ」
何冊もの本が辺りの床に散らばる中、女性が一人立っていた。
見るからに大人しそうな成人女性。少し茶色がかった黒髪は後ろで結ってあり、綺麗に切り揃えられた前髪の下にあるのは素朴ながら整った顔立ちだ。それだけの特徴であれば普通にありふれた、清楚な大人の女性という印象を由紀に残すに終わっていただろう。
見慣れぬ点は、彼女の服装だった。全身を覆う黒いロングスカートに真っ白な清潔そうなエプロンドレス。胸元には赤色のリボンタイが結ばれている。そして頭部を飾っているのは小さなフリルが施された細く白いカチューシャ。それは何時か同級生の男の子が見せてくれたアニメ雑誌に掲載されていたもの程派手で分かりやすい形ではなかったが、確かにそうだと分かる『メイド』の姿だった。
そしてそんな外見以上に印象的だったのが、由紀に向ける彼女の表情だった。状況からして大量の本を落としてしまったのは彼女に違いないが、当の本人はそれらに目もくれずにただ由紀の顔を呆然とした様子で見つめていた。
彼女はそのまま身動き一つ取らなかったが、一足早く我に返った由紀の、
「――大丈夫ですかっ!?」
という呼びかけに反応して、ハッとした様子で辺りを見渡し慌てて本を拾い始めた。物音と由紀の声に反応したのか優香里も別コーナーから駆け付け、女性の珍しい出で立ちに一瞬目を丸くしながらも素早く本を片し始める。
「ごめんなさい! 私ったらボーッとしちゃって……」
「いえ、いえ。そんな事より怪我とか無いですか? 足とか……」
「あ、はい。私は大丈夫です。すみません、本当に……」
そう答える女性の声は見た目から連想される通り淑やかで綺麗な声色だった。しかしかなり動揺してしまっているのだろうか、本をしずしずと拾い集める彼女の手は良く見ると小さく震え、吐息も若干荒い様に感じる。
由紀と優香里は「これはヤバイ」と同じように思い、指し示し合う事も無く互いに手分けして女性をフォローに回った。やがて騒動を聞きつけた店員達が駆け付ける頃には場は収まり、メイド服の女性は落ち着きを取り戻していたようだった。
事態の収拾に注力していた由紀と優香里は、その間彼女が由紀を食い入るように見つめていた事には結局最後まで気が付かなかった。
「――本当にお二人とも、ご迷惑をお掛け致しました。……お茶まで頂いて」
「もう礼は良いですってば。それにここ、身内の喫茶なんです。なぁ、由紀?」
「うん。……大事に至らなくって良かったですよ、アリアさん」
二人の言葉にアリア、と呼ばれたメイドの女性は柔和な微笑みを返す。
三人は本屋を出た後、ショッピングモール外のすぐ近場にある喫茶店『すみぞめ』を訪れていた。日中であればそれなりに賑わう人気店であるが、今の時間は由紀達以外に客は居らず閑散としていた。アリアに一息ついてもらいたい点では返って好都合だった。
由紀は振り向き、カウンター内に座る女性に笑顔で軽く手を振った。コーヒーを飲みながら気だるげな表情で新聞を読んでいた彼女は由紀の合図に気付くと手を振り返し、続いてアリアの方を見やり、「どうぞ、ごゆっくり」と笑顔を見せた。
喫茶『すみぞめ』のマスターを務める彼女、天野在子は由紀の母親の古い知己であり、由紀が小さい頃から何かと面倒を見てもらってきた存在だ。癖っ気が強い黒髪に、銀縁の眼鏡の奥にあるのは眠たそうな瞳。薄紅色の唇にくわえた煙草を燻らせる姿は喫茶店の主人というより大人向けのバーのマスターの様だ、と由紀は昔から思っていた。
「一応、酒もあるけど? イケる口なら出そっか、メイドさん」
「あ、いえ! お構いなく。業務中でもありますので。……でもありがとうございます」
改めて天野に頭を下げ、先程出された紅茶のカップを手に取るアリアの姿は本屋で見せた気弱さを微塵も感じさせない凛としたものであった。
「業務中、って事はアリアさんって本当にメイドさん、なんだ?」
「ええ、はい。お屋敷に勤めさせて頂いております。……恥ずかしながら先程見せた様に、まだまだ未熟な粗忽者ですが」
「そうなんだ。へぇー珍しい、凄……」
「優香里姉ぇ。失礼だよ、そんなにジロジロと」
物珍しそうに自身を好奇の目で眺める優香里と、それを窘める様に小突く由紀を見てアリアはウフフ、と手を口に当ててはにかむように笑う。その仕草も実に慎み深い。
「お気になさらず、泉様、佐倉様。このせ、国だと特に私のような役職は希少の様で。私が仕える主人たっての願いで少々探し物をしに訪れたのですが……」
アリアは「柄にも無く街中で目立ってしまいました」と気恥ずかしそうに目を伏せた。
「そのジロジロ見てきた中にウチの生徒の奴らが居なけりゃいいけど。それで探し物は見つかりました? ここらじゃ一番デカイ街だし、余程珍しいものじゃなきゃ――」
「あ、はい! 主人の笑顔が見れそうで……遠路遥々来たかいがありました」
「……そうですか、良かった!」
由紀は笑みを返す。
「ところで、お二人の御用事の方は大丈夫でしょうか? 私の所為でお手間を」
「ん? ……あ、やべぇじゃん! 由紀の愛の込めたプレゼント探してるんだった!」
「変な言い方しないでよ、優香里姉ぇ! 恥ずかしい……」
「事実だろ! ……あー、どうしようかな。知った店はもう回ってるし」
気づけば時刻は午後六時を過ぎようとしていた。店によってはそろそろ閉店時間の頃合いだ。確かに他者の心配ばかりしている場合ではなかったかもしれない。
「愛を込めたプレゼント、ですか? ……それは、まぁ、もしかして」
てんやわんやしている由紀と優香里を交互に見やり、アリアは口元を手で覆い呟く。「……っ!? いや違う、違いますよアリアさん!」
「えぇー、違うんだ由紀? 優香里、悲しいなぁー」
「違う! もう、悪乗りしないでよ優香里姉ぇ!」
すかさず顔を真っ赤にして取り乱す由紀を優香里は楽しそうに茶化す。アリアはきょとんとした表情になり、遠くで在子は頬杖をつき「またやってる」と苦笑していた。
「……僕の幼馴染が明後日誕生日で、今年はその、ちゃんとしたものを贈りたいなって」
「なる、ほど」
それを聞いたアリアは、少し悩んだ素振りをした後に、遠慮がちな表情で口を開く。
「佐倉様がお求めなのはネックレス、なんですね。……どのようなものをお探しで? 具体的なイメージはありますか? ご予算は? お相手はどのような御方でしょうか?」
「え、と。大人しい感じの子なんですけど。あんまり派手過ぎないシンプルなものを、考えてます。色は白で予算は五万くらい。――あ、見た目はこんな感じの子、です……」
由紀は学生鞄の内ポケットから手帳を取り出し、中にあった写真を差し出す。
それは自分と結実の高校入学時のツーショット写真。桜の木を背景に、綺麗に取れた由紀のお気に入りの一枚だった。それを見たアリアの口元もほころぶ。
「まぁ、とても可愛らしい方!」
「……はい」
アリアは写真を返した後、由紀に微笑みながら提案する。
「差し出がましい事かもしれませんが、この御方に似合いそうな品がある店でしたら私がご案内し見繕う事ができるかもしれません。所用を済ます傍ら、主人への手土産は無いかと街を回り、質の良い店の場所はおよそ把握できていますので……」
「……えぇ!? 本当ですか?」
「はい。助けてもらった御礼としては心許ないのですが……」
「とんでもない、お願いします! 私達よりよっぽど詳しい人が勧めてくれるなんて、やっぱり人助けってするもんだ。なぁ、由紀?」
「うん! ……宜しくお願いします、アリアさん」
優香里にバンバンと背中を叩かれながらはにかむ由紀に、アリアは満面の笑みを返した。
そこから先は早かった。アリアに紹介された幾つかの店はどれも由紀が脳内で描いていたイメージに合う品を取り揃えていた。優香里とアリアに相談の上、最終的に二件目に立ち寄った商店街端の小さな貴金属専門店で見つけたネックレスを購入することにした。
「これ、ください」
緊張した声で由紀は店員に呼びかける。それは白金に光る細い鎖で結ばれたネックレス。鎖の間には主張しすぎない程度に小さな宝石がついている。控えめながら美しい逸品だ。
店員に頭を下げ店の外に出た由紀は、続いて出てきたアリアの両手を握り感謝した。
「――ありがとうございます、アリアさん! 僕が考えてたのよりずっと良い!」
「どういたしまして。ご期待に沿えてよかった」
商店街を出る頃には既に時刻は午後七時を回っていた。アリアは近くに取ってある宿に戻るというので、此処で由紀達と別れることになった。
「アリアさん、本当にありがとうございました。その……頑張りますね!」
「私らはここで。帰りはどうかお気をつけて。……ここの所通り魔とか、物騒なので」
「ふふ。はい、気をつけます。…………あの、佐倉様は」
アリアは由紀を見て何か言いたげな表情を見せたが、言葉を切って柔和な笑みを作る。
「……いえ。何でもないです。お誕生日の日、頑張ってくださいね」
由紀は「はい!」と元気よく返事を返し、「急がねえとお前、電車乗り遅れるぞ!」と優香里に急かされながら駅に向かい走る。慌ただしく騒ぎながら進む少年と少女をアリアは優しい笑みで見送った。二人の背中が駅前の人込みに紛れて見えなくなるまで、ずっと。
そして笑みを消したメイドは、本人以外聞こえぬ声で一人呟く。
「……見つけましたわ、ご主人様」
出来ればそうあって欲しくなかったと言わんばかりの表情で。
「――見つけてしまったわ、ユリス」




