1.4 『姉』と『弟』
放課後、夕日の光が窓から差し込み、電気のついていない生徒会室の中をぼんやりと照らしていた。遠くの方からは帰りの生徒達の声が聞こえる。今月中に舞之宮市内で発生した二件の殺人事件の影響は市内にある学校にもじわりと広がっており、舞之宮高校も昨日から教師陣からのお達しで可能な限りの部活動休止と早期帰宅が促されていた。
――早く、犯人捕まるといいな。
皆考えるように由紀もそう願っていた。そして今、他に由紀しか居ない生徒会室にて、会長席にどっかりと座り不機嫌な表情を浮かべる生徒会長、泉優香里もきっとそう。
「あー、由紀。やっと来た。遅いぞ?」
「あ、うん。ごめんね、優香里姉ぇ。クラスの日誌とか書いててさ……」
「ふーん」
今は、不本意に由紀と二人きりにされて不機嫌な気持ちの方が強いかもしれない。
由紀からわざとらしく顔を背ける優香里は、今朝の凛とした佇まいからは想像できないくらいだらけ切っていた。制服の上着は机の上に無造作に放り捨てられ、その上には学校指定の紅いリボンが乗っかっていた。紺のカーディガンは肩にかけ、白いブラウスは半分がスカートからはみ出ていた。美しい顔立ちは変わらずだったが、気怠そうな瞳はひねくれた不良少年のように幼稚っぽい。
「……はぁ。優香里姉ぇ、いくら何でもだらしなすぎ。まだ学校なんだよ?」
「うるせー。お前から呼び出されなきゃとうに帰ってたんだよ」
「もう」
由紀は呆れたように溜息をついた。由紀にとって自慢の存在である優香里は、外の目が届かない所では大概こんな感じだった。由紀の家や今いる生徒会室などが良い例だ。所謂「オフ」の状態になった彼女は、由紀から見れば只の子供だった。
「あーもう! そんなに脚広げて着崩して。下着見える! 女の子でしょう?」
「えーい! もーうっさいな。母親か!」
つい目的も忘れて身だしなみを整えようとしてくる由紀の手を乱暴に振り払い、優香里はぶすっとした顔で睨みつけた。
「……そんなの後でいいだろ。用事があって私を呼び出したんだからよ。え? 明人のヤツがあんまり言うもんだから来たんだ。無関係なのまで巻き込んで」
卑怯だと言わんばかりに鼻を鳴らす。それには由紀も少しムッとなった。
「だって、僕から話しかけても、はぐらかしてばっかりじゃん。……結実もだけど」
「………………」
訪れる沈黙。今朝の一幕でも感じた、居心地の悪い何とも言えない空気。
――いいや、駄目だ。今は逃げちゃ。
頭をフルフルと振り、由紀は優香里の顔に向き直る。明人まで巻き込んで、なあなあとまた問題を先送りにする訳にはいかない。
「あの、優香里姉ぇ――」と、由紀が呼び掛けるのを遮るように優香里が先に口を開く。
「そういやアイツ。結実の方は良いのか? 声楽部だって休みなんだし今朝みたいにさ、二人でイチャイチャしながら帰りゃいいのに」
「イチャイチャなんかしてない。優香里姉ぇ、茶化さないでよ」
「へん」
「……結実は、もう帰ったよ。HR終わりに弁当箱返して。用事あるからって」
避けられた事は悲しいが、今日に限っては都合が良かった。
由紀は自身の席を会長席の隣へ動かし、またそっぽを向く姉に向き合う。
「――今日は、優香里姉ぇに聞いてほしい事があるの」
「……愛の告白か?」
当たらずも遠からず。「姉」の勘は今日も鋭かった。「ち、違うよ!」と分かりやすく赤くなり叫ぶ由紀を見て、ここで優香里は初めて悪戯っぽくであるが微笑んだ。
「えー、違うのかぁ。それは残念。……こんな残念な気持ちはバレンタイン以来だ」
「それは、その。ただ僕は……」
「バレンタインの日だってな、最初はお前ん家に呼ばれたときはちょっとドキドキしたんだもん。もしかしたらお前から想いのこもったチョコでも頂戴できるんじゃないかって」
優香里は口元を歪ませたまま、目を細め遠くの方を眺める。傾いた夕日の光は室内を先程より強く照らし、その光源を見つめる顔は眩しそうにも見える。
「……頂いたのはいつも通りの美味しい義理チョコ。トッピングは『結実に本命チョコを渡したいんだけど、どうすればいい?』、なーんていう、チャランポランな相談事だよ」
由紀は赤面したまま後ろめたさを残す様に目線を下げる。
「……今更だけどさー。何でいっつもバレンタインの日に由紀の方からチョコ配ってたんだろうな。一番美味かったから何も言わんかったけど」
「そりゃ、昔からそうだったし……お菓子作るの好きだし、皆喜んでくれるし。それに」
「それに?」
「気持ちを込めた贈り物をする行事に男も女も関係ないって、お母さん言ってたから……」
「……そりゃ、立派なお教えで」
優香里はフッと小さく笑った。
「……まぁ兎に角、お前的に今の状況は非常にマズイ訳だな? もう明後日だし」
優香里はそう言い由紀が居る先、入口の方をチラリと見る。ちょうど昼休みに明人がしたように、カレンダーの日付に記された一つの花丸に視線を合わせた。
明後日、三月十五日。その日こそが神城結実の誕生日だった。
「……そうなの。大事なの」と由紀は呟き、席を立ち優香里の前に立つ。相変わらずだらけた姿勢で座る彼女に、由紀はじっと見つめ、赤い顔で真剣に告げる。
「――僕、結実の事好きなの。ちゃんと好き。だからあの子の誕生日に告白したいの」
優香里の返答は、すぐには返ってこなかった。沈黙の時間は十数秒。それを破った優香里は特大の溜息と共に、漸く由紀の顔を見据えた。
「……知ってるよ」
「え?」
「だからそんなの知ってるって。とっくの昔から。『姉』をなめんな」
フン、と鼻を鳴らし誇らしげに胸を張る。しかし、それは自嘲でもあった。
――『姉』気取りなんて、するもんじゃないのかもなぁ。
「それで」優香里は話を戻す。「私はそれを聞いてどうするんだ? 何しろって?」
「……バレンタインの誤解を、解いてほしい。それと良かったら、告白の相談も」
「……誤解、ね。少なくともお前にとっては、アレは誤解で、間違った事なんだ?」
返答は、直ぐには出来ない。だってそれは目の前の人を傷つける事になるのだから。
「――――ごめんなさい」
だけど、逃げたくない。はっきりと告げた。
「――そっか」
やがて優香里が口を開く。
「……そっかぁ」
天井を仰いで優香里はもう一度呟く。声色は優しく、その瞳はしっとりと潤んでいた。
「――優香里姉ぇ」と、由紀は思わず優香里の身体に頭を預け、細い両腕を彼女の背に、力いっぱい抱きしめた。
「……結実が見たらまた勘違い、されちまうぞ」
「……ん。今は、良いの。多分、今のこれは、大事な事だから」
「どーだかなー……アイツはお前が見知ってるよりずっと執念深くて腹黒なんだぞ」
強がるように苦笑し陰口を叩く優香里に、由紀は強く抱きしめる事で返事をした。優香里は身体ではなく心を縛られるような気がした。そして由紀は言う。
「優香里姉ぇ、ごめんね。……本当にごめん。でも、本気だから。――お願い」
「……私だってこんなんでも一応、女なんだけどなぁ」
「分かってる。それでも」
「……うん」
優香里は、観念した。
校内のスピーカーが鳴り響く。未だ教室に残る生徒に帰宅を促す合図だ。
「よっしゃ!」それを契機に優香里はハグを振りほどき、勢いよく声を上げた。
「ほんじゃ、まずは今から誕生日プレゼントだ! どうせまだ用意してないんだろ? 店が閉まる前に急いで探しに行くぞ!」
「えぇ、今から!?」
「誕生日祝いなんだから当然だろうが。……それとももう予定立ててんのか?」
「それは……まだ、薄ぼんやりで」
「……しゃーないなぁ。ここはお姉ちゃんが一肌脱ぐさ。ほれ、ダッシュだ!」
「走っちゃダメだってば! 生徒会長でしょう!?」




