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ユアハート・マイリーズン  作者: 八武希幽水


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22/27

1.21 日常との交差

 遠くからサイレンと、人の騒ぐ声がする。宿直の教員が戻って来たのか、警報器の異常通報が伝わったのか。ユイとレベッカの戦闘は時間にして数分ではあったが、じきに校舎内の惨状が明るみになり、続々と人が押し寄せてくるだろう。

 ユイはそれでも、目の前の由紀の異常に注視していた。あまりにもまじまじと見つめる彼女に慄いた由紀の瞳は、次第に元の綺麗な黒めに戻っていった。


「…………」

「あの、ユイ――」


 どうしたのと、聞こうとした瞬間、

 ユイは素早い動きで、由紀の空いた右手を掴み、自身の胸に押し当てた。


「……へぇっ! ひえ、えええええ?!」

「何か見えた?」


 爆発したかのように真っ赤になり声を上げる由紀に、ユイは真剣に問いただす。


「何か、知らない景色とか人、見える?」

「み、見えない、見えないです! 見えないですから!」


 ぶんぶんと必死に首を振る由紀を見て、溜息をつきながらユイは手を放した。


「ともかく、一旦離れましょう。他人に見られても面倒だし、あなたも困る」

「う、うん。そうだね」

 ユイはこくん、と頷き、「さぁ、こっちに」と、両手を広げる。

「……え?」

「しっかり掴まってて」

「え、あ、ちょ。あ、うわ――――っ!」


 言うが早いか、仰天する由紀を強く抱きかかえ、高らかに跳躍。そのまま舞之宮の夜空に溶けるように消えていった。

 その遠方、舞之宮駅近くに建ち並ぶビルの一つ。その屋上。

 銀髪の青年が独り、悲しげな表情で見つめていた。


 由紀は、佐倉家の台所に立っていた。

 昨日の味噌汁を温めつつ、大きめのフライパンでハンバーグを複数個焼く。付け合わせの副菜も忘れずに。二人で食べるには少々多い量だったが、ユイの昨晩と今朝の意外な食べっぷりから、作りすぎくらいが丁度いいだろう。


――レベッカさんは、ユイがご飯を食べる所なんて見た事無いって言ってたけど……。


 ふと、夕方のやり取りを思い出し、目を瞑る。今はとにかく、料理に集中。

 昨日今日と、由紀の身に余りにも色々な事起き過ぎた。こういう時に由紀はいつも、自分の好きな料理にひたすら打ち込む事で心の曇りを晴らしていた。ここ数日は結実の事でそれすら出来ない状態だったが、幸いにも今はそれを待ち望んでくれる人が居る。


 そのユイは、今は風呂に入っている。


「ごはん作るから、良かったらその間お風呂に……」

「わかった」


 即答だった。


――お風呂、好きなんだ。


 料理の音に紛れて、風呂場から僅かにシャワーの音が聞こえてくる。皿に料理を盛り合わせながら、どうしても物思いに耽ってしまう。

 聞きたい事は沢山あった。レベッカの事。さっき自分の身に起きた事。これからの事。


 そして、ユイに一番聞きたいのは。


「『楽園』と、『女神』……」


 再び聞いたその言葉。とても妄言の類には思えない。

 彼女の口から確信を得たかった。しかし、学校を飛び出してからここに至るまで、ユイは一際暗い表情で一言も話さなかった。その理由は分かり切っている。

 由紀を助ける為、結局ユイはレベッカを殺すことになった。


――僕が、殺させたようなもんだ。


 きっと彼女は違う、自身の使命だと言うだろうが、由紀の自責の念は消えない。

 気づけば何度も溜息をつき、盛り付けの手が止まっていた。急がないとそろそろユイが風呂から上がってくるだろう。


 ピンポーン。


 由紀が仕上げに取り掛かろうとした途端、唐突に玄関のチャイムが鳴った。


「わ! ……はーい、ただいま!」


 思わずビクッとしてしまったが、この時間なら宅配か回覧板だろう。そう思い由紀は大きな声で返事をしながら玄関へ向かい、何の気も無しにドアを開けた。


「――――由紀!!」

「――ゆ、優香里姉ぇ! 明人!?」


 二人の来客は、由紀にとって最愛の二人であり、そして今の状況にとって最悪だった。


「もー! お前はよ、そっとしておいて欲しいって分かってるけどさ。せめて連絡の返事くらい寄越してくれよ。心配させんな!」

「ご、めん。ちょ、優香里、ねぇ」


 勢いよくそうまくし立てながら、優香里は由紀に抱きつき頭をガシガシとなでる。そんな彼女を明人は苦笑しながら宥め、由紀に申し訳なさそうに言う。


「すまん、由紀。余計だと思ったけどやっぱり気になってな……。優香里さんとはちょうどそこで落ち合ったんだ。……学校の方も大変だし」


 優香里は「そうだ!」と、思い出したように由紀の顔を焦ったように見る。


「さっき先生達から連絡があってな。……放課後に学校が荒らされたらしいんだ。滅茶苦茶に。本当か知らんけど、銃声だとか弾の痕なんかもあったとか……」

「急いで生徒全員に連絡が回ってる頃だよ。……警察は、やっぱり例の殺人犯と関わりがあるんじゃないかって。どちらにせよ、明日は休校だろうな」

「そ、うなんだ。ごめん。携帯、見てなかった」


 内心凍り付く気持ちを抑え、何とか返事を取り繕う。考えてみれば当然だ。

 学校を憂う生徒会長として、暗い表情をしていた優香里だったが、一転由紀を安心させるようにニッと明るく笑いかける。


「ものは考えようだ。ちょうど週末だし三連休。学校のゴタゴタは大人に任せて、一緒にくつろごうぜ。久しぶりにお泊り会だ! 明人もそうだろ?」

「……あー。俺も、そうですね。家族が由紀の事ずっと心配してるし。妹とか特に。お前が迷惑じゃなかったら、だけど。……厄介になっても良いかな、由紀」

「あ――。え、と。そう。そう、だね」


 由紀の張り付いた笑顔にブワッと冷や汗が浮かぶ。由紀の心臓はバクバクと急速に鼓動を早め、どうしよう、どうする、という文字だけが頭に浮かぶ。普段であれば断る訳もない嬉しい誘いだったが、今だけは絶対にマズイ。


「というか、明人。お前荷物少なすぎねぇか? 着替えくらいか?」

「男なんてこんなもんでしょ。んな事言ったら優香里さんこそ」

「ばーか。ここは私の本当の家みたいなもんだ。全部ある」


 優香里が当然のように答え、明人が若干呆れたように笑う。そんな他愛のない会話を聞き流しながら、由紀はゆっくりと後退りひたすら悩む。


――何とか誤魔化して、帰ってもらわなきゃ。でも。


 解決策が思い浮かばない。やがて由紀の尋常じゃない様子に優香里が怪訝そうに由紀を見て、周りを見て、そして気づく。



「……なぁ、由紀。その靴、誰のだ?」

「え」



 優香里の視線の先には、礼儀正しく並べられた漆黒のロングブーツ。明らかに由紀のものではない。遅れて明人が気づいて不思議そうな顔をする。


「誰か来てるのか?」

「あ、えー、と。うん。その」


 だらだらと汗をかいて目を泳がせる由紀を見て、優香里の顔から笑みが消える。そのまま由紀を軽く横に押しのけ、リビングに続く廊下を見やる。


「ちょ、優香里姉ぇ」

「――なんか、すげぇいい匂いがする。……女だろ。なぁ、由紀」


「犬ですか、貴方は」と、流石にドン引く様子で呟く明人に裏拳をかましながら、優香里はそのまま靴を脱いで上がろうとする。


「待って、優香里姉ぇ。今は」

「いや、待たん。……ただでさえ最近、訳分かんない事ばかり起きてんだ。せめてお前の身の回りくらいしっかり完璧に把握しておかねぇと」


 強引に押し入ろうとする優香里、それに困惑しながら続く明人。焦りが限界にきた由紀は、小さな身体を全力で使って必死に押し戻す。


「お願い! 二人とも。ちゃんと、後で説明するから! 今は帰って!」

「どけって由紀。おい、明人!」

「ゆ、由紀」



 そんな風に騒いでしまったからだろうか。


 たまたまタイミングが最悪に重なってしまったのだろうか。


 おもむろに、リビング前の洗面所の引き戸が開き、白い湯気が溢れ出る。


「――ねぇ、あなた。リンスが無くなりそうだったから変えたけど。大丈――」

「――――――」

「……あ」


 ユイは、昨晩由紀が言っていた事をしっかり覚えていた。うっすらと桃色に上気した彼女の美しい肢体には白く大きなバスタイルで巻かれ、豊かな胸は若干窮屈そうに覆い隠されていた。少し潤んだように見える紅い瞳が顔面蒼白の由紀を捉え、次に形容しがたい表情の優香里を、そして耳まで赤くなり目を見開いた明人を見た。


「な――」と、優香里が声を上げる前にユイが口を開く。


「……そこの貴方、あまりその子を虐めないで。それに近所迷惑よ」


 その場が完全に凍り付く事三秒。眉目秀麗である筈の優香里の顔が真っ青に、そして真っ白から次第に噴火寸前の火山のように変わり、そして、爆発した。




「――なんじゃあああぁぁ、おめぇぇぇぇ! ちばけんなああああぁぁあぁ!」


 静かな夜の住宅街に、優香里の凄まじい叫び声がこだました。



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