1.20 レベッカ・ランファベル③
どれくらいったのだろうか。
由紀が目を開けると、そこは見慣れない町だった。
「……へ?」
レンガ作りの家が建ち並ぶ、西洋風情漂う異国の街並み。周囲を囲むのは低い山々、遠くには海も見える。港町だろうか。
驚いて辺りを見回す暇もなく、由紀が見る景色は歩いても無いのに動き始める。まるで映画の中に入り込み、主人公の視点からリプレイしているような、不思議な感覚。
活気のある賑やかな街だった。通りを行き交う人々は皆楽し気で、時折由紀に笑いかけてくれる人も居た。至る所から楽器が奏でるリズミカルな音色や、複数のコーラス隊が披露する色とりどりの歌声が響き渡り、街全体を明るく彩っていた。
やがて、由紀の視界は一軒の古家に辿り着く。町の中心から外れた赤いレンガの三階建ての家。一階は何やら洋菓子を並べたショーウィンドウ。三階の窓からはピアノの心地良い旋律が聞こえてくる。
行った思い出も見た記憶も言うまでもなく無いのに、視界は勝手を知っているように店の中に入り、左奥の階段を意気揚々と駆け上がる。二階、三階と軽やかに歩を進め、一番奥のドア、ピアノの旋律が聞こえる部屋へと入ると、
「おかえり、待ってたよ」
優し気な目をした青年が、ピアノを弾く手を止めて由紀に笑いかけた――。
刹那。
由紀の視点がぐらりと変わる。
由紀が目の当たりにしたのは、紅蓮に燃える街。
先程まで平和だった筈の、異国の街と人々、美しい景色。その全てが燃えていた。
破壊され瓦礫と化した家々に、あちこちで行き倒れる数多の人達。聞こえてくるのは悲鳴や叫び声、燃えて壊れていく音のみ。映画や歴史の教科書でしか見た事の無い光景。
「――――う、ぁ」
むせ返るような熱気と死の匂いに嘔吐しかける由紀だったが、先程と同じように意志と関係無く視界は進む。フラフラとぼやける視界の端から多量の血を流しながら。
路地の植木に突っ込み大破した戦車があった。
パニックになり逃げ惑う人々とすれ違った。
焼け焦げた人らしきモノが沢山転がっていた。
戦火の街を進みながら、身体も、心も全てが熱く冷たくなっていく。しかし由紀の頭だけは冷静に、今自分が見ている光景が何なのか、不思議と理解し始めていた。
誰の、記憶なのか。
――これ、レベッカさんの……?
やがて辿り着く。視界の主にとって一番大切な場所。町外れの古い一軒家。
三階あった筈の建物は上階半分が吹き飛び、あちこちから火の手が上がっている。それにも構わず、彼女は一階のバラバラになったショーウィンドウから屋内に入り、ボロボロになった身体を必死に動かして彼の元に向かう。
彼は居た。虫の息だった。
潰れた屋根の下に。近くにはガラクタになったピアノ。燃え焦げた楽譜。そして手元にあったのは、きっと彼が直前まで必死に守っていた、壊れたバイオリン。
何事か泣き叫びながら彼女は駆け寄る。彼は血まみれの彼女の腕の中で、精一杯の笑顔で彼女に何事か呟く。音はほとんど聞こえない。
レベッカには、何と言ったのか分からなかった。
しかし由紀には、それが分かった。
「――『レヴィ、君のバイオリン。また、聞きたいなぁ』」
「……え、ぇぇ?」
次の瞬間には、由紀の視界は元に戻っていた。
見慣れた校舎にグラウンド。燃え尽きそうな程の熱気と打って変わって感じるのは、春間近になった夕闇の涼しげな風。
「レ、レベッカ、さん?」
意識が飛ぶ前、確実に自身を捕らえ貫いた筈の赤髪の女は由紀から手を放し、呆然とした表情で由紀を見つめていた。
決してあり得ない事が起きたような、ずっと探し求めていたものを突然見つけたような顔。燃えるようなオレンジの瞳に薄っすらと涙が浮かんだ、その瞬間。
――ダァン!
静かなグラウンドを貫く、重く鋭い銃声が一発、突如として響き渡った。
「……その子に」
後方、壮絶な表情をしたユイが白煙をくゆらせながら撃った一撃。
「触るな」
それを正面から受けたレベッカは胸に大きな風穴を開け、辺りに鮮血とオレンジの霊子の粉を撒き散らしながら、由紀の目の前で崩れ落ちた。
「レベッカ、さんっ!」
必死の形相で抱き止められた当の本人は、「あは、は」と力無く笑った。
「――あぁ、今際、の際、にこんなサプラ、イズなんて。ラッキーなんだか、い、意地悪なんだか。……ふふ、でも、ありが、と。ユ、キく」
「だめ。駄目、です! お願い、レベッカさん」
いくらカノヨビトが超常の存在でも、今のレベッカがもう手遅れだと分からない程、察しが悪い由紀では無かった。しかしそれでも叫ばずにはいられなかった。
そんな由紀に、レベッカは精一杯の笑みを向け、震える声で呟いた。
「ユリ、スとアリ、にごめ、んて。それと、……ありが、って、伝え――」
それが、レベッカ・ランファベルの最期の言葉だった。
彼女の身体は桜の花びらのように霧散し、涙を流す由紀の手元に残ったものは一つ。
オレンジ色の、ひび割れた綺麗な結晶体。
初めて見るものだが、由紀には分かる。それがレベッカの霊子核だと。
背後から小さな足音がする。由紀が恐る恐る振り向くと、既に銃をしまったユイが、それまでの彼女には似つかわしく無い程焦燥した表情をして立っていた。
何を思ったか、由紀は咄嗟に「……駄目!」と、レベッカの霊子核を両手で抱きかかえて隠した。が、ユイは由紀を安堵させるように静かに声を掛ける。
「何もしない。最期にあの子はあなたに自分を預けた。だから、そんな顔しないで」
「……レベッカさんは、死んでしまったの? ……これが、その」
僅かな希望を込めて聞いた質問だったが、ユイはゆっくりと首を振る。
「今ので七つある霊子核の層の内、六つまで破壊した。存在の自律回復は元より、他者の手を借りても復活はほぼ不可能。……ごめんなさい」
「――っ。そ、う……」
沈痛な表情で項垂れる由紀を、ユイは「こっちを」と、強引に自分に向き合わせる。そして、今までで一番深刻そうな顔と声で言う。
「あなた、さっきの。それに、その瞳――」
日が沈みかけた暗いグラウンドの中で、ユイを映す由紀の両目。涙に塗れたその瞳は、
「……え?」
海よりも深く、空よりも澄んだ蒼色に輝いていた。




