1.19 レベッカ・ランファベル②
由紀は、身震いした。
気づかぬ間に、ユイが居なければ死んでいた事実に対する恐怖、ではない。
さっきまで朗らかに話していたレベッカの豹変ぶり、それでも無い。
飛び降りる直前に由紀に見せた、ユイの目に恐怖していた。
宝石のような紅い瞳が薄黒く輝いた、殺意の瞳に。
――止めないと、レベッカさんが!
「もう、人が死ぬのは……っ!」
彼女に向けられた死の匂いに突き動かされるように、由紀は階段を駆け下りた。
ユイは、校舎の中庭に居た。
教室棟と教科教室棟の合間に設置されたそこは、日中であれば課外の時間を過ごす生徒で騒がしいが、今は不気味な程静まり返っている。宿直の教師の姿も見当たらないのは、連日の事件を受けて生徒を見送る為出払っているからだろうか。
日が傾き、校舎と校舎の隙間から射す夕日のみが微かに照らす中庭の中で、ユイは足音も立てずに進む。時折無機質に周りを見回し標的を探しては、目を閉じ思案に耽る。
「…………」
不意に、歩みを止めたユイは目を開け、紅い瞳を目の前の暗がりに向ける。
そして、何の前触れも無く、そのまま大きく仰け反った。
その瞬間。
ユイの後方、中庭に植えられた木々の合間の空間から、ナイフを握ったレベッカが勢いよく飛び出し、仰け反ったユイのすぐ上空に躍り出た。
「――――こ、の!」
奇襲をまたしても避けられたレベッカは懐から拳銃を取り出し、目下の少女に向ける。しかし、
「……学び舎で撃つべきではないわ、そんなもの」
照準が定まる前に、ユイは自身が持つリボルバーのグリップを思い切り振るって叩きつけ、レベッカの拳銃を腕ごと跳ねのけた。
激痛に顔を歪めるレベッカは、それでも素早く身を翻し、即座に暗闇に姿を消す。
何事も無かったようにユイは姿勢を正し、先程レベッカが飛び出してきた植木の方に目をやる。そこには僅かに舞う彼女の霊子と、明滅する霊子術式の紋様があった。
鈴蘭の花を模った、鈴のマーク。
かつてユイと共に旅をしていた時に彼女が編み出した、瞬間転移と高速移動を可能とした霊子術式。あらかじめ紋様が設置された場所であれば殆ど予兆も無く移動できる。
屋上に一つ、屋内に数か所。昨晩の内にユイとの闘いを見越して設置したのだろう。
「……用意周到、流石ね」
一人でそう独り言ちた後、今度は右方の教室から鋭い音と共に飛んでくる銃弾をひらりと躱す。躱しながら、ユイは一瞬だけ目を閉じた。
――友人。裁定対象。使命。守るべき『彼』。
それは彼女にとって、悩むべくもない事。
暗く冷たい表情のまま銃を構え直したユイは、そのまま中庭のアスファルトにひびが入る程の強い力で地面を蹴り上げ、レベッカが潜む校舎の中に飛び込んだ。
物騒な音が校舎内のあちこちから鳴り響く中、由紀は階段を駆け下りる。
時間にすれば数分も経っていないのだろうが、音の出どころを追う間の時間は永遠にも感じる程長く、恐ろしいものだった。
生きた心地がしない。でも追わなくてはいけない。止めなくてはいけない。じゃないとまた人が死ぬ。恐らくあの子が、レベッカを。
カノヨビトの戦いや強さなど、由紀が詳しく理解できる筈もなかったが、先日のやり取り、先程の雰囲気でそれだけは確信出来ていた。
二人を探し、様々な思いを巡らせる由紀を、
ガシャアアアアアアン!
一際大きな音と衝撃が現実に引き戻した。続いて感知器のけたたましいブザー音。
「ひゃ、あっ!」
小さく悲鳴を上げる。音の出所は由紀から近い。玄関横の職員室の方だ。急いで向かうと、職員室の入り口側から外側の窓が吹き飛び、大きな穴が開いていた。それこそ人がそのまま飛び込んだかのような大穴から外にガラス片が大量に飛び散っていた。
耳障りな警報音が鳴り響く中、大穴の先のグラウンドに二人の人影があった。
ユイとレベッカだ。由紀は確認するや否や、玄関から外に飛び出た。
そのまま闇夜に溶け込みそうな程静かに佇むユイの視線の先には、全身血まみれで地面に伏したレベッカの姿があった。
服はところどころ破け、露わになった肌の打撲痕が痛々しい。しかし、それでも彼女の眼には生気が満ち、ユイに怒りとも、親しみとも言える表情で笑いかけていた。
「……貴方は強いわ。レベッカ」
そんな彼女にユイは静かに言う。
だけど、と続けるユイの顔は、冷徹な執行者のそれだった。
「それでも、私には勝てない。絶対に」
「――あはっ。率直に言ってくれるじゃん。……もう、憎たらしいんだから」
笑いながら気丈にそう返すレベッカは、「あーあ」と溜息をつく。
「二人に無理言って来たのに、本当、カッコつかないなぁ。アンタがしつこく追ってくるのも、アタシが招いたもんだったのに」
「それは思い違いよ。貴方の存在に関係なく、彼らはこのまま放置するには危険すぎる。どんな大望があったとして、それは叶わず全てを傷つけるだけよ」
「まぁーた、そんな勝手に決めつけて」
くっくっと笑うレベッカに、静かにユイは告げる。
「これが最後よ。ユリス達の居場所を教えて。……お願い、レヴィ」
「へへ、そう呼んでくれるんだ? 嬉しいね。……でも答えはノーだよ、ユイ」
額から流れる血を拭い、レベッカは呆れたように、困ったように微笑む。
「アンタの可愛くて悪い所だよ。自分は裁定者だって、機械みたいに振る舞うくせに、誰かを裁く時にそんな悲しそうな顔をして。本当は嫌なくせに、使命だからって独り頑張り続けて、傷ついて。嘘が嫌いだって言うのに自分に嘘ついて。優しくて」
それは違う、と言い返そうとするユイを遮り、レベッカは言い放つ。
「銃、構えるばかりでまだ一発も撃ってない。殺すなら何度もチャンスがあったのに。だから厳しい癖に甘いって言うんだ。だから――」
レベッカはおもむろに手をかざす。握られているのはナイフでも、銃でもない。先程の戦闘で画面がひび割れた、古めかしい小さな携帯電話。
「待って、ユイ!」
ユイがそれを視認すると同時に、遠方、校舎の方から由紀の叫び声が聞こえた。
「苦労するんだ。最後まで」
にやりと笑うレベッカは一瞬でユイの前から姿を消し、
「……えっ?」
気が付けば由紀は、背後から突然現れたレベッカに羽交い絞めにされていた。
手にある携帯電話の画面には「送信完了」を意味する文字の羅列。
由紀の制服ポケットにある携帯に光って表示されていたのは、レベッカの術式紋様。
「……ごめんね、ユキ君。それと」
――ごめんね、ユリス。アンタの信念。最期だけ汚させて。
レベッカは霊子の粒を帯びて光った右手を、勢いをつけて由紀に振るった。
「あ、――」
背中から貫かれた筈の、彼女の手の先は見えない。最初の衝撃以降の痛みも無く、しかし体内から急激な悪寒と寒気が襲い、由紀の視界がぐらつき始める。
「せめて、キミの霊子核をユリスの元に――」
そう呟くレベッカの声も遠のく。吐き気がするほどの気持ち悪さに耐えかね、自分の死の気配すら感じながら、由紀の視界と意識は完全に暗転した。




