1.18 レベッカ・ランファベル①
次の日の夕暮れ時、放課後の舞之宮高校はこれまで以上に静まり返っていた。
「……呼び出しといてなんだけどさ、ユキ君。知らない人のお誘いはもーちょっとくらいは警戒した方がいいんじゃない? オネーサン、心配になっちゃったよ」
「一度、お会いしましたから。メールも頂いたし……」
「わぁ、真面目だ。頑張って携帯と睨めっこした甲斐あったよ」
レベッカは屋上に設置されたベンチに腰掛け、足をプラプラと揺らしながら由紀に悪戯っぽい笑みを送った。片手には折り畳み式の古いタイプの携帯が握られている。
「なんで、レベッカさんは僕のメールアドレスなんて分かったんですか?」
「ん、キミを攫った時に起きるまで暇だったからさ、あの時にちょいっとね。ゴメン。やー、ここの携帯はアタシんところよりも進んでるんだねぇ。そういう世界は他にも見てきたけど……。ボタン一杯あった方が好きだったな、アタシ」
レベッカはウーンと伸びをし、屋上のフェンス越しに校外の景色をぐるりと見回す。オレンジ色の夕日に照らされた街並みを面白そうに眺め、深呼吸をする。
「良い街だねぇ、ココ。平和だし、綺麗。ユキ君みたいな立派でいい子がスクスク育つのも分かるよ。アタシの生まれた町なんかずっとレトロな感じでさ、音楽が多少流行ってるくらいの田舎町だったんだぁ。あ、ユキ君も何か楽器とかしてない?」
「楽器……ピアノとかだったら僕も、少しだけ」
「お、お! いいね。アタシはね、バイオリン! ねぇ、この学校にもあったりする?」
「バイオリンは、無いですね……吹奏楽部でコントラバスとかなら」
「なんだぁ、残念。……最近弾いてないなぁ、そういえば」
レベッカは目を閉じ、昔を懐古するようにバイオリンを弾く仕草をしてみせる。静かな校舎の屋上で、彼女の小気味よい鼻歌だけが響き渡る。
「……あの、レベッカさん」
「アタシ達とあの美人さんのコト、教える約束だったね」
堪らず話を切り出そうとした由紀にレベッカは顔を向ける。
「どっから話したものかな。昨日はアタシ達から一方的にまくし立てちゃった感じだったし……。まずは『彼世』のお話から? 霊子ってものの話からした方が良いのかな」
「それは、ユイから少し教えてもらいました。……『彼世』とカノヨビトの事」
それを聞いたレベッカは目を丸くし「えーっ?」と、素で驚いたように声を上げた。
「あの仏頂面が? そんなに丁寧に? というかあの後もずっと一緒に居たんだ」
「はい。……家に送ってもらった後、ご飯を召し上がってもらって、それで色々」
「ごは、んー? ユイが? ……信じられない」
レベッカは顎に手を当て、興味深そうに由紀を見回す。
「あの子とは数年一緒に旅をした仲、まぁ私の方が一方的についてただけなんだけど。でも殆ど黙ったままだったんだよ? 凄いね、ユキ君」
「そ、そうなんでしょうか」
「……んじゃあ、今はもう、アタシ達がキミの魂、霊子核を欲しい理屈も分かるんだ?」
そこでレベッカの纏う雰囲気がすっと変わる。笑顔こそ由紀に向けたままだが、明らかに友好的ではない、獲物を狙う狩人のような鋭い気配。
思わず一歩後退るも、由紀は毅然とレベッカに問う。
「……僕の霊子核を使って、沢山の人の命を使って、レベッカさん達は何がしたいんですか? ……一体どんな、願いを叶える為に」
「――ユリスが『楽園』に至る為、だよ?」
レベッカはそう答え、ニッと悪戯っぽく笑った。
「ユリスさんが言ってた『楽園』、ですか?」
「そ。よく覚えてるね。『彼世』の何処かにあるって言われてる、伝説の聖地だよ」
屋上を照らす夕日が眩い。レベッカは眩しそうに手をかざし、溜息をついた。
「……あの口下手がどんな風な説明をしたのか知らないけどさぁ、カノヨビトって身の上はまぁまぁ自由でほぼ不老不死だし? 霊子があればユキ君の世界で言うところの魔法みたいな事だって結構出来ちゃうんだ。凄く速く走ったり、空を飛んだり、傷をすぐに治したり……あぁ、ユイがぶっ放してきた大砲みたいなトンデモ武器をパッと作ってみたり、ね? 悪趣味だよねぇ、あんなSFみたいなの」
レベッカはそこで思い出したようにくっくっと笑った。
「……でも、そんな万能さんなカノヨビトでも、叶えられない事っていっぱいあるの。例え方々からどれだけ霊子を集めても、長い時間を旅しても無理な事は無理。……だからそんな欲張りなヤツが目指す場所なの、『楽園』は」
それは自分の世界の終わりの瞬間に垣間見る、自分の人生に無かった筈の聖域の景色。
「そこにいる『女神』ってのが、世界を飛び出たアタシ達カノヨビトにに語りかけてきたの。『ここを目指して、私を見つけて。さすれば願いを叶えよう。……さすればお前の恋人を、生き返らせてやろう』、……ってね」
「――っ!」
最後に添えられた言葉に反応せずにはいられなかった。目を見開いて動揺する由紀を見てレベッカは静かに頷く。
「そうだね。ユキ君も気になるよね? アリアから事情は聞いてる。キミの心中はアタシも痛い程分かる、同類だから。だけどそのおかげでアタシ達とキミは分かり合える」
『楽園』に辿り着ければ、『女神』に会えれば。
――結実を、取り戻せる?
「長い間、誰も辿り着けなかった『楽園』に、ユリスは至る糸口を見つけた。……申し訳ないけどその最後の仕上げにキミの霊子核が要るってわけ」
「そんな……そんな、の」
「大丈夫。身体を使わせてもらった後はキミの心も『楽園』に連れてってあげる。ユリスが今まで預かってきた人達と同じように。……いつかまた、愛する人と逢えるように」
レベッカはそう言いながらゆっくりと近づく。慄く由紀に優しい笑みを送りながら。
彼女の言う事に虚偽の気配は無い。すべて本当なのだろう。だが、
「自分の願いの為に、人をいっぱい殺すのは……絶対駄目です!」
「……もー、ユキ君ったら。見てたし理解してるでしょう? ユリスは今まで一回も人を殺してない、『救っている』んだって。まぁ殆どの人には理解してもらえなくってさ、彼。アタシ達の界隈じゃすっかり狂人で危険人物扱いだったっけ」
そこでレベッカは歩みを止め、由紀の肩越しに向かって呆れた様に笑った。
「アンタもどうせそうでしょう、ユイ」
「だから仕留めに来たのよ、レベッカ」
驚いて背後を振り返る由紀の視線の先には、桜髪の少女が音も無く立っていた。
「正直驚いたな。死人よりも無表情でノリの悪いアンタが、超希少なレベルとは言え一特異点にこんなに肩入れするなんて。こういう子が趣味だったんだ?……あ! もしかしてさ、ユキ君がアンタの『アラヴォ』候補、だったり?」
茶化す様に話すレベッカにユイは返答せず、由紀を守るように静かに並び立つ。
「どう? 久しぶりの再会なんだし、ここまでの追いかけっこは水に流してさ、お話しようよ。ちょうどこの辺の駅近くに感じのいいバー見つけてさ。アンタ飯は警戒して殆ど手をつけないけど、お酒は超好きだったでしょ? ユキ君も入れて今から三人で――」
「行かない。要らない。くだらない世間話に興じる気はない」
「あ、そう……。そっけないなぁ、アンタと話せるの、二千年近くぶりなのに。残念」
聞いた事の無い単語や思いがけない言葉を聞き、横で表情を二転三転させる由紀を面白がるようにレベッカは眺め、その間もユイは一切無表情を崩さない。
しかしその顔は昨日まで由紀に向けられていたものと違い、どこか厳しく悲しげな雰囲気を纏っているように由紀は感じた。
「レベッカ」と、ユイは重苦しく口を開く。
「今すぐ投降しなさい。そしてユリス達の動く目的と所在を明示し、余剰霊子を全て解放して何処かの『現世』に帰属して……貴方が良いならこの世界でも良いから」
「んー、あはっ。それ無理」
レベッカは明るい表情のまま、即答でそう返した。
「……ユイこそ、あの人の事邪魔しないであげて? 彼、悪い人じゃないよ。アタシが保証する。沢山の世界の弱い人達を救うためにずっと頑張ってきたの。決して私利私欲なんかじゃない。アンタの仕事だっていう『彼世の裁定』の対象にも――」
「なる。私が知る限りでも彼は大小数十基の世界の人々から霊子を奪い、『現世』を損壊させている。これ以上の狼藉は見過ごすわけにはいかない」
機械のように平坦な声でそう述べるユイに、レベッカはむすっとした顔をする。
「なーんで、そんな悪し様に言うかなぁ。やっぱり誤解してるんだって。そりゃ霊子欲しさに追いかけ回してくる奴らには反撃もしたけどさ、こっちから手を出した事は本当に一度もない。あくまで皆ユリスを信じて霊子と霊子核を差し出してくれて」
「例外は無い。世界の均衡と安寧を乱す者は一様に私が処断する」
「……そうやって、アンタはアンタの正義で自分の人殺しだけは肯定するんだ?」
「正義ではない。それが私の裁定者としての揺るぎない使命であり、存在意義よ」
次第にレベッカの顔から笑みが消え始める。
「――ねぇ、お願いよ。ユイ。もう少しなの。ユリスの術なら『鍵』になった後のユキ君も『楽園』で幸せになれる。……そうだ、何だったらアンタも一緒に」
最後に消え入りそうな声で呟かれたレベッカの誘いにユイは、
「この子はこの子の世界で生きる。誰にも手出しはさせない」
冷たい即答で返し、由紀を守るようににレベッカに立ちはだかった。
「ユ、イ……」
戸惑う由紀の顔を、そして何時しか殺意を滲ませたユイの顔を交互に見て、「ユリスに大見得切って来たの、失敗だったかぁ」と、大きく溜息をついた。
「アタシの命の恩人だし、殺し合いなんてしたくないけど……駄目なんだね、ユイ」
「それはこちらの台詞。勧告に応じないのであれば……」
ゆっくりとした動きでユイが取り出すのは白銀の拳銃。
レベッカに向け、粛々とした声で告げる。
「――レベッカ・ランファベル。……今、貴方の罪は私が裁こう」
死刑宣告に等しい言葉を投げかけられた本人は、
「そっか。……アンタのそういう真面目なところ、大好きで、大嫌いだよ」
楽しそうに、悲しそうに、ニコっと笑った。
ユイは視線を外さないまま、背後の由紀に小さく呟く。
「……飛び出た後、あなたは何処かに隠れてて。大丈夫だから」
「え?」由紀がその意味を聞き返そうとするや否や、
目の前に居た筈のレベッカが、笑顔のまま消えた。
「……っ!?」
驚く暇もなく、由紀の全身は突如強い力で引っ張られる。激しく揺らぐ由紀の視界がかろうじて捉えたのは、あらぬ方向から現れたレベッカ。右手に鋭く光るコンバットナイフをかざし中空に浮かぶ彼女の腹には、ユイの黒く無骨なブーツがめり込んでいた。
「――――カ、ハッ」
一瞬で脂汗が浮き出る程の苦悶な表情を浮かべたレベッカは、そのまま凄まじい勢いで屋上のフェンスに激突、突き破って転落していった。
「すぐに終わらせるから、待ってて」
由紀に宥めるように言葉を掛けた後、ユイも屋上から勢いよく飛び降りた。




