1.17 カノヨビト
「……お先、失礼しました」
「あなたの家でしょう」
「はい……」
淡く湯気をくゆらせながらリビングに帰ってきた由紀にそう言い、ユイは机を布巾で丁寧に拭く。台所の方を見れば食器が全て洗われ、乾燥棚にやや乱雑に並べられていた。
「後片付けなんて良いのに。ありがとうござ……ありがとう、ユイ」
「いい。こちらこそご馳走様。本当に美味しかった」
ユイは台所で手を洗った後、「良かったら」と何やら皿を取り出し由紀に差し出した。
皿に盛られたいたのはおにぎり。大小二つ、不揃いで歪な形だった。
「ごはん余ってたから。やはり少しは何か口に入れたほうが良い。……余計だった?」
「う、ううん! そんな事無いよ。ありがとうユイ!」
ユイは満面の笑みを浮かべ皿のおにぎりを頬張り、
「――――……っ」
そして咽せた。
「……ユイって甘党だったりする?」
「違う、事も無いけど。何故?」
「あの、多分ちょっとお砂糖入ってる……っぽいから。もしかして塩と間違えた?」
ユイはそこでむっと目を細め、「馬鹿にしないで」と鼻を鳴らした。
「『甘味は旨味』なのよ。塩分に加えて美味しく疲労回復できると思ったから」
「く、詳しいんだね。……多分、おにぎりにはお米の甘さで十分だと思う、けど」
食べれない程では無かったので苦笑しながら残りを頂く。ユイは何やら満更でも無い表情を浮かべながら由紀が食べ終わるまで待っていた。彼が一息つくのを見届けた後、ユイは机の向かいに静かに座り、おもむろに口を開いた。
「やはり、あなたには伝えておく。何も教えないの、不誠実だから」
「……何を、教えてくれるの?」
「私の事。彼らの事。そしてあなたの世界の『外』の事」
真剣な表情を向けられ、由紀は思わずごくんと息を呑み正座し直す。
「私はあなたの居るこの『現世』、その生まれではない。この世界を含めた無数の世界を内包する空間、『彼世』からやってきた」
『彼世』。
それは由紀の世界で例えれば宇宙の様相を呈している。大半を占めるのは漆黒の闇。その中で浮かぶ無数の光と塵のような物質。違うのは、浮かぶ光は恒星や惑星などの天体ではなく、『現世』とも呼称される世界そのものだというのだ。
『彼世』の中で泡の様に浮かぶ『現世』はそれぞれが独立した世界、自然法則を持って存在している。一つの『現世』で生きる人々は基本的に世界の外、『彼世』の事は知覚する事すらできず、自分が生きる『現世』こそが唯一無二のものとして日々を過ごしている。
「『カノヨビト』は、何らかの理由で自分が生まれた『現世』から逸脱し、自身の在るべき居場所を喪ってなおも存在する者達。あなたの命を狙った連中もそう」
「ユイも?」
「ええ、そうよ」
ユイはコクンと頷き、静かに手を掲げる。白くほっそりとした綺麗な指が彼女の胸元に触れたかと思うと、次の瞬間には触れた部分が光の粒子となって淡く輝き始めた。
それは先程、ユリス達が由紀の前で見せた魔法のような光と同じだった。
「あ……」と目を丸くする由紀をよそに、ユイは説明を続ける。
「カノヨビトは、全ての存在、事象の基底であるこの『霊子』以外に制約を持たない。それぞれが自分の意思で自分の在り様を創造し、周りの環境に干渉し、自在に振る舞う」
ユイが手を下ろすと、光り輝き輪郭がぼやけていた胸元は何事も無かったかのように元に戻っていた。
「カノヨビトは自身が願うまま、『彼世』を介して各世界を行き来する。新しく生きる世界を求め放浪する者や、自由な存在として気ままに過ごす者。……そして己が願いの為に他の世界を、其処に住む人々に危害を加え霊子を奪おうとする者」
「霊子を?」
「ええ。霊子は全ての物質、エネルギーを構成する最小の存在。何処からでも得られるけれど、高純度で大量の霊子を得るなら人間の霊子核……魂が一番効率の良い対象だから」
ついさっき目の当たりにした大勢の遺体に、自身を狙うユリスの手。僅かに震える由紀の前に、ユイはかけてあったコートの方から銃を取り出し、ゴトリと机に置いた。
彼女の華奢な腕では到底扱えない筈の、大きくて無骨なリボルバー式の拳銃。銃身からグリップまで真っ白に美しく輝くそれは、ユリスの腕を穿ち由紀を救った彼女の得物。
「私は、『彼世』とそこに浮かぶ『現世』の存在的均衡を乱すものを裁定し、全ての世界の安定と均衡を保つ者。彼世の裁定者、『桜華の亡霊』。この世界にはユリス達を追い、彼らの最重要標的になるだろう、あなたを守りに訪れた」
吸い込まれそうな程深い紅色の瞳でじぃっと由紀を見据える彼女の表情に、嘘偽りの色は全く見えない。何よりこれまでの光景、今目の前に居る彼女の出で立ちから絵物語のような話でも全て真実だと由紀は確信できた。
「なんで、ユリスさん達は僕の魂なんかを?」
「それは……」そこでユイは少し口ごもり、言葉を選ぶようにして呟いた。
「あなたの魂、とても大きくて綺麗で、美味しそうだから」
「お、美味しそう?」
「言葉の綾よ。霊子の質でモノを見るカノヨビトにとって、あなたを構成する霊子核のレベルは極めて高いの。霊子量も濃度も純度も。とても魅力的に映っている」
「は、はぁ……」
一応褒められているのかどうか、判断しかねた由紀は生返事を返す。
「『現世』において、あなたのように特に霊子核が強い存在を『特異点』と呼称する。それは存在するだけで周りに影響を与え、世界にとって良い方向にも悪い方向にも誘う大きな存在。……霊子欲しさにそれらを狙うカノヨビト達の処断、そしてそういった特異点達の対応も私の主な仕事よ。『現世』の均衡を保つものを守り、逆に崩壊に導く特異点は力を削り、場合によっては処理する」
処理、という言葉を聞いた由紀の顔色を見てユイは首を振る。
「あなたはそんなんじゃない。あなたの魂はこの世界にとって良い影響を及ぼすものだから。処理が必要なのは在るだけで『現世』に危害を及ぼす、極めて壊性の強いものだけ」
「そう……なんだ」
――じゃあ、もし自分がその危険な特異点であった場合どうしていたのか。
恐らく返ってくるだろう答えが怖かった由紀は話題を変える。
「カノヨビト達はなんで霊子を集めているの? 人を、殺してまで」
「私達にとって霊子は全ての力の源になる。ただ存在し続けるだけなら自分の霊子核から生じる霊子で十分だけど、何か大きな目的……自分の世界で叶えられなかった、死んでも叶えたかった願いの為に莫大な霊子を求めるカノヨビトは大勢いるの」
「叶えたい、願い……」
「……ユリスの一派が何を望んでいるかは私もまだ知らない。……おおよそ見当はつくけれど。どのみち彼らは今、カノヨビトの中でも特に強大で危険な存在。私が聞き及んでいるだけでも多くの『現世』に干渉し、中には修復不可能なレベルまで霊子を奪われ、破壊された世界も存在する」
ユイは音も立てず立ち上がり、未だ困惑の表情を浮かべる由紀を見据える。
「あなたが住むこの世界は、そんな事にはさせない。特異点であるあなたを守り、平穏無事な日常を守る。私はその為だけに来た」
話が終わってから、由紀は机にうつ伏せの状態で目を閉じ延々と考え込んでいた。
由紀に更なる混乱をもたらした当のユイは、「念のため辺りを見回ってくる」と一言だけ告げて出て行ってしまった。一時間ほど経ったが、まだ帰ってこない。
――頭、こんがらがりそうだ。
ただでさえここ数日、悪い夢をずっと見ているような心地だったのに、この数時間で日常の根底をひっくり返すような出来事があったのだ。到底平静ではいられなかった。
――自分の知っている世界と知らない異世界。『現世』と『彼世』。
――霊子。魂のエネルギー。……多くの人の遺体。
――自分の命を狙う人。そして、そんな自分を守る女の子。
――カノヨビト。『彼世』を旅し、叶わぬ『願い』の成就を求めるもの。
「死んでも、叶えたい願い……」
自分の世界を超える『願い』。
「…………」
ユイに言われたように、風呂にじっくり浸かって落ち着いたからだろうか。彼女がくれたほんの少し甘みの強いおにぎりが思いの外身体に染み入ったからだろうか。由紀はじんわりとした眠気に襲われていた。
薄れゆく意識の中で、ふと由紀の脳裏にある言葉が蘇る。
――『楽園』、それと『女神』。
それはユリスやレベッカが口にした言葉。ユリス達が話していた内容から、『彼世』に関わる、天国のような場所なのだろうか。
そして、そこに居るのが『彼世の女神』。
――ユイがさっき話してくれた中じゃ、出てこなかったな。
見回りから帰ってきたら、聞いてみようか。答えてくれるだろうか?
「…………」
他にも、沢山、聞きたい事はある。
「………………………………」
様々な思案が頭に浮かんでは消え、由紀はゆっくりと眠りに落ちていく。
「……………………………………………………」
ゴトリ。
由紀の意識が殆ど切れかけている中、近くで小さな物音がした。
パタパタ。ゴソゴソ、カタン。
音は近づいたり遠ざかったり。ぼんやりとした由紀の頭でそれが何なのか判別できない。
それを知りたい好奇心より眠気が勝る由紀はそのまま突っ伏していた。しかし、
「…………ねぇ」
「……………………」
「ねぇ、あなた。起きて、お願い」
「……へ?」
声に応じて由紀はフラフラと顔を上げ、目をゆっくり開き、
「――――――――」
そして硬直した。
由紀の目に映ったのは、しっとりと髪を濡らしたユイの、一糸まとわぬ姿だった。
わずかに湯気を立ち昇らせる真っ白な肢体は頬を始めとしてほんのりと桜色に染まっている。豊かな胸、ほっそりとしたウエスト。柔らかな曲線を描く尻。由紀は勿論、きっと誰もがこの世にこれ以上に美しいものは無いだろうと思う程の、艶めかしい美の極致。
その中で一際鮮やかに輝く二つの紅い瞳は変わらずの無表情。しかし微かに潤んでいるようにも見える彼女のそれと、由紀の視線が重なり――。
「――――な、な、あ、へ、ひゃああああああああああ!!??」
「……悪いのだけど、何か羽織るものを貸して欲しい。暫くの間」
素っ頓狂な声を上げ、真っ赤になって顔を覆い縮こまる由紀の反応を全く意に介さない様子でユイは由紀を覗き込む。気付けば辺りにふわりとシャンプーの香りが漂っている。
「好きに使って良いと聞いたからお風呂借りた。……駄目だった?」
「それは、大丈夫なんですけど……っ。何ではだ、裸」
「急いでこの世界に降りたから武器以外、『艦』から持ってくるの忘れた。そのまま着直しても良いけど、あまり気乗りはしなくて」
「でもせめてタオルで隠して! それも好きに使って良いんです!! と、とにかく何か服を早く何とかしますから、とにかくまずタオルで隠してください――」
「敬語、嫌」
「隠してーー!!」
夜も更けてきた佐倉家に、真っ赤になった由紀の絶叫が響き渡った。
二人が、厳密には由紀一人が大騒ぎしていた頃、由紀の制服のポケットに入ったままの携帯が人知れずわずかに震え、小さな光を発した。
画面に映っていたのは、一件の着信メール。
『明日の夕方、キミの学校で会おうよ! アタシ達の事、教えてあげる! レベッカ』




