1.14 桜華の亡霊②
「ここに居た人達は?」
先に口を開いたのは少女の方だった。顔は由紀に向けたまま、紅い瞳だけを動かし彼に歩み寄る。周囲を見渡す彼女は相変わらず無表情ではあったが、その視線から受ける印象には先程までには無い怖さがあった。
それは敵意と殺意。狩人が獲物を見据える時に表す感情、自身の敵性勢力と認識した相手に送る死の目線。彼女の美貌に思わず惚けていた由紀の心に再び恐怖が生まれた。
「……大丈夫。私はあなたに危害を加えるつもりは無い」
表情から察したのか、沈黙したままの由紀を安心させるように声を掛ける。
「……え、と。爆発が起きた後、そっちの穴から出て、行きました」
「何人?」
「三人、です」
「銀髪の男とメイド、それに赤い髪の女?」
「は、はい」
矢継ぎ早に聞く少女におどおどとしながらも由紀は答える。少女はユリスたちが抜けていった穴をじっと見つめ、暫くしてから警戒を解いたように目を閉じ深く息を吐いた。少女の左手に握られた大砲のようなライフルの周囲に幾つかの幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。先程ユリス達が由紀に見せたものに似ている。それらがライフルを包み込むように纏わりついた後、魔法陣は光の粒子となって砕け散った。
少女に手に残ったもの、それはライフルと同じ白銀色の拳銃、大口径のリボルバー銃であった。小さくなったとはいえ彼女の細い手に余るほどの大きな銃は近くで見ると細かな装飾が施されている。由紀はその銃に何処か既視感を感じた。
――これ、どこかで。それに、この、人……。
「……怪我、していない? どこか痛いところは?」
「――っひゃ! だ、ダイジョブです!」
「血、顔についてるから」
「……これ、返り血ですから!」
薄ぼんやりとした記憶を探っている最中、気が付けば少女は顔を由紀の目と鼻の先に近づけていた。思わず素っ頓狂な声で返答する由紀を、少女は変わらず感情の読めない表情で見つめていた。距離感が遠いのか近いのか分からない人だった。
少女は崩落した壁の方に目をやる。いつの間にか外の喧騒が大きくなっていた。パトカーや消防車のサイレンの音、集まった野次馬のざわめき、そしてそれらを制止する警官達の怒声。間もなく消火と救助の為に人が突入してくるだろう。
「……対応が早い。この世界の警察は優秀ね」
そう呟いた少女は由紀の手を取り部屋の中央へ引っ張る。
「え、あ、ちょっと」
「人が来ると面倒。一旦建物から出る」
崩れた壁と、先程ユリス達が脱出した大穴の交互を見て少女は思案する。
「――耳、塞いで」
「……え」
そう指示するや否や、少女は左手に持った銃を天井に掲げる。それを見た由紀は咄嗟に耳に手をやり、瞼を固く閉じて衝撃に備える。
――ズガン!
予想通り、再び起こる銃撃。手のひら越しに鼓膜を揺らす爆音と振動に由紀は耐える。
衝撃はすぐに収まる。二人の頭上の天井は跡形も無くなり周囲にガラガラと瓦礫が落ち始め、落下の振動が床越しに伝わってきた。由紀はくらくらとする頭を抱えながら、恐る恐る目を開ける。しかし、
「――――――――?」
由紀の視界は、次の瞬間には顔を覆った何か温かくて柔らかいものに阻まれ、真っ暗なままであった。
「……しっかり掴まっていて。飛ぶから」
「ふぇ?」
耳元で聞こえる少女の声。暗闇の中、由紀には状況はさっぱり分からない。そんな彼を待ちはしないかのように次の瞬間には、
二人は、舞之宮市の上空を舞っていた。
見慣れた舞之宮の街は遥か下。街を照らす街灯も、多くの建物に灯る明かりも、煙を上げるビルに集まったパトカーの眩しい赤色灯も、全てが遠のいていく。
風を切る音と薄く棚引く雲、凍えるような上空の寒気が由紀と少女の身体を覆う。見上げれば満天の星々が、未だ寒さが残る春の夜空を彩っている。一際大きく世界を照らす欠けた月は、手を伸ばせば届きそうな程近く、大きい。
「――えぇぇ!? ああああああああ!」
驚愕の声を上げる由紀とは対照的に、少女は冷静に周囲の状況を確認しつつ歩くような動作で足を動かす。彼女が虚空に足を踏み出す時に一瞬靴の裏に魔法陣が出現し、それが踏み台となって身体を空に浮かび上がらせている。鳥の様に飛ぶというよりは見えぬ足場を使って空を駆けているようであった。
そして由紀は混乱の中で漸く気づく。先程から視界を塞ぎ、自分の顔に当たる温かく柔らかい、心地良い感触の正体に。
それは、少女の胸であった。彼女は飛ぶ際、自らの身体に由紀を抱き寄せ、密着した状態で夜空を舞っていた。
「――――――ひゃあああああ!」
「……落ち着きなさい。暴れないで、危ないから」
爆発しそうな程顔を真っ赤にして思わず突き飛ばしそうになる由紀を少女は諫め、両の手でがっしりと彼を抱きしめる。その力は細い腕からは考えられない程に強く、そもそも同年代の男に比べてもか弱い由紀では到底振りほどけないものだった。
漆黒の服に包まれた少女の身体は抱き寄せられると予想以上に細く、物騒な銃がぶら下がる腰回りもほっそりとしている。それとは反対に胸は非常に豊かで大きく、由紀の小さな顔がすっぽりと埋まってしまう程であった。
何処かの制服か喪服か、黒いブレザー越しに伝わる体温。トクン、トクンと一定のリズムを刻む心臓の鼓動音。そして由紀の鼻をくすぐるのは、少女の甘い香り。
甘く芳醇で、高貴でありつつも優しく包み込まれるような、心地良い匂い。
――知ってる、匂いだ。
桜の匂い。由紀の脳内にチカッと電気が走り、消えていた筈の記憶が呼び起こされた。
待ち人が訪れない大桜の下で出会い、虚無と絶望に沈む中で射した一筋の光。
現実を受け止められない自分に涙を促し、優しく抱きとめて前を向かせてくれた恩人。
――思い出した。
フラッシュバックするように、欠けていた記憶が鮮明に蘇った。
「……君は、あの時。そう、『神城の大桜』の!」
どうして今の今まで忘れていたのだろうか。今なら曇り空が晴れた様に鮮明に思い出せる。確かあの日の最後の記憶は、散々泣き尽くした自分がその後彼女に名前を尋ねて、それには答えなかった彼女が唐突に自分の額に何かを押し当てて、そこで意識が途切れて。
「……そう、思い出してしまったの。私の事なんて忘れたままで良かったのだけど」
そこでふと我に返り、顔全体に当たる極上の感触に再び真っ赤になって慌てる。
「――あの! む、ね! 胸、あ、あ、当たっています!」
空を舞いながら見知らぬ美少女の身体に自身を預ける、そんな物理的にも意識的にもそのまま天に舞い上がってしまいそうな状態を由紀が良しとするわけが無かった。
「……構わない。むしろしっかり掴まっていて欲しい。落ちると大変」
「それは、そうですけど! ああぁ……」
「それより下を見て案内して。まず安全なところまで行くから。あなたの家まで送る」
由紀の気持ちなど知った事ではない、と言わんばかりに少女は淡々とした態度で案内を促す。反論したい気持ちを抑え、未だ紅潮した顔を下に向ける。
普通の日常では滅多に体験できないだろう。見知らぬ少女に抱きかかえられ、冷たい夜風に当たりながら自分の暮らす世界を見下ろすなんて。
「……そろそろ桜美丘駅が見える。あの辺り」
「――え!? もう? ……あ、えーと、僕の家あっちです!」
彼女への謎は解けないまま、二人は桜並木で飾られた駅の上空を越え、家の明かりがポツポツとまばらに点く住宅街の闇の中に向かい消えていった。




