1.12 『彼世』の使者
そこは、見覚えの無い暗い部屋だった。
頭が鈍く痛む。フラフラする。視界もまだぼやけている。
近くで二人の女性が口論するのが聞こえ、由紀はゆっくりと意識を取り戻した。
「……流石に乱暴が過ぎます、レベッカ様。我らの趨勢を担う大切な方なのですよ」
「わかった、わかったわよ! ごめんってアリア。そんなずっと、怒んないでよ」
由紀の視界が完全に戻る。横になっている由紀の視線の先には心配そうに覗き込むアリアの顔があった。先の彼女を思い出し、由紀は「ひっ」と声を上げ起き上がろうとする。
しかし、手足が上手く動かせない。自らの身体に視線を送ると、四肢の部分に幾何学模様で構築され光る魔法陣のようなものがあり、それによって縛られているようだった。
「あは。ごめんねぇ、ユキ君。でも、パニクって暴れられたりしたら大変だから、ね?」
戸惑う由紀を宥めるように陽気な声を掛けてきたのは、二人の傍の椅子に腰かけ由紀にニッと笑顔を向ける女性だった。手には何故か由紀の携帯があり、それを弄っている。
全体的に派手な出で立ちの女だ。赤色に燃え盛るようなショートヘアの内側には青いカラーが入っており、由紀の携帯の明かりを受けてキラキラ輝くオレンジの瞳も相まって明るく勝気な印象を受ける。服装もパンクファッションと形容すれば良いのか、黒い上着と赤いインナーを主として腹や太ももを露出させた大胆なものであった。
レベッカ、と呼ばれたその女性は由紀の前にしゃがむと「ごめん、起きるまで暇だったから借りてた」と動けぬ由紀の上着ポケットに携帯を押し込み返す。そうしたやりとりをしている内に由紀の目が暗闇に慣れ、辺りの様子が明瞭になる。
そこは閉め切られた幾つかの窓から漏れた光と切れかけた非常灯が照らす何処かの一室。部屋はがらんとして広く、ライブハウス、小規模なコンサートホールの様相を呈していた。しかし壁や床には捲れた部分もあり、老朽化が進んでいるようだった。由紀達が居る場所はどうやら観客席に当たる場所の様で、部屋の向こう側にはステージがある。
ステージの方は特に薄暗く目を細めても良く見えないが、何やら大きなモノが並んでいる。
――マネ、キン?
街のショーウィンドウ越しに飾られるような、服を着たマネキンが十数体綺麗に並べられているようだった。その先には正座している人影が三つ。それらは微かに動いていた。
――誰か、居る。
「……もうちょい待ってね。彼、数が多かったから大変だったの」
気づけばレベッカは由紀のすぐ隣に座り、彼の顔をまじまじと興味深そうに眺めていた。
「――ひゃ!?」
「アタシ、レベッカ。よろしくね、ユキ君。……んー、あは。アリアから男の子だって聞いたんだけど。……なんというか、滅茶苦茶可愛いね、キミ。本当に男?」
「……レベッカ様」
「あは、ごめんってアリア。一応褒めてるつもりなんだけどな。……それにしても、凄いねこの子。霊子量も密度もバカみたいに高いし、『特異点』の中でも最上級じゃないの?」
「……人をモノの様に言うのはお止めになってください。ですが、そうですね。……これだけ巨大で安定している世界で、佐倉様程の『特異点』であればご主人様を……」
意味不明の会話に黙るしかない由紀の表情を見て、アリアは申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、佐倉様。ですが、もう少々お待ちください。じき私の主がお越しになりますので、霊子回収の儀式が済み次第、ご説明を……」
「そそ。時間ないけど、焦っちゃ駄目だからね? 『特異点』のユキ君には最後の仕上げをお願いする予定なの」
『特異点』、『霊子』。聞きなれぬ言葉の応酬。由紀にはもう何がなんだか分からない。しかし今自分を縛る謎の魔法陣、ステージの異様な光景、アリアとレベッカの会話から、由紀は頭の中で該当し得る概念と、自分の置かれた状況を推察する。
カルト。自分とは違う世界と考え方で生きる人達。
そして自分は。
「……生、贄?」
「……んー、あは。ちょっと違う。けど遠からずかな? サクラ・ユキ君」
激しく動揺する由紀に、レベッカは至近までにじり寄る。
「……アタシ達は、この世界にあらざる者、『彼世』より現れし『カノヨビト』」
彼女はニッコリと愛想よく笑い、甘い声で囁く。
「アタシ達の理想の世界実現の為に、ユリスが『女神』の御座す『楽園』に至る為に、私達とキミ自身の幸せの為に、死んでください!」
「すまない、待たせちゃったね、皆。……それに、サクラ・ユキ君」
ホールに入ってきた男性は、爽やかな第一印象を与える好青年だった。さらりと流れるような銀髪と少し垂れ気味の灰色の瞳が、男性でありながら柔らかな親しみを演出している。長身の身体に纏うのは白色のスリーピーススーツ。くどくない程に身に着けた貴金属が微かな明かりを反射し煌めく。歩き方や立ち振る舞い、由紀達とステージに座り込む三人に向ける笑みや声の雰囲気から、位の高い何処かの貴族のようだった。
「……ユリス様。私の仕える主人です」
アリアが由紀にそう教える。ユリスは部屋をグルリと見渡し、満足そうに頷く。
「……うん、じゃあ皆。心身の準備も整った事だし、始めるよ?」
ユリスは三人の前に立ち深呼吸をする。懐から何か小さく細長いものを取り出した。銀色に鈍く輝くそれを両手で大切そうに胸元に掲げ、彼は唱える。
「我、神域に至る事を欲す。其れ生きとし生ける者全ての願いを叶える為なり」
祝詞を聞く三人の男女はただ静かにそれを聞き、手を合わせ祈り続ける。
「我が願いに同調するならば、我が魂を信じるならば」
ユリスの持つ銀色の何かが妖しく光る。電灯の明かりではない、それ自体が光っていた。
「――その御魂と御心、我に捧げ預け給え」
彼の最後の言葉は静かな部屋に不思議な程響き渡った。それ以外一切の音は無い。あるはずの由紀自身の吐息や心臓の鼓動音すら感じられない。少しして、其処に居た者達が返答をするように何かを呟き始めた。由紀には聞こえなかったが、ただ、嫌な予感がした。
「ありがとう」
それを聞き、微笑みながらそう呟いた彼は右端の女性の前にかがみ、彼女と向き合う。
そして笑顔のまま、手に持つ細長いものを彼女の首にあてがった。
「――ぁ!」
由紀が漸くそれが何なのか、それで何をしているのか、それで何が起こるのか理解した時には、もう遅かった。
ユリスの持つ銀色のナイフは女性の首元を切り裂き、彼女は声も無く床に崩れ落ちた。傷口から噴き出た鮮血はユリスや隣に座る者達にも噴きかかるが、誰も微動だにしない。
そして、目を見開き絶望する由紀の前でそれは起こる。倒れた女性から白く淡い光が漏れ出て、その光がユリスの手のひらで収束していく。やがて集まった光は子供の握りこぶし程の大きさのクリスタルへと変貌した。ユリスはそれを愛おしげに眺め、自らの胸に押し当てた。クリスタルはそのまま溶ける氷の様にユリスの体内に吸収され、消えていった。
何も分からずとも、由紀は直感していた。あれは。
――人の、魂だ。
気づけば、ユリスは隣の異国の女性の前にかがんでいた。そこから行われる動作は同じ。
「――駄――――っ!」
「やめてあげて? 決心鈍っちゃうから」
思わず叫び止めようとする由紀をレベッカは強い力で取り押さえる。元より縛られてまともに動けない由紀は簡単に羽交い絞めにされてしまった。
「大丈夫だよ。ユリスはあの人達を傷つけてるわけじゃない、『救っている』んだよ?」
尚も暴れる由紀をあやすようにレベッカは囁く。そうしている間に二人目の女性がさっきと同じように倒れ伏し、ユリスは彼女の魂を奪い去る。
そして、ステージの方を凝視していた由紀は漸く気づいた。
気づいてしまった。
ステージに綺麗に並べられたマネキン達。マネキンだと思っていたもの。
血の気も無く、綺麗で、微動だにしない物体の筈のもの。
全て、人。生身の人間だったモノだ。
人の、死体。
「あ――、あぁあああ……ぅあああああああああああああああ」
半狂乱になる由紀を尻目に、ユリスは残る最後の男性の前に立つ。
「――貴方で最後だ。いくよ」
人が、死ぬ。目の前で。
――駄目。
淡く光るナイフが男性の首元に迫る。
――もう、人が死ぬのなんて、嫌。
皆、死を受け入れていく。
「――駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
身動きすら出来ないまま、由紀は悲痛な声で叫んだ。




