第1章 夕暮れ、風が胸を揺らす
大人になった主人公”海斗”が、ふと過去を思い出すところから物語は始まります。
ここから少しずつ時間が巻き戻されていきます。
新築したばかりの家は、まだ新しい木の匂いが残っていた。
引っ越しから数日が経ち、山積みになった段ボールの荷解きをしていた。
生活用品の段ボールはすっかり片づいたけれど、実家から運んできた箱だけは、部屋の隅でずっと手つかずのままだった。
「そろそろ開けるか……」
仕事帰りの夕暮れ。
オレンジ色の光がリビングの床をやわらかく照らしている。
その光の中で、古びたガムテープの端が少し浮いて見えた。
膝をついてテープをゆっくり剥がすと、中には部活のゼッケンや賞状、プリント類が雑然と入っていた。
その下で、中学校の卒業アルバムがひっそりと横たわっていた。
表紙に指を添えた瞬間、胸の奥がかすかに熱を帯びる。
——でも、この日は開かなかった。
アルバムはそのままそっと箱に戻した。
開けば、きっといろんなものが溢れてくる。
もう少し気持ちの整理がついたときにしよう、そう思えた。
立ち上がると、外から賑やかな声が聞こえた。
「また明日なー!」
「遅れんなよー!」
中学生が二人、自転車を並べて夕暮れの坂を駆けていく。
その声が風に乗って、どこか胸の奥をくすぐる。
(……また明日)
あの響きには、十数年前の僕たちの記憶がかすかに残っている気がした。
なんとなく外に出たくなり、上着を羽織って家を出た。
家の前の道は、かつて僕が毎日のように通っていた通学路だ。
夕陽が沈みかけ、影が長く伸びている。
歩きながら、ふと思う。
(このあたり、昔はもっと道が狭かったよな)
舗装されたばかりのアスファルトはまだ新しく、風が草のにおいを連れてくる。
少し歩くと、中学校へ続く坂道に差しかかった。
そこで立ち止まる。
坂の上から、部活の掛け声が小さく聞こえる。
昔はよく、この音を聞きながら帰っていた。
春の夕風が、頬をそっと撫でた。
時間がふっとゆるむような、懐かしい匂いがした。
——僕はまだ、あの頃のことをちゃんと思い出せていない気がする。
卒業アルバムに触れた指先の熱。
中学生たちの「また明日」という声。
通学路の夕暮れ。
それらが、同じ場所へ繋がっている気がした。
「そういえば、あいつと出会ったのも……春だったな」
独り言のように呟いたとき、記憶の底で、誰かの笑い声がかすかに揺れた。
——風に押されるように、僕は歩き出す。
過去の扉が、ゆっくりと開き始める感覚がした。
大人になった主人公が、ふと過去を思い返すところから物語が始まります。
静かな導入ですが、ここから少しずつ時間が巻き戻っていきます。




