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第1話:原初の泥濘

ぬちゃあ、と湿った腐葉土の気色悪い感触。

ひんやりとした空気が、存在しないはずの肌を撫でる。

意識が、まるで泥の中から無理やり顔を出すように、ゆっくりと浮上した。


(……どこだ、ここ……寒い……っていうか、視界わるっ!)


セピア色のフィルターを何枚も重ねたみたいに、全部がぼんやり霞んでやがる。

巨大な何か……たぶん木々が天を覆っていて、薄暗い。

耳に届くのは、ブンブンうるさい虫の羽音とか、遠くで響く「ガオー!」みたいな、B級映画で百回は聞いた効果音。

そして鼻をつくのは、なんか……生命が超絶熟成されている感じの、甘くてキツい匂い。


(身体が……動かない……? いや、なんか、ぬるぬるする……って、え?)


手足を動かしようにも、そこには何もない。

あるのは、地面にべちゃーっと広がるゼリー状の塊。


どうやら、これが俺のニューボディらしい。

マジか。いや、マジのマジか。

俺、不定形の、いわゆるスライムってやつにジョブチェンジしちまったのかよ!

現代日本のわらび餅エンドか!


(……ぷるぷる……)


声を出そうとしても、喉も声帯もない。

代わりに、身体の表面が情けなく震えて、空気が漏れるような音がするだけ。

絶望。っていうか、ツッコミどころが多すぎて処理が追いつかん!


確か俺、現代日本で生きてたはずだ。

平凡な会社員で、クソ上司に怒られてはヘコヘコ頭を下げ、満員電車で押し寿司にされながらため息をつく……そんな社畜ライフを送っていた。

それ以降の記憶は、砂嵐のテレビみたいにザリザリで思い出せない。


(死んだのか……? 俺、過労死か何かで、こんなプルプルに……? 冗談キツいぜ……)


手も足も出ないって、物理的にそうだもん!

この見るからにデンジャラスな森で、どう生きろと!?

そこらの虫にだって喰われておしまいだろう。怖い。ガチで怖い。

涙も出ない身体で、俺はぷるぷる震えることしかできなかった。


その時だ。

《やっほー! 聞こえる? おーい、新人さーん!》


頭の中に、直接ぴこーん!と声が響いた。

若い女の子っぽい、やけに明るくてテンションの高い声だ。


(……幻聴か? あー、俺の人生、ここでサービス終了のお知らせ、と……)


《幻聴じゃないって! 私、あなたの担当女神のアリアだよ! いやー、今回の転生体、また随分と初期値が低いやつ引いちゃったねー。ドンマイ!》


女神? 担当? まるで迷惑メールみたいなノリで来やがった。

あまりの突拍子のなさに、俺の恐怖と混乱は一周回って、逆にツッコミ魂に火がついた。


(め、女神……様!? なんで俺なんかに……ていうか、脳内ダイレクトメッセージってどういう仕組み!? Wi-Fi飛んでんの!?)


《きみみたいな『迷い人』の魂って、こっちの世界のルールから外れてるから、色んな存在からの“声”を拾いやすいんだ。普通は神様とかヤバい奴らの声が混線して、すぐ精神崩壊しちゃう。でも、きみの魂は特別“繋がりやすかった”から、私が他の干渉をブロックして、優先的に話せるようにしてあげたってわけ! これで私とだけお喋りできる。ラッキーだったね!》


アリアは、まるでスマホの料金プランを説明するみたいに、あっけらかんと言った。


《ま、そういうわけだから、さっさと現状把握しないと、マジでそこの苔の養分になってゲームオーバーだよ? とりあえず「ステータス」って念じてみて。きみは特別だから、念じるだけで見られるように私がシステムにハッキングしといたから。普通はこの世界の人間は教会とかに行かないと見られないんだからね。これも女神の加護(小)の効果の一つだよ》


言われるがまま、俺は恐怖に震えながらも心の中で強く念じた。

(ステータス!)


すると、目の前の空間に半透明のウィンドウがシュピン!と浮かび上がった。


【ステータス】

名前: なし

種族: 原初粘菌プロト・スライム

レベル: 1

称号: 迷い人、女神の加護(小)

HP: 3/3

MP: 1/1

攻撃力: 1

防御力: 1

素早さ: 1

スキル:

・捕食吸収 LV.1: 捕食した対象の魔素を吸収し、自身の糧とする。稀に対象の能力の一部を継承する。

・女神交信: 女神アリアと交信できる。


(……終わってんじゃん、俺……)


心の底から、か細い念が漏れた。

HP3て。コンセント抜いたら即死するファミコンかよ!

攻撃力1って、猫パンチの方が絶対強いだろ!

「女神の加護(小)」って表記が、俺の絶望に(笑)をつけて嘲笑っているように見える。


《でしょー? だから言ったじゃん。この世界『ヴェルム』は、喰うか喰われるかの超実力主義社会なの。神様は基本的に不干渉。強いて言うなら、強い魂が生き残って、より面白い物語エンタメを紡いでくれるのを高みの見物してるって感じかな。私の役割は、きみみたいなイレギュラーな魂がすぐ壊れちゃわないように、少しだけ導いてあげること。観客席からのささやかなエールみたいなもんよ》


アリアは楽しそうに言う。神の娯楽。俺たちのサバイバルは、神々の暇つぶしでしかないのか。背筋が凍るような事実だった。


(そんな……そんなのってないだろ……。俺はただ、平穏に生きたいだけなのに……)


《はいはい、泣き言はそこまで! 生き残りたければ、強くなるしかないの。シンプルでしょ? きみの魂、ビビりでへたれだけど、土壇場の生存本能(ゴキブリ並みのしぶとさ)は高そうだから、私が担当に立候補したんだよね。期待してるよ!》


気さくな口調だが、言っている内容は「さっさと死ぬなよ、楽しませてくれ」ということだ。無理ゲーにもほどがある。

だが、このままじっとしていても、何かに喰われて死ぬだけ。


(……どうすりゃいいんだよ……)


《んー、まずは腹ごしらえだね。きみでも狩れる、最弱のザコがいるから。ほら、あそこ見て》


アリアに意識を誘導されるまま、ぬるり、ぬるりと身体を引きずる。1メートル進むだけで息が切れる。

腐った葉っぱの上で、何かが蠢いていた。

それは、体長5センチほどの、ダンゴムシとカメムシを足して2で割ったような、黒光りする甲虫だった。


《あれは「腐葉虫フヨウムシ」。この森のチュートリアル担当で、魔物としては最弱レベル。毒も持ってないし、温厚だよ。きみの初陣にはピッタリの相手だね》


(あんな虫っころ相手に、俺が……? 無理だ、見た目からしてカッチカチだぞ……)


《じゃあ死ぬ?》


アリアの短い言葉が、俺の心を抉った。

死ぬか、やるか。選択肢は、ない。

俺は意を決し、ゆっくりと腐葉虫に接近した。


(ええい、ままよ! 俺の必殺、スライム・タックル!)


俺は全身の力を振り絞り、僅かに身体を跳ねさせるようにして腐葉虫にぶつかった。

カチンッ!


鈍い、乾いた音がした。

俺のゼリー状の身体は腐葉虫の硬い外殻に弾かれ、情けなく地面にべちゃっと広がる。

腐葉虫は一瞬動きを止めたが、何事もなかったかのように、また食事を再開した。

HP 3/3。ダメージ、ゼロ。


(ほら見ろ! 無理だって言ったじゃん! どうすんだよこれ!)


心が完全にポッキリ折れそうだ。

もうダメだ。泣き叫びたいのに声も出せず、俺はただぷるぷると震える。


《あー、やっぱりダメだったか。攻撃力1じゃ、腐葉虫の装甲も抜けないかー。……しょうがないなー。きみの種族は「原初粘菌」。その身体は、弱いけど強い酸性の消化液で満されてる。体当たりがダメなら、覆いかぶさって、溶かすしかないんじゃない?》


溶かす? そんな、おぞましいことを……。

想像しただけで気分が悪くなる。だが、アリアの言う通り、それしか手は無い。


(うう……やるしかないのか……やるしかないんだな……R-18G指定しろよこのグロゲー!)


俺はもう一度覚悟を決め、今度はゆっくりと、音を立てないように腐葉虫ににじり寄った。

そして、相手が気づくよりも早く、その全身で腐葉虫を覆い尽くした。


ジジッ! ジジジジッ!


身体の内側で、腐葉虫が必死にもがく感触が伝わる。おぞましい!

小さな足が、俺の身体を内側からカリカリ掻きむしる。痛い! いや、痛みというより、なんかこう、身体が削り取られていくような、最高に不快な感触!


【HPが1減少しました。残りHP:2/3】


ウィンドウが表示される。やられる! このままじゃ、溶かし切る前に俺が削り殺される!


(いやだ! 痛い! 死にたくない! でもここでやめたらマジで死ぬ!)


パニックで思考が埋め尽くされる。だが、その絶叫の奥で、冷たい生存本能が囁いていた。

前世で理不尽な上司に頭を下げ続けた、あの屈辱。満員電車で押し潰されながら耐えた、あの苦痛。

生きるためには、もっと嫌なことだってやらなきゃいけないんだ!


俺は必死に身体に力を込めて腐葉虫を抑えつける。身体の表面から、じわじわと消化液が分泌されていくのが分かった。腐葉虫の抵抗が、少しずつ弱まっていく。

硬い甲殻が溶け、その中身が俺の身体に混じり合っていく、吐き気を催すような感覚。

やがて、腐葉虫の動きが完全に止まった。


《【HPが全回復しました。最大HPが1上昇しました】》

《【攻撃力が1上昇しました】》

《【スキル『捕食吸収』の熟練度が上昇しました】》


システムメッセージが脳内に流れ込み、温かい力が身体に満ちる。

不快感と安堵と、そしてほんの少しの高揚感が入り混じった、悪魔的な感覚だった。


たった一体。あんなに小さな虫を喰っただけで、俺は強くなった。攻撃力は2倍だ!

これなら、次はもっと楽に……。


(……はは。なんだ……これなら……案外、イケる……のか?)


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