(3)
「フィーヌ。よく考えるんだ。こんなにいい話はないぞ」
フィーヌの父であるショット侯爵が、諭すように告げる。
ショット侯爵が言うことも理解はできた。ホークはまだ若く、健康で、おまけに辺境伯だ。フィーヌには勿体ないような話だった。
(でも、責任感からだけで好きでもない女を娶らせるのはさすがに──)
罪悪感からいたたまれない気持ちになる。
ホークはバナージから呼び出されて巻き込まれた、被害者だ。ただでさえ迷惑を被っているのに、その上さらにフィーヌを娶らせるのは良心の呵責に耐えられそうにない。
しかし、ホークの様子を見ている限り、この求婚を断っても納得するそぶりはなさそうだ。
(どうにかして、彼にとっていい方法がないかしら?)
フィーヌは悩む。そのとき、ふと閃いた。
「ロサイダー卿。ロサイダー領は土地が痩せ、産業もないと聞いたことがあるのですが、事実でしょうか?」
「……ああ。事実だ」
少しの沈黙ののちに、ホークは頷く。
それを聞いて、フィーヌは口元に笑みを浮かべた。
(それなら、ロサイダー領に行けばお役に立てるかもしれないわ)
なにせ、フィーヌは土の声を聴くことができる。大地に働きかけて土壌改良するのもお手の物なのだ。
「わかりました。求婚をお受けいたします」
フィーヌは覚悟を決めて、頷いたのだった。
◇ ◇ ◇
フィーヌがホークからの求婚を受け入れた翌日。
バナージは社交サロンで貴族令息仲間と昼間から酒を飲みながらポーカーゲームに興じていた。
「おい、バナージ。お前、ショット侯爵家のレイナ嬢と婚約したって本当か?」
友人に聞かれ、バナージは頷く。
「ああ。フィーヌはとんでもない悪女だったから、婚約破棄してやった。神恵だって「土の声を聴ける」とかいう意味がわからない地味なものだしな。それに引き換え、レイナは華やかな美人だし、神恵も「緑の手」だ。地味で冴えないフィーヌの百倍いい」
「たしかにレイナ嬢は甘え上手で可愛いよな。でも、フィーヌ嬢も凛とした美人だと思うけど」
「あいつが美人? 地味で全然笑わない陰気な女だ。でも、男を床に引き入れる手管はあるようだから誘えば乗って来るんじゃないか? なにせ、死神を陥落させるくらいだし」
ハッと笑いながら、バナージは友人を煽る。
「あんな大人しい顔して意外だよな。なあ、バナージ。フィーヌ嬢のあっちのテクニックはどうなんだ?」
「自分で確認して見ろよ」
「試してやってもいいかもな」
友人はバナージの話に乗り、嫌らしい笑みを浮かべた。
フィーヌがホークと不貞行為をしていたという噂を各所に流してあるので、それを真に受けているのだ。
そのとき、ドンッと机を叩く大きな音がした。
「公共の場で俺の婚約者を貶めるとは、どういうつもりだ?」
視線だけで射殺しそうな目で自分達を睨み付ける人物──ホーク・ロサイダーを見て、バナージは驚いた。
「お前がなぜここに!?」
「用事があったからいただけだ。何か問題でも? 仕事もせずに昼間から飲み歩いている暇はないんでね」
「なんだとっ!」
暗に自分のことを『仕事もせずに飲み歩いている暇人』と言われたと察し、バナージはカッとなる。しかし、立ち上がろうとした瞬間にホークにぐっと肩を押された。
「ぐっ!」
(なんて力だ)
肩に片手を添えているだけなのに、全く立ち上がることができない。ホークはバナージを見つめる。
「喧嘩を吹っ掛けるなら相手をよく見るんだな」
「なっ!」
青くなったバナージを、ホークは冷ややかに見下ろす。
「以後、俺の婚約者を貶めたら首が飛ぶと思え」
ぞっとするような声に、背筋が凍り付く。ホークは言いたいことは言ったとばかりにすたすたと入口のほうへと歩いてゆくと、町の中へと消えて行った。
「やばいなアイツ。殺されるかと思った」
「さすが死神と呼ばれただけあるな」
一部始終を見ていた友人達はホークの後ろ姿を見送りながらコソコソと囁き合う。
「くそっ! あいつ!」
バナージは声を荒らげた。
(あいつは昔からああだ。くそっ、バカにしやがって)
貴族学院に在学中、公爵令息であるバナージは学園ヒエラルキーの頂点にいた。誰も公爵家に睨まれたくはないので、多くの取り巻きがバナージをおだてたのだ。
そんな中で、ホークはバナージに対して絶対に媚びを売らないどころか、虫けらでも見るような目で見下ろしてきた。
それに、ホークは学業成績もよく剣の腕に至っては教師である元騎士ですら勝てないほど。さらには、バナージには理解しがたいが、ホークは学院の多くの学生達にも慕われていた。爵位で周囲を従えるバナージに対し、ホークは人柄で人を引き寄せる。
「気に入らない」という感情が「嫌いだ」に変わるのはすぐだった。
(融資を申し出る家門は見つからない。俺が手を回したからな。ざまあみろ)
薄ら笑いを浮かべながら、バナージはホークの後ろ姿を見送る。
数カ月前、バナージの父であるダイナー公爵が病に倒れた。嫡男として公爵代行をしているバナージはこれ幸いと、爵位を笠にロサイダー家に近い家門に圧力をかけた。
公爵家から睨まれたくない家門は、ロサイダー辺境伯家と距離を置くはずだ。
「おい、バナージ。ゲームの続きをやろうぜ。賭けないのか?」
「賭けるさ」
友人達に声をかけられ、バナージはテーブルに向き直る。
「さっき、ホークの奴『俺の婚約者』って言っていたよな? あいつとフィーヌ嬢って婚約したのか?」
ひとりが不思議そうに言った言葉に、バナージはハッとする。
(確かに言っていた。あいつら、結婚するのか?)
ふたりを閉じ込めはしたが、本当は何もなかったことバナージはよく知っている。それなのに結婚するとなると、男女の仲であると醜聞が広がった責任を取って、結婚することになったのだろう。
「ははっ。それはお似合いだな。負け犬同士で」
バナージは腹を抱えて笑う。辺境伯領は巨額の軍事費で常に資金繰りが大変だと聞く。融資を得られない以上、ふたりはひもじい生活を余儀なくされるだろう。
「物乞いのように土下座しに来たら、少しは出してやるか」
バナージはくくっと笑う。
(辺境伯だからって偉そうにしやがって。あいつは負け犬で、勝ったのは俺だ。金に権力に、誰もがうらやむ神恵を持つ妻。完璧だ)
そう思うと、溜飲が下がる思いだ。
ウェイターが注いだワインをぐいっと飲み干す。いつにも増して、甘美な味わいがした。