(2)
(命を賭けて国を守っているのに〝死神〟扱いだなんて、辺境伯って損な役回りだわ)
フィーヌはふうっと息を吐くと、自室からテラスに出る。そして、階段を降りると侯爵邸の庭へと向かった。
「ヴァル。いるんでしょう?」
何もない空間に声をかけると、フィーヌから一メートルほど離れた場所につむじ風が吹き、忽然と小人が現れた。
五歳児の身長ほどしかない彼は、土の精霊〝ノーム〟と呼ばれる存在だ。
フィーヌが土の声を聴くという神恵を得たときに忽然と現れたのだが、フィーヌ以外には姿が見えないし、声も聞こえないようだ。「ヴァル」という名前は彼自身が教えてくれた。
「呼んだか?」
「ダイナー公爵領のリリト金山は、あとどれくらい金鉱石が残ってるかしら?」
「もうすぐなくなる。今のペースで掘ってたら、あと二年……もって三年だな」
「もって三年……。思ったよりもすぐね」
「他を探してやろうか?」
ヴァルは腰に両腕を当て、フィーヌを見上げる。
「ううん、探さなくていいわ。わたくしね、もうあの人達を助けるのはやめることにしたの」
「へえ、それはいい考えだね! うんうん、やめちまうのがいいよ! あいつら、オイラのフィーヌを虐めるからキライだ」
ヴァルはふんっと鼻から息を吐き腕を組む。
「まあ、ふふっ。そうね。それでね、ちょっとお灸をすえてやろうと思うの。協力してくれる?」
「もちろんさ。何をすればいい?」
ヴァルはうきうきしたように、目を輝かせる。
「領地内にある金鉱石の周囲を、ほんの少しだけ固くしてほしいの。ちょっとやそっとじゃ掘り当てられないくらい」
「ほんのちょっとでいいのか? カチコチにしてやるよ」
「ううん、ほんのちょっとでいいわ。あんまりカチコチにしたら、誰も掘り返せなくなってしまうもの」
「ああ、そっか。さすがオイラのフィーヌは天才だな」
ヴァルは納得したように頷く。
「じゃあ早速、ちょっくら作業してくるよ。じゃーな」
「ええ、ありがとう」
フィーヌはひらひらと片手を振る。
ヴァルがいる場所につむじ風が吹き、忽然とその姿を消した。
「わたくしも戻ろうかな」
部屋へと続くテラスに繋がる階段を上りはじめたフィーヌは、ふと屋敷の門が開かれたことに気付いた。
見慣れない四頭立ての馬車が入ってくるのが見える。
「お父様にお客様かしら?」
屋敷の車寄せは位置的に庭からは見えない。
フィーヌは気を取り直すと部屋へと戻った。
程なくして、コンコンコンと部屋のドアをノックする音がした。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
「お父さまが? すぐ行くわ。執務室かしら?」
「いえ。応接室に来るようにと」
「応接室?」
フィーヌは不思議に思い、聞き返す。
(さっきいらしたお客様とまだ応対しているのかしら?)
フィーヌの父は普段、執務室もしくはリビングサロンにいる。応接室は客人が来たときしか使わないはずだ。
(誰かしら?)
なぜフィーヌが呼ばれるのか心当たりはないが、応接室に行けばすぐに解決するだろう。
フィーヌは立ち上がって簡単に身支度を整えると、応接室へと向かった。
「お父様、フィーヌでございます」
「はいれ」
入室の許可が出て、フィーヌは応接室に入る。そして、ショット侯爵と向かい合って座っている人物を見て驚いた。
「あなたは──」
座っていてもわかる長身。きりっとした顔立ち。引き締まった体躯。そこには、つい先日休憩室で会ったロサイダー辺境伯のホークがいた。
(なんでロサイダー卿がここに?)
フィーヌは困惑した。
(もしかして、先日の件であらぬ誤解をされたとわたくしに苦情を言いに来たのかしら?)
気持ちは理解できるが、糾弾するならバナージとレイナにしてほしいものだ。
どうしたものかと思案していると「フィーヌ、ここに座りなさい」とショット侯爵が自分の横を指す。
「はい」
フィーヌは戸惑いつつもショット侯爵の隣に座った。
「あの……。一体、これは?」
「フィーヌ。ロサイダー卿からお前に求婚の申し出があった」
「……はい?」
ショット侯爵の言葉が理解できず、フィーヌは目を瞬かせる。
フィーヌと目が合ったホークは、こくりと頷いた。
「先日、あなたは不慮の事故で俺と休憩室に閉じ込められたばっかりに婚約破棄されてしまったそうだな。俺にも非があるのだから、きちんと責任は取らねばならない」
「責任?」
フィーヌは聞き返す。
先日の件については、全面的にバナージとレイナが悪いとフィーヌは思っている。
ホークに関しては非はないどころか、むしろ被害者だ。
「お気遣いいただきありがとうございます、ロサイダー卿。ですが、そこまでしていただく必要はありません。わたくし達は神に誓って潔白ですので、ときが経てば皆忘れるでしょう」
「しかし、社交界ではあなたの悪い噂が流れていると聞いた。一度そのような状態になってしまうと、なかなか良縁を結ぶのは難しいだろう」
ホークは眉根を寄せる。
(あらまあ。もうそんなに悪い噂が流れているのね)
友人から聞いてはいたものの、ホークの耳に入るとなると予想よりもずっと悪い噂が多くの人に広まっているのかもしれない。
「それは……」
フィーヌは言葉に詰まる。
たしかに、ホークの言うとおりだった。一度社交界に醜聞が広がると、良家であればあるほど妻の候補からフィーヌを除外するだろう。
幸いにして神恵を持っているフィーヌを妻に望む貴族は多いはずだが、きっと子爵家や男爵家などの下位貴族になるはずだ。
「ロサイダー領はその地域性ゆえに、あなたに煌びやかな生活をおくらせてやることはできない。だが、あなたのことを大切にすると誓おう」
フィーヌはまっすぐに自分を見つめるホークを見返す。
「本気で仰っているの?」
お前のせいでひどい目に遭ったと糾弾してもいい状況なのに、フィーヌの境遇を案じてこうして求婚してくるなんて。
「冗談で、きみの父上まで巻き込むと思うか?」
ホークは器用に片眉を上げる。
フィーヌは黙り込んだ。