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さらに、ホークには『魔眼』の神恵がある。ひとの悪意が見えるのだ。バナージが学生時代から自分に悪意を持っているようだというのは知っていた。
だから、手紙が届いたときから十中八九何か別の狙いがあってのことだろうとわかっていた。
それがわかっていながらもホークが王都に来たのは、バナージが自分を呼び出して企んでいるその〝何か〟の内容が気になったからだ。万が一にも何かしらの政治抗争が動いているのならば、早めに不穏な芽は摘んでおいたほうがいい。
(まさか、婚約破棄の口実作りに利用されるとはな)
ひとえにバナージがホークの想定を上回る愚か者であったということなのだろうが、全く想定外だった。
「では、四日もかけて王都に来たのに収穫ゼロですか?」
カールがホークに尋ねる。
「……いや」
脳裏に浮かんだのは、先ほど一緒に部屋に閉じ込められていたフィーヌの姿だ。
二十歳くらいの赤茶色の艶やかな髪を結い上げた目を引くような美人で、すらっとした首と一緒に見えるうなじが、彼女の色気をさらに引き立てていた。
一方的に責め立てられても取り乱すことなく、凛とした姿が印象的だった。
『恐らくこれから、この部屋で馬鹿げた出来事が起こります』
はっきりとそう言ったフィーヌの言葉から判断するに、彼女は自分が婚約破棄されることをわかっていながら、わざとあの場にいた。つまり、不名誉な汚名を着せられるとわかっていながら、そこまでしてでもバナージと婚約破棄をしたかったのだろう。
(まあ、あの間抜けな公爵令息の妻になりたくないというのは理解できる)
下位貴族から高位貴族に婚約破棄を申し立てることはできない。だからこそ、手のひらでバナージを躍らせ、あの場を利用したのだ。
(美人で、頭もいい。ダイナー家の嫡男はよほど見る目がないと見える)
賢い女は嫌いじゃない。
初対面で欲しいと思った女は、生まれて初めてだった。
「思った以上の収穫だった。面白いものを見つけたよ」
ホークは馬車の窓から民家の軒先に掛かる灯りを眺めながら、これからどう動くべきかと思案する。
「何を見つけたのですか?」
カールは不思議そうに、ホークを見つめる。
「カール。ロサイダー家の家訓はなんだ?」
「敵は徹底的に叩き潰せ。望むものは手段を選ばず奪い取れ。です」
「よく覚えているじゃないか。まずは、望むものを取りに行こうと思う。近く、ショット侯爵令嬢に求婚する」
「ええっ! 本気ですか?」
「もちろん、本気だ」
ホークは口元に笑みを浮かべる。
勝負に勝つにはまず戦略を練らねばならない。
あとは駒を進めて、完膚なきまでに叩きのめすだけだ。
◇ ◇ ◇
フィーヌとホークが立ち去ったあと、舞台となったダイナー公爵家の休憩室ではバナージとレイナが祝杯をあげていた。
「バナージ様、上手くいきましたね」
「ああ。俺が乗り込んで行ったときのふたりの驚いた顔と言ったら、見ものだったぞ」
バナージはワインをグラスの中でくるりと回し、一気に煽る。
「これでフィーヌとは晴れて婚約破棄だ。きみと一緒になれる。明日にでも、ショット侯爵に書簡を出そう」
「嬉しい!」
レイナは甘えるように、バナージの腕にぴたりとくっつく。
(やっぱり女はこうでなくっちゃ)
バナージは心の中で思う。
フィーヌは美人ではあったが、可愛げがなかった。いつも凛として澄ましており、甘えることはない。それどころか、生意気にもバナージの行動を諭してくることすらあった。
その点、フィーヌの妹であるレイナは甘え上手で愛嬌がある。フィーヌより少し幼さが残る顔立ちで、自分を慕ってくっついてくるような可愛い女だ。
「でも、お姉様の神恵は『土の声を聴ける』です。敵対してしまって大丈夫でしょうか?」
レイナは不安そうにバナージを窺い見る。
「敵対? レイナ、俺たちは敵対などしていない。彼らに裏切られ傷つきながらも、その行為を許して友好関係を築こうとしている善良な人間だ」
レイナは目をぱちくりとさせたが、すぐにバナージの意図に気付いたようだ。
「あら、そうでした。わたくしったら勘違いして、申し訳ありません」
「いや、いいんだ。可愛いレイナ」
バナージはフィーヌに不貞行為の汚名を着せて婚約破棄をしたが、それ以上彼女を追い込むつもりはない。そうしたほうが、〝寛大な次期公爵〟と周囲の人間に強く印象付けられるからだ。
(フィーヌの奴、まんまと騙されて落ち込んでいたな。俺に楯突くからこういうことになるんだ)
何もかも自分の思い描いた通りに進み、喜びが込み上げる。
今夜はいい夢が見られそうだ。