(5)
「奥様らしき目撃証言が得られました。今日の十一時頃、長距離馬車乗り場でひとりで待っている姿を見たと」
「今日の昼頃出発した路線を調べてくれ」
「はい、すぐに」
部下は慌てて確認に向かう。
その後ろ姿を見つめ、ホークはぎゅっとこぶしを握った。
噴水広場は長距離馬車の発着所になっており、各地とロサイダー領を結んでいる。その馬車に乗ったのであれば、もしかするともうロサイダー領にはいない可能性もある。
(フィーヌ。どこにいる?)
ホークはフィーヌを思い、天を仰いだ。
◇ ◇ ◇
【ヴィラ歴423年5月】
地面から湧き出す水に手を当てると、人肌より少し温かい。
「うん。今日もいいお湯だわ」
フィーヌは笑みを浮かべる。
「ヴァル、もう少し湯量を増やせる?」
「お安いごようだぞ」
ヴァルは得意げに胸を叩くと、温泉のほうに手をかざす。すると、さきほどまでちょろちょろとしか湧き出ていなかったお湯の勢いが増した。
「ありがとう。大助かりよ」
「そうだろ? オイラ、役に立つんだぞ」
ヴァルは鼻の下を人差し指で擦り、嬉しそうに笑う。
その様子を見て、フィーヌもふふっと笑った。
屋敷を去って一カ月が経ち、フィーヌはロサイダー領のはずれにあるレイクタウンという町にある、小さな宿屋で住み込みで働いていた。
ロサイダー領を出ることも考えたのだが、彼との思い出の地に留まりたいという気持ちが湧いて出ることはできなかったのだ。
どんどん湧いてくるお湯を眺めていると、不意に「フィーヌちゃん」と呼びかける声がした。
「お湯の調子はどうだい?」
「たっぷり湧いてますよ」
「そりゃよかった。最近お湯の出がよくなって、嬉しいこったね」
人の好い笑みを浮かべたのは、この旅館の女主人であるルイーダだ。
レイクタウンに到着した日、これからどう過ごそうかと思案していたフィーヌに声をかけてくれた親切な女性だ。大きなカバンひとつ持ってひとり立っていたフィーヌを見て、すぐに訳ありだとわかったのだという。
「今日は急なお客様が来ることになったんだ」
「そうなのですか?」
「ええ。それがなんと、領主様ご一行らしいのよ。丁重におもてなししないとね」
「……領主様?」
フィーヌはドキッとして聞き返す。
「ああ、そうだよ。なんでも、急に今回の遠征を決めたらしいわ」
「そう……なんですか……」
動揺して声が震えそうになるのを、フィーヌは必死に抑える。
(ホーク様がここに来るの? なんで?)
少なくともフィーヌが屋敷にいた際にはレイクタウンに遠征の予定などなかったはずだ。きっと、何かわけがあって急に決まったのかもしれない。
夕方、フィーヌは宿屋を抜け出すと湖の畔に行った。
ホークを直接見てしまうとようやく決別しかけていた気持ちが揺らいでしまいそうで怖かったのだ。
(ホーク様たち、もう宿に到着したかしら?)
フィーヌは靴を脱ぐと、足首まで水に浸かる。だいぶ気温は上がってきたが、水はまだ冷たかった。
前を向くと空は夕焼けで赤くなり、湖面まで同じ色に染まっている。
「綺麗ね」
フィーヌはぽつりと呟く。
そのとき、背後から地面を踏みしめる音がした。
「そうだな。まるできみの美しい髪のような空だ」
ハッとしてフィーヌは振り返る。
「閣下……」
そこには、軍服姿のホークがいた。
「なんでここに……」
「きみを探しに来た」
「わたくしを?」
フィーヌは困惑する。すると、ホークに強く抱きしめられた。
「俺を置いて、どこにも行くな。フィーヌは、俺の妻だろう?」
「なんで? せっかく離縁しようと思って、準備したのに。愛している人は?」
「何を勘違いしたのかわからないが、俺が愛しているのはフィーヌだけだ。それに、フィーヌも俺を愛してる。違うのか?」
耳元で囁かれ、感情が溢れだす。
(だって、シェリーさんは?)
好きだった。だけど、ホークには別に女性がいると思ってずっと蓋をしてきた。
なのに、フィーヌだけを愛しているだなんて言うなんて。
「あなたのことが、ずっと好きだったわ。大好きよ」
ボロボロと涙が溢れてくる。
ホークはフィーヌの両頬を手で包み、彼女に微笑みかける。
「いい子だ。俺のところに戻ってこい」
ホークの顔が近づき、唇が重なった。